3.神様は洞窟の先にいるらしい

「ええ。早速参りましょう。婿殿――いえ、我らが主はお待ちです」


 なにもかも謎だけど。魚だから、表情なんて見えないけど。カストさんが、心底楽しそうに笑った気がした。

――って、なにか大事なことを忘れているような。


「ねぇ、これどうするの! これ!」


 手枷と足枷はめられてるし、足枷には重しまでつけられてるんだった! これじゃ全然動けないじゃん!

 海の流れに合わせて軽くゆらゆらしてるけど、それだけ。どうにもなりそうにない。せっかく迎えにきてもらったけど、なぁ……


「はっ! わたくしとしたことが。花嫁は拘束されて下りてくることなど常識だというのに」

「カストさんにも無理ですか……?」

「いえ。なにも問題はありません。では、失礼――」


 そう言いながら、わたしの斜め上に向かって近づいてきて。その大きなヒレを、わたしの手首に巻きつく枷に当てて。


「ふうッ!」


 視界の上のほうで、くるんっ、と縦に一回転するカストさんが見えた。同時に、手枷の絞めつける感じが消える。やった、腕が自由になった! 泳ぐときみたいに、腕を交互に大きく回してみる。海の底だからかな、腕にすごく力がかかって、回しにくいけど。それでも、自由になった。

 同じように、脚も。



「ありがとうございます。わっ、泳げる!」

「わたくしたち眷属は、我らが主のご加護を受けております。この程度は造作もございません。さっそく向かいましょう」

「は、はい!」


 カストさんはそっぽを向いて、今にも泳ぎだしそう。

 なんだかそっけないというか、あっさりしてるというか……海神さまのご命令でやってるんだろうし、仕方ないのかな。なんにもわからないから色々聞きたいんだけど、話しかけて大丈夫かな。


「そうだ。すみませんが、手枷だけでも持っていただけますか。海中に人工物――神工物もそうですが――を残すと、我らが主のお叱りを受けますので」

「わかりました! それ、重そうですもんね」


 枷だけならそうでもなさそうだけど、重しは重いから重しだもんね。カストさんはそれを運ぶだけで精一杯なんだと思う。手足もないし。だから、枷のひとつくらいなら持つよ。


「ついてきてください。言ってくだされば速度は加減します」


 枷を手にもって、カストさんのうしろを泳ぎだす。村の子どもたちはみんな漁師さんに泳ぎを教わるから、わたしもちょっとなら泳げる。

 すいーっ。手足のひとかきで、びっくりするくらい滑らかに進んでく。わたし今、ドレス着てるよね。全然そんな気がしない。

 もうひとつ気づいたことがあって、思ったほど水が冷たく感じない。今の時期――六の月なら、海はもっと冷たいはずなんだけど。

 まあ、海神さまのところに着いてからでいいや。今はもう、ついていくだけで必死だから!

 速さ自体は加減してくれててそうでもないんだけど、あちこち気になってしまって。その間においてかれちゃう。……わたしが悪いね。


 でも、ちょっとは仕方ないと思う。

 だって、海底ってもう少し広々してると思ってたもん。岩とかサンゴ礁があちこちで山になって、ごつごつしてる。気がつくと両側が岩の壁になってて、裂け目の間を進まなきゃいけなかったり。

 それから、海の底は地面みたいに硬くなくて、泥とか貝殻が積もってるんだね。ちょっと疲れたから休憩させてって頼んで、そこに足を着こうとしたら、カストさんに止められた。


「そんなものはありませんよ。泥に足を取られるだけです。浮いて休んでください」って。


 こんな状況でよく浮かれてるなって自分でも思うよ? でも、さっきまで重しで海に沈められてたんだもん。ちょっとくらい浮いてもしょうがないよ、なんちゃって。

 まあでも、死ななくて済んだみたいっていうのは、純粋にうれしいよね。


 海の中を進んでいくと、カストさんが急に止まった。だれかと話をしてる?


「おっカストじゃ~ん。その子が今回の花嫁?」

「そうだ。無事に送り届けねば」

「それでお役ごめん、あとは海神さまといちゃついててくれよ~ってわけっしょ? どう見てもキミの好みじゃなさそうだもんねェ」

「言ってしまえばな。おかげで枷を斬りほどくのもちょいと力が要った。これが理想の姉を救うためならば、水のごとく裂いてみせるのだが」

「ほーんとぶれない男だね~。それでもきっちり仕事こなすのはさっすがァ! じゃ、その子はやく連れていったげて! オレっちはプリティーガールを探しに行くわ!」

「そうか。あんま嫌がられん程度にな」


 相手はあの、虹色うろこの派手な魚さん? 話し方がなんか、すごく軽そう。カストさんも口調が丁寧じゃないけど、こっちが素なのかな。

 話はすぐに終わって、カストさんがまた泳ぎだした。あれ、あのお魚さん、わたしに頭下げてなかった? そんな動きだった気が。意外ときっちりしてるのかも。


「さっきの人……ひと? でいいのかな。お友達ですか?」

「いえ、ただの知り合いです。それより……さっきの会話、聞き取れたのですか?」

「えっ、は、はい! なんだかすごく面白そうな人でした!」

「おぉ……。レナータ様は我らが主と契りを結んだため、神施しんし――主がもたらす種々の恩恵を受けられます。そのひとつに、『海の生物の声を聞き、会話ができる』という施しがあるのです」

