第9話 死神
多いな……。目測で四、五〇人くらいの兵士たちが、刻一刻と押し寄せてくる。こちらの戦力は二人。多勢に無勢だ。さらに、オレは手負いの身というおまけ付きときた。
「このタイミングで悪運尽きるかよ!」
と、アッシュは歯噛みして地面を蹴りつける。
逃げ道はなかった。どのみち丘から降りても混戦の中、他の部隊がやってきて、挟み撃ちにされる可能性が高い。余計に追い込まれるだけだ。生き残りたければ、目の前の敵を倒して抜けて行く他ない。
帝国軍の兵士たちも、オレたちの存在に気づいたのか声をあげる。
「魔法陣の囲い損ねだ! 取り囲んで撃破しろ!」
敵の部隊が扇形に展開する。過剰な戦力と言えなくもないが、絶体絶命の敵に追い詰められた獣の姿でも見たのか、確実に嬲り殺すために包囲するつもりだ。
「……やるしかねえのか……」
「ああ、そうだ。やるしかねえ! 囲まれる前に突っ込んで一点突破だ。ヒロ、お前は俺の後ろを走れ!」
「……了解」
油断すれば飛びそうになる意識に喝を入れるため、また、己を鼓舞するために叫ぶ。
「——抗え!」
なけなしの集中力を振り絞り、強化魔法を発動させる。
同時——。帝国兵の一角に向けて、アッシュが突撃する。オレもその後に続く。
「るあぁぁ!」
アッシュが勢いそのまま、敵をなぎ払い吹き飛ばす。
オレは、その隙をつくように迫り来るアッシュへの攻撃を防ぐことに専念し、突破しようとする……が、やがて一〇人ほど倒したところで最初の勢いは死に、取り囲まれた。
四方八方から一斉に帝国兵が押し寄せてくる。背中合わせに戦い、なんとか致命傷防いでいるが、やはり手数が足りない。このままでは時間の問題だ。自然と体に傷が増えていく。
実際、技術面ではオレとアッシュの方が上だった。二〇人程度ならば確実に勝てたはずだ。……が、敵はその倍以上。許容量を超えた数の暴力には勝てなかった。
そして、限界が来る——。
「ぐっ……」
弱っていた足に負担がかかり、バランスを崩してしまった。不自然な体勢で防御したため、防ぎきれず力負けする。
なんだよ、クソっ! 動けッ! 動けよッ!
「が……ッ!」
ついに左肩の部分に斬撃を食らい、剣を取り落とす。膝を地面に着き、うずくまるような姿勢になる。
「ヒロ! ——ちぃ!」
後ろを気にして視線を逸らしたアッシュに、一瞬の隙で攻撃が掠めたが、彼はよろめきながらもなんとか体勢を立て直していた。
しかし……オレの方は足に力が入らず、立ち上がることができない。
アッシュは援護に回ろうとしてくれているようだが、自分への攻撃をさばくのに手間取っている。気がつけばアッシュとは、一息で駆けつけることができないくらい引き離されていた。
「とどめだ!」
地面に蹲っているオレに対し、帝国兵が命を断ち切らんと大剣を振り上げる。
回避は……できない。動けない。
死を目前にして、初陣と同じく、走馬灯のようなものが脳裏を駆け巡った。
若くして死んだ母さん。この戦争で失った父。故郷の人々。グレイス隊の仲間。カルロさん、ヤムハ。姐さん、アッシュ。
そして——。
妖艶で美しい、真紅の瞳。
戦う勇気をくれた笑顔。
「——死にたくねえ」
かつて、オレが殺した寡黙な帝国兵。彼の気持ちが、今まさに心の底から理解できた。想像するばかりではない。実際の経験として、本当に絶望的な気持ちだった——。
まだ死にたくない!
死ぬのが怖い!
