第6話 神降臨祭

 ——夢を見ていた。


「お前の名前、なんていうんだ?」

「……言わなきゃダメ? っていうか、名前を聞くならあんたの方から名乗るべきじゃない?」

「わかったよ……。オレはキサラギ・ヒロ。ヒロ、でいいぞ」

「……ヒロ」

「ああ」

「友達になってよ」

 女の子は、オレは言う。脈絡も何もなかった。

「……え?」

 オレはつい聞き返す。

「ダメなの?」

「ダメなんかじゃ、ないけど……」

「決まり! ねえ、鬼ごっこって知ってる?」

「うん」

「じゃあ、やろ」

 そうしてなぜか、知らない女の子と鬼ごっこをすることになった。

「ヒロが鬼ね」

 女の子は走り出す。

「あ、いきなりかよ」

 オレは女の子に向かって手を伸ばす。

 手を伸ばして、小さな背中を掴もうとすると——。

 むにゅ。

 めちゃくちゃ柔らかい感触がした。

 冷たい風が頬を撫でる。目を開くと、レインの青い瞳が天を仰ぐ自分の顔を覗き込んでいる。

 ……いや、そんなことよりも。

 目線をちょっと下に向けると…………右手がレインの胸を鷲掴みにしていた。

 あー……。

 スッと、黙って手を引っ込める。

「やっと、目が覚めたのか?」

「……お、はようございます」

 冷や汗ダラダラでそれだけ告げる。

 が、なんでもなさそうにレインは立ち上がって、

「こんにちは、と言った方が正しい時間だな」 


アイトスフィア歴六三四年一ノ月一日


 ……意識が飛んでいたらしい。薄闇の中やってきたのに、すでに朝日は顔を出してしまっている。こめかみの辺りがずきりと痛む。その理由を考えるにあたり、この三ヶ月余りの時間を瞬間的に思い返す。

 一〇敗した。数秒と、持たなかった。

 一〇〇敗した。速さに、ようやく慣れてきた。

 一〇〇〇敗した。まともに、刃を打ち合えるようになった。

 レインに戦い方を教えてもらい始めたあの日から。

 今日も今日とてオレは、あいも変わらずの早起きで、例の広場で剣を交えていた。もっともレインの手にあるのは、格式ある長剣ではなく、木剣だ(結局のところレインが真剣を使うとオレの命が危ないということで取りやめた)。そこまでしても稽古中に、打ちどころ悪く気を失っていたというわけなのだが。

「もう夜はとっくに明けている。せっかく自分が時間を割いて付き合っているというのに、おまえは気持ちよさそうに眠りこけたあげく胸を揉むとは……とんでもなくばかな奴だ。そんなに斬られたいなら素直にそう言え」

「いや……なんつーか、面目ねえ」

 レインを待ちぼうけさせたうえにボディタッチ(柔らかめの表現)。

 うん、これってオレ殺されてもおかしくねえ……。

「やはり、ヒロは、自分をそういう目で見ているのか……?」

「ばっ、か。んなわけねえだろ! 鍛えてもらってる立場でよ。そもそも前から思ってるけど、女の子がそういった発言はどうかと思うぜ?」

「……? 女が言ってはいけない理由がわからないが……まあ、事故だと信じよう」

「……それは助かるけどさ」

 なんで男をからかう茶番はできるくせに、単純な部分で鈍感なんだよ……。

「それはそうと、今日はこの辺で終わりだ。新年だというのに、いまいち締まり悪いが……仕方ない」

 無表情ながらどこか納得行かなそうなレイン。

 ——唐突だが、アイトスフィアの暦は一年を三六〇日、一二ヶ月で周っている。

 そして今日は、新たな年が始まる一ノ月の一日目。

 一ノ月一日から数えて三日間は、この世界の唯一神——アイト様が下界に降臨された日なのだそうだ。

 この時よりアイトスフィア歴という概念が生まれ、向こう六〇〇年以上続いている(かの神を熱心に信仰しているアイト教団——自らで名乗っているだけだが——が徐々に定着させていった)。

 そんな黄金の三日間には、いつどこで誰が始めたのか、世界共通で「神降臨祭」という神の名を冠したお祭りを行うのが慣例となっていた。だから、大抵の国民は戦時中ながらも穏やかに過ごしているのだろうけれど、自分はその国民たちを守る兵士。この後にも仕事が待っている。

