第22話 これからもずっと

 ——雨が降っていた。


 少女は、とある小屋の入り口をノックする。

 小気味良い音とともに——彼女の『義手』が鈍く唸った。

 気前のいい声が聞こえてきたのを確認すると、静かに扉を潜る。家主への挨拶もそこそこに、いつも通り奥の部屋に向かおうとするが、引き止められる。

 眠り彦が目覚めたと聞かされた——。

 いろいろと経過を聞いた。涙が出た。

 少女は、走らんばかりに目的の部屋の前に向かう。     

 バタバタ小うるさい音とともに——彼女の『義足』が鈍く響いた。

 どう切り出していこうか、いつもは飄々としている彼女にしては珍しく悩んだ。涙はもう拭いた。

 背後から、冷やかす声が聞こえる……。

 なんとなく腹が立ったので、勢いでドアを開けてやった。この部屋はノックなんていらない。常識だなんだと誰かさんにご高説したこともあるが、事ここに至ってはそんなものはいらないのだ。とっくに慣れてしまった行動で、少女は何十回と、この部屋に出入りを繰り返しているからである。

 意外と大きい四角い窓とベッドが一つ。それ以外には衣装棚くらいしかない部屋。代わり映えしない光景を、少女は何十回と見てきた。

 けれど、ただ一つの変化が今はある。

 少年が、起き上がっていた。

 少女が、この日をどれほど夢に見たことか。

「……遅いぞ。ヒロが寝坊助なのは知っているが、三ヶ月は遅すぎる」

 普段からよく笑ったりなどしないのだが、いつも笑っている風の態度を取ってやる。あえて二人の懐かしの「広場」で会う時みたいに、軽い調子で。

 つい浮き足立って、少女がベットまで歩み寄ると————、

「——あんた、誰だ?」

「……ッ」

 声に、足が硬直する。踏み出そうとするが……踏み出せない。

 まさに言葉通り純粋に、知らない人に話しかける口調だった。

 神様は残酷だ、と少女は思う。

 ようやく亀の歩みほどの速度で足を動かすが、震えてまともな状態ではないのがわかる。

「どう……して」

 自身の胸に手を当て、少女は呼びかける。

「…………覚えて、ないのか?」

「ああ……。なんでかわかんねえけど、自分のことも、他人のことも、何も覚えてなくて……。あんたとは知り合い……だったのか?」

 一切の記憶がないと語る少年。

「…………名前を……つけてくれた」

「あー。えーと、名前をつけたって……犬の名前か何か?」

 苦笑いする少年。

「……お前に剣は握らせないと。守ってやると…………。そう、言ってくれた!」

「剣って…………オレは、兵士か何かだったのか?」

 剣を奪われてしまった少年。

「……………………約束、を………したのに」

「…………約束ってなんのことだ?」

 約束を——破った少年。

「ふざけ……ないで!」

 少女はついに、タガが外れる。

「私の名前はレイン! この名前をつけてくれたのは貴方! 死ぬしかなかった自分を救ってくれたのは貴方なのに‼︎ なんで……なんで忘れてる⁉︎ 簡単に忘れられることか⁉︎ 違うだろう⁉︎」

