6.清らかな愛ってなんだろうね

「何もいきなり地神の蔵へ向かえとは言わぬ。話し合いで片が付けばよいが、争いになる可能性も十分にあるのでな」

「……争い」


 って、なんだっけ…………ええっ!? 

 縁がなさすぎる言葉だったから、ちょっと混乱した。

 わたしが? 戦うの? 経験も勇気もないし、こわいよ。そもそも、ただの村娘だったわたしに、どうやって戦えっていうんだろう。


「怖がるでない。神の伴侶とは、神と同格の存在なるぞ。修練さえ積めば、余に匹敵する力をも振るえるだろう。地を割り、嵐を起こすほどのな」

「……そんなこと、したくないですけど」


 それはいやですって、正直に言った。とんがった声が出た。

 でも、海神さまは全然驚いてなさそう。低くて力強い声のまま、ゆっくりと説明してくれた。


「で、あろうな。そうすることも可能、というだけの話よ。汝に頼むのは、神を崇め称えるための歌と舞踊を奏す者たち『神代の巫女』の筆頭――『大巫女』となること。その歌舞は、神をも含むあらゆる存在を癒し、平和をもたらすのだ。反面、万物を貫く槍ともなりうるがな」

「歌と踊りなら、少し習ったことがあります!」

「そうか。多少なりとも、経験があるに越したことはない。大巫女は現在、ユミアという者が務めておるが、本来は余の伴侶が就くのが決まりだ。地神やそのしもべと対峙できるよう、ユミアの元で修練を積んでほしい。突然で誠にすまないが、どうかこの通り」


 深く頭を下げられた。かたん、がらがらがら。冠の落ちる音がする。あの、欠けたりひび入ったりしてないですよね。大丈夫ですか……?

 そんな状況でも海神さまは頭を上げようとしない。顔も見えないから、どういうお気持ちなのかもわからない。

 とにかく、なにか声をかけなきゃ。


「頭上げてくださいっ。あの、神様なんですから、いつでもどーんとしていてほしいです」


 ちょっと言い過ぎたかな……。


「……面目ない」


 あっ、思ったより効いちゃった。海神さまが肩を落としてしょげてる。大きな身体が、ずいぶん小さく見える。

 慌てて謝ろうとしたけど、海神さまは調子を取り戻されたみたい。威厳のある声で話し始めた。



「余の存在を保つためには、神核だけでは足りぬのだ。他に必要なもの、それは」


 本当に調子を取り戻された、のかなぁ……急に固まっちゃった。あれっ、お顔が赤くなってきてるような。必要なものって、そんなに言うのが恥ずかしいもの、なの?

 海神さまはそのまま、10秒くらい止まってから。ようやく、とっても言いづらそうに口を開いた。


「その、だな……清らかな愛、なのだ」

「清らかな愛!?」


 結婚式で神父さんが言いそうな言葉が出てきて、びっくりしちゃった。なんだか、さっきからずっとびっくりさせられてるような。


「復唱をするな……なおさら妙な印象になるではないか。打算や邪心などなく、お互いがお互いを想い、大事にする。それこそが清らかな愛だという」

「すてきです!」


 わたしがもらえなかったもの。あったらいいなと思うもの。


「まあ、悪いことではないな。余にはちとわからぬが……信仰と近い概念なのだろう。一途に想い、尊敬する。理屈でなく信ずる。その点で両者は似ているようだ」

「海神さま、信仰する人が減って弱っちゃった、って言ってましたよね。愛があれば、信仰の代わりになる?」

「そのようだ。だが……今、余らの間に愛はあるか? ないであろう。こちらの都合と打算で招き入れた以上、なくて当然だ」

「大丈夫ですよ! 海神さま、悪いひ……ちがうちがう。悪い神様じゃなさそうですし!」


 本当だよ、本当。見た目よりは怖くなくて、お優しそうだし。でも、愛していますとかそれ以前の問題なのは、おっしゃる通り。だって、さっき初めてお会いしたところなんだから! 

