2.海の藻屑になって……ない!?

 もういないお父さん以外で、わたしに優しくしてくれた数少ない村の人、ハッシュおじいさん。でもそれは、本心じゃなかったみたい。


「……そう、だったんだ」


 味方じゃないとわかったんだから、本当は言葉遣いも変えたほうがいいんだろうな。でも、ちっちゃいころから染みついたものは、簡単には変えられないよ。ハッシュおじいさんもそれで怒ってはない感じだ。見たこともない冷たい顔だけど。

 信じてた人のこんな表情を見るのは、すごくつらい。


「別に、あんた自体を嫌ってるわけじゃあないんだよ。少なくともわしはな。元気で心根の優しいところはあんたのよいところ。半分くらいは本心で接しておった」

「じゃあなんで」

「古い唄にもあるじゃろう。『コルニの村の両天秤 右機織り女はたおりめ、左漁師』とな。この村に女子として生まれた以上、機織りができねば居場所はない」

「それはわかってるよ。ほかの村に嫁がせるとかはなかったの」


 元気と人当たりにはちょっと自信がある。遠くに行っても、なんとか頑張れるとは思う。


「なにを言うか。『海神さまの花嫁』は大変な名誉じゃぞ。今までも、気立て良しと村でも評判の娘ばかりが花嫁に選ばれておる。例えば――おや、なぜだか思い出せぬが。ともかく、最後に大役を果たしとくれ」


 ふさふさな白髪をさっとなでて。なに考えてるかわかんない、淡々とした口調でそれだけ言って。ハッシュおじいさんは家の中へ引っ込んでいった。ばたん。古い木の扉が閉まる。

 もう、あの中に入らせてもらえない。おじいさんが趣味で創ってた木彫り細工たちを眺めるの、好きだったのに。



 ☆


 今日からは特別に水浴びをしてもいいって義母さんに言われたから、しっかり身体を洗い流して。村長さんから渡された香水をつけて、力の付くものを食べて――と、身だしなみと健康に気をつけさせられて、もうひと月。

 三の月一日。結婚式――生贄の儀式だけど――の日は、思ってたよりすぐにやってきた。


 朝早くに起きて、義母さんと義姉さんと一緒に、村の教会に向かった。

 港のそばにある、小さいけどきれいな教会。何柱かいる神様の中でも、海の神様を信仰する『オシアン教』の教会。ステンドグラスとか立派な壁画なんてなくても、ここで結婚式をしたいと思える場所。

 ……こんな形でさえなかったらなあ。


 毎週末に集会が開かれる場所――聖堂の隣に、司祭さまが暮らす建物があって、そこが控室代わり。中でお化粧や着付けをされている間も、外がどんどん賑やかになってく。人がたくさん集まっている。村の大人はだいたい参加するんだって。わたしが生贄にされる瞬間を、みんなが見守るってこと。なにそれ。趣味が悪いよ。


「よし、お化粧できたわよ! こっちに姿見があるから見てごらんなさい」


 着付けとお化粧をしてくれてるのは、司祭さまの奥さん。このときのために日頃からファッションのお勉強をしているんだって。

 言われた通り、姿見の前に立ってみる。


「わあっ!」

「レナちゃん、似合ってるわよ。海神さまに捧げるのにふさわしいわ」

「あ、ありがとうございます?」


 思わずテンションが上がって、飛び跳ねちゃった。だって、理想のお嫁さん姿だったから。

 波に見立てたフリルが付いた、薄い水色のドレス。村一番の機織り女さんが三週間もかけて織ってくれたそれは、きれいに磨かれた、色とりどりの宝石――で飾られている。

 栗色の髪は、花と真珠があしらわれた白いヘッドドレスで、お団子(シニヨン)に。

 お化粧もばっちり。そばかすがあって悩んでたんだけど、やり方次第で全然目立たなくなるんだね。真っ白できれいだ。紅の差し方もちょうどいいし。

 腕飾りが魚のひれの形なのはちょっと趣味じゃないけど、そういう儀式だもんね。


 全体的に、わたしがわたしじゃないみたい。海のお姫さまって感じで、本当に、本当にすてき。


 だからこそ――これが最後の姿じゃなかったら、どんなによかったかなあ、なんて。

 脚が震えて、床からかたかた音がする。


 花嫁の出番は、儀式の最後。それが終わったら大宴会になるはずだけど。儀式としてはわたしが締めくくる。

 司祭さまの説教がかすかに聞こえる。海神さまがどれだけわたしたちを支えてくださっているか、海神さまに対してふさわしい信仰の態度、日々をどうやって生きるか……とか、たぶんそんな感じ。

