第8話 変化
アイトスフィア歴六三四年七ノ月一五日
雨はすっかりと降り止み、雲の隙間から月が見え始めた頃、グラート平原にグレイス隊を始めとする王国軍が到着した。
グラート平原は現在の両国の国境付近でも一番の激戦区だ。開戦して以来の大規模な戦力をこの戦線に投入するようで、かなりの大攻勢が予想された。
「我々は幸運にも前線部隊。敵の本陣を攻め落とす役割だ。各員、規律通り私の指示に従い行動するように」
隊長であるヤムハの低い声が、心音を整えていたオレの耳に届く。
——カルロさんの死後、彼は……変わった。
今までの彼は、少しでもミスを犯したら鋭い視線と嫌味の一つでも飛んでくるような男だった。しかしそんな折、『次からは気をつけろ』と、人が変わったような台詞を放った時には、その場の空気がいろいろな意味で凍りついたものだ。
針のように鋭い性格が、どこか丸くなったみたいで。
いずれにせよ、この数ヶ月での功績が認められたのか、ヤムハは軍で昇格していた。前線部隊の指揮を任され、気を張っているのが見て取れる。気負いすぎて指揮に影響が出ないかが心配であるくらいだ。
そんなグレイス隊は、決戦に備え、陣地を築いて待機中である。周りを見渡すと兵士たちでごった返している。最前線のため、やはり各部隊にも緊張が漂っていた。
近くには見当たらないが、彼女もこの中のどこかにいるのだろうか。
露に濡れた少女を想いながら、オレは静かに決戦の時を待った。
アイトスフィア歴六三四年七ノ月一六日
グラート平原での決戦の火蓋は、日の出の直後に切られた。
互いの軍が激突し、一時間ばかりが経った頃。均衡状態は崩れた。徐々に王国軍が帝国軍を押し始め、前線を任されているグレイス隊は、戦線を前に前に進めた。
初陣では戦いが始まった直後に混戦となり、ゆえに孤立してしまったが、今回は違う。グレイス隊は周りの隊の指揮の高揚と共に、次々と敵を撃破していく。
「くそっ、隊長がやられた! 引け! ……いやっ、引くな、前進だ! 我々には、もはや退路は残されていない!」
敵の突撃部隊と思われる兵士たちが、不自然な特攻を仕掛けてくる。どうやら先ほど倒れた兵士が隊長格のようで、指揮系統を失い混乱でもしたのだろうか。
「うぉおおおおおッ!」
オレの振るう刃が敵の胸部をえぐる。血飛沫をあげ、敵兵は倒れ伏していく。
「さすがだな、ヒロ! いつかの初陣の時はビビりまくってたくせによ!」
近くで敵兵をなぎ払いながら、昔の古傷をえぐるように、アッシュが調子のいい声を上げる。
……数少ない初陣の生き残りである同期の兵士たちとは、ついこの前、酒を飲み交わした。その時に話題に上がったのが、オレの初陣でのビビり具合である。当時はそれこそトラウマだったが、今は普通に話せるようにはなったことには、自分でも驚いたものだ。
「人は変わるんだよ!」
次の標的を定めながら、精一杯叫び返した。
そう——人は変わる。
『守ってやる』と言ってしまったのだ。そんな性分でもないのに。
我ながら馬鹿だと思う。でも、『頑張れ』とも言われた。
臆しているわけにはいかない。持ち前の剣才と、日頃の鍛錬の成果を存分に発揮する。
迷う必要なんて、どこにもない。今日はいつにも増して剣が冴え渡っている。次々と敵を斬り倒していき、その圧倒的な剣撃に敵軍ならず自軍までもが驚いているのが感じ取れた。
オレはやれる! ——オレは戦える!
