第17話 ヤムハ・グレイス
——私は、君の英雄になれなかった。
とある男の話をしよう。
男の名は、ヤムハ・グレイス。
彼の生まれは衰退した貴族の家系。いわゆる、没落貴族というやつだ。
政治に疎く、武芸にしか才を持たなかったヤムハは、ただひたすらに剣を振り続けた。
とはいえ、彼の趣味は剣だけではない。決して頭がいいわけではなかったが、本を読むことが好きだったヤムハは、男なら誰しもが憧れる『英雄譚』に、異常なまでに魅入られたのだ。
……結果、年甲斐もなく“英雄”への憧れを諦められなかったヤムハは王国軍に入り、同じ馬鹿げた夢を持つ友を見つけ、さらに剣への道を歩み続けた。
そんな日々を過ごして——。
たまたま実家に顔を出した、とある日に。
「先月より、グレイス家でお勤めさせていただいております、レイス・ウィリアムズと申します」
運命を変える
貧乏なグレイス家だったが、それでも貴族の端くれ。使用人を一人雇うくらいのことはしていた。ヤムハが家を空けていた間に、今まで仕えていた使用人が加齢により退職していたのだ。
そこで新たにやってきたのが、ヤムハが生涯をかけて愛した女性、レイスだった。
……別にヤムハだって、初めから意識していたわけではないはずだ。少しだけ……ほんの少しだけ、実家に帰ることが増えていただけで。
決して、彼女の笑顔に惹かれたとかではない……はずである。
当たり前だが最初は形式的な会話しかしなかった。どうやって整えているのかわからない、変な髪型の女だという印象しかなかった。
親しくなるきっかけは、なんだったのかは覚えていない。家事をしている中でのちょっとしたトラブルからかもしれないし、自然と目が合う回数が多かっただけなのかもしれない。
でも、ちょっとずつお互いのことを知ってゆくにつれて、レイスがヤムハに見せてくれる表情も変わっていき——。
主従の関係だけではない何かが、二人の間で結ばれた。
結局……レイスがグレイス家で働いていたのは四年くらいだろうか。
だが、レイスが辞めてからも、ヤムハが彼女と顔を合わせる頻度が変わることはなかった。ただ、実家に顔を出すことが再び減ることになったという、なんとも皮肉な結果をもたらしたというだけで。
——どこにでもあるような、ありふれたお話だった。
時は瞬く間に流れ。
これは、今となっては遠い記憶。
レイスがグレイス家の領地を去った日の一幕。
昼下がりのこと。ヤムハはレイスと一緒に、領地の木陰で涼んでいた。
「ねえ、ヤムハさん」
聴く者にとって心地よい、鈴音色の声で呼びかけられる。
「……なんだい?」
ヤムハは、その美声に染み入るように感じながら答えた。
「ふと思ったんですけど、私がヤムハさんに嫁いだとしたら、レイス・グレイスって名前になりますよね?」
「まあ……そうだな」
「それだと、ちょっと名乗るのが恥ずかしいじゃないですか。だから、逆にヤムハさんが婿に来てくれれば解決では? とか考えたんですけど……どうですか?」
そんな突飛な発想に、ヤムハは苦笑し、
「……それも悪くないかもしれないな。考えとくよ」
「あら、言いましたよ? ぜーったいにその言葉、忘れてあげませんから!」
どうせ、次男であるヤムハがどこかの家に入ったところで大した影響はないだろう。……もっとも、その相手が過去に雇っていた使用人の家だなんて知れば、さすがにどんな言葉を受けるかわかったものではないが。
でもたとえ、雇っていた立場と、雇われていた立場だとしても。
そんなしがらみは、彼にとってどうでもよかった。
彼女の笑顔を見るためなら、なんでもできるような気がした。
レイスは、優秀な女性だった。
「ヤムハさん。私、王宮に仕えさせていただくことになったんです!」
彼女は、グレイス家から次の職を転々とするうちにその能力を認められて、使用人として最上級の職に就くことになったというわけだ。
「へえ……すごいじゃないか。こんな没落貴族の使用人から王族の侍女だなんて。やはり、君は素晴らしい女性だ」
「っ……もう、やめてください……。照れちゃいますよ」
「本当のことだ。君より魅力的な女性なんて他にいないよ」
もうこの段階に至っては、ヤムハは自分の気持ちを隠すことはなくなっていた。
「調子いいんですから……。でも、さすがに忙しくなりますし、こうして会うのも減っちゃうと思います……」
しゅんとした表情でそう言葉を漏らすレイス。
