問答無用で魔物の嫁になるようです
なずなは紅茶を飲んだ瞬間驚いたため、紅茶が気道に入ってしまい激しくむせてしまった。マーサはなずなの背中に回って、優しく背中をさすってくれた。
「ゴッホッゴッフ、す、すみませんドレスにシミがっ」
「シミ抜きをすれば大丈夫ですよ、心配なさらないでください」
なずなが落ち着いたのを見計らって、マーサは水差しからグラスに水を注いで、なずなに手渡した。なずなは水を一口飲んで、やっと落ち着いてから話し出した。
「クリスティーナは好きな人と結婚するんじゃないんですか?」
マーサは優しい顔をゆがめて、怖い顔で答えた。
「とんでもございません。クリスティーナお嬢さまは、ご両親が亡くなられて、メグノマリヤさまの屋敷に引き取られてから一度も屋敷を出た事がございません。お嬢さまが外に出られるのは、ご自身の魔法でドアを出現させて、昔ご両親と行った森や、街に少しの間だけ行く事しかできませんでした。常にメグノマリヤさまの息のかかった召使いが監視しておりますので。メグノマリヤさまのお嬢さまたち二人は早々にお嫁に行きましたが、クリスティーナお嬢さまだけはこの年までずっとお嫁にも行けなかったのです。ですが今になって急に縁談が持ち上がったのです。この土地には昔から魔物が住んでおりました。ここから遠く離れた深い深い魔の森に。魔物はわたくしたち人間には興味を持たず、お互いに干渉せず暮らしておりました。ですがここ最近になって、農作物が育たなくなる被害が多発しました。それがどうやら魔物の呪いによるものなのです。そこでメグノマリヤさまはあろう事か、クリスティーナお嬢さまを生け贄に捧げようと言い出したのです。何故か領主さまも村の人々もそれを良案として受け入れてしまったのです」
「ひどい!!」
マーサの話になずなは怒りがおさまらなかった。クリスティーナを魔物の花嫁にするなんて。マーサはなずながクリスティーナの境遇を悲しんでくれた事に感謝していた。マーサはなずなをドレスからゆったりしたナイトウェアに着替えさせ、ベッドで休むようにうながした。マーサが部屋から退室したあと、室内は暗闇に包まれ、唯一の明かりは枕元にあるチェストの上のランプだけだった。なずなは疲れているのにも関わらず、中々眠りがおとずれなかった。つらつらと、この世界のクリスティーナの境遇を考える。マーサという優しい乳母がいてくれたものの、両親は他界し、唯一の肉親の叔母には冷たくされ、ついには魔物の生け贄にされてしまう女性。そして彼女はこの世界のなずななのだ。なずなはこうも考えた。なずなの住んでいた世界と、この世界には深い関係性があるらしい。なのでもしクリスティーナに命の危険があれば、それは元の世界に戻ったなずなにも影響があるはずだ。クリスティーナが魔物の元に行くという事は、なずなにも重大な事なのだ。考えたくない事だが、もしクリスティーナが魔物に襲われて、命を落とすような事があれば、なずなも死んでしまうのだろう。なずなはクリスティーナと入れ替わっている間、何とか魔物の元に行かないで済む方法を考えなければと思うのだが、中々いい案は浮かばず、いつの間にか眠りに落ちていた。
翌朝目を覚ますと、側にはすでにマーサがいて、甲斐甲斐しく朝の身支度を手伝ってくれた。なずなは、両親が亡くなってからは、全て一人で何でもしていたため、マーサに子供のように世話を焼かれるのは少し照れくさかった。今日のドレスは目の覚めるようなブルーのドレスだった。鏡に映った姿を見て、なずなはまたもため息をついて見入っていた。髪はマーサが編み込みでゆってくれて、美しい髪留めでとめてくれた。胸元にはサファイヤの豪華なペンダントをつけてくれた。美しい装飾品に浮き立つなずなに、マーサはためらいがちに声をかけた。
「なずなお嬢さま、今朝は大広間でメグノマリヤさまとご一緒に朝食をとっていただきます」
浮かない顔のマーサに、なずなは訳をたずねると、メグノマリヤがクリスティーナと朝食を共にする事はひどく珍しい事だというのだ。クリスティーナは常にこの部屋から出る事を許されず、食事も全てこの部屋で取っていた。それが今朝に限って一緒に朝食をと言われては何かあると、マーサは警戒しているのだ。なずなはこの申し出をちょうど良いと受け取った。何とかクリスティーナがこの世界に戻ってくるまでに、魔物の元に行かないで済む方法を考えなければいけないのだ。それは叔母に話を聞くのが一番手っ取り早いと思った。
大広間はとても広く、クリスティーナの部屋が何個も収まってしまうような広さだった。なずなが下座の席に座り、上座にも朝食の準備がされていた。なずなが待っていると、叔母のメグノマリヤが入って来た。覚悟はしていたのだが、なずなはびっくりして声を上げそうになった。なずなの叔母、秋恵にそっくりだったからだ。なずなの母、秋奈は瞳が大きく、唇は小さくぷっくりとして、鼻すじの通った美人だった。なずなは大きくなってから、その母にそっくりになった。だが叔母の秋恵は、姉妹のはずなのに、目は細く鼻は鷲鼻で、唇は薄く、およそ美人とは言えなかった。その秋恵とメグノマリヤは瓜二つだった。メグノマリヤは大仰に席に着くと、開口一番なずなに言い放った。
「クリスティーナ、喜びなさい。貴女の輿入れが早まったわ。今日この屋敷を出て、魔物の屋敷に行ってもらいます」
なずなは驚いてヒユッを息を飲んだ。なずなの後ろに控えていたマーサが声をあげる。
「奥さま!輿入れは一ヶ月後のはずです」
メグノマリヤは不躾な姪の乳母を睨みながら答えた。
「先方から早くと催促があったのよ、朝食を食べたら準備しなさい、最後に貴女の顔を見ておこうと思ってね」
メグノマリヤは細い目をさらに細めてニヤニヤと気味の悪い笑みを浮かべてなずなを見た。なずなはキッと叔母を睨んだ。たまらずマーサは声を上げる。
「奥さま!ここにいるクリスティーナお嬢さまは別人です!どうかお考え直しを、しばらく猶予をお与えくださいまし!」
マーサの必死の嘆願を、メグノマリヤは鼻でフンッと笑った。
「別人ですって?嘘をつくならもっとマシな嘘をつきな、マーサ。私が憎らしい姪を見間違えるわけないだろう?死んだ姉にそっくりだ!魔法薬で髪と目を変えたってごまかされないよ!さっさと食事をして出て行きな!」
この世界の叔母メグノマリヤは、なずなの世界の叔母秋恵にそっくりだ。ねちゃねちゃした話し方も、ニヤニヤといやらしい笑いも、なずなは一時期叔母の家に預けられていた中学生の頃を思い出して、気分が悪くなり、朝食をほとんど残してしまった。部屋に帰るとマーサが泣きながら言った。
「こうなっては仕方がありません、クリスティーナお嬢さまにお戻りいただきましょう」
そう言ってマーサは自身の魔法を発動しようとした。それをなずなは止めた。
「ダメよマーサさん。クリスティーナは今向こうの世界で束の間の自由を楽しんでいるの。邪魔しちゃダメ。大丈夫よ、私魔物の館に乗り込んで、メチャクチャやって追い出されてくる。そうすればクリスティーナは魔物のお嫁さんにならなくて済むでしょ?」
笑って言うなずなに、マーサは泣きながら頷いた。
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