 新しい人に出会うと、信じていいのかなってちょっと不安になっちゃう。……また裏切られたら嫌だもん、


「ならよいが、決して気負うな。人と神は全てにおいて異なる。生半可な覚悟で接すれば、かえって互いに傷がつくだけだ」

「なら、海神さまのことはどうやって愛したらいいですか?」


 重たい覚悟を決めるとか、別の愛し方をするとか。そもそも愛するってなんだって言われたら、ちょっと答えに迷っちゃうけど、どうにかして愛し愛されないと話が始まらないよね。

 わたしのこんな質問にも、海神さまは丁寧に答えてくれる。


「ひとつの仕事道具を長く使っていれば、愛着も湧く。それと同じものを余に向ければよい」


 ――それは、納得できる答えじゃなかったけど。だって、悲しいもん。思わず声が大きくなった。


「海神さまは道具じゃないですっ! たしかに人間でもないですけど、すっごく感情豊かだし。わたしよりずっと物事を考えておられます。絶対そうです」

「余は道具なり。創造神のもと、世界を円滑に回すための道具。感情など無用だ」


 顔はコワモテなままだけど。すごく、すごく無理をしているみたいな、震えた声。

 海神さまは、なんだか遠い目をしていた。まるで――わたしじゃない誰かのことを考えているみたいに。

 今これ以上聞いても答えてはくださらない。そんな気がした。


「わかりました。無理に愛したりはしません。一歩ずつ、一歩ずついきます。……でも、ひとつだけ約束してください」

「何であろうか」


 今は踏み込まないけど、でも、


「海神さまも、いつかわたしを愛してくださいね。ちょっとずつでいいので、お互い寄り添えるように」

「……善処しよう」

「あれ? わたしが間違ってなかったら、先にお願いしてきたのは海神さまのような……じーっ」


 ちょっとからかってみる。よくないのはわかってるけど、重たい空気吹き飛ばしたかったし。それに――


 ――振り回されてるときの海神さま、絶対かわいいって思ったから! そして思った通りかわいい!


「か、神をからかうとは。わかった、約束しよう」

「やったぁ!」

「喜んでおるところ悪いが、先ほども述べたように事態は一刻を争う。汝よ、余に残された時間はおよそ幾らだと思うか?」

「ええっと……10年くらい、ですか?」


 何億年も存在してきたんだし、一刻を争うとしてもこれくらいの時間はあるんじゃないかなあ。


「気持ちはわからんでもないが、違うな。悪ければ1年、保って1年半と見ている。真に一刻を争うのだ」


 ――思ったより、時間がなかった。


「その間に神核を取り戻して、しかも心から愛し合う関係にならなきゃいけない、ってことですよね」

「然り。ひどく難題だが、そうも言ってはいられぬ。改めてレナータよ、余が伴侶としてこれからよろしく頼む」

「はい、よろしくお願いします!」


 元気にあいさつした。しっかり頭を下げた。想像よりもだいぶ大変そうで、やることが大きそうで、不安もいっぱいあるけど。ここがいい場所なのかもわかんないけど。それでも、花嫁(わたし)にしかできないことがたくさんあるみたいだから。精いっぱい頑張って、どうにかするんだ。


「うむ、何卒。さてこの後だが、カストに神殿の案内を頼んでおる。広大ゆえ、見て回るのは汝の暮らしに深く関わる場所のみでよいと指示してある。汝の部屋であったり、修練場――祭壇の間であったり」

「自分の部屋……物置じゃなければどんなとこでもいいです!」

「余程、ひどい暮らしをしていたのだな」


 ため息をつく海神さま。同情してくれているのかも。


「カストが部屋の外で待っておる。余はこの後も、別の者――いや物かもしれぬが……いずれにせよ、新たな眷属を出迎えるという用があるのでな。次に会うのは余らの寝殿であろう。夫婦としての重要な決め事があるゆえ、覚えておくとよい」


 夫婦としての決め事……? なんだろう、さっき話した以外にもなにかあるのかな。

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