そんな表情ですら、たまらないくらいの愛しさを覚えて。
「じゃあ——迎えに行こう」
そう、ヤムハは告げた。
「迎えにきて、くれるんですか?」
そう、レイスは尋ねる。
彼女は聡い。その言葉の意味を、ヤムハが思うより強く噛み締めているに違いない。
「さっきも言ったけれど、これでも貴族の端くれだ。王国騎士になる資格がある。騎士になれば……王宮お抱えの侍女を迎え入れるくらいの箔は、十分につく」
ともすれば、一世一代の告白。
そんな浮いた台詞が、自分の口からすらすらと出てきたことに、他ならぬヤムハ自身が一番驚いていた。
けれど……。
「——待ってます」
だけれども、結局は答えなんて決まっていた。
そうして、二人は誓いを交わす。
この日、この時。
ヤムハは人生で一番の幸せを感じた。
あの声を、あの言葉を、あの笑顔を。
ヤムハは絶対に忘れない——。
時は、ゆっくりと流れて。
たしかな誓いとともに、レイスを送り出した一年後。
ヤムハは騎士になった。
騎士になって、彼女の実家に行った。
彼女が事故死したと伝えられた時、ヤムハは耳を疑った。疑ったなんてレベルではない。タチの悪い夢だとしか思えなかった。
それでも、現実は変わらない。変わってはくれない。
最愛の女性を突然にして失う……。
ヤムハは絶望の底へと突き落とされた。
殺されても死なないような女性だった。でも、それが事実なら受け入れるしかないのは、ヤムハもわかっている。だが国は、遺体すら返してはくれなかった。
何度も何度も何度も確かめたが、遺体はもう処分してしまったの一点張りだった。
死に顔すら見れずに終わる空虚さは、どれほどのものだったか。
明らかに怪しすぎる。遺族の許可すら取らずに処分するなど普通はありえない。……だから調べた。あらゆる手段を使って。どんな小さな情報にも食らいついて、徹底的に調べ尽くした。
そして再び、一年後。
ついに、ヤムハは死の真相を知る。
くだらない。されど、君主国家にして最大の反逆罪。
王を、殴ろうとしたのだ。
虐げられていた一人の少女の怒りを、全てぶつけるために。
国の主が、たかが使用人に殴られかけるなんて不祥事を世に出すわけにはいかない、と。国の「機密」を公にするわけにはいかない、と。
当たり前のように、レイスは闇へと葬り去られた。
——たったそれだけの、くだらない結末だった。
「殺して、やる……」
静かに……ヤムハは決めた。
もう、元の自分に戻ることはないという確信があった。
——私は、君の英雄になりたかった。
***
オレが門をくぐり抜けた先に、一人の男が立っている。
その姿には見覚えがあった。なにせ、この災厄を主導した人物であり、自分の元上官だ。見間違えるはずがない。
「どこに行くつもりだ、キサラギ。こっちはノールエストじゃない。兵士にとって、方向音痴は致命的だぞ」
そんな風にうそぶくヤムハに対し、冷たく応じて剣を抜く。
「ヤムハさんが言ったんじゃないですか。女は大事にしろって」
ヤムハは向けられた剣に視線を寄せたが、すぐに戻して、言う。
「スレイ王女…………いや、レインを、助けに行くのか」
「……あなたも、知ってるんですか。どこから情報が出回っているんだか」
彼がレインという名前を知っているとは思わなかった。でも驚くことがありすぎて、その程度では驚かなくなってしまっていた。
「まあ、その通りですよ」
オレはあくまでも冷たく言い放ち、先に進もうとするが……、
「待て」
ヤムハが、すかさず呼び止めてくる。
「なんですか? 裏切り者と仲良くおしゃべりしている余裕は、オレにはないんですけど」
「……裏切り者、か」
「他に、何か呼びようがあるんですか?」
「…………」そのにべもない言葉に、彼はしばし沈黙するが、「……別にどう呼ばれようと構わない。少し、聞きたいだけだ。……お前は、この戦いでノールエストがレムナンティアに勝てると、本気で思っていたのか?」
「勝つために、戦ってたんですよ。あなたのせいでその可能性は無くなりましたけど」
現状を皮肉った答えを、無理だな、とヤムハは軽く一蹴する。
「私が動いていなかったとしてもだ。兵力が違いすぎる。いくら『個』の力があろうと、『数』には勝てないだろう」
全体で約三〇万人の兵力を誇ると言われている帝国軍。この地に向かってくる一〇万人だけでさえ、王国にとっては絶望的な兵力差なのは、誰しもが理解していた。