その事実を噛み締めながら、戦場を進み続けた…………。
しばらくして、この辺り一帯の制圧は完了した。いつかのジュラート荒野での戦いとは比べるべくもなく、優勢だ。
でも、先ほどの兵士の言葉が妙に気にかかった……。何か嫌な予感がする。あくまでも臆病なオレの第六感が、不吉な何かを告げていた。
「おい、隊長殿がお呼びだぜ」思考に耽っていると、アッシュが声をかけてきた。
どうやらヤムハが隊の集合をかけたらしい。上官の命令だ。応じざるを得ない。すでに少し離れた場所に、グレイス隊の面々が一堂に会していた。
この隊も大きくなったものだ。オレとアッシュが加入した当初は三〇人に満たない規模の部隊だったが、今や一〇〇人近い人数がいる。
すっかり古参になってしまったオレは、年齢の割には隊の中で上の立場だ。もっとも、元が少なかったため自動的に繰り上がっただけだが。
少し遅れてやってきたオレを見て、ヤムハが鼻を鳴らして顔をしかめる。
……決して、恨まれているというわけではないと思う。ただ、あれだけのことを言った手前、彼とて引っ込みがつかないのだろう。
オレもカルロさんの命を救えなかったことは、一生胸に刻みつけて忘れない。忘れてはいけない。レインにそう教わった。それがせめてもの、彼への贖罪だ。
「全員、息はあるようだな。戦況は我が軍有利。敵はおそらく総崩れだ。この機に一気に敵陣に攻め込むぞ」
「隊長、待ってください」
オレは先の戦闘の違和感を進言するべく、口を挟む。話かけるのは気まずかったが、妥協は死に直結する。遠慮してはいられない。
「なんだ?」
彼はジロッと睨みつけてきた。
「少し気になることがあります。さっき倒した兵士たちが、引くべきであろう場面に対し、意味なく特攻を仕掛けてきたことについてです」
「それがどうした。ただ単に自軍の頭がやられて混乱しただけだろう」
「だといいのですが……兵士たちは『我々に退路はない』と、意味深なことを叫んでいました。この先に何か危険があるかもしれません。ここは一度退いて本部の指示を仰ぐべきではないかと……」
「……考えすぎだ。現にもうほとんどの前線部隊が前進しているが、何も起こってはいないぞ」
「そこが重要なんです。帝国の奴らは、人が集まってきたところで一斉に何か仕掛けてくるかもしれないということです」
理を詰めた返答に対し、ヤムハは一瞬の迷いを見せたが……、
「……いや、前進する。我々だけ退却するわけにもいかない。ここで武勇を上げずして何が王国騎士だ。——それに、全体から離れて孤立するのは危険でもある」
その若干の声音の揺らぎと最後の言葉で、ヤムハがオレを頭ごなしに否定しているわけではないことは伝わる。
……やはり、ヤムハは失うことを恐れている。なのに騎士の誇りを問うて、己を偽り、前に進もうとする。矛盾する二つの意思。彼の中で何が起きているのだろうか。
いずれにせよオレも自分を貫き通すしかなく、一歩、詰め寄る形で、
「しかし! 万が一のことも考えて——」
「——くどい。この隊の指揮官は私だ。黙って従え」食い下がるヒロに対しヤムハはピシャリと言って、「グレイス隊、前進するぞ!」
進軍するよう、大声で指示を飛ばした。周りの兵士たちの中には、オレの助言内容を聞いて進軍に不安を覚える者もいたようだが、上官の命令に逆らうわけにもいかず、続々とそれに従う。
アッシュも、ぽつんと取り残されたオレの方を見て、仕方ないさ……とでも言うように黙って首を横に振ると、味方のもとへ歩いていった。
「しょうがねえか……」
盛大にため息をつき、仕方なくアッシュと共に自軍の後を追いかけようと何気なく視線を動かしていると……この場所から少し離れた地面に何か輝くものが見えた。
警戒しながらもゆっくりと近づく。そこには、薄く光る赤色の線で幾何学模様が描かれていた。不気味な感じがする。
「これは……魔法陣か?」
両国ともにこぞって魔法の研究を進めているとはいえ、基本的に前線で剣を取って戦う歩兵には、専門的な魔法の知識が点でない。オレも一応は魔法使の端くれとはいえ、この魔法陣がどういう意味を持つかなんて理解できない。
「おい、何してんだ?」
背後から声がした。
ふと振り向くと仲間と先に進んだはずのアッシュが立っていた。ついてこないオレを不審に思い、戻ってきたのだろう。
ああ、なんかここにやばそうなもんが……、
そう言おうとした。
その時——。
魔法陣が、より一層輝き始めた。背中にゾッと怖気が走る。
やばい、この感覚は……どう考えても発動しかけだ!