「待たせたレインには悪いけど、今日もいい訓練になった。……ありがとな。明日もいけるのか?」

「特に問題はない」 

「そっか、わかった。…………あー、そうだ。少し聞きたかったんだが、お前、神降臨祭に興味あるか?」 

「興味がないことはないが……」

 と、レイン。その返答を聞いて、落ち着かない心を抑え込み、意を決して告げる。

「じゃあ、今日ちょっと行ってみないか?」

「……え?」

「だから、一緒に出店とかを回ったりとか。その……友達とかとよくやるやつだ」

 ぎこちなく、言葉すら変になりながらも、一緒にお祭りに行かないかと誘ってみる。

「…………」

 氷のような無表情で、レインは何も言わない。何を考えているかが読み取れない。

「お、おい……レイン?」

「……神降臨祭を一緒に? ヒロが、自分と?」

「いや、無理にとは言わねえよ。たまにはこういうのもいいかもって思っただけだし……どうだ?」

「遊びに行く、ということか」

「そういうこと、だな」

「剣の訓練をしたいと言ったのは誰だ? 言ってみろ」

「オレだけど……」

「それで、自分から一本でも取れたことはあったか?」

「ねえけど……」

 これは、やっちまったか。キレられる……いや、斬られる。

 ……考えてみれば、そりゃそうだ。真摯に剣で向き合っていた相手に胸を揉まれた直後に、「一緒に遊びに行かないか?」と来たもんだ。内心あたふたと慌てていたのだが……。

 ふと、レインから威圧感が取れ、

「……まあ、ここ最近は詰め込み過ぎのような気がしないでもないからな。一日くらいなら付き合ってやろう」

「今回ばかりはオレが悪かった——って……いいのか?」 

「ああ。たまには、悪くないかもしれない」

「オレが言うのもなんだけど、手のひら返しもいいとこじゃねえか……」

「意外と面白そうだからな。一度は行ってみたいとは思っていた」

「なんだよ、行ったことないのか?」

「ない。一人で行ってもつまらなさそうだったからな」

「……なんか、悪いこと聞いたな」

 でも、間違ってはないか。やっぱりこういうイベントはみんなで行くのが楽しいしな。

「うるさい、ばか。——斬るぞ。口元から削いでやる」

「災いの元から絶とうとしないでくれ。グロ過ぎる」

 あいも変わらずえげつない発言がポンと飛び出すレイン。……現実的にそれを可能とするところが一番おっかない。

「とにかく、行くことに文句はない」

「じゃあ、行くか。時間帯はどうする?」

「自分は今日もやることがある。だから少し遅くなるとは思うが……後で落ち合うことくらいはできる。そうだな……目立つ場所がいい。あのよくわからない銅像がある広場に二〇時でどうだ」

「あー、神様の像な。わかった。……にしても……仮にもお祭りの名を冠する神なんだから、よくわからないとか言ってやるなよ……」

「だが事実だ。……神様なんて、何もしてくれない」

 相変わらず淡々と喋るレインだが、最後の言葉には妙に力がこもっていて……。

「まあ、な。それについては同感だ」

 そして案外、レインとも気が合うことがあるんだな、と思った。

 そう、神様は何もしてくれはしない。

 願いを叶えたいのならば、自分でやるしかないのだ。

 なんて。

 年端のいかないオレの、浅はかながらも確信めいた考えだった。


 神降臨祭の期間中には戦ごとも、とりあえず休戦。互いに干渉しないというのが不文律として存在する。

 まあしかし、休戦だろうとなんだろうと、国の矛であり盾となる王国兵士には、女の子に約束を取り付けて、あとは夜まで胸を弾ませながら待つ……なんて子供じみたことは許してくれない。仕事が待っている。

 レインと別れてから足早に自室に戻ったオレは、未だに寝ているかもしれないアッシュを叩き起こそうと部屋の扉を開けると…………、

 裸の女がベッドで寝ていた。

「あ、やっと帰ってきた〜」

「は……?」

 普段はアッシュが使っている二段ベッドの上段で、眠そうに目を擦りつつ女が体を起こしあげる。

 待て待て、起き上がるな。見えるだろ。……布団が・邪魔・で見えねえけど。

 女は、黒髪で、赤い瞳で、どっかで見たような特徴だが、彼女と違って、ぱっと見でわかるくらいには小柄な少女だった。こんなのが男の二人部屋に全裸でいるってのは、ちょっと犯罪的すぎる。

「もー、遅いです。キサラギさん! ずっと待ってたんですよ?」

 ストンとベッド上から降りてきて、少女は恥ずかしがる様子もなく近づいてくる。

 なんだ? なに、どうなってる? こいつは変態……ってか、痴女ってやつなのか……⁉︎

「なに固まってるんですか。帰ってきたら、朝から濃密な時間を過ごそうって言ってくれたじゃないですか」

 オレの手を取り、上目遣いにはにかむ少女。

 いや……誰だよ。なんだよ、こいつ。アッシュが連れ込んだ女か? さすがに相部屋に連れ込む馬鹿がいるか? そもそもいつ?

「君は……アッシュの知り合いなのか?」

「え、まさかキサラギさん、私のこと忘れたんですか⁉︎ ひどい! 昨日はあんなに熱い夜を過ごしたのに……!」

「いやいやいやいや、まったく記憶にねえぞ」

「こんな美少女捕まえといて、それはないですよ〜」

 いちいち甘い声で誘惑してくる少女は、一歩ずつ詰めてくる。

 マジでこんな女の子のことなんて知らない。酒の飲み過ぎで記憶が飛んだわけでもなし、彼女が寝ぼけてアッシュと見間違えって感じでもなさそうだし………………アッシュ?

 …………あー、よく考えたらわかることじゃねえか。この女の子が新兵でもない限り、『軍の兵舎に入ってこれるはずがない』。

「……とりあえず服着ろ、アッシュ」

 ようやく導き出した答えに、少女の笑顔が固まる。

「…………んだよ、意外と早くバレちまったな」

 デカいため息をついてうなだれた少女の声が、だんだんと太くなる。瞬きするうちに、そこには口元をニヤつかせたアッシュがこっちを見ていた。……幸い、ちゃんと服を着ている。

 これはアッシュお得意の変身魔法と部屋ドッキリのコラボだ。相部屋になった初日、いきなり人間大の化蜘蛛を見せつけられたときのことなどをまざまざと思い出してしまった。彼は、こうして忘れた時期に仕掛けてくるのだ。

「お前も懲りねえな。さすがに知らない人間がいるのは驚いたけど、そろそろ慣れてくるぞ」

「気分転換だから気にすんな。それよりどうだった? レインちゃんに似てたか?」

 そういうことかよ。伝聞だけで似せようとした結果がアレか。

「本物はもーちょいデカいぞ」

 いろいろとな。主に態度とか。

「マジかー、ぴったりだと思ったんだがなぁ。……ふむふむ、ヒロはロリ巨乳が好みと……」

 今度はオレがため息をつきつつ適当に荷物を整理していると、アッシュが軽い声で、

「……ま、いいや。ヒロ、今夜の神降臨祭のことなんだが、予定あるか?」

「ある」

「なっ、形式的に聞いただけなのに……予定あんの? お前に?」

「何気に失礼だな……お前」

「でもさー、せっかくの祭りだぜ? それより大事なことがあんのかよ?」

「どのみち祭りには行く。ただ、途中っで抜けるって感じだな」

「えー、すっげえ可愛いメイドがいる店を見つけたんだよ。どうせなら一緒に行こうぜー」

「またお前は……オレは待ち合わせしてるからダメだ」

「……なんだと。お前……まさか昼間の訓練に飽き足らず、今度はレインちゃんと夜のデートか?」

 その甘美な響きには、さすがに動揺を隠せない。

「そんなわけないだろ考えすぎだ……。少し会う約束をしてるだけだっての」

「なーに馬鹿なことを言ってんだ!」アッシュは声を荒げる。「だーかーらー、そういうのを世間一般に『デート』って言うんだよ!」

「そういうもんなのか……?」

「そういうもんだよ!」

 ……確かに、確かにちょっと考えはしたけど! でも、そんな風に捉えてもいいのか……?

