19.書庫の管理人さん

 わたしの急なお手紙を、海神さまは受け入れてくださった。それがとっても嬉しかったから、へとへとにならないで一日元気に過ごせた気がする。

 お風呂と晩ごはんを済ませたわたしは、書庫に行くことにした。最初の日にちょっとだけ見に行ったとこ。フグさんのお願いを叶えるのに使えそうな書物とか、あったらいいなって。そんな都合のいいものがあるかはわかんないけどね。


 淡海衆の部屋のすぐ隣、書庫の前まできた。扉には『在室中』の札があるけど、入る前に合図をしてって言われてる。そっと合図の呼び鈴を鳴らした。寝殿の前にあるのよりちょっと小さいそれを、一回、二回。


「少し待って」


 落ち着いてて、でもちょっとひんやりした感じの、女の人の声。

 ちょっと緊張する。だって、最初の日に聞いたカストさんの言葉を思い出したから。


「義理堅く、なにかと気にかけてくれるいい魚なんですけどね。なにぶん近寄りがたい雰囲気があると言いますか。口調がそっけないと言い換えてもよいでしょう。初対面ではやや面食らうかもしれません」


 書庫を管理している眷属の、シルヴィアさん。その人のことを、カストさんはそう言ってた。あのときはシルヴィアさんが用事でいなかったから会えなかったけど。

 そっけない感じかはちょっとわかんない。その前に、人を声だけで判断したらよくないし。でも、ユミアさんのような、ふわふわあったかくて人懐っこい声とは全然違った。


「あなたが"花嫁"ね。もう謁見の間で見たけど」


 ちょっと勢いよく扉が開いて、中から女の人――いや、女の子って言ったほうがいいかも――が出てきた。だぼっとした、黒と茶色のまだら模様の服。この人がシルヴィアさんだ、きっと。

 わたしより少しだけ背が高いみたい。じっとりと、半目で見下ろされる。


「はいっ。海神さまのお嫁さんの、レナータって言います。よろしくお願いします!」

「私はオリヴィア。トラザメのオリヴィア。所属は一応潮海衆。さっさと入って」


 カストさんの言ってた通り、ちょっとそっけない感じはする。声の調子がずっと同じくらいで、表情もあんまりなくて。でもなんだか嫌じゃなかった。それに、わたしの挨拶にちっちゃく礼をしてくれてたし。

 書庫の中へ入る。そうそう、古い書物のにおいがするんだ。最初の日、扉を開けたときにちょっとびっくりしたのを覚えてる。


「時間はある? あるなら案内するわ。最初の日にひと通り見て回ったなら別だけど」

「ちゃんとは見れてないので、お願いしますっ」

「わかった。とりあえず私の机まで行く」


 あっ、オリヴィアさんがすたすた歩いていく。追いかけなきゃ。もちろん走っちゃダメだから、早足でね。


「どうせ探したい本か資料でもあるんでしょうけど。ここへ初めてくる人に目的のものだけサッと借りていかれるの、私いや」

「それは、どうしてですか?」

「書庫の管理人よ? この場所に愛着くらいある。初めてのときだけでも、ひと通り見ていってほしい。それで、『知らないけど知りたいもの』にひとつでも興味を惹かれてほしい」


 書庫の中はけっこう広かった。オリヴィアさんを追いかけて歩く間に、ちょっと話ができるくらい。

 そっか、書物ってそういうものなんだ。ちっちゃいころにお父さんが買ってくれた、子ども向けの本くらいしか読んだ記憶ないなあ。しょうがないんだけどね。書物を読んだり誰かと遊びに行ってるところを義母さんにでも見られたら、「そんな暇あったら家事をしなさい、あなたの役目よ」って言われるから。いつか、満足しきるまで本を読みふけってみたいって思ってた。


 たくさんの棚の間を抜けていく。それぞれの棚に張り紙があって、『環境』『神・宗教』『小説(眷属著)』『小説(人間著)』とか、いろいろに分かれてる。眷属さんもお話を書くんだ……あとであの棚見てみようかな。

 こうやってさらっと通り抜けるだけでも、本当に面白そうな場所だ。最初の日はほんとにちらっと確認するだけだったからね、面白そうかもまだわかってなかった。カストさんが念話でオリヴィアさんに連絡を取って、お許しをもらって入ったんだけど――って、そうだ。お礼言わなきゃ!



