4.海神さま、土下座慣れてませんか?
部屋の中、赤い敷物をたどった先にある長くて広い階段の、奥の奥。小さなテラスに海神さまは立っていた。上半分が人間で、下半分が魚の姿をした、大きな大きな海神さまが。
髪の毛から尾びれまで、全身が青っぽい銀色で、うろこがぼんやり光っている。
絶対に逆らってはいけない。とっても強くて厳しい。それがひと目でわかるくらいのオーラを放つ神様が、金色の槍をわたしに向けている。よく見ると、槍の先が3つに分かれていて、それぞれが明かりに照らされて光っている。怖いくらいにギラギラって。いや、実際怖いけどね。わたしに向かって槍が飛んで来るんじゃって思ったけど、さすがにそれはなくて。
代わりに、また声が聞こえた。部屋が軽く揺れるくらい、よく響いて、迫力のある声。
「余は二十年に一度、汝らの住む地から嫁を
いくら海神さまが大きくても、表情は遠すぎてよくわかんない。でも、声が代わりに教えてくれた。迫力に紛れて、ちょっとだけ落ち込んだ、海神さまの声が。
敷物の両側に立っている眷属さんたちも、少し下を向いてしゅんとしてる。すごく申し訳なさそう。
そっか、わざと厳しくあたってるわけじゃないんだ。義母さんと義姉さんよりやさしい。
「余が嫁を娶るのは、なにもコルニ村との契りだけが理由ではない。遠くない間に、汝には
「は、はい!」
「震えはあるが、なかなか芯の通った響き。よい返事だ」
「――ありがとうございますっ!」
「よいのは返事のみ――とならないことを願う」
「がんばります……」
ほめられた、と思ったんだけど。声色も言うことも、変わらず厳しくて。カストさんの言っていた通りだ。
「さて、手短に済ませよう。余らも暇ではないのだ」
槍をわたしに向けるのをやめて、杖みたいに持ち替えて。海神さまは訊いてきた。眷属さんたちもじっとしていて、静かな部屋。響き渡る声に、緊張する。
「汝、コルニ村のレナータよ。改めて問う。地上とは何もかもを異にする、この広大にして深淵なる海原で、余と添い遂げる覚悟はあるか。神にふさわしい妻となる意志はあるか。ないならばその旨を臆さず言え。『汝が花嫁に選ばれた』という事実を消した上で、即刻送り還してやろう」
「それは、別の子が花嫁に選ばれた、ってことになるんですか?」
質問より先に、覚悟があるかどうかを言わなきゃいけない。わかってるでも、わたしが楽になるために関係ない子を巻き込むなんて、嫌だったから。
「安心するがよい。花嫁に選ばれた者の名を思い出せないよう、村の民の記憶に封をするのだ。安心したか?」
「はい、気遣ってくれてありがとうございます!」
「気づかいではない。無用な混乱を避けるためだ。納得したならば、余の問いに応えよ。覚悟は、あるか?」
さっきと同じ、重い声。それでも、迷いなんてしなかった。
「あります! 花嫁修業ならいくらでもします。だって――あの家に、コルニ村に戻るほうがよっぽどいやですから」
一度は死んだと思ったんだよ? 新しい場所で生きられるなら、がんばっていかなきゃ損だもん。それが、知り合いなんてひとりもいなくて、お魚さんだらけの海底でも。嫁ぐ先が神様でも。
「――ほう。その言葉、後悔しないようにな」
そう言った瞬間、海神さまが
部屋のあちこちを見ても、お姿は見当たらない。急にどこへ――って思ったけど。
眷属さんたちが、笑っている?
「前ですよ、前」
「前って、なにも――あれ!?」
突然、泡が沸いた。音なんてしなかったのに。
目の前が真っ白に染まって、それが消えたあとには――海神さまが、わたしの視界をふさいでいた。
わざわざ、近くまで……?
すぐそばで見ると、本当に縦にも横にも大きくて。人間の上半身も魚の下半身も、ごつごつしている。そんな海神さま――あれ? 今、ちょっとよろめいてなかった? 気のせいかな。神様はそんなすぐ倒れそうにならないよね。
首に力を入れて見上げると、頭からトゲみたいな角がいくつか生えた、想像通り怖そうな顔。目が合った。視線を逸らしちゃうのは、よくないけど。なにを言われるか怖いな、どうしよう――と思っていたら。
「これから、夫婦としてよろしく頼む」
「……はっ、はい! よろしくお願いしみゃすっ!」
普通に礼儀正しくあいさつされた。頭下げたりはされなかったけど。
びっくりして、ちょっと噛んじゃった。ごめんなさい。
「急な話で、わからぬことばかりではないか? 余が直々に、ここでの暮らしや汝の役目などを説いてやろう」
「助かります! いろいろ知りたいことはあったので」
「気になることは、何であれ尋ねてよいからな。さて、我がしもべよ、式は終わった。急ぎ持ち場へ戻れ。今より夫婦の時間である」
「はっ!」
「我らが主よ、その言い方は少しばかり意味深長では?」
「さすがに不敬ですぞ! ……いや、思いましたがね」
にぎやかなおしゃべり。
敷物の上をぞろぞろ歩きながら、眷属さんたちが出て行った。小魚とか海藻から、細長くてきれいなお魚さんまで。なんだか、見てておもしろかった。
おしゃべり声が遠くなっていって、部屋にはわたしたち、ふたりだけ。逃げるつもりなんてない。でも、やっぱり心細くて。広い部屋なのに、狭く感じる。
「緊張が見えるな。この姿を畏れているのであろう?」
それは一瞬だった。さっきまでの大きな海神さまが消えて、背が高めな男の人が代わりに立っていた。
――海神さま、人間の姿になれるんだ。
さっきも上半身は人間だったけど、下半身もそうなったってことかな。
するどい目で見つめられる。やっぱり身体がきゅっとなるけど……今、わたしを気遣ってくれたんだよね。神様には、なんでもお見通しなのかな。
「早速話を始めようではないか。ただ、その前に――なにを覗いている、我がしもべよ」
海神さまは、人間が使える大きさになった槍を、部屋の入り口に向けた。その先には……眷属さんたち? わたしたちが話すところ、見ようとしてたの? 見る理由、なんだろう。
「ひいっ! し、失礼しました!」
「至急務めに戻りますので、お許しを!」
「おもしろいもの見れると思ったのにな~!」
真面目なお返事が多いけど、楽しそうに離れてく声もする。なんだったんだ……あとで会ったら聞こうかな。
「邪魔が入ったな――さて、」
普通に話が始まると思ってた。変わった様子なんてなかった。でも――
槍が消えて、ひざが曲がって、手と足を同時について。あんまり速いから、一瞬なにが起きているかわかんなかったけど。
「今の余は、力の大半を失っているのだ。もはや姿を保つのも危うい。だからすまん、余の存在を維持するため、力を貸してはくれまいか! 身の危険を伴うやもしれぬのだが……頼む!」
がっちりした身体を窮屈そうに縮こめて、すごく、ものすごく必死な海神さま。
な、なんで!? さっきまで立派な神様だったのに。こんな慣れたみたいな動きで。たしかこれ、土下座って言うんだよね――
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