 止まらない。言葉が止まらない。絶望が止まらない。

「……、悪い。何も思い出せねえ……」

 希望が……止まる。

 ダメだった。再び泣き出してしまいそうだった。もう耐えられないように感じた。

 この場所にいると、内側から壊れてしまう、と。

 彼と目を合わせたくなくて、どうしようもなく視線を落とした矢先に——————————。


「————なーんてな!」


 底抜けに明るい声が、小さな部屋に反響した。

「オレがお前のこと忘れるわけねえだろうが。——全部嘘だよ」

 突然——。

 希望は動き出した。

「…………………………は? え?」

 少女が息つく暇もないほどに混乱している中、少年は愉快そうに口角を上げる。

「いやまあ、いつもはレインに散々言われっぱなしだったんだし、こんな時くらい仕返ししてもいいだろ?」

「仕返し? 嘘……?」

 パクパクと口を開くことしかできないでいた少女は、ようやくそれだけの言葉を発する。

「にしても、見事に騙されやがって。ひょっとしたらオレ、役者の才能があるかもしれねえな。将来は劇場で働くのもありかもな……」

「な……え、どういうことだ? ジェーンはヒロが何も覚えてないと……だから、自分は……!」

 いまだに困惑するしかない少女を尻目に、少年はおどけたような口調で、

「この治療院の先生も、三ヶ月も寝てた患者がいきなり起きたからびっくりしたんだろ。いきなりいろいろ尋ねられたんだ。でもオレ、意識がはっきりしてなくて、ボーッとしてて、咄嗟に何も思い出せなかったんだよ。それで焦ったのか知らねえけど人を記憶喪失って断定するとか、よく考えたら本当にプロなのか疑わしいぞ……って、確かヤブ治癒術師とか名乗ってたな。納得だよ」

 ケラケラと笑い、普段よりよく喋る少年。

 久しぶりに見る年相応の悪餓鬼のような笑みが、顔いっぱいに広がっている。

 ……ブチッという音が、少女の体のどこかで弾けた。

「何を、言って……! このっ……ばかなのか⁉︎ 自分が毎日毎日通いつめて心配していたのに、おまえは、おまえは————」

 少女は、もう呆れて続く言葉が出なかった。

 張り詰めた緊張から解放されて、ヨタヨタと崩れ落ちてしまうほどに。

「——とにかく。・約束はちゃんと果たしたぜ・」

 …………ふざけた発言の数々はいただけないが、たしかに『約束』は守ってくれたので、よしとするしかないかと、少女は諦める。

「最後には、みんな笑って『ハッピーエンド』。——英雄譚はこうでなくちゃな」

 己の前髪を弄りながら呑気に言葉を発する少年に、さあこれからあの土壇場での告白について問いただし、余裕綽々のその顔を赤く染めてやろうかと少女が考えたところで——————、

「………………あ」

 少女は。

 ・耳にかけた前髪を無作為に触っている・少年に——気づく。

 少年は、たった一つの大きくて小さなミスを犯していた。

 そしてそれは、少女が見逃せるはずもなかった……。

「そういや、アッシュや姐さんは何してんだ? レインがころっと騙されてくれたってことは、本当にオレが記憶を失ってるって、信じてるみたいだな」

「騙された……」

「なかなか上手い演技だったろ?」

「…………」

「おーい……?」

「………………約束、覚えていてくれたのだな」

「……当たり前だろ? 約束は……ちゃんと守ったぜ」

「どんな、約束だった?」

「……今更言わせるのかよ。あの雨の日に、『お前を救う』って、誓っただろ?」

 少年の答えは——正しく、間違っていた。

 ……だって少年は、『必ず帰る』と言ったのだ。

 そう、約束したのだ。


 でも少年は——・帰ってこなかった・。


「…………ばか」

「へ……?」

「ばかにばかと言って何が悪い! ばか!」

 思わず声を張り上げる少女。いつのまにか彼女の瞳からはポロポロと雫がこぼれ落ちていた。……まただった。人間らしい感情の発露なんて最近思い出したくせに、それからの彼女は妙に涙もろいのだ。

