第42話 分れ道
とかくオレは、アイネを母親の元に送り返した後、自分も家に帰ることにした。
焦っても何も始まらないことは、誰よりも勇気ある少女に教えてもらったから。
冷静に判断することができた。
いつもより果てしなく重い道のりを経て、我が家(ログハウス)へ戻る。時刻は夜明け前、さすがにレインも眠りについてるだろう時間なので、軋む音を立てる扉はオレの心臓を縮み上がらせた。
灯りの消えた屋内は、静寂に支配されている。寝相が悪いことで有名な(オレとジェーンの中だけでだが)レインは、やはりその体を床に落としていた。ベッドの上に戻してあげられないことを心の中で謝る。
しかし、どっちにしろ目的の収納棚までは彼女のそばを通り過ぎなければならない。小気味いい音を鳴らすブーツも、普段なら艶かさが出るまで磨いて眺めてしまうほどだが、今回ばかりは憎たらしかった。
そーっと歩みを進めて音を最小限に食い止め、なんとか収納棚にたどり着くと、引き出しを開け——長方形の小ぶりな連絡機器を取り出す。
『携帯念話』。オレとレインの二人に、どうしてもとシーナが持たせたものだ。
基本的には対になっているもう片方と遠隔で会話ができるというだけの代物なので、折り畳まれた先にあるボタンを一つ、押すだけで起動する。
淡いブルーの光を放って、不可視の念波(であろうもの)が放たれていく。
そこまでしてから、ここで通話したらレインが起きるじゃないかと間抜けなことに気づき、そそくさと元来た道を引き返す。
オレがログハウスの外の地を踏んだ瞬間、『あら、どうしたの?』と、明るい声が飛んだ。
「えーっと、聞こえる? シーナさん?」
これを使うのは取り扱い説明を受けた一回だけなので、まだ慣れない。
「『はっきりと。で、こんな時間にかけてくるなんて、何があったんでしょ? なに?』
は、話が早すぎる……。
夜明け前に、ものの十数秒で繋がった時点で今更なのかもしれないが。
「……ああ。シーナさんは、いまアッシュがどこにいるか知ってるか?」
『お姉ちゃん』
「は?」
『お姉ちゃんと呼んでって、ずっと言ってるはずなんだけど、なかなか呼んでくれないわよね』
少し寂しそうな、声。本当に以前の自分はそう呼んでいたのだろうか。
「そうだった、お姉ちゃん」
『……やけに素直ね。それだけ余裕はないってことか』
「全くもってそうだ」
『アッシュなら、横で寝てるわよ』
「ね、寝て?」
想像以上の発言に、オレの声は裏返ってしまう。
「ええ。いろいろ動いてもらってたからね。帰ってきたらパタリよ」
「……ああ、そう。起きそうにないのか?」
『いや、いま起こすわ……というか起こしてる。……ちょっと、あんた寝起き悪いわね、こっち!』
携帯念話越しに、頬を叩かれる音が聞こえる。ちょっと可哀想だが事が事なので、許してもらおう。
『…………ああ〜、お念話変わりました。どうぞ』
「悪い、こんな時間に」オレは謝罪もそこそこに、「調べてほしいことがあるんだ」
「ほう」
「お前、幻想投影(クリエイター)って冒険者を知ってるか?」
「絶級冒険者(ランク5)第四位か。そいつがどうかしたか? てかなんでヒロが知ってんの? ファン?」
「違う。どっちかといえば、『アンチ』っていうのかもな」
この事件の始まりの名を聞いたアッシュの反応は、ごく普通。やはり彼は、奴が何をしているのかを知らない。
だから、
「率直に言って、例の誘拐事件の主犯格が奴である、らしい」
素直にそのまま伝える。
それを一笑に付さないと確信するくらいには、信頼している。
「……状況的に考えて、そいつに絡んだ事件があったんだろうとは思ったが、これまたピンポイントな話だな。どこ情報?」
「ニアだ」
彼の境遇について言うべきかどうか、一瞬だけ迷ったが、自分一人の力はそこまで強くない。改めてそう、思って。
「あいつが、自分を犠牲にして、いろいろ教えてくれた」
『もっと詳しく』
事の詳細を求めてくるアッシュに……できるだけ話を短くまとめて伝えた……。
途中途中で彼も何か言いたそうにしていたが、とりあえず最後まで聞き手を貫いてくれた。
『……つまり、第四位は近年稀によく見るクソ野郎で、それにブチギレた第七位と戦って、順当に第四位が勝った。それでもって自分の命と引き換えに「妹」を助けた第七位を……何処の馬の骨とも知れない・ただのパーティーメンバー・が助けようと、……そういう話だな?』
自分で状況を整理するかのように、話を終えたアッシュは尋ねてくる。
「……そうだ」
いつになくフラットな彼の口調に、飲み込まれそうになりながらも、答える。
と、
『はあ〜〜〜』アッシュのクソでかいため息が、ヒロの耳を震わせた。『馬鹿かお前は。いや馬鹿だな』
「自覚は、あるぜ」
そして揺らいだこともあるけど、もう決めた。