 アッシュが恨めしそうな目で睨んでくるも、それに耐えられず、

「とにかく、オレは無理だから。店には一人で行ってくれ。感想くらいはあとで聞いてやる」

「ったく、色気付きやがって……。お前にはもう飯なんて奢ってやらねえ! 後悔しても遅いからな!」

 後をつけられたらたまらないからと、正直に話したけど……大失敗だな、こりゃ。

「オレはお前に、このことを教えたのを後悔してるよ」

 そう言い残すと、悪態から逃げるように自室を飛び出し、兵務へと向かった。


 夜空に向かって、鮮やかな花火が打ち上げられる。 

 冬空の下、兵務を終えたオレとアッシュは、人々の歓声がこだまする王都をぶらついていた。

 戦争中のため普段は沈んだ顔が多い首都オルトリアの人々も、今夜ばかりは笑顔を浮かべている。活気ある街の雰囲気とともに、いつもの何倍もの量の『魔光石』が、煌々とした輝きを放っていた。

『魔光石』とは、名前の示す通り発光する鉱石で、いわゆる『魔法道具マジックアイテム』と呼ばれるもののうち、『魔法具』に分類される(他に、『魔法武器』『魔法薬』がある)。

 製作に高度な魔導技術を必要とする魔法道具の大半は、アイトスフィア大陸の中心にある都市国家アドベントの職人たちによって開発されている。

 最先端の魔法道具の製作や、強大な戦闘力を誇る『冒険者アドベンチャー』たちの活躍で、利益を積み重ね、『前線都市』として発展したのが、人呼んで冒険者の国アドベント。

 とある『確執』によって彼の国を敵視している大国レムナンティアでさえ、その戦力ゆえに下手に手出しできないでいた。

 小国であるノールエストは、そのとばっちりを防ぐべく、レムナンティアとの友好を大事にしてきたわけだが……現在は目下戦争中だ。お上は何をやらかしているんだと、文句の一つくらい言ってやりたかった。

 ……ともかく、

 その戦争もほんのひと時だけ終わる。

 レインとの約束の時間はもう少し先なので、適当に何かつまみ食いするかと屋台を吟味している最中だった。さすがに夜は冷え込みが強いので、オレは、お気に入りのマントをしっかり羽織っての行軍である。

 ふと……教会の前を通り過ぎる時、神父らしき男が礼拝を捧げている姿が視界に映った。

「……いるかもわかんない神様に対して、よくもこう信仰心があるよな」

 その光景を眺めながら、思わずボヤいてしまう。なにせ、オレは神様なんてものを全く信じちゃいなかったからだ。

「そうでもねえだろ。神がいようがいなかろうが、こうして戦時中でも束の間の平和を楽しめるきっかけを作ってくれてんだぜ。神さまさまじゃねえか。それに、信じていいことがあったから、教会なんてもんがあるんだろうぜ?」と、アッシュ。

「神を信じてすくわれるのなんて、足だけだろ」

 常日頃から思っていることがつい口に出た。

 ……オレは幼い頃、故郷の村の外で遊んでいたら、イノシシに襲われたことがある。運良くすぐに父親が駆けつけてくれたから、今オレはここに立っているのだが……。

 父さんが来るまでの、ほんのわずかな間だったけれど、村のおばあちゃんが言っていた、『神様はいつも私たちを見ているんだよ』という言葉を思い出して、『神様助けて!』と必死に祈ったが、何も起こらなかったことは強く覚えている。

 まさに子供じみた話だが、あれ以来オレは、神なんて信じないことにしているのだ。……なんだかんだ当時は信じていたからな。余計裏切られた気分になったわけで。

「変にやさぐれてんのな、お前……。ま、せっかくなんだから、パァーッと楽しもうぜ?」

 アッシュにやさぐれてるとか言われるのは癪だが、お祭り気分に水を差すのは確かに良くない。

 野暮なことは言うもんじゃないと、雑念を断ち切るように、

「……そうだな。大手を振って騒げる祭りなんだから、楽しまなきゃ損だよな」

「そうそう、我らの勝利に向けて乾杯だ」

 そういえば、こいつに酒を飲ませないようにしないとなと考えつつ、焼き鳥屋で適当な串を二、三本買って、小腹を満たすことに。往来の邪魔にならない道の脇で、串にかじりつく。

「しっかし、男だけで食べ歩きってのも寂しいもんだなぁ。華がない、華が。新しい部隊は男ばっかりだし、仲良くなる機会すらねえ」

「……差別ってわけじゃねえけど、なるべく女の子には、戦争に参加してほしくねえよ。見てて怖い」

「それは確かにそうかもなー。良くも悪くも戦争って、男がやるっていうイメージがあるからねえ。入隊直後のリュシーとかマリーも、フォークより重いもの持ったの初めてですー、って言わんばかりに危なっかしかったしな」

「あいつらなぁ、無事だといいけど」

 訓練期の苦難を分かち合った二人の女性兵士を思い返すと同時、彼女らの安否が気にかかる。

「さてね。初陣後、部隊が分かれて以来だからな。今度連絡でも取ってみるか」

「だな」

 ……適当な会話をしながら、そろそろ抜け出す頃合いかと考えていたところで、

「——あれ? ひょっとしてヒロ?」 

 女性らしく透き通っていながら、どこか甘ったるい声が響いた。

 その一度聞いたら忘れられない声に、こんなところに彼女がいるはずがないと思うと同時、半ば確信に近い状態で声の方を向く。

 予想は……的中。そこには、目を見張るような美女が佇んでいた。

 美少女ではなく、美女。

 下手な男よりも高い長身。紫色のボディースーツと純白のドレスに包まれた、男の目を惹きつけてやまないであろうグラマラスボディ。全てを引き込むような紫紺の瞳が、オレたち二人を映していた。