「なんだよそれ⁉︎」
魔法陣を見やったアッシュが、その不気味な輝きにギョッとした声を出す。
「——まずい、アッシュ!」
オレはアッシュの腕を掴んで、魔法陣から少しでも距離を離すべく慌てて横に跳んだ。
次の瞬間————、
爆音。
「————ッ!」
至近距離からすざまじい衝撃が襲い、オレたちは吹き飛ばされる。とっさに掴んだアッシュの腕も、あっさりと引き剥がされてしまう。
「……がっ、ぐっ」
アッシュがどこにいるかを探そうとする前に、地面に体中を打ち付けて横転する。意識が飛びそうなところをなんとか堪える。
攪拌する視界で、状況を把握すべく辺りを見渡すと——、
「なんだよ、これ……」
目の前に赤々とした炎の壁が熱風を放ちながら、規模からしてグラート平原の中心部(王国軍の部隊の約半数がいるであろう)を取り囲むようにそびえ立っていた。熱を含んだ風が肌を焼いていく。
急速な喉の渇きを覚えながらも、とりあえず立ち上がろうとする。が、右足がうまく動かない。無理に動かそうとすると、鋭い痛みが走る。右足をくじいていた。先ほどの魔法陣を回避するときにひねったらしい。
やられた、クソ。
無傷とはいかなかったが、あのままだと黒炭になっていただろうし、とりあえずは無事と言っていいかもしれないが……。
「おい、ヒロ! 大丈夫か?」
オレよりさらに奥に吹き飛ばされていたらしいアッシュが、何がなんだかわからないといった様相で駆け寄ってきていた……。
「なんとか、命だけはな」
「……! ヒロ、お前……怪我したのか?」
何気なく足をさすっていたオレを見て、アッシュの目の色が変わる。
「ちょっと挫いただけだ。そっちは無事か?」
「ああ、俺は問題ねえが……」
差し出されたアッシュの手を掴み、なんとか立ち上がるが、右足にうまく力が入らずバランスを崩しそうになる。
「すまん、俺を助けようとしてこんなことに……」
「今はそんなことはいいって。それよりも……」
再び炎の壁を見やった。
先ほどの魔法陣が、この魔法の起動役だったということだろうか。……いや、これほど大規模な魔法なのだ。複数人が関わっているのだろうし、一部を担っていただけかもしれない。
と——、大地を揺るがす衝撃が再び訪れた。視界が大きくぶれ、再びバランスを崩して倒れそうになる。壁の「内側」で何かが起きたらしい。
「なんだこれは⁉︎」
「炎の壁だ! 囲まれた!」
「逃げ場がないぞ! 殺されるぅ!」
壁の内から味方と思われる兵士の叫び声が耳をつんざく。直接は目に見えないが、突然の罠に、中は阿鼻叫喚の地獄と化していてもおかしくない。
「敵の特攻の意味は、魔法陣に囲まれて集中砲火されるからだったのか……」
「……ッ! じゃあ俺らの部隊は——」
「おそらく全滅する」
言いたくはなかったが、はっきりと告げた。
空でも飛べない限り、炎壁からの脱出は難しいだろう。何かしら移動できる穴はあると思うが、その場所を敵が抑えていないとは思えない。
「くそッ! どうすりゃいいってんだよ!」
アッシュが吐き捨てるように言う。
オレとて全く同じ気持ちだ。
さっきまでうまくいっていたのに。隊長に疎まれたりしながらも、確かな自分の居場所だったものが、あっけなく手の中からこぼれ落ちていく。
「助けに行くにしても、急いでここから離れねえと……。いつ敵が現れてもおかしくない」
でも、現実は待ってはくれない。囲い漏らした王国兵を倒すためにやってくる敵との遭遇は、避けなきゃならない。この状態で複数の敵と戦うのは危険すぎる。
「ちくしょう……! 仕方ねえ、とりあえず動くぞ。……肩貸せ」
「っ……ありがとう、助かる」
「気にすんな。お前がいなかったら、俺が今生きてたかどうか怪しいぜ」
そうして、肩を貸してもらいながら、歩き出す。
首だけ振り返って再三にわたって、炎の壁を見る……が、すぐに目を背ける。とても見てられない、というより聞いていられない。