レインに会いたい。
また一緒に笑い合いたい……。
いやだ。
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない————。
次から次へと生への執着が溢れ出てくる。初陣の何倍もの死ぬことへの恐怖が膨れ上がる。
きっと、自分の中に大切な存在ができたからだ。
けれど、掠れた命乞いをしたところで、なんの意味もない。
……当たり前だ。
数々の同胞の命を奪った敵国の兵士を、彼らが許すわけがない。
殺されても仕方がないのだ。
「——ぁ」
生への願いを掻き消す、死を与える刃が届く寸前……。
——白い閃光が迸った。
突如飛来した閃光は、オレにとどめを刺さんとした男の胸へ、綺麗に突き刺さる。
ピタリと動きを止めた帝国兵の男は、気を失ったかのようにその場に崩れ落ちた。ちらりと見えた彼の顔には、唐突に訪れた状況を理解出来ていないのか、驚きの表情すらない。
突然のことに思考が正常に働かない。その謎の現象を理解する前に、再び閃光が奔る——。
オレにほど近い場所に立っていた敵兵に、またしても閃光が直撃する。しかし急所ではなく、左腕に当たったようだ。彼は畏怖の表情で被弾部分を見やるが、着弾の衝撃で弾かれていたにもかかわらず、そこに目立った外傷はない。
——が、次の瞬間。
敵兵の顔が醜く歪む。
「がッ……いッ……!」
被弾した左腕を抱え込むように倒れると、その場にうずくまる。呻き声を上げながらモゾモゾと蠢いていた彼は…………やがて動きを止めた。
これ、は……。
どこか既視感を覚える彼らの『表情』、その光景。
「どういうこった! 何が起きてる⁉︎」
アッシュは傷ついた腕を抑えながら叫んでいるので、この現象の発端がアッシュではないのは明白だ。
恐る恐る、今まさにオレの命を刈り取ろうとした帝国兵の胸に手をかざした。
心臓が、止まってる……?
ということは、腕に閃光を受けた帝国兵もおそらく同様だろう。
「な、なんだお前は……!」
声がした方に視線を向けると、帝国兵の指揮官らしき男がオレたちには見向きもせず、『何か』を見ていた。
土煙の中から、その『何か』は出てくる。
「——くらえっ‼︎」
今度は指揮官の男が、泡を食ったように魔法攻撃を放つ。放射状に伸びていく火炎魔法は決して低い威力ではない。……それに対し、『何か』は黒く塗りつぶされた左手を軽く振った。たったそれだけの所作で、火炎魔法は跡形もなく消滅した。理屈も何もわからない。
「ひ、ひぃ! 逃げろ! ——化物だ!」
指揮官らしき男は悲鳴をあげ、すぐさま『何か』から背を向け、一目散に逃げ出した。残りの部下たちも上官の後に続き、蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
『何か』はそれを睥睨するだけで深追いはしなかった。そして……その凍るような意識がこちらに向けられる。
『何か』は、少女だった。
——黒髪をなびかせた、赤い瞳を持つ少女。
その右手に握られている剣は、仰々しいものであるはずだが、彼女の立ち振る舞いのせいか、ある種で神秘的にさえ見えた。一瞬にして目を奪われる。
でも先ほどの閃光は、剣で生み出されたものではない。彼女の本質が剣でなかったことを、本能的に理解する……。
——化物。
頭の中で、先ほどの兵士の、とある言葉が響いた。
それは彼女に最も似合わないような。
けど、この惨状を起こした者に最も合う、そんな言葉。
オレが、始めに彼女の噂を聞いて、思い浮かべた言葉。
「どう、して……」
いつかの酒場での、アッシュとの会話を思い出す。
そんなはずない、と。ただの噂だ、と。
そう、思った。思うことにした。アッシュの戯言だと、信じていた。
実際そんなことは、今の今まで思い出しもしなかった。
…………。
いや……『考えることをやめていた』。
側から見る彼女の目は、澄ました顔の奥にある親しみを込めた優しい眼差し……ではなく、どこか悲しそうな目をしていて。
オレは、その目を知っている。
かつての邂逅の一幕で、時々そのような目をすることがあった。その時の彼女はどこかつらそうで。オレは、それを、ただ黙って見ていることしかできなかった。
ふと、こちらへと振り向いた少女——レインと目が合う。
彼女の瞳がわずかに見開いた。
「味方……だよな、たぶん。ヒロ、お前なんか知ってんのか?」
黙って視線を交えるオレとレインを、アッシュは交互に見ている。二人の間の不気味な雰囲気に不安を覚えたのだろうか。
アッシュの問いに、答えを返せない。いろいろなことがありすぎた。
意識が朦朧とし、ふらつく。踏ん張ろうとするが力が入らない。気力と体力の限界だった。
