15.川を登りたいフグのお話

「会いたい川魚がいるから、海から川へ登りたい。どうすればできると思いますか」

「ちょっと今のわたしには思いつかないです。ごめんなさい。またあとで、他の潮海衆さんに聞いたり書庫をのぞいたりしてみますね」


 フグさんからの相談に、わたしはそう答えた。ひとりでは難しくても、いろんな人やものの力を借りたら、きっと。


「待ってます。何日かかっても。自分でももう少し考えてみますね」


 フグさんも力強い顔でうなずいてくれた。たぶんそういう動きだったと思う。

 もうすぐ時間だし、今日のお務めはここまで――でもよかったんだけど。ちょっとだけ気になったことがあった。


「そういえば、どうやって川のお魚さんと知り合ったんですか? フグさんが大丈夫なら、ちょっと聞きたいかもです」


 海の魚と川魚が出会うの、なかなか想像できないよね。それに、出会ったきっかけを聞いたら、川登りのやり方を考えるのに繋がるかもって思った。


「いいですよ、あれは――」


 なにかを思い出すように、天井を見上げながら。フグさんはゆっくりと話し始めた。



 ☆



 フグさんのお話は、だいたいこんな感じだった。


 コルニ村が面する海は、周りのほとんどを陸に囲まれていて、潮の流れがあまりありません。そのことから、『鎖の海』と呼ばれておりました。その『鎖の海』のほとりではありますが、コルニ村よりもずっと、ずうっと東に立つ、とある国。数年前、その国を大嵐が襲いました。

 そのときに起きた洪水で、運河から鎖の海へ、たくさんの川魚が流されてしまいました。ほとんどの魚は自力で運河に戻りましたが、稚魚や、洪水で傷ついた魚は。海に取り残されてしまいました。運河と海が交わるあたりでかろうじて暮らすか、そこまでたどり着くこともできず死んでしまうか。どちらになってしまったといいます。

 そんな災いが起きてすぐのこと。ある日フグさんが『鎖の海』を泳いでいると、背びれと腹に傷を負った、メスの魚と出会いました。テンチという種類の魚です。

 フグさんは海の魚ですから、テンチという魚を知っているわけはありません。でも、どうやら川魚らしいことはわかります。川魚は海では生きていけないことも。

 川の水が混じっていないくらいには、運河の終わりから離れた場所です。ティンカは傷ついて、えら呼吸もうまくできていないようでした。


『やるしかないんだ』


 フグさんは覚悟を決めました。長く突き出した背びれに、テンチの腹びれを引っかけて。運河と水が交わる地点まで運んであげようとしたのです。

 フグさんはテンチよりずっと大きいですが、それでも運ぶのは重労働です。えっちらおっちら泳ぎ続けて、くたくたになりながらも、フグさんはとうとうたどり着きました。運河が海に流れ込む場所へ。


「これでもう安心ですよ。川を登る前に、まずは身体をゆっくり治せばいいと思います」

「本当にありがとうございます! あなたは命の恩人です」


 通りかかりに助けた側と、助けられた側。本当なら、二匹の関係はそれで終わりのはずでした。ですが――


「すみません、また様子を見にきました。なんだか気になってしまって」

「いいんです。ちょうど私も、あなたに会いたかったので」


 フグさんとテンチの間には、恋が芽生えたのです。他の魚たちに隠れて逢瀬を重ねる日々。ですがそれも、長くは続きません。テンチの傷が癒え、元のように泳げるまでになったのですから。

 海の魚は海に、川魚は川に。はじめからわかっていたことです。


 悲しい気持ちを隠したまま。二匹は静かに別れを告げました。ですがフグさんには、今もテンチへの変わらぬ恋心があるのです――


 ☆


 お話が終わって。フグさんは帰り際、もう一度わたしに言いました。


「あなたたちの力をお借りして、どうにか運河を遡る方法を見つけたいのです。彼女にまた会うために」


 答える代わりに、わたしは開いた手で自分の胸をたたいた。何日かかるかはわかんないけど、絶対にいい考えを出してみせますから。

 だってフグさん、本当に真剣だったし。テンチさんとの出会いの話は、きれいで悲しくて、物語みたいだったし!


 生き物さんたちがぞろぞろ帰っていってる。わたしも潮海衆のお部屋に戻って、シトロンさんに相談してみようっと。お昼ごはんはちょっとだけ後回しかな。



 ☆



「困りましたね……」


 フグさんのことを報告したら、シトロンさんが頭を抱えちゃった。どうしたんだろう。


「やっぱり、フグが川を登るのって難しいです?」

「難題でしょうが、わたしが悩んでいるのはそれではなく。川のことであれば淡海衆と連携する必要があります。ただ、潮海衆と淡海衆は以前から反りが合わないのですよ。協力が得られるかどうかもわかりません」

「えぇ……どうしてそんなことに」

「育った環境の違いでしょう。淡水魚と海水魚では、身体の構造からして別物です。どんな脅威にさらされてきたかも、生存戦略も、考え方も、なにもかもが異なります。眷属も元はそこらの魚や藻ですから」


 どんな経験をしてきたかが違うから、考え方も違うってことなのかな。


「そもそも淡海衆に会うことすら難しいので。淡水と冠水の違いから、淡海衆の詰所だけはこの神殿からずっと北の川にあるんです。神施を受けた私たちでも、淡水では二、三日しか生きられません。行き来は難しく、念話だけが頼りです」

