18.海神さまにお手紙を

 晩ごはんを食べに食堂へ行ったとき、ちょうどいいやと思って板場衆のおじさん――オスターさんに声をかけた。わたしが休みの日にお料理を教えてほしいって。余裕があるときだけでいいし、お礼もしますって。

 そうしたらオスターさんは、いきなり豪快に笑った。


「ガハハハッ、礼なんざいらねえよ。嫁の愛情がこもった美味えモン出して、主様と食卓囲みてえんだろう? いい話じゃねえか、まったく」


 びっくりした。だって、急なお願いだもん。こんなあっさり聞き入れてもらえるなんて思わなかった。

 やっぱり、ここの人たちはわたしにすっごく優しくしてくれる。来たばかりだからかもしれないけど、それでも。あんまり甘えん坊しすぎないように気をつけなきゃ。自分のことは自分でやるとか。


 オスターさんはほとんど毎日働いているから、あんまり時間は取れないみたい。一ヶ月に二回くらいはできたらいいね、って感じ。でも充分だよ。わたしのために時間を取ってくれるオスターさんに、いーっぱい感謝しなきゃ。

 わたしもがんばる。海神さまに食べたいって思ってもらえるようなごはんを作れるように。海神さまと同じものをいっしょに味わう時間は、きっと楽しいと思うの。


 ……義母さんや義姉さんとは過ごせなかった、しあわせな時間。



 ☆



 自分の部屋に戻って、今日お勉強したことを紙に書いていく。じゃないと忘れちゃうから。

 鳥の羽根にインクを付けて、丁寧に書く。木の皮から作った紙もあるみたい。でも、ここで普段使ってる紙は、破れにくくて書きやすいヒツジの皮なんだって。


「えーっと、神舞をする上でいちばん大事な三つのことを『三心さんしん』って言って……」


 声に出しながら書く。そのほうが覚えやすい気がするし、文字を書くのあんまり慣れてないし。文字の読み書きなんて昔お父さんに教えてもらったっきり。紙になにか書くこと、最近はしてなかったから。


「『三心』の中身は『かんそくめん』。それぞれ体幹・呼吸・表情のこと、っと」


 確かめるみたいに書いていく。『まずはこれをきちんと覚えて、意識しようね~。ほんとのほんとに大事だからね~』って、ユミアさんが言ってた。

『三心』を身に着けるための訓練もいっぱいした。例えば『幹』だったら、片足ぴょんぴょんでまっすぐ進む練習をしたり。『面』だったら、表情筋を柔らかくする顔の体操を習ったりした。あの体操、効き目はありそうだけど、やってるときとっても変な顔になるの。教えてくれてるユミアさんの顔を見て、ちょっと笑いそうになったのは内緒、ないしょだよ。


 板場衆の人が出してくれたおいしいお茶を飲んで、ひと呼吸置いたりしながら。今日習ったことと、ユミアさんが言った「こうするともっといいかも」を、覚えてるぶん全部書いて。何回か読み返して。


「終わったぁ……!」


 ぐっと両手を伸ばして、椅子の背もたれに体を預けて……あっ、あぶないっ。ちょっと落ちそうになったけど、なんとかこらえた。


「お疲れさま、レナおねえちゃん」


 今日の報告書を作っている途中のソフィーが声をかけてくれた。この子、文字の代わりに簡単な記号や絵を教えてもらって、初めてなにかを『書く』挑戦をしてるところなのに。わたしを気遣ってくれている。ありがとうの気持ちを込めて、笑顔を返した。


「ソフィーもお疲れさまっ。ひと休みしたら、他にやることあるんだけどね」

「おてがみ?」

「そうそう。ソフィーが提案してくれた、海神さまへのお手紙。思ったこと素直に書いたらいいと思うんだけど、やっぱり緊張しちゃうなあ」



「わたし、部屋から出たほうがいい?」

「それは大丈夫! ソフィーは報告書の続きしてくれたらいいから」

「わかった。お茶飲みながら、ゆっくり書いたらいい。なくなったらわたしが茶器持って行って、また注いでもらってくるから」

「なにからなにまでありがとね、ソフィー」

「ん」


 誇らしそうな顔してる。ソフィーの表情、少しずつ読み取れるようになってきたような。

 あれ? なんだか顔をぐいっと近づけてきた。これは、頭なでてほしいのかな?


