第14話 不穏な予感

アイトスフィア歴六三四年九ノ月一〇日


 ゴートタウンの制圧には、一日とかからなかった。

 特に意図したわけではないだろうが、素晴らしく有能な『スケープゴート』が、帝国最強の男をはじめとした敵の数々を引き寄せてくれていたため、スムーズに街を占領できたのだ。

 たった一〇〇〇人ぽっちの軍勢を率いて、万の軍勢に大立ち回りをする作戦だったというのだから、どのみち正気の沙汰とは思えなかったが……まあ、いい。

 生きているのなら、いい。

 ……あと、市民のことを気にせずに戦えたというのも、この攻防戦の早期決着に多分に影響しているはずだ。ゴートタウンは流通の街なので、そもそも街に腰を落ち着けている者が少ないらしい。今や、ほとんどの帝国民はさっさと避難し、一部の頑固者と役人を除けば、ゴートタウンには軍人しかいない有様だった。

 …………というわけで、兵が寝泊まりするためのテントが至るところに張られており、その内の一つであるシルヴァレン隊の天幕では、ささやかな祝勝会が行われていた。

 どの口が言ってるんだという話だが、シルヴァレン隊には若いのが揃っているため、飲めや歌えやの大盛り上がり。そんなテンションにどうにもついていけなかったオレは、チビチビとグラスを傾けている。

「あれ、シーナさん。何をそんな一生懸命弄ってんスか?」

 愛しいものを見るような目で何かを眺めている姐さんに、ふとアッシュが問いかけた(ちなみに全力の説得の甲斐あり、奴は酒を飲んでいない)。

「ああ、これ……? 愛竜のシロを呼び出す召喚の笛よ」

「……今、なんて言いました? 俺の耳に聞き違いがなけりゃあ、竜を呼び出すとかなんとか……」

「なんとかも何もそのまんまの意味よ。この笛を一吹きすれば、はるばるとシルヴァレン領から飛竜がやってくる、って寸法ね」

「はは、そうっスよねー。『飛竜は気性が荒くてまともに扱えたものじゃない』って有名ですし、飛竜を飼ってるなんて、今まで聞いたこと……って、マジっスか?」

 アッシュは一通り話すと、急に素面に戻って再び問いかける。見事なノリツッコミだ。

「嘘ついてどうするの。アドベントで作ってもらったんだけど、この笛にはかなり複雑な転移術式を込められてるらしいわ。一回こっきりだけ、即座にシロを召喚できるの。便利でしょ?」

「さすが……王国最強の魔法使様だ。やることの次元が違う……」

「飛竜も慣れれば結構可愛いわよ? ここにも連れてきたかったんだけど、断られたのよね」

「戦場に⁉︎ さすがに無理っスよ。よくそんな相談を上に持ちかけましたね……。そりゃ、普通の人は飛竜を怖がりますよ」

「違うわよ、アッシュ。怖くなんてない。シロはとってもいい子だから」

 ……そんな会話を小耳に挟みながら、考える。

 その飛竜をオレは知っていた。村にいた時、見せてもらったことがある。

 そう、シーナは筋金入りの動物好きだった。

 彼女の守備範囲は、異形(ヴァリア)でないとはいえ、人に好意的でない飛竜も例外じゃなく、何をどうやったのかシルヴァレン家の領地の森では、銀色の飛竜を飼育していた。

 脚には一振りで人を斬り裂けるほどの鋭い鉤爪を備えていて、その巨体から発せられる咆哮には、本能的な恐怖で体が震えたことをまざまざと覚えている。解説によると、確か炎のブレスも吐けるとかなんとか。

人を乗せての空中移動が可能な飛竜を扱えるとなると、戦局を動かすのに役立つかもな、とオレも思ったが、上層部は不確定要素を戦略に取り入れるのを良しとしなかったようだ。

「そうだ。……ヒロなら知ってるじゃない」姐さんは名案が浮かんだとばかりに、「ヒロは、シロを見たことあるわよね? このアッシュに飛竜の魅力を教えてあげなさい」

 姐さんがいきなり振り返って、隣のテーブルに座っているオレに話しかけてきたのだ。

 ……冗談じゃねえぞ。

 飛竜についての講説を一晩中聞かされたことのある身としては、もう二度と巻き込まれたくはなかったので、とっさに苦笑いを返して、

「ごめん、姐さん。ちょっと飲みすぎたみたいだから夜風に当たってくる」

「なによ、つれないわね……」

 不満気な声を出す姐さんから逃げるように、天幕を抜け出した。


 そこかしこで上がっていた騒ぎ声が聞こえなくなるくらいまでは歩いてきてしまった。気づけば、街の河のほとりである。

 天幕の熱狂的な盛り上がりには、複雑な気分だ。

 今回は優位に立ったとはいえ、現在の帝国にはおよそ四〇万の兵が残っているらしい。熾烈な戦いになるのは、火を見るより明らか。冷静に考えて普通は勝てるわけがない数の差。その戦いの最前線に飛び込んでいくのが、オレが所属するシルヴァレン隊だっていうのだから、余計に笑えない話だ。