『だからってなぁ、お前さー。いやまあ、事前に相談してくれるだけ成長したってことかね』
「かもな。……それで、できそうか?」
『できなきゃ困る。……しかしだな、裏(ウラ)の恐ろしさは結構露骨に伝えてたはずなんだが』
「ちょっとは身をもって経験したよ。それでも、オレが立ち上がる理由があって、約束しちまったんだ」
純粋な悪意と善意を、同時に見て。心を突き動かされただけの自分が愚かなことくらいは、知ってるけれど。
言ってしまったのだ。「助ける」と。
『この、生真面目野郎が』
明らかに呆れた声音だが、同時に笑いも含んだものだった。
『一週間だ』アッシュは言う。『一週間でなんとか情報を集めるから、準備しとけ』
「助かる」
『シーナさんにも、俺から説明しとくから』
「おう」
『あとな』
「うん?」
一拍、間をおいて彼は言った。
『嬉しかったぜ。回り道の後にでも、俺を頼ってくれたこと。なんとなく、上手く言えねえけど、嬉しかった』
「はあ」
要領を得ない言葉に、曖昧に頷くしかない。
『あんま気にすんな、戯言だから。それより、レインちゃんにきちんと説明しとけな。カチコミかけに行くって』
「カチコミって、なんだよ」
『詳しくは知らね。襲撃するって意味らしいけど』
時々、アッシュは意味のわからない言葉を言うのだが、まあ、なんとなく意味はわかっていたのに聞いてしまったのは、自分のまだまだ弱い部分だ。
「ていうか、やっぱり言わなきゃダメか?」
『ダメだね。そこに絶対という言葉をつけて、な。しつこいようだが逆の立場になってみろ』
「……わかった。ちゃんと言っとく」
そっちの覚悟も、どうにか固めるとしよう。
『あ、最後に一つ。お前が今、家にいるなら、「後ろ」に気をつけろよ』
プツン。
あっさりと、念話の終了を知らせる音がオレの鼓膜を震わした。
「後ろって……」
どういう意味だ。
そう一人で呟こうとして、
「——また、行くの」
「後ろ」から、声。
さすがにオレは、驚きはしなかった。
アッシュの言葉の意味を瞬時に悟れたからだ。
「……いつから、聞いてた?」
「大体の事情は把握した」
聞き慣れたフラットな口調で、レインは言う。相変わらず感情の色は見えにくい。
「そっか」
振り向かずにオレは答える。
ある意味で、この展開はオレにとって幸いだったかもしれない。きっと、どれだけ説明しようとしても重要な部分を隠そうとしてしまうだろうから。
バレているくらいが、ちょうどいい。
「ごめんな」
「なんでヒロが謝るの」
「そりゃあ……」
命をかけて守ると誓った相手ではなく、「赤の他人」を助けようとするような人間が、オレなのだ。普通、言っていることが無茶苦茶だと、そう言われても仕方がない。
言葉が続かないオレは、こっちを見ろ、という声を聞いた。
振り返る。木造の段差を挟んだ高低差。レインは扉の淵にもたれかかりながら、斜めの視線をオレに向けていた。
「私が、許さないと思ったの?」
「……思った」
「そう。まあ、許したくないというのが本音だけど」
こういう時、彼女は嘘をつかない。
そもそも、彼女が嘘をついているところを見たことがない。
「本当は、ヒロにはもう戦わないでほしい。ずっと、傍にいてくれるだけで私は、いい」
気づいていないだけかもしれないが、そう思う。
「でも」
レインは言った。
「——ヒロの生き方を否定したくない」
そう続ける彼女の視線は、たしかにオレを見ているはずなのに、違う「誰か」に向けられているように感じた。
そう、きっとそれは。
「あの始まりの雨の日。お前が泣いているところを見たくないと、ヒロは言ってくれた。その理由がわかるわけではない。いつからヒロが自分を、『あいしてる』と、そういう感情を持っていてくれたのかなども、知らない。
だけどそんな狭間で——泣いている人を見たくないのだと、おまえが思っていたことはわかる」
きっとヒロはそういう性質(タチ)なんだろう、とレインは言った。
「正義面してるだけの奴とも取れるだろ、それは」
自分で言ってて悲しいが、こんな誰にでも良い顔をするような人間に尽くしてくれる女の子の存在を奇妙に思うのは、そこまでおかしい感情だろうか。
「だとしても。それがヒロなのだから、仕様がない」
今度ははっきりと、・今の・オレを見つめて、彼女は強く言う。
「私は自分が助けられたことを特別だと思っていない。自分は……私は貴方に名前をもらった時から、きっと、私の方から貴方を……あいした。
だから、私のために命をかけてくれたこと、そのものに意味を見出していない。
例えば今回のニアという少年——いや、アッシュでもシーナでも、誰でもいい。他の誰かを救っている貴方を見ただけでも、私は貴方のことを『英雄』と呼ぶだろう」
一気に、息もつかせぬかのように、レインは言葉を吐き出した。