「ッ……おい! 大丈夫か?」慌てて駆け寄ってきたアッシュが、前のめりに倒れたオレの肩を支えて、「しっかりしやがれ!」
その悲壮な形相によってオレの状態に気づいたのか、表情を硬くしてレインが駆け寄ってきたのを、ぼんやりと視界の隅で捉える。
オレの肩を掴んだまま、アッシュがレインに向かって興奮気味の口調で、
「なあ、あんた。ヒロの知り合いなのか? ……ん? そういえば、黒髪で赤い目の女って…………いやいや、んなことどうでもいい! 早く助けを呼んできてくれよ!」
「こいつの傷は深いのか?」
「ああ……。だが、急所じゃねえ。治療すれば助かる!」
「大丈夫、なのだな。……ならいい。もうすぐ援軍が来るから、そいつらに任せろ」
「本当か⁉︎」
と、アッシュが声を明るくする。
直後に、
「——こっちだ! 負傷者がいるぞ!」
レインがやってきた方角から声が聞こえた。
無理やり首を傾けると……丘を登ってくる者たちが見えた。王国軍の兵士だ。待ちに待っていた友軍である。
「た、助かったぞ。……助かった、ヒロ! なんとか生き残ったぞ!」
アッシュは嬉しそうにオレの背中を叩いて喜ぶが、思わぬ衝撃と痛みに唸ってしまう。アッシュは焦ったように、悪い!と謝った。
「こいつ、重傷だな。早く運んでやれ!」
王国兵は速やかにオレを回収し、担架の上に乗せると指示を辺りに響かせる。
「退路を確保しろ!」
詳しくはわからないが、王国軍の作戦は炎の壁の出現により敗色が濃厚になってからは、生存者の確認と確保に移行した……と言ったところか。
オレは荷馬車の荷台に乗せられて、戦場の外へと運ばれてゆく……。
「……すごいな、全滅だ」
「これ、全部一人でやったってのかよ……。まさに、『死神』だな……」
搬送している王国兵の会話を、薄れゆく意識の中でかろうじて拾った。
「死の閃光を飛ばしたり、触れるだけで魔法を打ち消すなんて……いったいどんな魔法だってんだ。目を合わせたら死ぬって噂も本当なのか?」
「俺が知るかよ。ただ、そんな噂が流れるくらい、化物じみた強さだってことじゃねえの。……まあ、それが幼い頃に『亡くなったはず』のスレイ王女様だったなんてのは、さすがに驚いたがな……」
ふと彼らは、レインを指して耳慣れない人名を口にする。けどそれは耳慣れないというだけで、王国民ならば田舎者でも知っているくらいの有名人だった。
五歳という幼さで死んだはずの、ノールエスト王女——スレイ。
「ま、あんな恐ろしい力を持ってたんだ。秘匿されてたとしても不思議じゃないと俺は思うぜ」
「彼女が身分を明かした時の上官殿の慌てぶりときたら、相当なものだったしな。よっぽど想定外の状況だったんだろうよ」
「とにかく、王都に帰ったら何かしらの報道はあるとは思うが…………ひょっとしたら、この勝ち目の薄い戦争の流れが変わるかもしれないぞ。アドベントの『魔女』も帰ってきたらしいしな」
耳を疑う情報が次々と流れ込んでくる。頭が、パンクしそうだ……。
「ぐ、うっ……」
軋む体を無理やり動かし、起き上がる。
「……ん? あ、おい。動くな。安静にしていろ!」
物音に気付いたのか振り返った兵士たちが、オレの体を押さえつけようとする。それを無理やり振りほどき、視線を彷徨わせる。……見つけた。
死神。
死を司る神。
恐怖そのものだ。
だけど、そんな畏怖の象徴のような称号は、やはり彼女には不釣り合いに思えて。
しかし、霞む視線の先。
つい先ほどの強張っていた顔ではなく、心から安堵したような、レインの表情を見て——。
どのみち、そんなことはどうでもよかったのかもしれない、と思い直す。
オレが戦う理由なんてなかった……。いや……必要がなかったんだ。
——自分は守る側じゃなくて、守られる側だった。
ただ、それだけのお話だった。
***
グラート平原の戦闘は王国軍の惨敗であった。
敗北の原因は、大規模な魔法陣による包囲網での集中砲火。
——それで勝敗は決した。
序盤の優勢も全ては誘い込むため。この包囲作戦の布石だったのだ。
結果、王国軍は敗走。
開戦して以来、最大の敗北であり、多数の死傷者が発生。軍の兵士不足にさらに拍車をかける。
王国軍は同じ轍は踏まぬと、魔法対策にさらに熱を入れ始め、次なる決戦に備えた。
そして帝国軍——。
上層部の面々は快勝にも関わらず、その顔は晴れなかった。彼らの恐れていたことが、ついに実現したからである。
一つは、アドベントで『
そしてもう一つ、このグラート平原の戦いで確認された存在。
『死神』こと、死の魔法を操る少女、スレイ・ノールエスト。
彼女の名と脅威は両陣営に広く知れ渡り、各々がその存在を重く受け止めた……。
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