第5話 届け、俺
防御をする度に骨がきしむ鈍い音がする。
少女の身体から発していい音じゃなかった。
「うっ、くっ、うあっ」
打撃を受ける度に彼女が苦しそうにうめく。
何とか骨が折れないようにするだけで精一杯なのだった。
「ユウナ!」
たまらずにコウが飛び出す。
絶対に来るななんて言われたことなど忘れていた。
こんな状況で、女の子が痛めつけられて見ていられる筈がなかった。
「きちゃ、だめ。こいつの」
相手の拳を躱しながら、なんとかコウに伝えようとする。
でもその最中に、打撃を受ける。
──うぐっ。
息が止まる。
でも、なんとか彼に伝えんと声をだす。
「本当の目的は、あなた」
そこでまた二の腕に打撃を受ける。
──ぐっ。
言葉が続かない。
「なんだからぁ」
そのようにか細い声で訴えるも、それはコウに届いてはなかった。
そのとき、追跡者の重く、低い射点から刷り上げられるような図太い拳がユウナみぞおちに綺麗に決まった。
決まったというよりも、拳が内臓に達している。
少女の薄い腹腔の表皮と筋肉、そこを通り抜けた衝撃が内部に達する。押し上げる。
身体の中で臓腑がめちゃくちゃに動かされる。
その太い腕から繰り出される、速度の乗った拳、しかも金属打撃武器の衝撃を伴ったその拳で、ユウナは、その華奢な身体は、人を殴殺できる衝撃で持ち上げられている。身体が中に浮いている。
「うぐぅふ」
身体から空気が抜けた。
見開かれた目の瞳孔が収縮する。
身体をくの字に曲げた姿勢のまま身動きが取れなくなった。
そこへ追跡者の後ろ回し蹴りが迫ってくる。
重そうなブーツ。
靴底がごつごつして、如何にも頑丈そうなブーツだった。
──あれを真面に食らったら、本当にやばいっ。
でも避けきれない。
その余裕がない。
身体の空気を強制的に抜かれて息が出来ないのだから、内臓がめちゃくちゃに動いているのだから、コンマ何秒という鋭い動きが取れない。取れるはずがない。
だから後ろに飛んだ。
僅かに残った力で、バックステップにより勢いを殺すことをとっさに選んだ。というか本能だった。
そこにヒットした蹴りは重く鋭く、宙に浮いた少女の身体を軽々しく、カタパルトのように射出した。
──あ、これダメだ。ダメなやつだ。
ユウナはとっさに自分の窮状を悟った。
蹴りの勢いを殺したまでは良かった。
上出来といって良かった。
だけど浮いたが為に、遮る物もなく飛ばされてしまった。
人間が跳躍してはいけない距離、それを遥かに超える距離を飛ばされてしまっている。
そして体内の空気を喪失した身では、受け身はとれない。
筋肉が硬直して、その柔軟性を失っているからだ。
受け身を取れないまま、固い地面に叩きつけられようとしている。
人間、とっさの時に身構える。
腕を差し出す、身体を平行に保とうとするなど、重要部分を守るために身体と衝突物との間に緩衝を作ろうとする、衝突を散らそうとする。
それがどれほどの衝撃を緩和するか。
それを行わないと、無防備の衝撃はそのまま身体を破壊する。
彼女の飛ばされた角度、速度、その飛翔距離、そして地面の固さ。
その何れもが小さき少女を破壊し尽くすに足る、十分な物を持っている。
今まさに、彼女は、ユウナは、破壊されるために宙を舞っていた。
──やっと彼と出会えたのに。出会ったばかりなのに。まだ何もしていないのに。
もうこれでお終いという気持ちがユウナを包む。
残念。
というほか無かった。
だけどである。
その時、少年は走る。
少女の元へ。
走る。
力の限り地面を蹴って走る。
──まだか、まだ届かないのか。
──走れ、俺よ、走れ。
大気が、重力が、引き留めようとする。
彼をその場に押し留めようとする。
無駄だと。
諦めろと。
まるでそれが運命であるかのように。
それに逆らって、それを振り切って、少年は走る。残酷な運命をうち倒すために。
そして腕を伸ばす。指を突き出して走る。
まだ届かない。
走る。
腕を差し出す。
彼女に届け。届いてくれと、その腕を最大限、精一杯伸ばす。
ほんの僅かな距離が久遠の彼方にある。
指呼の狭間が
だけど、彼はついに、久遠を乗り越える。
永遠の狭間を乗り越える。
そして届く。
ようやく届く。
やっと届いた。
抱きかかえるようにして腕を湾曲させる。
身体を沈ませる。
彼女の落下に併せて身体を沈み込ませる。
そして受けきる。
彼女の重力を。
彼女の纏っていた破滅の重力を、死の加速を、全て受けきる。
足を広げ、膝を屈伸させ、くるぶしを折って、その死の威力を己が身体に受け入れる。
その小さき身体で、全て受け取った。
死の重力は、全て足下から地面へと逃げ去った。
そしてついに、堅い衝撃は、ユウナを、彼女を襲わなかった。
彼女は叩きつけられることを予想して、覚悟していたのに、それが無かった。
その変わりに、優しい衝撃が彼女を包んだ。
優しく、愛おしそうに身体を包んでくれた。
守られた気がした。
助かったのではない。
守られたんだと思った。
目を開けて見上げると、そこにコウの顔があった。
「ごめん、ガマン仕切れずに出てきちゃった」
彼はそんなどうでもいい事をいった。
永遠の距離を立ちはだかる、死の残酷な運命を打ち倒した少年の言葉がそれだった。
久遠、
「……待っててといったのに……守らないって、いけないんだ……」
涙が溢れた。
痛みの涙ではなかった。
嬉しかった。
嬉しくて涙が溢れてきた。
この人は、まだ出会ったばかりのわたしのために来てくれた。
それがたまらなく嬉しかった。
だけどそれと同時に身体に受ける違和感。
それは自分を抱いている彼の腕から発している。
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