「なっ……あなたは、あ、あの時の……!」

 なんか隣でアッシュがわなわなと震えているが、まあこいつは美人には目がないからいつものことかと、適当にスルーする。

「相変わらず黒い服が好きみたいね。ある意味、よく目立ってたわ」

「……姐さんが、なんでこんなところにいるんだよ」

「可愛い弟くんに会いに来るのに、理由が必要が必要かしら?」

 膝近くまで伸ばしたブルーブラックの髪をなびかせながら、彼女は淫靡に小首をかしげる。その蠱惑的な表情が、これまたいっそうに妖艶さを引き出していて……。

「な、なんだよヒロ! 弟くんに姉さんってことは、この人と姉弟なのか⁉︎」

 やけに食い気味にくるアッシュ。いつになくうるさい。 

「落ち着けって……。意味合い的には知り合いのお姉さんって感じだよ」

「そんな他人行儀なこと言わなくてもいいじゃない。あたしとヒロの仲なんだから」

 オレの説明に対して、おちょくるように言葉を挟んでくる彼女。

「ど、どういう仲なんだ⁉︎」

 あー、クソ。馬鹿がまた食いついたじゃねえか!

「オレの幼い時、遊んでもらったりしただけだ。そもそも姐さんはふざけた人だから、真に受けたらダメなんだよ」

「あら、ひどい言い草ね」彼女はひとつ咳払いして、「それじゃあ改めて自己紹介をしましょうか。あたしはシーナ・シルヴァレン。ヒロのことは、それはそれは小さい時から知ってるわ。血は繋がってないけど、弟みたいなものよ」

 そんな軽い自己紹介の一方で、アッシュは背筋をピンと張り、

「これはこれは、お見苦しい態度で失礼しました。自分はヒロの一番の友人、アッシュ・グラハムです。ぜひお見知り置きを」

「グラハムっていうと、あのグラハム商会の関係者だったりするの?」

「そうです! そこのバカ息子です!」

 おい、商会の名前出したらいつもは拗ねるだろうが。なにデレデレと鼻を伸ばしてんだよ。

「商人の息子が兵士に、ねえ……。思い切ったことをするわね」

「どうせ俺は三男ですし、後継は兄貴たちに任せてるんでなんの問題もないんですよ」

「へえ……それは非常に共感せざるを得ないわ。アタシも末っ子で女だから、面倒事は上の兄たちに丸投げよ」

「おお……なんだか俺たち似てますね!」

「そうかもしれないわね」

「似てるついでに質問なんですけど! シーナさんって恋人とかはいるんですか?」

 アッシュが手をあげ、乗り出すようにして姐さんに問う。さっそく名前呼びだった。

 どういうノリなんだ……。お前は脊髄だけで生きてるのか?

「そうねえ……。今はいないから、一応彼氏は募集中よ?」

 あんた何歳だよ、と突っ込みたくなったが、それを聞いたアッシュは爛々と目を輝かせたりして、

「じゃあ、俺なんかどうです? 自分で言うのもアレですけど、顔も性格も悪くないですよ?」

「ん……そうね。あんたもよく見ればヒロに劣らずなかなか可愛い顔してるし……。悪くはないわ。唾をつけとこうかしら。あたしよりも強くなることができたら、その時は私から告白してあげる」

「あたしよりって……シーナさん。腕っ節には結構自信があったりするんですか?」

「まあ、自信があるも何も……姐さんは、『魔女』だからな」と、オレは二人の会話に横槍を入れる。

 どっちかといえば、『とぼけた』シーナに、だが。

「魔女……? たしかに魔性の美貌だとは思うが女性に対してそれはあんまりじゃ……って、シルヴァレン……? 『烈風かぜの魔女』か⁉︎」

「そうだよ、その『烈風の魔女ブラスト・ウィッチ』だ」

 アッシュの驚きとオレの補足に、

「……別に、そんな大仰なものじゃないんだけどね」姐さんはあくまでも軽く答える。

烈風の魔女ブラスト・ウィッチ』。

『魔女』、なんてついてるものの、おとぎ話に出てくる老婆みたいなチンケものではなく、畏怖を込めて名付けられた二つ名だ。

 異名の由来は、圧倒的な風魔法の才とその強さ。表面上は気さくなお姉さんだが、が知りうる限り最強の魔法使だと思う。

 姐さんとの出会いは、オレの故郷であるところのアトラス村にいた時まで遡る。オレはいたって『普通』に過ごしていたのだが、幼い頃より剣を振り回していたためなのかなんなのか目をかけられてしまって、一緒に遊ぶ……もとい、オモチャにされていた。

 でも、彼女は戦争が始まる三年ほど前に、『アドベントで冒険者になってくる』とかいう頭の悪い台詞を言い放った後、村を飛び出してしまった。なるほど、道理でアッシュと波長が合うわけだ。

 ただし、そこで驚きなのがシーナの出自。

 シーナがただの村娘だったならば、おてんばな娘だなぁ……で済んだかもしれない。しかし彼女は立派な貴族の家系……というか、立派どころじゃない。

 近衛の一族——シルヴァレン家だった。

 いわゆる王様に仕える家系。そこの三女であったらしい。 

 何がどう影響したのか奔放で活発な性格になり、しかもその無茶を押し通せるような力が彼女にはあった。アドベントに彼女が出向いた結果——アイトスフィアでも最高峰の魔法使という称号を手に入れてしまったそうだ。

 そんな無茶苦茶な存在である姐さんだが、弄ばれまくったとはいえ、なんだかんだ世話焼きだった彼女には、ちょっとした戦い方だったりも教えてもらったりして。

 オレの強化魔法も、その時に初めて開花した。 

 そのほかにも、ファッション感覚を叩き込まれたり、社交界で会ったあそこの坊ちゃんはどーのこーのといった愚痴を聞かされたりと……彼女の言う通り、ちょっと歳の離れた姉弟みたいな関係だった。

