第7話 雨の日の恋
オレは、『戦場』を駆ける。
と——同時。
殺気を感じた。
考える間も無く、横へ大きく回避行動を取る。先ほどまでいた場所を二発の弾丸が過ぎ去っていった。
ライフルを構える二人の敵兵を捕捉したオレは、再装填をさせまいと全力で突っ込む。最初に右の帝国兵へ向かっていたが、奴は避けきれないと悟ったのか、剣撃をライフルで受け止めようとする。ライフルの硬度が読めないため、その目の前でフェイントをかけギリギリで転進、左の帝国兵に向かった。
予想外の攻撃におぼつかない抵抗をする敵を容赦なく斬り伏せ、同じく動揺したお仲間も危なげなく仕留めた。
父直伝の秘剣には間接攻撃を弾きながら突貫するものも存在するが、今のオレの技量では再現できない。中途半端にやるくらいなら回避した方がリスクは少ないからである。実戦で慣れていく必要はあるかもしれないが……今は、確実性を優先だ。
…………その後も何体かの敵を『倒して』、ようやく戦闘が終了する。
ここは王国と帝国の国境。三度目となった戦場、ジュラート荒野。
国境警備に出動したオレは、先陣を切って敵を葬っていた。今回は所属部隊であるグレイス隊の味方とは別行動だ。前出撃では一緒だったアッシュさえいない。
それもそのはず、命令を受けたわけじゃなく、ヒロが自ら志願したからだ。
大した理由なんてない。
自分はちゃんと『戦うこと』ができるのか。
ただ、それを確かめるためだけに、わざわざ敵の動きが確認された戦場までやってきた。『兵士』としてやっていくために必要なことだったから。
結果——人を斬ることに動揺することは、もうなかった。
決して喜べることじゃないのが、一番めんどくさくて、吐き気がした。自らの手で生命を断つその咎を、忘れたわけじゃない。ただ、慣れてしまっただけのことで。
しかし、たった一度の葛藤をしただけで『慣れた』という事実だけは、どうしようもなく頭にまとわりついていて。
ほんの少しだけだが、あの時の『忘れてはいけない』というレインの言葉の意味を、理解できるようになったと思う。当たり前にしてはいけないんだ、と。
オレが憧れていた『英雄』という立場。
たしかに戦場で敵を殺せば殺すほど、『国の英雄』と呼ばれる存在には近くなる
でもそれは、オレがなりたかった『人を救う英雄』ではない。
これは自分の選んだ道だ。
けれど、戦争なんてろくでもないと言った父の言葉を、なぜもっと考えなかったのだろうか……。いまさら後悔なんてしていられないが、戦争の現実を知って、素直に英雄願望を語れなくなったのも、また事実。
そんな中で、頭を駆け巡る一つの疑問。
——オレは、何のために戦っているんだ?
答えは不思議と、もうすぐ見つかりそうな、気がした。
三日後————。
グレイス隊のグラート平原への出撃が、大本営から正式に通達されることとなる。
——夢を見ていた。
……またこの夢かよ。どうせよくわからない展開のまま、唐突に終わる夢のくせに。
相変わらずあの広場で、女の子と話をする。
「お前の名前、なんていうんだ?」
「……それは、命令ですか?」
しかし今回はどこかおかしい。朧げな女の子ではあったが、確かに形は保っていたはず。なのに、今はいやに不鮮明で。
喋り方も、違くて。
「命令なんて……そんなこと言うわけないだろ。名前を教えてほしいだけだよ」
「……。わたしの名前は……————です」
「そっか、————っていうのか」
「…………」
「おーい?」
「わたしは……自分の名前が嫌いです。大嫌いです。みんな……嫌いです」
「みんなって……父さんや母さんは好きじゃないのか?」
「母は、知りません。父は……嫌いです」
「そう、なんだ……。でも、友達は? 友達といると楽しいだろ?」
「友達は……いなくなりました」
「……じゃあ、オレが友達になってやるよ」
「え……?」
「名前言ったんだから、オレたちはもう友達だろ」
「そう、なのですか……?」
「そうなんだよ」
……だからオレは、女の子と話をたくさんした。
それは、それは、『友達』みたいに。
でも、楽しかった場所に大人がやってきた。
「探しましたよ。——さあ、帰りましょう」
女の子は連れていかれそうになる。
オレは止めようとしたけど、大人は大きくて、すぐに振り払われた。
「また、会えるよな?」
「わかりません。でも、会いたいです……」
「じゃあ会おう! 絶対に!」
「それも、命令じゃないのですよね」
「命令なんかじゃない! 約束だ!」
女の子は遠ざかってゆく。
遠ざかってゆき——。
アイトスフィア歴六三四年七ノ月一三日
