第21話 英雄《Hero》



 ——レインが気絶していたのは、一五分ほどだ。


 彼女は、まぶたを開けた次の瞬間には立ち上がっていた。ゴトッという音とともに手から何かが落ちた、が、とりあえず捨て置く。視線を素早く周囲に振り撒き、現状の把握に努める。


「二段ベッドの相部屋…………。ここは、軍人の兵舎か……? にしては豪奢な気もするが……」


 口に出し、簡単に現状を認識したところで……、

 ハッと気づく。


「っ……ヒロ!」 


 直前まで共にいた少年のことを思い出す。もちろん、この部屋に彼の姿はない。

 どうにも歯痒いが、窓際に走り寄って窓を開け放つと、外の景色を見渡す。王都だった。いくつか見た建物があるから、レインにはわかった。

 同時に空を見て、大して時間が経っていないことを理解する。

 理解したが……。


「自分は、どうして……」


 なぜ、こんなところにいるのか。わからない。

 一〇万の敵を足止めするために、レインはたしかに戦場にいたはずなのに。

 ……そこでようやくレインは、自らの鳩尾あたりの痛みに気づく。普段から痛みには鈍感だったが、さすがにこの状況では気になった。


「……ヒロに気絶させられて……いたのか?」


 そう、考えに至って——、



『————お前が、レムナンティアと戦うつもりなのか?』



 己が言った言葉を思い出す。……歯を噛み締める。


「本当に、一人でやるつもりなのか……」


 まあ、別に、疑ってはいなかった。彼の覚悟は受け止めていた。


 だから……自分も行くと言うつもりだった。

 やるなら、二人で。

 二人で戦えば——一〇万の大軍を足止めして、二人揃って無事に帰るなんていう奇跡みたいなことも、できる気がしたから。


「自分も、戦いたい………」


 ギリっと窓枠を握りしめるも、やがてすぐに緩む。

 とにかくここが王都なのは間違いない。世界には人智を超えた魔法道具マジックアイテムがたくさんあるというから、人を数百キロ転移させるものがあってもおかしくはない。

 でも、納得できるはずがない……。

 ————と。

 何気なく落とした視線の先には、一枚の写真立てがあった。


 それは。

 兵士同士が寄り集まっている集合写真


 そこには。

 彼の少年が写っていた。



『——オレは、お前を愛してる』 



 ………………。

 ……。


 ああ、と。


 レインの胸中では、嵐のような激しさで感情が渦巻き始めた。彼からもらった「あいしてる」という言葉が、頭で繰り返し響く。


 ……あの別れの日以来、ヒロのことを必死に忘れようと彼女は努めた。だが、忘れようとすればするほど強く心に刻み付けられていく、想い。

 しかし一緒にいると、必ずヒロを不幸が襲う。彼を傷つけてはいけない、と自らの気持ちを偽り、無理やり封じ込めた。……自分はヒロを守る側だと勝手に思っていた。

 そのはず、だったのに。

 彼はそれでも諦めなかった。

 裏切られたに等しい別れをしたのにもかかわらず、助けに来てくれた。

 理由は……あいしてるから。好きだから。

 ……ばかばかしい話だ。

 口だけならいくらでも言える。他人がレインの境遇を聞けば、大半は同情してくれるだろう。けど、自分とともに地獄の底までついてきてくれる人はいない。

 人なんて、そんなものだ。そう、理解していた。

 なのに、なのに——。


 ヒロ…………。ヒロ……。

 ヒロ。ヒロ、ヒロ、ヒロ。ヒロ……!


 ダメだった。

 今はもう、彼のことしか考えられない——。



「……ばかなひと



 少女は、笑って、泣いて。

 呟いた。




 床には、役目を終えたかのように、無機質な首輪が転がっていた。




   ***



 赤い月が昇る、丘の上で。

 オレは、荒い息をつきながら、立っていた。

 その背後には屍山血河が広がっている。

 全部、オレがやった。

 夜の闇の中、侵攻してくる敵軍にたった一人、容赦なく突っ込んで、荒らしまくった。

 始めに相手にしたのは、せいぜい一〇〇人規模の中隊だ。大した兵士はいなかったので、撹乱するように合間を縫って戦えば、意外とやりあえた。


 でも、快進撃はそれまで。

 ……眼下には、なだらかな草原がどこまでも続いている。

 そこには、敵、敵、敵。

 当然、帝国軍も馬鹿じゃないので、敵襲はすぐさま伝達され、眼下には続々と兵士が集結しつつある。一〇〇〇か、二〇〇〇か、目算できない数だから、一万くらいいてもおかしくないと思った。