「お、おい……大丈夫か?」

「大丈夫なわけ、ない。なんで……どうしてヒロは——簡単に自分を捨てることができる?」

「落ち着けって……。いきなり……泣き出すなよ」

「ヒロは……すごい」

 言及するかどうか、一瞬迷う。でも、これ以上、彼に背負わせるわけにはいかない。彼は、どんな気持ちで……覚悟で、こんなことをしたのだろうか。

「……別に、そこまで気にすることなんかねえよ。ただ……オレはお前が好きで、オレが助けたいと思ったから助けただけで——」

「——でも、嘘はバレないようにつけ」

「…………ッ」

 少年の笑みが固まる。

 その一方で、少女は笑う。無理やり笑ってやった。できるだけしたり顔になるように、やってやったと言わんばかりに笑ってやった。

「ヒロには癖がある。・嘘をつくときにはつい前髪を触ってしまう・という子供っぽい癖。下手な嘘をつけばすぐにわかると、いつか忠告したはず」

 それについて、少女が彼をからかったことは数知れない。

 だからこそ、少女にとっては大切な思い出の一つで、忘れるはずがない。

「ッ……ちげえよ。言っただろ。起きた直後にちょっと記憶が飛んでただけで、今はもうバッチリ完璧思い出してるって——」

「大丈夫だから。もう、演技なんかしなくて」

「…………演技なんかじゃ、ない。オレは……オレは……!」

「——しつこい! もういいと言っている!」

 荒げた言葉とは裏腹に、繊細な壊れものを扱うように、そっと少年を抱きしめる。

「何がハッピーエンドだ! 自分はそんな結末、望んでない……」

 だって、少年の語るハッピーエンドの中には、少年自身が含まれてないのだから。

「…………あんたは、本当に優しいんだな。死神なんて呼んでた奴らは馬鹿だよ」

 少年の語調が再び、・他人に向けて・話しているように変化していた。その変化は否応にも、どうしようもない『現実』を少女に認識させてしまう。

『現実』は、暖かくも優しくもなく——残酷だった。

「まあ……オレも馬鹿だ。何も覚えてないはず、なのにさ。あんたの話を聞いてると、心のどこかで報われた気がしたから……傷ついてほしくなくて、嘘をつこうって……。…………悪いな。あんたが知っているキサラギ・ヒロって人間は、もうどこにもいないんだ……。………………ごめん。……ごめん」

 でも、残酷な『現実』が立ち塞がろうと————、

「————ヒロ」

 関係ないよ、と。

「記憶があろうとなかろうと、ヒロはヒロだ。自分を……私を救ってくれたのは、世界でも神様でもなく——貴方。私にとっての英雄は……ヒロしかいない。覚えてなくても、演技で偽ろうとも、それだけは変わらない」

 だから、と少女は続けた。

「次は私が救う番。私が、思い出が何もない不安を全部、忘れさせてあげる。貴方が救ってくれた私で——今度は貴方を救ってみせる」

 あ……、と。

 今度は少年の感情が決壊していた。抑え込んでいたであろうものが、とめどなく溢れてくる。

 実際…………ほんのさっきまで、少年は自分の名前すらわからない状態だった。

 ただ、・初めて出会った・シーナという女性とアッシュという青年から、自分はキサラギ・ヒロという名の人間であることを教えてもらって。忘れてしまった己の人物像や過去の出来事、とある少女に想いを寄せていたことを、できるだけ細かく伝えてもらっただけで。

 なので、本当の本当に少年のあらゆる記憶(おもいで)は消えていて。少女に対してどういった感情を向けていいかなんてわからなくて。

 でも……少なくとも少女の笑顔は————少年の涙を止めるには十分だった。

「オレは……あんたに、何か返せる気がしない……」

「それはこっちの台詞。私だって、あなたに返しきれないものをもらっている」

 少女の目が柔らかく、細くなる——。

「私と、友達になってくれて嬉しかった」

 孤独な心を際限なく照らされて。

「私に、愛を教えてくれて嬉しかった」

 人を想うということを知って。

「私の、名前をつけてくれて——嬉しかった」

 生まれ変わった気分になれたから。

 だから、と彼女は。

「——これからも、呼んでほしい」

 そして————。

 その『表情』を見て——少年の心臓は跳ね上がる。

 過去の自分はきっと、これを見るために命をかけたのだと、少年は確信する。

「……レイン」

 名前を呼ぶ。・初めて・、呼ぶ。

「オレは、『キサラギ・ヒロ』として生きて、いいのか? 君を愛してもいいのか」

 少女は、言う。

「いいよ」

 ——内心では葛藤や羞恥のあまり震えていた少女だったが、ようやく覚悟を決める。

「…………一回だけ。あと一回しか、言わないから」

 そう前置きしながらも、告げるべき言葉に拒否感を持っている様子はない。

 というか、むしろ、言いたげですらあった。

 だって。

 彼女は、彼女は————。

 少年の手を取り、少女は微笑みかける。






「私もあなたを、愛してる」






Fin

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