「よいしょ。なでなで~」

「……えへへ」


 ソフィーの柔らかい髪をそっとなでてあげると、満足そうにほっぺを緩めてくれた。あっ、鼻歌まで歌ってる。楽しそうでよかった。


 ひとしきりなでなでして、わたしもやる気が出てきた。海神さまにお手紙を書くよ!

 この部屋には、さっきまで使ってたヒツジの皮以外に、もう一種類別の紙があって。それがお手紙を書くのにだけ使う、特別な紙。この世界の果ての果てでしか生えない特別な樹の皮からできてるんだけど、それを作れる職人さんは世界に数人しかいないんだって。

 そんな貴重な紙を使わせてもらっている。触っただけでもう違いがわかるもん。すっごく滑らかで、でもツルツルしすぎない感じ。


 なにを書くか、結局ぼんやりとしか決めてなかったけど。とりあえず書いてみよう。インク壺に羽根の先をちゃぽんと漬けて、まずは宛名から。

 大丈夫、手紙の書き方なら晩ごはんのときにカストさんに教えてもらった。たまたま会ったから相談してみたの。


「海神さまへ


 突然こんなお手紙を書いてびっくりさせてしまったらごめんなさい。わたしも海神さまもこれからずっと忙しくて、お休みの日でもあまり休めないかもしれないと聞きました。このままではユミアさんやシトロンさんといる時間のほうがずっと長くなりそうでこわいです。ほんとうに。だってこの二日間で海神さまにお会いしたの、最初に顔を合わせたときと寝るときだけなんですよ? 勝手に不安になってしまったので、少しでもお話ができればと思ってお手紙を書くことにしました。あと、単純に海神さまのことをもっと知りたいです。書いてる途中で恥ずかしくなっちゃったけど……でも。

 お手紙どころか、文字を書くのも久しぶりなんです。読みづらかったらごめんなさい。

 ここに来て二日が経ちました。正直に言うと、すっごく不安です。海神さまと清らかな愛を育むこと、大巫女の務めを果たすこと、神舞を踊れるようになること。どれもせきにん? が大きくて、大変な役目だと思います。わたしの気持ちも身体も、いつかぐえーって悲鳴上げないか心配です。立派なお嫁さんに、立派な大巫女に、わたしはなれるんでしょうか……でもでも、神殿の人たちはだいたい皆さん優しくて素敵なので、そこは嬉しいです。海神さまもそうですよ!

 だから、つらいときはつらい、悲しいときはかなしいって、打ち明けてもいいですか。甘えてもいいですか。わたしは海神さまとほとんど同格の、えらい存在なんですよね。実感ないですけど……だから、他の人の前で弱いところを見せるわけにはいきません。海神さま(とソフィー)以外には。

 もちろん、嬉しいときもちゃんと伝えますから。ちょっとした時間になんでもないお話をしたり、悩み事を打ち明けたりできたらと思っています。最初にも書きましたけど、海神さまのことも知りたいです。わたしたちは夫婦なので。

 今の気持ちを素直に書きました。なんだか偉そうというか、素直すぎというか……変な文章になっちゃったような。あと長いですよね、ごめんなさい。これを書くのに一刻もかかってないんですけど。勢いで羽根を走らせていたら、こんなことに。

 伝えたいことがあるけど会ってお話しする暇がない! なんてときには、またお手紙を差し上げたいです。でも、もしこれ以上送ってきてほしくないとお思いでしたら、すみませんがこの手紙を寝殿の鈴の上に置いてください。あと、お返事はなくても大丈夫ですので。そのためにお時間を取ってくださるのなら嬉しいですけどね。

 おやすみなさい! って、寝るのわたしだけか……。


 レナータより」


 書いてる途中、羽根が止まることなんて一度もなかった。これでいい、きっと大丈夫。

 手紙はソフィーが届けてくれた。こんな時間なのにありがとうね。わたしももう寝よう。朝起きても手紙が戻ってきてないといいなぁ。



 ☆



 朝起きて一番に、寝殿の鈴を見に行った。そしたら紙切れが一枚置いてあって。突き返されちゃったかなって思ったけど、違った。紙切れには四角い字でふた言だけ。


「遠慮せずともよい。余も善処する」


 う、うれしい……!

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