グラート平原への出撃の前日。各々が明日へ向けて英気を養うであろう日の早朝に。例のごとく、王都の貧民街へ向かっていた。目的地は当然、あの紅い少女との繋がりの場所だ。
「よりにもよって雨か……」
つい一時間ほど前から、バケツをひっくり返したような雨が降り出した。今は落ち着いたものの、降り止む気配はなかった。こんな天気の中、好きこのんで外に出る奴は自分くらいだろう。
でも、どうしても会っておきたかった。こんな消極的ではダメだとわかってはいるが、明日の戦場を生き抜き、再びここに来れるかどうかはわからないから。
荒れに荒れた貧民街を抜けて丘を着いた。登っていく。
辿り着いた先に——、
「……レイン」
背を小屋の壁に預け俯きながら、彼女は立っていた。
オレは雨を凌ぐためマントを着込みフードを被っていたが……レインはいつも通りの服装で、雨具の類は一切身につけていない。……なのに、なぜか家の外で佇んでいた。
魅惑的な体のラインが、雨に濡れた服の上からでもくっきりと見えるため、いつにも増して艶っぽい印象を放っていた。普段とはまた違った美しさに思わず見蕩れてしまう。
——『赤い瞳』がこちらを向く。あらかじめ気配を感じ取っていたのか、驚いた様子はない。彼女はいつもと変わらない声で、言った。
「おはよう」
言葉が出てこない。いつも通りのことなのに。
「…………」
「…………」
互いに黙って見つめ合いながら、時間だけが過ぎてゆく。
そのどうにも落ち着かない雰囲気に耐えきれなくなり、その沈黙を打ち払うべくオレが口を開こうとしたところで……、
「また変な顔をして……自分の顔に何かついているのか?」
「……っ」
被せられた言葉に、何を喋ろうとしていたのかが急に思い出せなくなって。
「——行くんだろう、ヒロ?」
敵わないな、と思う。そして……レインに伝える。
「……明日、グラート平原に出撃ことになった。今では、一番の激戦区って噂の戦線らしい。遠出になるから、少なくとも一〇日くらいは、ここに来ることができないと思う」
なぜこれだけを伝えるのに、躊躇していたのだろうか。
ただ、オレの言葉に対し、レインは一言告げた。
「死ぬなよ」
「……え?」
「自分の話し相手がいなくなる。……言っただろう。こう見えても、知り合いが少ないんだ。だから……お前には、死んでほしくない」
——激情が、駆け巡った。
…………何がこう見えても、だよ。
レインのわかりやすい優しさに、目元が一気に熱くなった。
「なんだ……お前、泣いてるのか?」
「泣いて、ねえよ」
見られて、しまった。当然だ。目の前にいるのだから。
——恥ずかしい! 恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい!
つらいことはあった。悲しいことも、苦しいことも。でも、ここまで恥ずかしいと思ったことはあっただろうか? こんな姿を彼女に見せたくない。慌てて、顔を手で覆い隠すように拭う。
ここまで感情を決壊させたのは、初めて人の命を奪って、それを苦悩した時以来だ。その時もレインの前だった。どうも、彼女の前ではいろいろと弱いらしい……。
「……今日は剣を振らないのか? いつもは狂ったみたいに振ってるだろう」
「……気分が乗らねえんだ」
「そうか……」
それからしばらくは、再び場を沈黙が支配することとなった。その沈黙の中で、ふとあることを思い出す。
レインは己のことを『傭兵』と名乗った。傭兵ということは正規の軍人ではないため、王都の警備など通常業務には参加せず、戦いだけに身を投じる。傭兵が雇われる機会は、今回のような大規模な戦いが最も多い。
なら、今回の戦いは——、
「レインも……来るのか?」
「…………ああ、自分も参加する。もしかしたら戦場で会うかもな」
それだけで伝わったのか、レインは少しの逡巡の後、ごまかしはせずに答えた。先ほどの問いかけでは、オレにだけ激励の言葉を浴びせていたが、やはりレインも明日の戦いに参加するのだ。
口には出さないが、必ず彼女はオレの安否を気遣うだろう。一見、粗野で無愛想に思えるが、とても心優しい少女だ。レインに情けない姿は見せられない。オレの中で、今までと比較にならないほどの確かな戦意が燃え上がった。
——そして、淡い感情も。
「……今度は、オレがお前を守ってやる」
思わず出た言葉。男の意地というやつかもしれない。
ちらと見やると、キョトンとした表情のレイン。
言ってしまった後で、急に顔が熱くなる。恐ろしいまでの羞恥に襲われる。つい、柄にもなくキザなことを言ってしまった。
なに言ってんだ、オレは! 血迷ったのかよ……!