 ——そしてオレも、なんだかんだ文句を言いつつも、姐さんのことを本当の姉のように思ってる。

 絶対……本人の前では恥ずかしくて言えないけどな。

 確かに、そう思ってたりする。

 …………なんて、密かな考えは当然胸にしまっておいて。

 姐さんの身の上をアッシュに簡単に説明し終えると、そこを見計らったように彼女は話を引き継ぐ。

「有名になったのはいいんだけど、戦争が始まったでしょ? とりあえず一度戻ってこいって実家がうるさくてね。まあ、『ちょうどいい』タイミングだったし、つい三日前くらいに帰ってきたばかりってわけなの」

「それはいいとして、まさか遊びに帰ってきただけ……ってわけじゃないよな?」

「それこそまさかよ。なにせ、あたしはこの小国の奥の手の一つなのよ? この神降臨祭が終われば、領地の兵を率いて戦線に赴く予定よ」

「マジか。正直、このままじゃジリ貧だったからな……。世界最高峰の魔術師が参戦してくれるってのは、王国軍にとっちゃありがたすぎる戦力ですよ」

「もちろん、任せときなさい」アッシュの言葉に鷹揚に頷く姐さん。

 一方でオレは、とあることに思い当たった。

「そんな作戦上のこと、オレたちに言っちゃってもいいのか?」

「…………。……大丈夫よ」

「その、言葉の間がすごい気になるんだが」

「あんたたちが何も言わなきゃ、大丈夫」

 ダメな大人だ……。

「はは、そういうこった。ちっさいこと気にしてても仕方ねえって」

「そうよ。今はそんなくだらない話は置いといてパーっといきましょ、パーっと。せっかくだから、アッシュも一緒にね」

 姐さんの満面の笑みに、この人も相変わらずだと懐かしんでいると、

「たまんねーなぁ、おい」

 と、なぜか横でアッシュが異常に悦に浸っていた。

「いきなりどうした?」

 話しかけると、ガバッと振り返ってオレの肩を鷲掴みにし、顔を寄せてきて小声で捲し立ててくる。

「ちょっと前にさ、俺が惚れた女の人を探すために兵士になったって話しただろ。あれ、あの人だ。シーナさんだったんだよ。偶然って、すげえな」

「………………本気か?」

 噂をすればとかそんな偶然なかなかありえねえ、とは思うけど……意外と噂がよく当たるのも事実。アッシュの反応を見るに、どうやら本当、マジっぽい……。そもそも彼女を好く人がいるとすれば、どんな奇人変人なのだろうと思っていたが、まさかこんな身近にいたとは……。

「姐さんのこと、本気で好きなのかよ? 見た感じ、会うのだってこれが二回目なんだろ? 姐さんもアッシュのことなんて覚えてないみたいだし」

「もちろん本気だぜ。相手が覚えてるとか覚えてないとか、んな細かいことはどうでもいいんだよ。恋はいつでも突然に! だ」

「たしかにあの人はめちゃくちゃ大人美人って感じだけど、お前は『本当の姐さん』をまだ知らないからそんなことが言えるんだ。ていうか年齢知ってんのか? たぶん一〇歳近く上だぞ?」

「うるせえ! 人の恋路だぞ。好きにさせろ!」

 そんな戯けたことを口走りながらアッシュはニッと笑う。

 姐さんの『真の姿』を知っているオレからすると、もういっそ哀れに思えてきた。

「おーい、急にコソコソと何話してるのよ? あたしにはできないお話?」痺れを切らしたのかシーナが割り込むが。

「いやっ、これは男と男の話ですから、シーナさんには何も言えません!」

「なによ、せっかくだし、親睦を深めるために、これから三人で祭りを楽しもうと思っていたのに……仕方ないわ。一人寂しく飲むことにしようかしら。あーあ……本当に残念」 

「なーんでも話します! ですから代わりにあなたのことも教えてください!」

「そう、それでいいの。あたしは素直な子の方が好きよ。あとでじっくり聞かせてもらうわ」

 ちゃっかり目的を達成しようとしているアッシュに内心で苦笑しつつ、こいつと離れるにはちょうど良かったかもな、と思う。……ついでに置き土産を残していってやることにした。

「で、結局、姐さんは『その姿』のままでいるのか?」

「ん? そうよ、『こっちの姿』の方が対外的にも都合がいいでしょ?」

「……? こっちの姿って、何の話ですか?」

 食いついたアッシュが、オレと姐さんを交互に見やる。

 そりゃあ、そうだよな。気になるよな。やばいぞ、オレ。絶対にニヤけてる。

「一応この場はプライベートだし、これからも付き合いがあるかもしれないアッシュくらいには、普段の姿を見せた方がいいと思うけどな」

「…………あまり気乗りはしないんだけど、そんなに見たい?」

 アッシュをチラッと見て、そう言った姐さん。

 こんな大人美人に、そんな甘ったるい声で『見たい?』とか聞かれたら普通の男なら確実に落ちるだろう。

「しかと見届けさせていただきます!」

 現にアッシュは即落ちだった。

 オレも、多分、赤の他人に言われたら怪しい。

「そ。まあ、ヒロの友達だっていうから特別よ」

 一呼吸置いて、彼女は豊満な己の胸に左手を当てた。

 すると、あら不思議。

 その豊かすぎる胸とともに彼女の上背がみるみると縮んでいく。アッシュを追い下げ、さらにオレをも追い下げ、さっきまで美女が立っていた場所には…………『美少女』が立っていた。

「…………………はい?」

 さすがに驚いたのか、絶句するアッシュ。

 無理もない。

 だって、ギャップが凄すぎる。

 高身長美女が、つるぺたロリ少女に様変わりしたのだから。……ついでに言ってしまえば、最近オレがよく見る夢に出てくる女の子は、よく彼女の姿を形取っている。

「これが本来の姿よ。『私』のね。恥ずかしいから、周りには隠してるけど…………って、どうしたのよ? そんなジロジロと」

 つつましくなった肢体をマジマジと見つめるアッシュに、珍しく姐さんはたじたじになっていた。

「ありかも」

 と、アッシュ。

「……え?」

「ああ、いや、独り言です。気にしないでください。……その、つい見惚れてました」

「そ、そうなの?」明らかに動揺の色が窺える姐さん。

 そ、そうなのか……? オレも思わず内心でツッコむ。

「全然恥ずかしがる必要ないですよ。とても魅力的です」 

「なによ、そこまで言われると……照れるじゃない」

 割と本気で照れている彼女を見て、なんだか異常に気まずい思いをする羽目になった。

 何これ、オレは何を見せられてんだ? キザな台詞も刺さる人には刺さるってことか……?

