第22話 二つの約束《Twin Oath》



 帝国軍では様々な憶測が飛び交い、真実と虚偽の情報が入り混じり、混乱を極めた。様々な情報が舞い込んでくる。敵は単騎なのか、それとも軍勢なのか。それだけのことすらも大半の兵士にとって曖昧だった。


「くっ、敵は一体なんなんだ……‼︎」


 遠征軍の三つの軍のうち一つを任されているミルド将軍は、怒りの声を上げた。現状を報告しに来た部下に対して怒りをぶつけた直後の叫びだった。

 本当に、まったく。入ってくる情報はとりとめのないものばかりで、役に立たない。

 ミルドは、己のクルクルと巻いたブロンドの髪をかきむしる。


(勝ち戦のはずなのに、なぜこんな目に合わなければいけないんだ……)


 イライラしながら辺りを見渡す。念のため兵を固めてはいるが、その当人たちは謎の敵の出現に怯え、士気がどうも心許ない。

 ……と、先ほどの大声に、不安な顔で兵士たちがミルドを見やっていた。


(いや、落ち着け……私が動揺してどうする)


 指揮官が慌てふためいていれば、部下たちにも余計不安が募る。上に立つ者は、常に冷静であらねば信頼を失ってしまう。そうなっては元も子もない。

 ミルドが首を振りながら自省していると……、


「ミルド将軍!」


 少し離れたところで部下と会話をしていたはずの副官が、泡を食ったような声で叫んだ。


「どうした?」ミルドはすぐに振り返る。「騒々しいぞ」


「て、敵襲です! 剣士が一人、こちらへ突っ込んできます!」


「剣士ぃ? ついに現れたか! まったく手間をかけさせおって! 私が直々に——」


 相手をしてやる。そう言うつもりだった。

 次の瞬間に彼が目にしたのは、弾丸の如き勢いで突っ込んでくる「人影」。熱い感触が体を走ったと同時——ミルドの意識は掻き消えた。



   ***



 敵将と思しき男の命を断ち切ったオレは、くずおれた死体には目もくれないで、次の標的であるところの副官らしき男の元へ向かう。

 奴さえ倒せば自分の勝ちだ。目的は達した。時間は十分に稼げた。

 あとは帰るだけ——。


「……ッ」


 …………が、踏み出した足がもつれる。返り血の中に紛れる、大量の傷口。数歩前に進んだだけで、鮮血が滲むように溢れ出す。支える力とバランスを失った体は、うつ伏せに突っ伏した。

 もう自分の体には、自分の足で立って歩く力すらないようだ。血を、流しすぎたか。

 クソ、クソ……。

 ……ちくしょう。オレは、ここまで、なのかよ。


 朦朧とする意識の中で、思う。

 これで三度目の、絶体絶命の窮地。思い返せば二度、命の危機に瀕した時。どちらともレインに助けてもらったのだ。

 そんな自分が、今度はレインを守るために戦った。

 あの時はいずれも恐れてたのに。命を失うことに、怯えてたのに。

 自分よりも大切な女性ひとのためなら、全く怖くない。……怖くはないけれど。


「やっぱり——死にたくねえな」


 ふと、紅い少女の笑顔を想う。


「レイン……」


 ふと、紅い少女の名前を呼ぶ。



『———、————』



 彼女の透き通るような声が、かすかな意識の中で響く。


 ——響いた。


 ……。

 ………………。

 …………………………。

 

「……けるな」


 吠える。


「ふざけるなッ! こんなところで、死ねるかよ……ッ‼︎」


 約束したんだんだろうがッ! 必ず帰るって!