……だとしても、
「だから、勝てる方に寝返ったんですか」
「そう捉えられても、仕方ないな」
つい、その煮え切らない態度に、何かが切れる音がした。
「あんたの裏切りで味方に甚大な被害が出ている! 戦争で人が死ぬのは分かっています……。……だけど! あんたが守りたいと語っていた人たちを、あんたは自分自身の手で殺した!」
「それも——救うためだ」ヤムハはその激情とは正反対に、落ち着きのある強い口調で、「王を失えば、実質的に軍は崩壊する。現に、王国軍も敗走に移っているだろう。レムナンティアもノールエストを統治するつもりなら、抵抗しない者の虐殺など行わないはずだ」
淡々と、理由を述べていく。
「言っただろう? 勝てないんだ、この戦いは。王に従い、このまま帝都アルサラムに向かったとしても大勢死ぬ。どれだけ『個』の力があったとしてもだ。少なくともその大量の犠牲を経ての勝利など、私は勝利だとは思わない。
——だから『元凶』を消して、兵士たちの士気を折った。こうすれば、これ以上の無駄死にはしなくて済む」
彼は王を「元凶」だと言う。それは決して間違ってはいないと、オレも思う。
けれど、スケールが違いすぎる。
「……たった、それだけのために?」
大を救うために小を切る。なるほど、たしかに非常に効率的だ。しかしそれを、一国家の軍隊規模でやってのけたと、目の前の男は言っているのか?
「————だとしたら、私も『本物』だったんだろうな」
だがヤムハは、悲愁に満ちた面持ちで否定した。
どことなく、寂しそうな声で。
それはどういう意味かと問う前に、彼はふと呟く。
「——復讐だよ。もっとも、成し遂げたところで、乾いた感情しか湧いてこなかったがな……」
「復讐……?」
「少なからずお前と一緒だったんだ、キサラギ。私も王を、・殺したいほど憎んでいた・」
たったそれだけの話だったんだよ、とヤムハは告げる。
後方より吹き付ける熱風は、彼の声を一段と穏やかに感じさせた。
「あなたも王を、殺したかった……?」
重々しく繰り出された彼の吐露に、絞り出したかのような声しか出ない。
「そうだとも。——私は王に、大切な
「……ッ」
「それ以来、ただあの男を殺すためだけに生き続けた。誰にも……カルロにさえも伝えずに、ただ憎悪を燃やしていたんだ」
内容にそぐわぬ平坦な声で語られるそれは、言葉以上に重く響く。
……やっと合点がいった。どう事情を知ったのかはわからないが、ヤムハが昨晩オレに対して干渉してきたのは、自分の境遇と重ね合わせていたからなのだろう。
「…………オレも、そうでしたよ」
誇張でもなんでもなく、真実だ。もしレインがすでにこの世にいないのならば、自分に生きる意味などない。
ただ、鬼になる。復讐の鬼と化して、憎き王を八つ裂きにするために己が人生を費やすであろう。
……しかし、人生に、もしもはない。
「違うな。間違っているぞ、キサラギ。お前と私とでは、大きく違う」
そう。
ただ一つ違う点は、互いの大切な人が生きているか、死んでいるか。
一つだけの、大きな違い。
「そう、ですね。王が死んだと知った時、オレは、他のどんな感情よりも喜びが勝りました。人として間違ってるかもしれないけど、彼女が解放されると思うと嬉しかったんです。だって結局、オレはレインを助けたかっただけだから。……ヤムハさんは……どう感じたんですか?」
生傷をえぐるような問いかけ。苦渋を語った者にかけるべき言葉では到底ない。だが、ヒロは、聞かなければならない気がした。何よりも、彼が誘導したように感じた。
「私は…………自分の受け持った部隊の兵士たちには、王に制裁を加えることへの正義を煽り、その後の理想を語り、裏切らせて——自分勝手な復讐劇を成功させた」
でも、とヤムハは区切って、
「王を殺して……全てが終わってしまったあとで——気づいた。私が愛した女性は、復讐なんてくだらない行動を望むような女ではないのだ、と。終わってから……ようやくだ。ちっとも心は晴れない。わかっていたはずだ! 殺したところで虚しくなるだけなのに! 彼女はもう、戻って来ないのに……! …………たったそれだけを己に自覚させるために、私は多くの兵士たちを巻き込んで殺した。
これが——この醜い真実が……カルロやお前が、わずかにでも尊敬を抱いた男の全てだ」
「…………っ」