「……っと、そういえば昔からずっと気になってたんだけど、姐さんの服って、どう言う原理で伸び縮みしてるんだ?」

 このままだとズルズル行きそうだったので無理やり話題を別方向に持っていく。レインとの一方的な会話の慣れが、こんな形で活きてくるとは思わなかった。

「あら、言ってなかったかしら。……そうね……そういうふうにできる特殊な繊維で作ったって製作者から聞いてるわ。詳しいことはいちいちわからないけど」

 いや、もちろん知ってるよ。やっぱり存外に適当だな……。

「というか、それって変身魔法ですよね! 俺と同じ属性の魔法使って、もはや運命的な出会いじゃないですか!」アッシュは水を得た魚のように食いつく。

「同じって……あんたも変身魔法使えるの?」 

「ええ。とびっきりのやつを。女の人にもなれますよ」

「異性にも変身できるの? その若さで? すごいじゃない!」

 何やら変身魔法の使い手にしかわからない会話を始め出す。

 ったく、何が年上ボインの方が好みだ。正反対じゃねえか。可愛けりゃなんでもいいのか? ……まあ、趣向はどっちでもいいさ。ただ人のことを年下好きだのなんだの言ったのは許さねえからな。姐さんは合法とはいえ、見た目がアウトよりだろ。

 それにしてもクソ、アッシュが動揺したところを適当にからかいまくってこの場から逃げるつもりだったってのに……。動きが読めねえよ。

「よーし。自己紹介もちゃんと終わったことですし、さっさとお店にでも行きましょう!」

「アッシュはお酒を飲めるクチなの?」

「モチのロンですよ」

 正気か……? 即答できるようなレベルじゃねえだろ、お前の場合。

「嘘つけよ。めちゃくちゃ弱いじゃねえか。あとで連れて帰る身にもなってみろ」

 と、思わず出たツッコミ。

 ジトっとうらめしげに見てくるアッシュには、事実だろうが、と睨み返してやる。

「っ……たしかに強くはねえけど……弱いってことはないと思うんだけどな……」 

「アッシュの場合は強い弱い以前の問題なんだよ」

 一杯で酔いが回るとか、もう飲んじゃダメだろ。

「……そういうわけだから! 監視はしっかり頼むぜ、姐さん」

 アッシュの言い訳を無視して、無理やり押し付ける。こうなったら勢いだ。

「頼むって……ヒロはどうするのよ?」

 ……しかし、さすがに無茶だった。

「オレは……その、一人で楽しむのも悪くねえかなって……。アッシュも、姐さんと二人の方がいいみたいだし」

 もうちょっと嘘が上手くなりたいと……、切実に思う。

「いや、そりゃあ二人きりに越したことはねえけど、何もそこまでしなくても………………あ、そーいうことか、お前……。んだよ、早く言ってくれればいいのによ」急にニマッと笑ったアッシュ。

 うっ……やっぱりこいつに言うんじゃなかった……。

「なんのこと? どういう意味かしら?」

「それがですね……」

 今度はオレ以外が振り返って、ヒソヒソと会話を始める。……しばらくして姐さんが、アッシュと同じようにニマニマと笑いながらこっちを見てくる。

 き、気持ち悪ぃ! そんな顔でこっち見るんじゃねえ!

「へえ……そうなの。…………ヒロも本当に成長したわね、うん。それなら仕方ない。仕方なさすぎるから、今日はアッシュと楽しむことにするわ」

「大賛成であります! あ、でも、さすがにその姿で酒を飲むのはまずいですよ」 

「わかってるわよ」

 ポンと彼女が右手を胸に当てれば、すぐに肉体が成熟しだした。

 よく考えるまでもなかったが、道の脇とはいえ人通りもそこそこいるので、その変化は結構な注目を浴びていた。不思議な現象は『魔法』の一言で説明がつくとはいえ、目立つことに変わりはないからだ。

「人目が増えてるし、そろそろ行った方が良さそうだな。お前も楽しんでこいよ、ヒロ。お互い、いい夜にしようぜ!」

 と、サムズアップするアッシュに対して言い訳の言葉を考えるも、状況を打破できる妙論は思いつきやしないし、ようやく紡いだ言葉は全て無視される。そんなヒロをからかうのをそこそこに、彼らは去っていった。

「あー、もうなんでもいいや。はは……」

 なんていうか、少しだけ泣きたくなった。


 アイト神の像がある広場は、お祭りの熱気に当てられた男女たちで妙に盛況だ。頭上の魔光石に照らされて、「雰囲気」のある空間が醸し出されている。

 時刻は二〇時を回り、一〇分。オレは約束の広場にようやく辿り着く。

 甘いムードが立ち込める中、神像の前で堂々と立っているレイン。別におめかしなんてものを期待してはいなかったが、ある意味で目立っている、その「らしさ」にちょっと笑ってしまう。

「やっと来たか」

 駆け寄るオレに、平坦に言葉を返すレイン。滲み出ていた笑いは引っ込んだ。

「悪い……。待たせたか?」

「ああ。二〇分くらいは待ったな」

 しっかりと、待ち合わせの一〇分前に待っていてくれたらしかった。

「ちょっと予定が狂っちまって……って、言い訳はくだらねえか。悪い、オレから誘ったのに遅れてきて」

「気にするな。おまえは国の兵士だからな。個人の都合で一人だけ帰りますというわけにはいかなかった……。そんなところだろう?」 

 ……遅れた理由は軍務どころか個人的な用事だったのだが、ここはレインの解釈に甘えることにした。

「あー、よくわかったな。たしかに、そんなところだ」

「…………まあいい。それより、聞きたいことがあるんだが、あそこの二人は何をやっているんだ? 体を温め合っているようには見えないが……」

 妙に沈黙したレインだったが、切り替えるように視線をオレの後方に向ける。釣られて振り返った先には……甘ったるい光景が広がっていた。

 が漂っているせいか、カップルが多いこの場所のこと。所々に並ぶベンチの一角で、一組の男女が盛り上がっていふ。仲睦まじく、と表現すればそれなりに和やかだろうが、彼らはもう見ていて恥ずかしいくらいだった。