確実にレインは、急に何をかっこつけている? と嘲るに決まっている。
……だが、予想に反して、レインはくふふっと笑った。笑っていた。
嘲笑ではなく、微笑だった。
「……では、頼りにさせてもらおう。——せいぜい頑張るといい」
そんなレインと顔を合わすのは耐えられないくらい恥ずかしかったので、オレは彼女と同じく壁に背を預けるようにして横に並び立つ。
「そういや……なんでこんな雨の中、外にいたんだよ?」
羞恥を必死にごまかすように、尋ねる。
「——レイン」
「……?」
突然の名詞に疑問を示すと、レインは淡々とした声で続ける。
「自分の名前は、雨という意味だ。雨の日に生まれたから、そう名付けられた。だから——ただ、それだけだ」
答えになってない答えだが、不思議と納得する。
降りしきる雨の中で佇むレインの姿は、とても美しく幻想的な光景だった。
まさに——名前にふさわしいような。
顔を上げた視線の先で、なぜか、今にも泣き出しそうな表情のレイン。
そんな儚げな眼差しに——。
やっぱり、そうだ……。
彼女に助けられ、なぜかそれがきっかけで、訓練を名目に毎日のように会っていた。普通は男女が逆だろうと思わないでもない。
たくさん会話をした。決して趣味が合うとは言えなかった。戦い方を教えてもらった。数え切れないくらいの悪口を言われた。けど、自分がつらい時に励ましてもらった。たくさんのものをもらった。
そんな、一年間を過ごして。
——やっとわかった。
まったく情けない奴だよ。こんなことでしか気づけないなんて。
だから……言おうと決めた。今しかないと思ったから。
「オレは、雨が好きだ」
ごくありふれた、何気ない言葉。けどそれは、特別な意味を持っていて。
今のオレには、どれだけ勇気を振り絞っても、こんな風に伝えるのが精一杯だった。
「そうか、自分も雨が好きだ。こうして外で雨に打たれるくらいにはな」
………………違う、そうじゃない。
ずっこけそうになった。……でもまあ、レインならこうなるか、とも思う。
一世一代の大勝負を、悪意なしにへし折られてしまった。鈍感なところも彼女の魅力の一つだが、このタイミングは……ちょっとつらい。
「なぜそんなに顔を赤くしている。熱でもあるのか?」
と、顔を近づけてくるレインに、オレはぷいっと顔を背けて、
「いや……別に」
「体調が悪いのなら明日の戦闘に響くぞ。早く帰った方がいい」
「なんていうか……鈍感だよな、お前」
「鈍感……? …………ヒロにだけはそんなことを言われたくないな」
「それは……確かにそうかもしれねえ」
自分の気持ちに、今の今まで気づいていなかったのは事実だから。
「……やけに素直だな。やはり、今日のヒロはどこかおかしい……」
オレが内心で羞恥に悶えているのに対して、本当に鈍感に首を捻っているレインを見て……。
「まったく、今日は調子の狂う日だよ」
雨空を見上げて独りごちた——。
彼女の一挙一動に感じていた心臓の高鳴りがようやく落ち着いてくると、初めてここに来た時と同じく、心からの笑みが自然とこぼれるのを感じる。
今はこれでいいか、とも思う。
結局、男らしくはっきり伝えなかった自分が悪い。
そして、だからこそ。
必ず生きて帰ってこよう、と改めて思う。
また、レインの笑顔をこの場所で見るために。
今度こそ、ちゃんと気持ちを伝えるために——。
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