第15話 強襲

アイトスフィア歴六三四年九ノ月一〇日


「るんるるんるるーん」

 酒瓶片手に景気よく鼻歌を歌いながら、夜の市街を闊歩する男が一人。彼は、警邏の役目を同僚と交代するやいなや何杯か引っ掛けた後、気持ちよく散歩している最中だった。

「んあー」

 あっちへフラフラ、こっちへフラフラしていると、偶然目を向けた路地裏で、コソコソと何かをしている五人くらいの人影を見つけた。

 さすがに酒が入っていようと一端の兵士。ふらつきながらも顔を引き締め、サッと剣を抜くが、相手の姿を見て再び頬が緩む。

「ようよう兄弟たち。そんな辛気臭い顔してコソコソ何してんだ?」

 さて。

 その人影たちは王国の兵士であった。

 すっかり安心した男は、馴れ馴れしく一番近くにいた兵士に擦り寄る。

 その酒臭さにびくりと体を震わせたのは、ニコラスという名の王国兵の青年。彼の大元の所属を辿れば、ノールエスト王国軍第二旅団団員だ。

 旅団のトップであるヤムハ・グレイスの命令によって・隠密に動いていた・が、酔っ払いに見つかることになろうとは、思いもしていなかった。

 気さくに話しかけてきたので、一瞬だけ緊張感が削がれたが、彼はすぐに自らに課せられた任務を続行する。もう進むしかないからだ。

 目の前の『ブツ』が、カチッという音を鳴らしたのを確認すると、仲間を引き連れてすぐさまその場から離脱する。

「おい〜、なんで逃げる〜? 臭いのは愛嬌だろ〜?」

 酔っ払った男が不思議そうに首を傾げているのを目の端で捉え、ニコラスは心の中だけで、すまない、と謝った。

「ちぇ、つまんねーの」

 頭をぼりぼりと掻きながら、彼らが残していったものを男は見やる。

「……あ」

 さすがの男も頭が空白になった。

 直後——。

 闇をつんざく爆音が、ゴートタウンに響き渡った。


   ***


 真夜中にけたたましく爆音が鳴り響いたのは、およそ一時間前のこと……。

 なんだなんだどっかの馬鹿が火薬庫でタバコでも吸ったのか……とか考えていると、その爆発は、二奏、三奏と重なり出した。

 至るところで火の手が上がっていて、さすがにおかしいと、急いでシルヴァレン隊が居座る天幕に戻ろうとしたが、全力疾走した先にあったのは、ヤムハと別れてから確かに渡った橋が壊れている光景だった。ただの運河だから泳げないこともなかっただろうが、水を吸った服で戦うのはちょっとまずいとやめておいた。

 そうして回り道しながらも天幕に向かっていたが………。

 うおっ! 

 曲がり角でいきなり人にぶつかりそうになる。

 その相手は——、

「ヒロ⁉︎ 無事だったのか!」

「アッシュ! なんでこんなとこに……」

「いやぁ、結局飲んじまってな。シーナさんから相手するのがめんどくさいっつって追い出された……って、それよりも! 反乱だよ。反乱が起きやがった」

「なんとなく予想はしてたけど、そうか。どこの部隊の野郎だ?」

「聞いて驚け。第二旅団が敵さんに寝返ったらしい。おかげでお仲間さんからは大ブーイングだぜ」

 ……は? 

 その言葉に戦慄が走る。

「おい待てよ。確か第二旅団って……」

「ご名答。ヤムハ・グレイス第二旅団団長殿が、クーデター? を主導したんだとよ。元上司が国の逆賊ってのは冗談きついな」

 …………。おい。

 ……なんだよ、それ。

 だってさっき、話したじゃねえか。


『……さあな。——何が起こるか、私にもわからない』


 あの時点で、とっくに決まってたってことかよ……? ……そうでしかありえない。

 何が悪い方には転ぶまい、だよ! クソっ!

 もし、急いで姐さんなりに不審を伝えていたら防げたかもしれないのか? ああもう、そんな単純な話じゃないだろうけど……納得いくわけねえよ……!

「俺は司令部に行ってくる。確かシーナさんがあとで向かうって言ってたからな。お前は部隊の連中に合流してくれ」

 あくまでも軽い感じで話していたアッシュだが、さすがに頭は回してるようで、簡潔に今後の方針を伝えてくる。

「一人じゃ危険だろ。オレも行く」

「馬鹿野郎、腕が立つ奴が一人でも残ってなきゃどうすんだよ。こんな誰が敵で誰が味方かわからん状態で、部下をほっとくわけには行かねえだろ」

 ……そう。オレも従ってるだけの立場ではない。若いとはいえ、曲がりなりにも腕を買われて副官を任されている身だ。私情だけで動いたら、さらに多くのものを失うことになりかねない。

「……わかった。ちょっと冷静じゃなかった。姐さんのことは頼んだぞ」

「おうよ、お前こそな」

 コンと、拳でオレの肩を小突いたアッシュは司令部の方向へ駆け去っていく。それを見届ける間も無く、ヒロもシルヴァレン隊の逗留地へ向かう。


『その女、大事にしてやれよ』


 再び、昨晩のヤムハの声が脳裏に響く。

 あんたはなんの意図があって、そんなこと言ったんだよ……。

 当然、レインについても気がかりだったが、この混乱の中、状況を把握するのは難しい。またしてもレインを信じるよりなかった。

 東と西。それぞれの門の方角が赤々と燃えている。

 その炎に不安を照らされながらも、オレは淡々と走り続けた。


   ***


 王国軍は、街の中央の広場に面した役所を臨時の司令部としている。王を中心とした軍の上層部が今後の方針を早急に固めるべく一堂に介していた。

 ……そんな中、沈痛な面持ちで押し黙る王を、公爵は複雑な思いで見守っていた。

 ノールエスト第二旅団団長ヤムハ・グレイスが反旗を翻し、街の各地で交戦しているとの報がクラウド王のもとへ届けられたのは一時間前のことだ。かなりの信頼を寄せていたヤムハの裏切りは、保身に全力を注いでいるクラウドにとって、さすがに衝撃が大きかったのか、かつてない焦りを見せていた。