聞こえてくる断末魔の悲鳴を無理やり振り払い、仲間たちに背を向け、非情な敗走を開始した。一刻も早く、この場所から離れたかった。
結局は……それだけのことだった。
オレたちは、炎狂う戦場をどうにかくぐり抜け、幸い敵に見つからず見晴らしの良い丘の上に辿り着いた。今はこの丘で下手に動かず、友軍との合流を待っている。
「俺たち、悪運は強いみたいだな」アッシュが乾いた笑い声をあげる。
眼下にはあの炎の壁があり、その中で発動している魔法の嵐がよく見渡せた。無差別に荒れ狂っている。
あくまで予測だが、敵の狙いは王国軍の部隊を中心部まで誘い込み閉じ込め、包囲殲滅するつもりだったらしく、こちらはその罠に物の見事に引っかかったわけだ。
一歩間違えればあの中で逃げ回っていた。
改めて怖気がする話だ。
とりあえず、怪我した足は幸いただの捻挫だったらしく、しばらく安息にしていると、痛みは少なくなってきた。軽く走ることぐらいはできそうだ。
当面の危機が去り、落ち着いた頃に思い出す、味方の兵士たちの悲鳴。
「…………ごめん、みんな」
自分でも気づかないうちに、謝罪の言葉が口からこぼれた。昨日まで寝食を共にした戦友たちだ。簡単には割り切れない。戦争なんてこんなものだと、わかっていたはずなのに。
悔やまれるのはヤムハとの会話だ。
もう少し早く魔法陣の罠に気付けていれば、という考えが頭から離れない。根拠があるなら、いくらオレの意見に頭の固いヤムハとはいえ意見を変えただろう。
そしてもちろん、帝国軍の兵士たちを恨む権利はあっても責める権利はない。結局のところ、自分たちも同じことをやっているのだから。
レインは、『おまえが戦うことで救える命がある』と言っていた。『強くなれ』とも言われた。その歴戦の傭兵である彼女とも、戦えるほどに成長した。
それで強くなったつもりでいて、「守ってやる」と言った……。
——何が、守ってやるだよ……!
結果はどうだ? 仲間すらろくに守れず、二度目の経験の全滅寸前だぞ。どれだけ後悔を繰り返せば、オレは成長できるんだ……?
「お前のせいじゃないんだ。そこまで気負う必要はねえだろ。それに、俺を助けてくれたじゃねえか。やれることはやったはずだぜ」
アッシュが今の呟きでオレの葛藤を察したらしく、励ましの言葉をかける。つくづく察しのいい友人だった。
「そうは言っても……簡単には割り切れねえよ」
「まだみんな死んだって決まったわけじゃねえだろ! ヤムハ隊長もいるんだ。極限状態で前の自分を取り戻して、澄ました顔で嫌味ったらしく指揮を執ってるだろうよ」
自分も辛いだろうに、無理に笑顔を見せてアッシュは言う。
「……ああ、そうだな。今はそんな弱気なこと言ってる場合じゃないよな」
そうだ……変わったんじゃなかったのかよ。
こんなことでは、あの発言がただの妄言になってしまう。それだけは、絶対に嫌だった。気持ちを切り替えなければ。
そんな折に、ふと思う。
レイン……無事で、いてくれよ。
あの中に閉じ込められているとしたら、レインとて危ないかもしれない。
じれったい。
自分にもっと力があれば——あんな炎の壁なんか無視して、危険に晒されている仲間を助けて回れるような、そんな“英雄”になれたなら、きっと——。
今のオレには何もできない。レインを信じるほかなかった。
……しばらくして、丘の後方を警戒していたアッシュが背後でこう言った。
「おいおい……どうやら援軍様のお出ましみたいだぜ」
「本当か⁉︎」
助かった……。とりあえずは生きて帰ることができそうだ、と。かすかな安堵を感じた。
だが、あっさりと——、
「…………敵の、だけどな」
アッシュの無情のつぶやき。
——戦場はあくまでも……残酷だった。
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