「あの、シルヴィアさんっ。最初の日、部屋にいらっしゃらないのに入らせていただいて、ほんとにありがとうございました!」

「別に。断る理由もなかっただけ。『隅まで見て回る余裕はないんだろうから、案内はまた改めてきたときにすればいい』と思ったし」


 そっけなく言うオリヴィアさん。こっちを振り返らずにすたすた歩いてる。

 この人が歩くたび、背中から生えた丸っこいヒレがゆらゆら揺れて、なんだかかわいかった。


「それでも、ありがとうございます。案内も助かりますっ」

「……わかったから」


 あれ、ちょっと照れた声だったような? 気のせいかもだけど。


「着いた。ここがわたしの机。書物の貸し出しとかの仕事をする場所」


 オリヴィアさんが、書庫の角っこのちょっと広い空間で止まった。

 机がふたつ並んでて、片方が受付かな。もう片方には書類とかなにかの図とかがきちんと整頓して置いてあった。


「書物を借りるときは必ず私のところに持ってきて手続きするように。あと、借りたら三週以内に帰すこと」

「わかりました! ちゃんと返します」

「うん、忘れずに。書物は大きく『それぞれの神の眷属が書いた専門書』『人間が書いた専門書』『小説』の三つに分かれている。このうち『眷属が書いた専門書』はなにがあっても神殿外に持ち出さないこと。ああいうのは、円滑な世界管理にとって重要なことを記録に残し、新たな眷属に活かしてもらうためのものだから」

「なるほどです。でも、そこに載ってることを人間に教えたらだめなんですか? そうしたら、人間がもっと賢くなる? ちょっと違うな、幸せに暮らせるんじゃないかなーって、思ったんですけど」


 なんとなく思いついただけで。それはおかしくないですかって言いたかったわけじゃ、全然なくて。でも、それは言っちゃダメなことだったらしい。

 オリヴィアさんの顔に、はじめて表情を見た。今までの半目から、ガッと目を見開いて。口を半開きにして。ほっぺが引きつって。なにを言ってるの、信じられない。そんな顔だった。



「神とその眷属は、世界を円滑に管理し、未来が致命的に崩れないようにするのが使命。でも、それ以上のことはしない。してはならない。反対に、人間は神の救済をあてにしてはならない。人間は、自らの手で智を拡張し、困難を乗り越え、世界の――人間のではない――未来を良い方向へ塗り替えるべきだから」


 決して破ってはならない鉄の掟。どうか忘れないで。


 落ち着いているのはそのままで、でもひんやりした感じはなくなって。代わりに力がこもった声が、しっかりと届いた。長めの前髪の間から、黄色い目がまっすぐわたしを見ている。どこまでも真剣に。

 わたしはすぐに謝った。思いっきり頭を下げた。


「ごめんなさい! ただの人助けとは違うってわかんなかったわたしが悪いですっ」

「こればかりは、気にしてないとは言えない。でも、私こそごめんなさい。あなたはまだ知らなくて当然なのに、知ってる前提のような口を利いた。厳しすぎることを言ってしまった」


 シルヴィアさんも頭を下げた、んだと思う。きれいに重なった手と、灰色の髪の毛が見えたから。

 顔を上げたのは、お互いほとんど同時だった。


「変な空気にしてしまった。そろそろ案内するから、どんな本を探しているか教えて。それが応えにくいなら、何を知りたいか、でもいい」

「ええと、海の魚が元気に川を登る方法……? 海神さまや他の眷属さんの力をお借りするのは申し訳ないですし、負担にもなっちゃうので。それ以外でお願いしますっ」

「淡水魚と海水魚関係、ね。心当たりはいくつかある」


 元気に、ってなに? とは、言ったわたしもなったよ。でもこれしか出てこなかったんだもん。なんとかシルヴィアさんには伝わったみたいで、よかった。


「ほんとですか!? 潮海衆のシトロンさんでも思いつかなかったみたいで、できるか不安だったんです」

「断っておくけど、どの書物もこれを見ればすぐ解決するという類ではない。ただ参考にはなると思う」

「それでも助かります!」


 これは、解決にちょっと近づけそうな予感! 書庫なら手がかりあるかもって、来てみてよかった。


「ならいい。お互い時間もある。他の書棚も見て回りながら、目的の棚まで案内したい」

「はいっ。ゆっくりでも大丈夫です。眷属さんが書いた書物ってどんなのか、ちょっと気になってて」

「眷属もそれぞれ。実利的な書物から大衆娯楽までなんでもある。ついてきて」


 オリヴィアさんが歩き出した。あっ、さっきよりちょっとゆっくり歩いてくれてる。

 ここにはどんな書物があるんだろう。せっかくだし、いっぱい楽しんでいきたいな。

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