 食うか食われるかの、お互い後がない決死の侵攻。

 噂に聞く帝王の怒りを鑑みるに、戦いに敗れた王族など殺されるに違いない。

 戦場に赴くところまでは決意したものの、自分の身が第一のクラウドには、この状況は恐ろしくてたまらないだろう。現に司令部の周囲には、常に二個中隊もの兵士を配備していたほどだ。それが今や、倍に増えている。

 そんな彼に恐々としながらも、公爵は戦況を報告した。

「王国軍が駐屯していた街の西側は、すでに壊滅状態だそうです。仕掛けられていた爆弾により、各地で火の手が上がっているそうです。はっきり言って、ここも危ないでしょう」

 クラウドは答えない。何を考えているのか唸り続けている。

 ……と、そこへ。

 バタン、と扉が乱暴に開けられるとともに、一人の士官が部屋に飛び込んできた。

「失礼します! つい先ほど間諜から、帝国軍本隊が帝都を出発したと、『対面鏡マジックミラー』で報告がありました!」

「数は……?」

 すかさず公爵は尋ねる。

「およそ一〇万の敵が、まっすぐにここゴートタウンに侵攻中とのことです」

 異空間を同調して離れた場所でも顔合わせで対話できる魔法具である『対面鏡マジックミラー』での報告だ。信憑性はかなり高い。

『この時世』に、ゴートタウンにいた兵も含め、大幅な戦力を割く決断をするとは、帝国は一気にケリをつけるつもりのようだ。

 ……と、士官の言葉を聞いたクラウドは目をつぶりながら、ようやく口を開いた。

「……この街はもう無理か。——やむを得ん。我々はこれよりゴートタウンを放棄し、本国へ帰還する」

 ついに、指揮下の王国軍全体へ撤退命令が下された。

「……承知いたしました」

「悔しいが、仕方ない。アドベントへ亡命の準備をしなければな……」

 公にはしていないが、ノールエストはかねてより大国アドベントと個人的な貿易をしていた。魔法道具マジックアイテムの製造に必要な資源が、ノールエスト領内に多く存在していたからだ。スレイに与えた装備の多くも、友好的な取引の見返りに調達したものだった。

 ともかく、個人的なパイプを持っているため、戦場を急いで脱出し、その足で南から回ってアドベントへ駆け込めば、捕まって処刑されるなどということはない。戦争序盤、数的な兵力差があってもギリギリで戦い続けたのは、やはりそれなりの保険を用意していたからである。

「……ですがクラウド王。味方の裏切りという状況のため、敵の攻勢が早くなっているのは先ほど報告にあった通りです。どれだけ急いで馬を駆けたとしても、状況によっては追いつかれるやもしれません」

「案ずるな」公爵の至極もっともな助言を制したクラウドは、「当然撤退の策も考えている。王が真っ先に尻尾巻いて逃げたと言われるのも癪だしな。ノールエスト王族は敗走の際、部下を背にして戦ったという情報くらいは持ち帰りたい」

「ま、まさか王自らが戦場に立たれるのですか⁉︎」

「そう! その勘違いが私は欲しい。公爵よ。まだ我が軍には、こんな時のための『駒』が残ってるだろう? わからないか?」

「…………申し訳ありませんが、推察できませぬ。して、その『駒』とはいったい……?」

 要領を得ない物言いに、公爵はしずしずと尋ねた。

「なに、親孝行をしてもらうだけのこと。——なぁ、スレイ」

 クラウドは不敵に——そして残酷に笑う。

「お呼びでしょうか」

 ——そんな、傍でかしずく実の娘に、彼は躊躇いなく告げる。

「命令だ、スレイ。帝国軍が来たる西門で奴らを迎撃せよ。そして第一陣を殲滅できたら、追って進軍。戦線を上げて敵の本隊を命がけで足止めしろ。——以上、今すぐ向かえ」

「……承知いたしました」

 要するに『死ね』という命令に、無表情で承諾した年端もいかない少女は、無駄のない動作で一礼した後、素早く司令室を出ていった。

 そのあまりにも異常な親子の会話に、場にいる者たちは息を呑むしかない。

 ——と、地響きのような轟音が司令部を揺らす。

「……ここも危険だと言っていたな。たしかにそうらしい」顔をしかめたクラウドは、扉の脇に立つ衛兵に向かって、「おい、そこのお前。さっさと司令部前に馬車を————」

 ————その瞬間、音が消えた。

 否……あまりの爆音にその場の全員の聴覚が麻痺したのだ。

 加えて、視覚も硝煙によって奪われる。それなりに丈夫に作られているはずの壁が、たやすく崩れ落ちる音も続いた。

「……ごほっ。落ち着いて状況を確認しろ! ごほっ……。クラウド王の安全が最優先だ! ごほっ……」

 巻き上げられた煙に咳き込みつつも、一番に落ち着きを取り戻した公爵は声高に叫ぶ。

 ……やがて粉塵が晴れ。

『生者』の視界が開けた先には。


 誰も——いなかった。


 ノールエスト王国国王、クラウド・ノールエストが立っていた場所には。

 バラバラに吹き飛んだ『かつて人だったもの』しか、残っていなかった。


 ………………そして。

『死神』と呼ばれた少女は、崩れた内壁の向こうにある己が父の末路を見て、一瞬だけ口元を緩め何事かを呟いた。

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