勇者と異世界

最終話 勇者、婚活を終える

 俺はずっと、この時が来るのが嫌だった。


 俺の望みが叶えば、イブキを元の世界に返さなくてはいけない。それは俺とイブキが最初に決めた約束だ。破るつもりは毛頭ない。


 そして今、どうやら俺がイブキをここに呼んだせいでこの世界は大変なことになってしまっているらしい。そして今度は世界を救うすべがない。

 だとすれば、最後の切り札はイブキを元の世界に戻すために使うべきだ。


「・・・わかった」


 右手に持った剣で腕に浅く傷を入れ、滴る血でゆっくりと地面に円を描く。地面と言っても周囲全て同じ色なので、真っ白いキャンパスに赤黒い血液がやたらと目立つ。二回目だからか、前に宿屋でやった時より上手く描けそうだ。

「ちょっと勇者、もっと大きく書いてよ」

「え?あ、あぁ」

 転移する人間が入れるサイズで充分なのだが、イブキが不安そうなのでさらに傷口を広げて倍ほどのサイズの円を描く。

「これならいいか?」

 相変わらず、本当にこれだけで良いのかと疑問になるくらいに単純な前準備だ。

「うん、ちょっと狭いけどオッケー」

 そう言ってイブキは躊躇なく血で描かれた円の中に入る。当然狭くはない。


「イブキ、短い間だったが俺はイブキと一緒に居られて・・・」

「そういうのいいから」

「んなっ!」

 別れの言葉を告げる前に無情にも止められてしまう。いくらなんでも酷いじゃないか。


 イブキの為に禁呪を使う事は嫌ではない、寧ろ世界が消滅するならイブキは直ぐにでも元の平和な世界に戻って欲しいとは思っている。


 しかし、イブキと俺は短い期間だったが共に旅をした仲間で、俺にとってイブキは数少ない理解者で、悪しからず思っていた。正直トピアリウスのあたりからは俺自身も婚活をしたいのかイブキと旅を続けたいだけなのか段々とわからなくなってきたし、結婚という目標よりも素の俺を理解して素直に接してくれるイブキと一緒にいられる目の前の幸せのことばかり考えている自分を恥じたこともあった。


 根本にあった俺を勇者だと知らない女性と一生を添い遂げたい、という夢は勇者という立場に孤独を感じていたのが原因で、イブキと出会って、イブキに色々と叱られたり怒鳴られたり文句言われたりしているうちにそういった悩みはいつの間にか薄れていた。今考えれば些細な孤独よりもイブキと共に過ごす時間の楽しさが上回っていたのだと思う。


 魔王城を訪れる直前も、この挑戦が成功すればイブキと離れ離れになるかもしれないという淋しさを思えば魔王と再会したり魔王が実は女性だという事が些細に思えていた。それほどに俺の中ではイブキは大切な存在に思っていたというのに。


 それなのに、「そういうのいいから」とはなんだ。

 イブキにとって俺はげえむのキャラで、勇者だから仕方なく協力しているだけだったのか。少しは距離が縮まっているような気がしていたのは俺の勘違いだったのか。だとしても、ここで別れの時だというのにあんまりな態度だ。


「・・・イブキ、元はと言えば俺がイブキを強制的に召喚したが、それでも切り札である禁呪を使うのだから最後くらい俺に優しい言葉をかけてもいいのではないか?」


 普段は言われっぱなしだが最後くらい反論しても罰は当たらないだろう。勿論いくら苛立ったからとはいえ禁呪の使用を辞めたりするつもりはない。嘘でもいいから離れるのは淋しいとイブキに言って欲しい俺の気持ちに応えてくれても良いだろう。


「一応俺はこれからこの世界と共に消滅する運命にあるんだ。心がこもっていなくても良い、今まで楽しかった、程度の事を言ってくれてもいいじゃないか」


 既にこれを要求する時点でその言葉を貰えたとしても虚しさしかない気がするが、別れ際くらい色々と言ってやりたい。こんな風に誰かに反発したり見返してやりたい、報われたいと思う気持ちを持ったのはいつぶりだろう。


「・・・はぁ、本当に鈍感馬鹿駄勇者」


 俺の意思も空しくイブキはいつものように勇者の上に色々と愚弄する単語を並べた。


「またそうやって俺を!」


「いいから早く、こっちおいでよ」

 そう言って、イブキは右手を差し出した。


「こっち?」

 この世界は上も下も遠くの方も真っ白で、今イブキに見えているのは俺しかいない。


「勇者の婚活、最後まで手伝ってあげたいけどこの世界は終わっちゃうみたいだから。続きは現代日本でやろうよ。それとも勇者はゲームの世界と心中したいの?」


 げんだいにほん。イブキの言っていたイブキの元居た世界。


「そ、それはつまり?」


「私と一緒に、されよう」


 俺が、イブキの世界に!?


「あ、でも召喚術使うの勇者だから転移?まぁいいや。早くやってよ。『俺はイブキと一緒に居られて・・・』だっけ?その先は向こうでゆっくり聞いてあげるからさ」

 にまり、とからかうような愛らしい笑みを浮かべる。

「この世界が心残りならさ、いくらでも救わせてあげるよ。ブレイブファンタジーは名作だよ」

「また訳の分からない事を」


 不思議だ。イブキと別れてこの世界と一緒に消える覚悟だってしたのに、今はもう新しい世界に期待する自分がいる。俺は別に冒険好きな気質ではないのだが、きっとイブキがいるからだろうな。


「そうか、俺は消えなくて良いのか」

 それに、イブキとまだ一緒に居られる。


「当たり前じゃん。データが消えたなら最初からやり直せばいい。あんたは勇者で、主人公なんだから。続編だと思って楽しもうよ。今度は異世界婚活になるね?」

 真っ白い、誰もいない世界でイブキはいつもと変わらない口調で俺を誘ってくれた。俺自身が異世界に行くことになるなんて考えたことが無かったが、まぁそれもいいだろう。


「だが、婚活はもう終了だ。急いで相手を探す必要はないからな」

 ぽかん、と変な顔で固まるイブキの隣、血で描かれた円に足を踏み入れる。


 大きく深呼吸をすると、俺の生まれたこの世界の空気が肺いっぱいに流れ込んできた。


「・・・天の神、地の神、そして全ての自然を愛する精霊たちよ。我が名は勇者デリック、この世界の生命の息吹を蘇らす者。我が肉親の魂を代償として、勇者の望を叶えろ」


 短い文言を唱え終わる。


 同時に、黄金色の眩い光が真っ白い世界を満たしていった。


 視界が光で溢れているのをいいことに、俺はそっとイブキの手を握る。大丈夫だ、馬鹿力で壊したりはしない。


 異世界がどのような場所かわからないし、きっと俺の事を知らない人間だらけだ。


 余所者の俺にどんな苦難が待ち受けるのか、それとも案外幸せに平和な暮らしを楽しめるのか、それはまだ俺にはわからない。


 まぁ、どんな世界だろうと俺は今まで通りイブキに殴られたり流されたり叱られたり見世物にさせられたりしながら、それなりに楽しくやっていけるだろう。



「俺を救ってくれてありがとう、勇者イブキ」



 向こうについたらまず、名前で呼んでもらうことにしよう。


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