 約束は絶対だと言ったのは誰だ……? 死んでごめんで済むわけがないだろ……ッ‼︎


 さあ。

 立ち上がれ。手足がもげようと、血を搾り尽くそうと。


 ——たとえ死んでも、約束を果たせ。


 手は動く。足も、動く。

 自分はまだ、戦える。

 視界は常に揺らめいていた。だけど、標的の姿は捉えられる。

 一歩一歩を踏みしめて歩き出す。そして駆け出す。

 焦ったように標的の男が拳銃を構えた。わずかに照準。そして発砲。

 ……間に合わねえ。

 だから最小の動きで銃弾をかわす。それは本当に最小の動きで——左肩口に銃弾が炸裂する。だって、完全に回避する運動能力なんて、もう残ってないから。

 純粋な熱だけが肩を焦がしていくが、それでもヒロが足を止めることはない。

 あと三歩、二歩、一歩。敵が、拡大されてゆく。敵が次弾を撃つより、オレの方が速い。


 ——絶対に生きて帰る……ッ‼︎


 オレは片手だけで、全力の一撃を振るった。



   ***






 パキッ、と。

 王都オルトリア——とある王国軍兵舎の一室で。

 とある少年を写した写真立てに、ヒビが入った。






 時は、少し遡って——。

 ミルド将軍を斬り殺した少年とも少女とも見て取れない子供が、ふらつきながらもゆっくりと向かってくる様を、帝国軍の兵士たちは目の当たりにしていた。その鬼気迫る光景に剣を構えられずに、引き金を引くこともできずに、ただ呆然と眺めている。……眺めることしかできなかった。

 ミルドの副官も、部下たちとなんら変わりなく立ち尽くすしかない。心なしか、「彼」は自分を見据えているのでは、と副官は思う。考えれば、真っ先に斬りかかられたのは将軍だったのだ。ともすれば、次に狙われるのは副官の自分である可能性が高い。

 思わず身構えるが、しかし。

 ついに限界が訪れたのか、「彼」は膝から崩れ落ち、倒れる。

 無理もない。遠目で見ただけでも、動けること自体が不思議な傷を負っていたのだ。


「ふ、副官殿。ご命令を……!」


 ようやく、部下の一人が切羽詰まった声で言う。


「わかっている……。ミルド将軍に代わり、これより私が指揮を執る……」


 忸怩たる思いで、副官はそれだけ告げた。


(やられた。これは、マズイぞ……)


 ミルド将軍戦死の報は、一気に全軍に広まるはずだ。

 残されたのは、たった一人の子供によって引き起こされた混乱と動揺だけだった。部隊を再びまとめるには、おそらくかなりの時間を要する。進軍自体が一日は遅れるに違いなく、その事実に副官は歯噛みする。

 ——だがそこで。

 ありえないことが起こった。

 傷口から大量の血を滴らせながら、瀕死の「彼」が立ち上がったのだ。


(馬鹿、な……。あの傷で動けるわけが…………傷だぞ?)


 一瞬、副官と「彼」の目が交差する。そこに宿るのは、純粋なまでの「決意」。

 殺意というほど濁りもなく、しかして生きた心地のしない瞳。

 ほとんど防衛本能に近い形で、副官は懐から拳銃を取り出す。手がカタカタと震えるのを無理やり押さえつけ、即座に発砲する。

 急所は外したものの弾は左肩に命中。だが「彼」の勢いが止まることはない。拳銃のリロードがワンテンポ遅れる。これで敵の刃の方が先に届くと、副官は半ば確信する。


「……ッ! …………?」


 最後の抵抗とばかりに剣先の軌道を睨みつけていたが……副官の首に、刃が届く事はなかった。「彼」のカタナは、副官の首をかすめるように逸れ、同時に人が倒れ伏せる鈍い音が響く。

 ちらと、副官は目線を下に向ける。確認するまでもなく、今度こそ「彼」は死んでいた。


 ……いや、どうだったのだろう。

 ——副官には、ようにしか見えなかった。

 死んでもなお立ち上がるほどの生きる意志が、何のために向けられていたのか。どうにも、お国のためにというわけではないだろうな、と。いまだに鳴り止まない自身の心臓の鼓動をよそに、副官はぼんやりと思った。

 …………と、状況にさらなる変化が訪れる。 


「——なんだあれは⁉︎」


 部下の一人が、悲鳴に近い高い声を上げたのだ。

 続けて皆が視線を向ける上空を、副官も見上げ……、

 一瞬だけ、何とか落ち着いてきた彼の呼吸が再び止まった。

 澄み渡る空を——銀色に輝く飛竜が舞っていたからだ。


「今日は数奇なことばかりが起こるな。……飛竜がなぜ、こんなところに……」


 現実を認識しながらも、夢であってほしいという妄想を彼は拭えない。

 そしてさらに恐るべきことに、その飛竜は副官たちのいる場所に向かって突っ込んできているのだ。彼らは、かろうじて見えた飛竜の上にいる人影が、何か叫んでいるのを聞いた。