 ……ああ、一〇万いるんだったか。


「はぁ……クソ。なんであんな大軍と一人で戦わなきゃなんねえんだよ? 無理だろ、無謀すぎるだろ」


 地面に突き立てた剣に向かって、ついつい語りかけてしまう。

 ちょっと、おかしくなってる自分がいた。


「お前に聞いてもわかんねえか」


 そして、「自問自答」に苦笑い。

 決めてきたはずの覚悟を、そんな時間。


「あー。死にたくねえなあ……」


 投げやりに、口ずさむ。


「でも、死なせたくねえんだよ……!」


 噛み締めるように、言い切る。


「オレのクソかっこいいところを誰にも見せられないのが、残念だぜ」


 とりあえず強がってみるが、強がったところで何にも変わらないので、また溜息。

 今から自分は死ぬだろう、おそらく。命の価値とは。

 「死」が平等にはやってこないからこそ。

 人は、人間は、全てを守り抜くことなどできはしない。

 だけど、せめて、

 大切な女性ひとは失わせない——。


「全力、出さねえとな」


 オレには。奥の手があった。

 いや、奥の手というより、潜在能力ポテンシャルの解放と言うべきか。

 オレが持ちうる強化魔法。

 動体視力を上げることしかできないと思っていた魔法。

 その「本質」を、ついに見つけた。

 実際のところ、常々おかしいとは思っていたのだ。

「動体視力の強化」となれば、なるほどそれで立派な「強化」だが、「視力」とあるからには、厳密には「目」の強化であるはずだ。

 なのに、

 気づいてしまえば意外と簡単なことだった。


 ——強化される器官が、「目」ではない別の器官だったからだ。


 その器官とは、「脳」。

 ……普段、人間の脳はフル稼働していないらしい。せいぜい一〇パーセントほどしか動いてないそうだ。

 おそらくその理由は、人間が生物だということ。

 要するに制限リミッターがある。

 当たり前だ……。毎日を生きていくには考えなければいけない。脳を使わなくてはいけない。なのに、常に出力を上げて脳を回転させているとなると、マラソンで全力疾走し続けるようなものだ。

 だからこそ「本能」が制限セーブしている。

 でも、オレは、その「鍵」を

 それこそマラソンと同じ。

 全力でも走り続けられるからだ。


 オレの「真の強化魔法」は、脳の強化——すなわち脳を極限まで活性化させることだった。


 わかりやすく実感できたのが動体視力の向上(らしきもの)だったので、それが自分の魔法だと思い込んでおり、それ以上のイメージが湧かなかったということが、気付くのに遅れた理由だろう。

 あと、あくまで自分の本質は剣だと信じていたからというのも、大まかな要因。

 ……でも、そんなチンケなプライドはいらない。

 見ろ。目の前にあるものを。

 敵だ。一〇万の敵だ。一つの国家の軍隊だ。

 ライオス将軍が「個」の化物だとしたら、奴らは「数」の化物だ。

 そんな奴らにどうして「普通」で立ち向かえる? それは無茶だ。これだけの戦力差を覆すのなら、「普通の人間」じゃいられない。

 なら……。


 ——オレも、「化物」になればいい。


 決して、怖いものがないなんて言えない。自分が臆病なことは誰よりも理解している。

 取り立てた才能もない。強いて言えば、努力できることこそが一番の才能。

 ……それでもオレは恵まれている。

 があったのだから——。


 あとは、ほんの少しの勇気だけだ。


 …………。そういえば言ってたっけな。……うん、絶対に言ってた。呪文みたいなかっこつける台詞は、盛り上がる場面で使うもんだって。


 ——なら、それって今だろ。


 あえて、強く叫ぼうと思った。遥か彼方に送った、紅い少女に向けて。今から己がするべきことを宣言するかのように——強く。



「——抗えリバース!」



 極限まで、瞳孔が広がって。

 そして。

 ついに、ついに。

 視る世界が変わる。


 