 一個師団程度なら一人で相手にできる『烈風の魔女ブラスト・ウィッチ』がいるとはいえ、その兵力差に、彼女の体力が及ぶかどうかはわからない。

 これからそんな帝都を攻め落としにいかなければいけないというのに、赤ら顔で酒を飲み交わしているなんて、呑気なことだ。

 だからこそ最後の、という意味合いもあるのかもしれないが。

「……まあ、勝敗自体はどうでもいいけどよ」

 誰にともなく、小さく呟く。

 そう。

 オレにとって、戦争の行方なんてどうだっていい。

 想うのは、あの紅い少女のこと。

 ……この戦争が終わったら、レインはどうなるのだろうか。解放されるのか。再び都合のいい『物』として、こき使われるのか。今までのレインへの待遇を見ていれば、後者しか想像がつかなかった。

「やっぱり、王を殺すしかねえか」

 凍える夜風が吹く中、空に向かってそう言い放つ。

 このままじゃ平行線だ。不思議とレインの父親だろうとなんだろうと、王を殺すことに対しての躊躇はそこまでなかった。

 人のことは何も言えねえな。随分と、汚くなっちまった……。

 ——と、足音が聞こえた。

 割と近い。別に大きな声で言ったわけじゃなかったが、方向的には風下だ。声が届いていてもおかしくはない。

 今のオレの台詞なんて、国家反逆罪そのものだ。酔っ払いぐらいならいいが、位の高い人間に聞かれていたとすれば、今すぐ逃走しなければならない。

「キサラギ」

 ふと、懐かしい、無愛想な低い声。

「そんなところで何をしている」

 その声には怒りの色は見られない。振り向けば、見知った顔があった。

「ヤムハ……隊長?」

 声の主は、かつてのオレたちの上官——ヤムハ・グレイスだった。

「今は、お前の隊長ではないのだがな」

「ッ……失礼しました。グレイス旅団長」

 なんだかんだ言いつつも、オレの中では隊長だった頃の印象が強いのだろう。

「……そういえば、お前とグラハムは私のことを名前で呼んでいたな。別に今は広義の場所ではない。隊長でもなんでも、好きなように呼べばいい」

 なんとなく、ちょっとした意趣返しのように名前で呼んでいただけだったが、二人の中ではすっかり定着してしまっていた。何気に癖が抜けないでいる。

「じゃあ、ヤムハさん、で。……それで、ヤムハさんこそ、こんなところで何をしてたんですか?」

「別に、他意はない。ただの散歩だ。誰だって一人になりたいときぐらいあるだろう?」

「確かに……オレもよくあります」

 現に、今のオレがそうなのだから。

 その答えにヤムハは薄く目を閉じると、

「これも巡り合わせか。居合わせたのは本当に偶然だが……いい機会だ。言っておきたいことがある」

 ヤムハの口調が急に改まり、思わず緊張が走る。落ち着いた声で話すのですっかりと忘れていたが、安い表現をすれば、彼とは喧嘩別れも同然の状態で隊が別れたわけで。

 過去の遺恨について、何か再び言及されるのか……と半ば本気で思っていたが、

「——すまなかった」

 一瞬、何を言われたかわからなかった。オレの驚きをよそに彼は言葉を続ける。

「あの日、カルロの死の責任をぶつけたことだ。お前がどう思っているかは知らないが、一応謝罪はしておく」

「……そんな風に覚えてるとは、思ってなかったです」

「あの日だけじゃない。グラート平原でのことも、くだらない子供じみた意地のおかげで多くのものを失ったことも、全て覚えている。愚かさ、未熟さと共にな。また、間違えるかもしれないと思うと恐ろしい。……お前のことも、笑えないな」