「念話でしかお話できないのに、そんなに仲悪くなっちゃったんですか……」

「本当ですよね。どちらが悪いわけでもありませんから、早急にどうにかしたいものです」


 ため息をつくシトロンさん。わたしもなにかお手伝いてきたら――って、あれ? ひょっとしてこれ、ちょうどいい機会なんじゃ。


「あの、シトロンさん。フグさんの件なんとかできたら、潮海衆と淡海衆の仲もよくならないかなって、思ったんですけど」


 シトロンさんは首をかしげて考えていたけど。少ししてから、こっちを向いた。いつものきりっとした顔が、ほんのり緩んでる気がする。


「……妙案では? 環境の違いは越えられる。淡水魚と冠水魚の間にも愛情は生まれる。事態の解決を通してそれを伝えられたら、変わるきっかけになるかもしれません」

「ですよねですよねっ! フグさんたちを利用するみたいでごめんなさいですけど」

「気に病む必要はないと思いますよ。『三叉槍はひと突きにて三尾獲る』ですから」


 えっ? シトロンさん、なんて言ったんだろう。


「それ、どういう意味の言葉ですか……?」

「すみません、失礼な真似を。海神さまの得物である三叉槍は、先が三つに分かれております。レナータ様も謁見の際ご覧になったと思いますが」

「覚えてます。すっごく迫力あって、槍の先を向けられた時、怖かったです……」


 ぶるぶる。あの感じ、たぶんずっと忘れないと思うよ。


「あれを狩猟に用いれば、ひと突きで三尾の魚をしとめることも可能ですよね。それゆえ、『三叉槍はひと突きにて三尾獲る』とは『ひとつの行動でふたつ以上の得をする』ことを言います」

「なるほど……って、海神さまが漁を?」


 漁師さんみたいにするのかな。でも海神さま、ご飯食べないみたいだし。初めてお会いしたときは置いておいて、武器振り回しそうな印象もないし。


「それはないので安心してください。主様の穏やかさは昨日の今日でもお分かりかと……話がずれましたね。フグ氏の件を解決できればこちらの得にもなりそうでよいですね、と言いたかったのです」

「そうなったらいいなと思います!」

「ではさっそく動きましょう。潮海衆の筆頭と念話をつないでみますね。それから、フィヨルドさんが戻ってきたら話通しておきます」

「お願いします!」


 シトロンさんの身体がぼんやり光る。聞こえてきたのは男の人の声……と、その後ろでなんだかワーワー騒いでる声。


「あぁ~……誰やァ?」

「淡海衆のシトロンです。何ですかその声は」

「あんたかよォ~、つまんねーの。で、俺ァ普通だよ、フツー。な?」

「また昼間から酒ですか……」

「いやぁ人間どもの叡智と執念に感謝だよな! 旨ぇし気持ちよォなれるもん作ってくれてよぉ。部下と昼飯食ってることの何が悪いってんだ!」


 内容はぐちゃぐちゃ、声はへろへろ。

 なんだかすごく、だめそうです……。知らない人相手に失礼すぎるけどね。


「用件だけ言います。酒が抜けたら念話繋いできてください。あなたがたとの連携が必要な案件が舞い込んできましたので、相談したく。絶対ですからね」

「はいはい、わかっとるわかっとる」

「絶対ですよ! あと、部下のみなさんにも注意しておいてください。さっきから騒ぎすぎでうるさいです」


 シトロンさんを包んでいた光が、一瞬で消えた。


「そういえばあいつらクソ野郎だったわ……!」

「シトロンさん、そのっ、お口が」

「今の私から罵倒以外の発言が出ると思います? 『どちらが悪いわけでもない』とさっき言いましたが、訂正します。あっちのほうがより悪いです」


 シトロンさんの身体がどんどん赤くなってく。あっ湯気が。

 完全にお怒りだ。ちょっとわたしには止められないかも……。


「あいつら、主様がお忙しすぎて目が届きにくいからって好き勝手しやがってー! 最低限のお勤めだけして、あとは酒盛りしたり遊び惚けたりしてるんですよ。今みたいに」

「それはよくわかりました……」

「本当に最低限しかしませんからね。淡水魚からの苦情が多いんですよ。頼りにならない」

「でも、一緒に解決しなきゃですよね。事情をお話ししたら淡海衆さんたち頑張ってくれるかもですよ?」


 今の念話でちょっと不安にはなっちゃったけど。フグさんのことも、潮海衆と淡海衆のことも、なんとかしたい気持ちは変わらないもん。ですよね、シトロンさん。


「そうですね。すみません、危うく我を失うところでした。今後とも、私が真っ赤になっていたら止めてくださると助かります」

「任せてください!」


 思いっきりうなずいた。なんだかシトロンさん、いろんな人に振り回されてる気がする。フィヨルドさんとか。

 ここの生活にもうちょっと慣れたら、シトロンさん誘っていっしょになにかしたいな。あの人にゆっくりしてほしくなっちゃった。


「今日はここで失礼しますね。ありがとうございました!」

「はい。また明日もよろしくお願いいたします」


 シトロンさんにお礼を言って、部屋を出る。お昼ごはん食べて修練に備えなきゃ。

 ……そういえば、結局フィヨルドさん帰ってこなかったなあ。

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