 気づけば、オレは走り出していた。

 気づけば、オレは咆哮を放っていた。



 オレは——多分、少しだけ笑っていた。



   ***



「敵襲——! 総員、戦闘用意!」


 月明かりの下。

 侵攻軍の前衛を務める指揮官は、吠えるような声を上げて突貫してくる一人の王国兵士にすぐさま気付くと、迎撃準備を命じる。

 単騎による陽動作戦で予想以上の手痛い被害を被った帝国軍だったので、たとえたった一人の敵が相手であろうとも、油断するはずがない。

 全力で迎え撃つ——。


「——撃て!」 


 後方より、山形に弓が斉射される。

 前衛に組み込まれていたのは、帝国軍の中では一、二を争うと謳われた弓兵部隊だった。

 その斉射は——まさに降り注ぐ矢の「雨」。

 少しかわした程度では回避できないほどの広範囲攻撃だ。

 ……しかし、ヒロは動じない。

 なんの躊躇いもなく、迫り来る破壊の雨に突っ込むと——真っ向から双剣で斬り払う。

 急流の渦の如く刃を回転させながら繰り出された斬撃は、自らに直撃する弓矢だけを一本一本、正確に撃ち落としていった。

第二ノ剣だいにのけん 滝渦ろうか」。

 父から受け継ぎし秘剣の一つ。

 敵の間接攻撃を封じながらも、攻撃に転じる技だ。


 ……もちろん、普通の人間が飛んでくる弓矢の嵐を剣捌きだけで迎撃などできるわけがなく、強化魔法の恩恵あってのものである。

 といっても別に、身体能力が劇的に上がったとかではない。

 強化されたのは、「空間把握能力」を始めとした「計算能力」や「状況分析能力」だ。やったことは、弓矢と自分の速度を瞬時に計算し、ぶつかる瞬間に斬撃を置いただけ……。

 それでも——。

 ただの一般人にこれができるのかといえば、答えは否だ。

 ヒロには、兼ねてよりの「努力」が積み重なっていたから。鍛え上げてきた肉体が、剣捌きが、人間離れした芸当を可能にさせている。そこには「才能」だけでは語れない、ヒロの生き様があった。


 そして……ついに彼は、敵の「端」まで辿り着く。

 叫んで、斬り込む。横隊に穴が空いた。内側に入り込めば単騎にも多少の分がある。

 予想外に接近され、対応が後手に回る帝国兵たちを狩り回る。斬るだけではない。時には殴りつけ、時には蹴り倒し、内へ、内へ……。

 ……と、大規模な火炎魔法がヒロを襲う。

 なりふり構わない攻撃。一瞬の判断。

第五ノ剣だいごのけん 風刃ふうじん」で相殺する。

 かまいたちと衝突して散った火炎が、肌をヒリヒリと焼いた。痛い。熱い、苦しい、つらい。……晴れた視界の先から敵が押し寄せてくる。



(——レイン)



 大切な女性ひとの名前を、口の中だけで呟く。

 勇気が湧いた。



 氷柱が飛んでくる。

 雷撃が飛んでくる。

 岩石が飛んでくる。

 弓矢が飛んでくる。

 銃弾が飛んでくる。

 その全てを斬る——。



(何人倒した? 一〇〇か? 二〇〇か? いや、数はもう関係ねえ。指揮官だ。指揮官を探せ。偉そうにしてる奴、ふんぞり返ってる奴、ビビってる奴、強そうな奴、全力で見つけ出せ!)



 魔術師どもを蹴散らす。

 弓兵どもを跳ね飛ばす。

 銃兵どもを吹っ飛ばす。

 斬る、斬る、斬る斬る斬る斬る——。



(——レイン)



 噛み締めるように。

 甘えて縋るように。



(時間を稼ぐんだ。ほんの少しでも長く足止めしろ。目的を見失うな。死なない程度に命を尽くせ)



 バチィ‼︎ と。腕に雷撃が掠める。

 ダァン‼︎ と。膝を銃弾が抜ける。

 ズガッ‼︎ と。腹が槍に貫かれる。



(——レイン)



 それは、魔法の言葉。

 たったそれだけの名前ことばを胸に、“英雄”は剣を振るう。



「うぉぉおおおおおおおおおおお————ッ‼︎」

 


 “英雄”は、戦い続ける。


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