「深く、考えすぎですよ」

 自虐をうたうヤムハを否定する。

 それは、ある意味において正しく、ある意味において間違っていたから。

「ヤムハさんは、たしかに多くのことを間違えてしまったかもしれないけど、その全てが間違いだったわけじゃないと思います。あくまで、自分の考えですが」

 だからこそオレは、ヤムハの謝罪を案外素直に受け止めることができた。

 それはいつかの馬車の道中。あの日のカルロさんの言葉があったから。今の彼の言葉が嘘ではないと、自信を持って言える。

「オレ、意外と尊敬してたんですよ、あなたのこと」

「……私を?」

「正直いうと、最初は感じ悪い人だなって思ってました。無愛想なところは今も変わってないみたいですけど……でも、カルロさんが教えてくれたんです。人を見た目で判断するなって。……実際、よく考えたら当たり前のことですけど」

「あいつが、そんなことを……」

「はい。『俺が一番憧れる男だ』って言ってました」

 ヤムハは一瞬驚いた顔をして、

「ふん……余計な一言を遺していってくれたな」

 そう呟くが、まんざらでもなさそうだった。

「仲、よかったんですね」

「そうだな……私とあいつの性格は何から何まで違ったが……唯一、夢は一緒だった」

「どんな、夢だったんですか?」 


「——『英雄』だよ」


 その言葉を聞いた瞬間、オレの心臓はたしかに跳ね上がった。

「……っ。えい……ゆう?」

 だってそれは、自分が夢想し、とっくに諦めてしまったものだったから。

 その夢と覚悟は、いま、ただ一人の少女のためにある——。

「何か偉大なことを成し遂げたかったわけじゃない。誰かに褒められたかったわけでもない。それでも私は、大切なものを守り、助けを求める人たちを救うような、特別な存在になりたかった」

 それは、まるで物語の主人公のような——。

 英雄。そう、呼ばれる存在。

「懐かしい、ですね。男なら……誰しも一度は憧れますよ」

「……そうかもしれないな。だが、私たちみたいに、こんな歳になってもそんな幻想を諦められなかった奴は少ない。そんな愚かな大人の部下になったお前たちは、運がなかったんだろうな」

 確かにヤムハの持つイメージからは想像できない夢だった。……でも、悪くは思わなかった。

「どう、なんでしょうね。ただ少なくとも、オレは不運だったなんて思ってませんよ」

「そう、か……。なら、少しだけ救われる」

 ……しばし沈黙が訪れる。どう切り出そうかと迷っているところで、その空気を断ち切ったのは意外にもヤムハの方だった。

「しばらく見ないうちに、お前もずいぶんと変わったな」

「別に……ヤムハさんほどじゃありませんよ」

「女か?」思わず飛び出た皮肉を無視して、彼は鋭く言う。

「……よく、わかりましたね」

「昔のお前と今のお前を見比べれば、すぐにわかる」

「そうですか」

 どうやらそうらしい。あれで、部下のことはしっかりと把握していたようだ。

「その女、大事にしてやれよ」

「もちろんです」

 ……淡々と受け答えしてはいるが、内心は疑問符だらけだった。

 カルロさんやグラート平原での諍いの件については……まあわかる。彼にとっても、しこりの残る出来事だったのだろうし。

 だが、オレの知るヤムハ・グレイスという人間は、無駄なことは省くタイプの性格だ。つまり、このやり取りには何か意味があるのかがわからない。元部下の現状が気になっているとかいう、意外な暖かさに期待してもいいのだろうか。

 ……すると、ヤムハは、ぽつりと言った。

「私には、できないことだからな。——お前は間違えるなよ、キサラギ」

 詳しいことはわからない……。ヤムハの過去に、「親友の死」以上の何かがあったかなんて。だけど、そんな忠告めいた発言をさせるような出来事があったのだろう。

 彼の言葉には重みがあった。何かを覚悟した人間の声だ。オレはそれを、わかりすぎるほどにわかっている。

「つかぬ事を聞くんですけど……これから、何かするつもりなんですか?」

「……さあな。——何が起こるか、私にもわからない」

 それだけ言い放ち、彼は再び歩き出す。

 ……本当は、追いかけてでも問い詰めるべきなのかもしれない。

 でも、動けなかった。

 仮にその言葉の真意を理解できたところで、本当の覚悟を決めた人間の行動なんて、結局は止められないということも、オレはまた知っていた。

 仮にも上司だった彼の人となりは、ある程度は知っているつもりだ。悪い方へ考える必要はないと、そう結論づけた。

 だから、その背中が見えなくなるまで見送ることしかしなかった……。

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