「…………」
ああ、馬鹿だ。ちくしょう。
何を勘違いしていたんだ。
そも、色恋に理由をつける方が間違っていた。
彼女はずっと、自分の「本当」だけを見てくれていたのに。
なのに。
「すまない。私は話すのが下手だ。つい、伝えようと思ってしまうと話が長くなる。正しく自分の思いは、伝わっただろうか」
少しだけ俯いて、声を小さくして言うレイン。
「ああ、伝わったよ」
十分に。
十二分に彼女は言葉を尽くしてくれた。
謝る必要なんてない。謝らなければいけないのは、やはり自分だ。
「ありがとう」
だけどこれ以上、謝ることを彼女が望んでいないのは、絶対的にオレの中で確信があった。
そして。
「なら、よかった」
レインは、それだけ言った。
少しばかりは、お互いの意識が前進したような気がする。
自分の気持ちも。少しは。
「……なあ、レイン。お前って、ライフルとか使える?」
けれど今は、己の為すべきことを為す。
そのための、準備をしよう。
「一通りは扱えるけど……敵は銃火器を使うの?」
「それこそ一通りの飛び道具を使ってくるらしい。剣も飛んでくるってさ」
「厄介な敵だ」さして驚く様子もなく答えるレインは、「近接武器だけで戦うのは難しいと思う」
冷静に戦況予測を告げる、彼女へ。
「わかってる。けど、オレは剣しか使えねえし、付け焼き刃の技術で対抗できる相手でもねえ」
「それはそう、かもしれない。つまり、自分にも力添えをしてほしいと、そういうこと?」
どうにか噛み砕いたけれどと言いたげな声に。
「違う違う」たしかに言い方がややこしかったとオレは思いつつも、「情報が集まるまで丸一週間。場合によってはもっとかかるかもしれない。その間に銃火器を捌く訓練がしたい。幸い模造の武器を作ってくれそうな人もいる」
「なるほど。……だけど、その、守っているだけで勝算はあるの?」
「ああ。・一人で戦うわけじゃねえし・、倒す算段は、一応はある。——信じてくれ」
損しかしない生き方すら肯定してくれた彼女は、きっとオレが伝えた言葉のけじめも理解してくれる。
そう、信じて。言う。
「わかった。信じよう。ただ、話を聞く限り一撃で仕留められるほど甘い相手ではないはず。・体力・は持つ?」
「……それが、オレの魔法はたしかに燃費の悪い力……って触れ込みだったはずなんだけど、なんでか今は使ってて、そこまでの疲労を感じないんだよな」
過去、使用し続けてるのは数分が限度だったらしいが、なぜか、依頼(クエスト)等で・初めて・使った時から、三〇分は保つようになっていた。
「アッシュにも、明らかに持続時間が上がってるって言われたし、とにかくまあ、体力は大丈夫だと思う。問題はむしろ集中力を途切れさせないことの方だから、レインにはその訓練に協力してほしいんだ」
「概ねは理解した。それぐらいなら自分も手伝える。店長には、休みの許可をもらってこよう」
「頼む」
「あとは……変装の道具が必要」
ついでのような彼女の発言に。
「変装……マントで十分、闇に紛れられると思うけどな」
黒は闇夜によく馴染む。
が、しかし。
「ばか。戦うことだけに意識を裂きすぎ」レインは珍しく強い口調で、「国に楯突く以上、顔が割れるのが一番まずい。捕まれば……収容所(ジエイルハウス)送りは確実」
「う……そりゃわかってるけど、視界を眼鏡で覆ったりするのはまずいかもと思って……」
瞬間的な判断にノイズが入る分、反応が遅れるかもしれない。
「そのリスクは負って然るべき。第一、その腰につけた・柔い・剣を見るに、ヒロは敵を・殺すつもりがない・んでしょ?」
「あ……」
彼女の呆れ口調に、ようやく自分の愚かさを自覚した。
侵入及び脱出時、漆黒のマントさえまとっていれば外部から顔を認識されないというのは間違いない。けれど、肝心の「第四位」にはどうだ。激しい戦火の中ではどうしても、顔を隠し続けて戦うことは難しい。……実際、マントが燃え尽きてしまう可能性すらある。
「…………オレが甘かったです」
あまりにも、どうやって格上に勝つかばかりを考えすぎていた。
「一気に不安が増した。……まあ、ヒロの足りない部分をサポートするのが自分の役目でもある。変装についても、自分に任せて」
「何か、いい案がお有りで?」
自身ありげな彼女の発言に、身を縮ませながらも尋ねると。
「ずっと思うところがあって。ノールエストは騎士の国ではあったけど、格式張った者ばかりだったから。やっぱり騎士は、たった一人を守り抜くために戦う姿が映えると思わない?」
明るくなりつつある空を大仰に見上げながらレインは、言った。
「——とりあえず、あなたに似合う仮面を探そう」
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