 刹那。

 凄まじい旋風——否、「烈風かぜ」が吹き荒れる。


 副官を含めた帝国兵たちが、次々と竜巻のような風に紙屑のごとく吹き飛ばされてゆく。理解不能の状況だが、彼らに深く考える時間など残されていない。

 副官もどうにかしようと思考を巡らせるが……すぐに意識を刈り取られてしまった。


 そして、ついに。

 この戦闘を以って————戦争は終わった。



   ***



 気づけば、オレは、闇の中だった。

 目が見えない。

 何にもわからない状況のくせして、自分はもう死ぬという実感だけがあった。

 あれだけ大見得きって、レインを殴ってまで止めて、“約束”もしたのに——。

 結局、死ぬのかよ。

 …………これで、終わりなのかよ。

 誰にも聞こえない言葉を、口の中だけで呟く。

 …………。

 ……………………。


 一瞬だけ何もかもどうでもよくなって、でもやっぱり捨てきれなくて、「とある言葉」を口に出すことにした。

 今ある力を絞り尽くして……全身全霊で——。


「助けて……」


 無様でもいい。みっともなくたっていい。

 生きて帰らなきゃ、いけないんだよ。

 希望がなくて、絶望しかなくて、どうしようもない時……人は何に祈るのだったか。


「オレはまだ……死ねない。誰でもいい。誰か…………」


 そんな簡単なことは、子供でも知っているはずで。



『助けてほしい時は、本当の本気で僕に——神に願え』



 声を、思い出す。


 ——ああ、こんな馬鹿なことを言ってくれた奴が、いたじゃねえか。


 だから。


「………………助けてくれよ、神様」


 だから、願う。

 信じてなんかいなかった神様に。

 馬鹿馬鹿しいと鼻で笑っていた神様に。



「——オレを、助けてくれ」



 最後の最後に——願う。


「————僕も、その言葉が聞きたかったんだぜ」


 ——なんだよ。

 ちゃんと覚えてたのかよ、約束。


 天の声とともに、オレの意識は、闇へ溶けて、混ざり合い……消えていった。



   ***



 ——神は、人々の願いによって生まれる。


 多くの下界では、この世界を創り出したのが神だとされているが、それは全くの逆だ。本来、神とは人々の信仰から顕現したに過ぎない存在。

 言ってしまえば——神を創り出したのは「人間」である。


「あーあ、死んじゃった」


 ……そんな神であるアイトは、とある少年の行く末について考えていた。


「うん、うーん……。足らないよな。前身の影響か僕は人の愚かさを見るのが好きなんだけど……君にはどうしても抗う姿を求めてしまう。

 ——やっぱり、手放すのは惜しい」


 神にとって、人の生き死になど些細なこと。さらに、女神かのじょは、アイトスフィアの創造神と呼ばれる存在なのだ。

 ……が、世のことわりには輪廻転生というものがある。

 死した魂が集う世界である「霊界」にきてしまったら、「下界」に帰ることはできない。

 ——死んだ命は、二度と戻らない。

 しかし、女神かのじょには「魔術」が、要するに「力」があった。


「…………ああ、でも今回だけは、約束しちゃったからなぁ」


 ほんのちょっと前(神の感覚では)に交わした、少年との約束はよく覚えている。


「約束は、守らないとね」

 

 側から見れば気持ち悪いくらいの笑みを浮かべながら、アイトは一息に言った。



「生きなよ、ヒロ。——君が交わした”約束“は、まだ残ってるぜ?」



 女神かのじょは少年に呪いをかけた。

 女神かのじょの意志が潰えぬ限り、彼は永遠に囚われ続ける。


 これからも、何度でも。






 ——飾られたハッピーエンドに抗え。


 そう言ってアイトは嗤った。





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