「だから急に聞こえたんですねー」

「ただ、契りを結んでから神施が行使できるまでの時間には個体差があります。これほど速く使えだすとは、レナータ様には才能がおわりですよ」

「ほんとですか!? 村にいたときは役立たずってさんざん言われたんですけど、わたしにも得意なことがあったんだ。すごくうれしいです」


 泳ぎながらカストさんとお話。たしかに、すれ違う魚がなにを言ってるか、わかるようになってる。


「こわかったよー!」

「よしよし。もう大丈夫だからね。まったく、あのウツボしつこいんだから」


 親子なのかな。襲われかけて逃げてきた、みたいな会話とか。


「うめぇ! この貝うめぇ!」


 お食事中の、幸せそうなフグの声とか。

 暗くて視界はよくないけど、いろんな魚がいて、いろんな生き方をしている。やっぱり、海って大きいなあ。


 ――って思ってると、カストさんが急に左へ曲がって、洞窟みたいなところに入っていった。海の底にも洞窟ってあるんだ。

 今までいた海よりもっと暗い。入り口がそんなに大きくなかったから、たぶん狭い。そんなところを泳ぐの、正直怖かったけど……途中からは、びくびくしなくてよくなった。


「――あれ、これって」


 だって、明かりが見えてきたから。これは――シビレウナギの入ったかご? これを灯り代わりにしてるんだ。近くまで行ったら、見えない壁みたいなものにぶつかった。ビリビリしないようにしてくれてるんだ。

 洞窟は左右だけじゃなくて、上下にも曲がってたから、とっても助かる。


「もうすぐですよ」


 こっちを振り返って、カストさんが言う。

 海神さまが近くにいる。旦那さま――なんだよね。いまさら、緊張してきた。


「大丈夫です。我らが主を信じなさい」


 ずっとそっけない感じだったカストさんが、少し、優しい声になった。


「そうだそうだ!」

「信じてあげて」


 すれ違う魚たちも、岩壁に貼りついたヒトデも言ってくる。……あれ? 洞窟の外より、どの生き物も小さくない?

 小さいから弱いってわけじゃないだろうけど、またちょっと不安になってきた。

 どうしよう。今のわたし、釣り竿の浮きくらいゆらゆらしてる。


「着きましたよ。さあ、どうぞ中へ」


 急に岩壁が消えた。同時に、ぷかぷか浮く感じもなくなった。相変わらず水の中なのに、普通に歩けてしまっている。びっくりしすぎて緊張が吹き飛んだ。

 開けた視界の先。洞窟の中に、こんな場所があったんだ。

 そこは広場だった。地面――海底だからちょっと違うけど――は、泥じゃなくて、磨かれた岩で。あちこちにシビレウナギの明かりがあって、水がきらきらまたたいている。

 そんな広場の真ん中に、立派な四角い建物が建っていた。

 岩とサンゴを積み重ねてできているみたいだけど。きれいに磨かれて、パッと見たらレンガ造りみたい。


 ここが、海神さまがおわすという海底神殿か。


 すーっと泳いでいくカストさんのあとを追って、正面の扉に着いた。


「お開けしますね」


 カストさんが、大きなヒレを左右に振る。ガガガッと大きな音を立てて、扉が開いた。脚がぶるぶるする。それでも、一歩踏み出す。


 神殿に入ると、左右と正面に廊下が伸びていた。迷うかなと思ったけど、大丈夫。一番広くて、天井が高い廊下を進めばいいよね!


「これ、正面ですよね」

「ご名答。我らが主がお待ちです。わたくしたち眷属をおそばに従えて」


 きらきらに磨かれた、石造りの立派な廊下を歩く。水中なのに、カツッ、カツッと足音が響く。誰もいないから余計そう感じるのかも。やがて、アーチに岩をふたつはめ込んだみたいな、立派な扉が見えてきた。アーチの周りを飾っているのは……大きな真珠? 明かりに照らされて、白くきれいに光ってる。

 この先、だよね。


「最後は、ご自身でお開けください。大丈夫です。神施を受けているレナータ様なら、この扉を開くことなどたやすいはず」


 両方の扉に、えぐり取られたみたいなへこみがある。これに手をかけるんだ。ぎゅっと握る。力を込めて引く。一歩、二歩、うしろに下がる。


 扉は、本当にあっさり開いた。入ろうとした、そのとき。


「やっと見えたか」


 低くて太い声がした。叫んでる感じじゃないのに、身体の芯まで響く、声。ああ、逆らっちゃいけないんだなって、直感でわかる声。神様に、ふさわしい声。


 四角くてだだっ広い部屋の真ん中に、『神食みの儀』のときみたいな赤い敷物が伸びていて。声は、その先からした。


なんじ、レナータと言ったな。ここでの暮らしに、そして余が伴侶に耐えうる器か、見定めさせてもらおう」


 敷物を目でたどると、途中に広い階段があって、さらに目で追いかける。顎を上げて、上のほうを見る。


 ――神様がそこに立っていた。上半分が人間で、下半分が魚の姿をした、大きな大きな海神さまが。

 手にした槍の先端を、わたしのいるほうへと向けて。

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