 ハッスルしすぎだろ……。せめて外でも、人のいないところでやりやがれ。

「あんまり見てやるな。ああいう暖の取り方もあるんだろ」

「そういうものか……。人の熱気もあるから、ああまでするほど寒くはないと思うが……」

「いろんな人間がいるってことだ。……ここにいても落ち着かないからさっさと行こうぜ。何か、したいことあるか?」

「そうだな……。少し腹が減ったから食べ物が欲しい。肉がいいな」

 お腹に手を当てて真顔で答える彼女に、なぜだかちょっと吹き出してしまった。ついでに言えば、仕草がすこぶる可愛らしかった。

「よし。じゃあ、肉食いに行くか。幸いおすすめに心当たりがある」

「ほう、それは楽しみだ」

 伊達に集合に遅れてまで時間を潰していたわけじゃない。ある程度の下調べは済ませてある。彼女が好みそうな店なんてばっちりだ。

 自然に足を早めながら、オレたちは広場を後にした。


「非常に美味い肉だった。安い割には量も多かったし、最高だ」

「お祭り価格ってやつだろうけど、味までいいのはすげえな」

 口についた油をハンカチで拭き取りながら、さっき訪れた肉屋の圧倒的質量の骨付き肉を二つも平らげた(なんの肉かもわからないし、この辺で手に入る肉など硬いに違いないのだが)レインが、満足そうに好評した。お前ハンカチとか持ってたんだ、とかは言わないでおいた。

「来て、良かったか?」

「ああ。祭りというものは素晴らしいな。もっと早く来るべきだった」

「そりゃよかった」

「時間がもったいない。次の店に行こう」心なしか目を輝かせて、催促するレイン。

「あんだけ食ってまだ食えるのかよ」

「食べれる時に食べておくのが戦士の鉄則だ」レインはオレをジロジロと見て、「自分から言わせて貰えば、おまえは男のくせに細すぎる。単純に、もっと筋肉をつけた方が強くなれると思うぞ」

「体が細いとか、レインにだけは言われたくねえ」

 大体オレは、昔から体質的にいくら食べても太らない。そのことを姐さんに言ったら思いっきりどつかれた記憶があるから口には出さないけれど。

 ……そうかぁ、やっぱり弱っちく見えるんだな……。

「自分はいいんだ。見た目より筋肉はある。……せっかくの機会だ。食べ歩きならいくらでも付き合うぞ。ヒロはどんなものが好きなんだ?」

「好きな食べ物か……肉類は大抵好きだけど……あとは飴とかだな」

「……飴? 甘いものが好きなのか?」

「故郷の村でよく近所のおばさんとかが、フルーツ飴を作ってくれたりしたんだよ。いつの間にか好きになってたな」

 軍に入ってから久しく甘味なんて食べちゃいないが、思い返すと少し懐かしくなってきた。

「しかし、飴……か」

「なんだよ、そんなに変か?」

「別に。可愛らしいなと思っただけだ」

「……飴を売ってる店の場所なんてわかんねえし、特に食いたいわけでもねえよ」

 レインが好きそうな店はピックアップして覚えていたが、自分のことは全く考えてなかった。

「まあ、そう言うな。適当に歩いていれば見つかるだろう。そのうちに自分も小腹を満たしておく」

 随分と大きな小腹だなと思いつつ、きらびやかに照らされた道を歩いていると……。

 ファンシーな音楽が流れてきているのに気づく。

 思わず見やると、

「さあさあ、お立ち会い! 我が劇団が最高の幻想体験をお送りいたします!」

 街角で陽気な声を上げる男性が。

「なんか奥でやってるみたいだな」

「……あれは何の商売だ?」

「商売っつーか、気になるなら行ってみるか?」

「いや、別に……」

「そんな遠慮するもんでもねえだろ。行こうぜ」

「ああ……」

 ちょっと面食らったようだったが承諾を得たので、足早に声の方へ向かう。街の角を曲がると、華やかにライトアップされたステージに向かって、ぞろぞろと観客の背中が並んでいた。立て看板には、有名な劇団一座が劇を行っていることが記されてある。

 ちらと見ると、レインは物珍しそうに輝く舞台を見つめていた。その視線を追った先には——、


 ——美しい世界が広がっていた。

 物語は途中だ。

 どんな過程を積み重ねて、そうなったのかわからない。

 けれど、幻想の中に惹き込まれる——。


「リーゼ。ようやく見つけた……。こんなところにいたのか」

「アーサー……。あなたこそ、どうしてこんなところに……」

「決まっている。君を助けに来たんだ。さあ、早く国へ帰ろう」

「……ごめんなさい」

「なぜだ? 君を狙う刺客のことなら大丈夫だ。俺は強くなった。大陸で誰にも負けないくらい強くなった。今度こそ、何があっても守って見せる。心配しなくていい」

「そういうことではないの」

「ではどういうことだ」

「一歩、勇気を出すだけで良い。必ず俺が受け止めて見せる。——さあ」

「…………ごめんなさい」

「……。どうして……」

「知っているのよ、私。私を助けるために何人もの人が死んだことを。彼らの顔すら知らないけれど、私のせいで死んだことは知ってる」

「ああ、そうだ。たくさん死んだ。だとしても君を——」

「私がここであなたの胸に飛び込めば、それだけで私は死ぬわ」

「なん、だって……?」

「この城から出れば、死ぬ。そういうことになっている。そういう呪いなの」

「そんな、馬鹿なことが……」 

「あるのよ。だから、これ以上私を苦しめるのはやめて。私のために、人を殺さないで!」

「………………………………言いたいことは、それだけか」

「それだけよ」

「本当に、それだけか」

「…………」

「………………」

「…………じゃない」

「…………」

「……そんなわけ、ないじゃない!」

「……」

「どうでもいいわよ。そんなこと……」

「それが、答えだろう」

「お願い、聞いてくれる?」

「もちろんだ」

「もう一度、助けに来て。どれだけの人を殺してもいい。邪魔をするなら、私のために殺して。殺人鬼と呼ばれても、人間じゃないって言われても、どんなことをしてもいいから! ——必ず、また私を助けに来て」