震えた声で紡がれるは、罪の告白。
返す言葉などない。返せるはずがない……。
「すまなかったな。こんな裏切り者の、くだらない戯言に付き合わせて」
沈黙を撫で切り、自嘲するかのように薄く笑う大人に。
何を、どう返せというのだろうか。
「……その裏切り者は、これからどうするんですか? 王の首を挙げた『英雄』として、帝国へ凱旋でも?」
答えを考える時間がないため、やっぱり子供じみた皮肉しか出てこない。かといって、負け惜しみですらない戯言。
これに彼はサバサバとした声で、
「いや……これで最後にしたいんだ、私は」
もう疲れた、と。
「正直に言おう。私はお前が羨ましい。守るべき女性(ひと)がいて、そのために戦える。復讐だけに身を燃やしていた私にとって、お前は輝いて見えたよ。——眩し過ぎたくらいだ」
告げられる嫉妬心。裏を返せば、若き部下への羨望。ほんのわずかな掛け違いで、お互いの立場が逆だったかもしれないという現実。
しかし。
告白の解は、幸いにもキサラギ・ヒロの中に在った。
ようやく、だが。
少しばかり、ヤムハという人間を理解できた。
けれどそれは、何もかもが終わってしまった後で——。
「だから——最後にしよう」
と、ヤムハは流麗に抜剣する。
そこに纏う戦意は、幾千の「業」を乗り越えてきた確固たるオーラがあって。
……オレは直感で理解する。彼がもう、死に場所を定めているということに。
——覚悟を決めた男に、これ以上の言葉は無粋の極みでしかない。
ヤムハは騎士としての作法など捨て置いていた。無造作な構えでオレを見やっている。騎士としてではなく、ヤムハ・グレイスとしての戦い。作法など、渦巻く熱風とともに吹き飛んでいる。
オレも、先ほどから握りしめていた得物を、再び握り直す。あらゆる攻撃に対応すべく、基本に忠実な中段で構える。
お互いの視線が交錯すること数秒。
——ヤムハが勢いよく駆け出し、一気に距離を詰める。限りなく無駄のない動きで、勢いそのままの重い一撃を繰り出す。
唸る剣風と同時に迫り来る長剣を、ヒロは刀身で受け流した。攻撃を流され体勢を崩したヤムハは、低い位置から伸び上がるように繰り出された剣撃を、強引に体を動かし回避しようとするが……間に合わない。
だから、剣を持つ右腕を無理やり割り込ませる。
なんとか防ぐが、鋼の一撃は彼の剣を弾いて後退させる。そしてその一瞬の隙を逃すオレではない。動き出した反りのある片刃は、鮮やかな軌道を斜めに描いて、ヤムハの急所に吸い込まれていく。
一瞬の風切り音——。
銀光は容赦なくヤムハの胴をなぎ、互いが元いた位置を入れ替えるような形で止まった。
「……ぐっ…………!」
振り返ると、ヤムハの体の切れ口から鮮血が溢れ出していた。
勝敗は……決した。
たらりと口元からも血を流しながら、彼は静かに言う。
「お前、強く……なったな」
「もう、臆病者と言われるのは嫌ですから」
「ふっ……そうか」
肉体の限界を迎えた男は、重々しい音を立ててその場に崩れ落ちる——。
うつ伏せの状態で顔を地に半分もつけたヤムハは、最期の言葉を口にした。
「……、………………………。でも、………る」
……何を言ったかはほとんどわからない。でも、きっと。彼にとって大切な意味があったに違いない。その最期の顔は——薄く笑っているような表情だった。
「最後の最後まで、振り回してくれるよな……」
ヤムハにとって『その後』の人生は、語り尽くせないほどにつらく、苦しかったはずだ。大事なものを次々と失い続け、絶望だけが押し寄せてくる……まさに地獄のような人生。
それでも、最後の最後にヤムハは気づけたのだ。大切な
そして最期は、笑っていた。
なら悪くない、とオレは思う。
・ヤムハにはできないけれど、今のヒロにできること・。
そのあと、こんな風に、精一杯あがいた果てに死ぬのなら。
大切な
——それも、いいんじゃないだろうか、と。
「あなたが、レインを普通に名前で呼んでくれたこと、少しだけ嬉しかったですよ」
本当に、嬉しかった。
味方でさえ呼ぶ彼女の忌み名を、ヤムハは一度も口にしなかったのだから。
オレは、
『憧れの人』に向かって低頭すると、振り切るように走り出した。
***
私は、君の英雄になれなかった。
でも、愛してる。
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