「ああ、約束する」

「……本当に?」

「本当だ。絶対に助けに行く。待っていてくれ」

「ええ。待ってる。ずっと、何十年でも、何百年でも。……愛してるわ、アーサー」

「リーゼ。私も——君を愛している」


 舞台は、暗転する。

 直後——。

 どわあああっ‼︎ と。大歓声が巻き起こる。


 壮大なラブストーリーを見終えた(途中だけだが)オレたちは、休憩所も兼ねた高台で腰を落ち着けていた。冬の夜風は本来ならば身に染みるはずなのだが、興奮によってか、食事によってか、体温が上がっているおかげで、むしろ心地いい。

 そして眼下に広がるのは、いつにも増してきらびやかにライトアップされた王都の夜景だ。

 いつでも都市全体を一望できる場所に住んでるレインはともかく、夜景を高所から見る機会の少ないオレにとっては、やはり目の奪われる光景だった。何か言葉を重ねるのは野暮だとでも思ったのか、二人の間では先ほどから静かな時間が続いている。

 と——。

 ふわりと、夜風が吹き抜けてゆく。

 ふわりと、レインのスカートが揺れた。

 彼女のスカートの裾は結構大きく舞い上がったので、ついヒロの目は吸い寄せられ、その『中身』が見えそうなところで——裾は手早く抑えられる。

 …………。

 …………………惜しい。

「なんだ?」

 銀鈴の、声。

「っ……。なんだって、なんだよ」

 ハッとして、口をつくごまかし。

「今、自分を見ていただろう」

 ……なんでバレた。女の子ってやっぱり視線には敏感なのか?

「先ほどから、視線が自分に向いていることが多かった。何か気になる部分があるのか?」

「いや、別に見てねえよ?」

 思いっきり見ていたくせに反射的に否定してしまう、が……、

「嘘だな。おまえの嘘は、わかりやすい」

 バッサリと言い訳を斬り捨てるレイン。

「……たしかにちょっと見てたけど、なんとなくだよ。理由なんてない。ていうか、オレってそんなにわかりやすい顔してるのかよ?」

 無理やりにでも話を逸らすが、特に視線を向けられていたこと自体には興味はないのか、彼女は少々呆れた口調で、

「やはり、自分で気付いていないんだな」

「気づくって、何にだ?」

「癖だ。おまえは嘘をつくとき、よく前髪を触っている」

「え。マジで?」

 無意識ってやつは恐ろしい。指摘されるまで、全く自覚がなかった。

「だからすぐにバレるんだ。嘘を隠したいのなら、直した方がいいな」

 つーか、ひょっとして、アッシュとかもこういう癖でオレの発言の真偽を見抜いたりしてたのか……? 教えてくれないのがあいつらしいけど、クソ野郎め。

「……わかった。今度から気をつける」

「そうするといい」

「…………」

「…………」

 気まずい。普通に気まずい。あんな会話の後になにを喋ったらいいかとかわかんねえよ。

 ………………そんな静寂を破ったのは、レインだった。


「——また私を助けに来て」


 その、声は。その声音は。

 今まで聴いた彼女のどんな声よりも幼かったと思う。

「……?」オレは一瞬信じられなくて、振り向かんばかりにレインを見て、「…………?」

 奇異の視線を受け止めた彼女は……、

「いや、気にするな。あの催しが素晴らしいお話だったから、つい思い返してしまっただけだ」

「そう、かよ……」

 本当に急なことだったから、気まずい気持ちなど吹っ飛んでしまった。

「あれは……なんというものなんだ?」

「なんという……って、そういやなんて題名だったっけな、あれ」

「『黒衣の勇者』だ。題名は知っている。そうではなく……あの、人間が物語の登場人物のふりをするものは、なんだと聞いているんだ」

「は? え………………。あぁ……」

 言わんとしてることに気づくのに、三秒はかかった。

「あれはな、演劇っていうんだ」

「えんげき……?」

「ああ。それぞれの登場人物の役割に合わせて、人間が『演技』することをそういうんだよ」 

「なる、ほど……。本以外にも、物語を表現する手段はあるとは……。ヒロは、他にも見たことあるのか?」

 恐ろしいまでに食いついてくるレインに少しタジタジになりながらも、

「昔、王都に旅行に来た時に似たようなもんは見たことあるが……あんまり覚えてねえな」

「そうか……。そうかそうか。ああいうものも、あるのだな」

 レインは珍しく、嬉しそうな声をあげている。

「英雄譚、詳しいんだな。子供の頃は英雄博士を名乗ってたオレでも忘れてたのに」

「なんだ、そのダサい称号は」

「う、うるせえ」

 当時は気に入ってたんだよ、当時は。

「……まあ、自分も幼い頃は、本の中の世界が自分の全てだった」レインはどこかはっきりとした口調で、「いろいろなことがあったが、それでもあの日々はかけがえのない宝物だ」

「……。やっぱりレインも、英雄譚に憧れたりするのか?」

 あの情景に心を動かされて、やがていつか、自分も——と。

 そんな質問に彼女は、空を見上げるように首を後ろに傾けて、

「『英雄譚』、か。そうだな……。——たしかに憧れる」

 その声はさっきよりも大人びていたが、それでもやっぱり子供じみた声だった。

「……さて。そろそろ降りるぞ。さすがに寒くなってきた」

「お前に寒いという感覚があったことに驚きなんだが……」

 レインはそもそもが夏と服装の変化がないため、寒暖差なんてないものだと思っていた。

 オレのツッコミに取り合うことなく、さっさと歩き出して階段を降りてゆくレイン。煌々とした夜景をもう一度目に焼き付けた後、オレも彼女に続いた。

 ……その後ろ姿を見るだけで、なんでだか頬が緩んでしまう。

 勇気を出してよかった、なんて思った。

 ——かくして、夜は、更けてゆく。

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