 これが終わったら、いよいよだ。


 海神さまがくれる海の恵みで、コルニ村は生きている。わかってる。

 でも、わたしの命をはいどうぞ!って素直に思えるかは、別の話だよね。最後までもやもやしたまま、海に沈むことになりそうです。

 海神さま――――本当に、ごめんなさい。


 ぬいぐるみのソフィーを連れてきてたら、こんなに不安にならなくて済んだかな。



 ☆



 結婚式の最後の演目、『海食みの儀』が行われるのは聖堂じゃない。

 教会からの長い石段を下りる。見下ろした先には、小さな港。普段はたくさんの釣り船が並んでるけど、今はごてごて飾られた木船が一隻あるだけ。代わりに、儀式の参加者がみんなで待っている。わたしひとりを待っている。

 ドレスのすそを引っかけないように、大きめに足を上げて歩いて。一歩ずつ、歓声が近づいてくる。


 下りきったところに小さなステージが作られていて。港へ着いた瞬間、たくさんの拍手に出迎えられた。


「今日この日の主演を、暖かく迎え入れようではありませんか。20年に一度の『海神さまの花嫁』。今年の村役会議にて満場一致で選ばれし彼女こそ、こちらのレナータ嬢にございます。ご挨拶を」


 のっぽでおヒゲの豊かな司祭さまが、丁寧な口ぶりで言う。でも、目つきがあんまり好きじゃない。しめしめ、みたいな。期待が隠せてない感じの。

 わたしはゆっくり頭を下げて、礼をする。ヘッドドレスが落ちないように。


「ご紹介に預かりました、レナータです。本日はわたしのためにこのような儀式を開いてくださり、誠にありがとうございます。どうか最後まで見届けてくださいね」


 覚えさせられた台詞を口に出す。たくさんの人前に出る緊張より、心から言ってるように演技するので必死だった。

 また起こる拍手。見渡す限り人だ。本当に村の人全員集まってるんじゃないかってくらい。

 みんなが笑っている。でも、それはきっと、祝ってるんじゃない。だって――結婚式じゃなくて、面白くて残酷なショーを見に来てるみたいな、悪い顔なんだから。みたいなというか、そういう気持ちなんだろうけど。

 魚市場の親父さん、隣の家のレオネ君、ハッシュおじいさん。ほかにも知ってる人ばかり。義母さんと義姉さんも、当然のようにいた。

 一番前の特等席。村長さんと並んでる。たぶん、『花嫁』の家族だから。揃って、見覚えのないドレス――わたしを差し出した見返りのお金で買ったのかな――を着て。わたしと張り合うみたいに。すごさを見せつけるような顔で。鼻高々、って言うんだっけ。血はつながってないにしても、家族が海に沈むっていうのにね。


 たしかにふたりとも綺麗。でも……正直、衣装が立派すぎて釣り合ってない気がしちゃう。わたしだってそうかもしれないけど。ちょっといやな気持ち。

 顔に出さないよう我慢して、儀式を続ける。といっても、すぐ終わるけど。わたしがするのはひとつだけ。


「レナータ嬢のご挨拶でした。ではこれより、誓いの儀を執り行います」


 司祭さまの声と同時に、教会の修道女さんが歩いてくる。両手で、大事なものを持って。

 差し出された『それ』を受け取る。

 小さくて軽いはずなのに、手にした瞬間、ずっしりときた。まるで岩を持ったみたい。ただの、銀の首飾りなのに。

 ――いや、ただのって言ったらバチがあたるよね。だってこの首飾りは、海神さまから剥がれ落ちた、うろこで作ったって話なんだから。


「汝、此の地を潤してくださります海の御主に、身も心も捧ぐことを誓いますか」

「はい、誓います」


 答えて、首飾りを身に着ける。ぴかぴかに磨かれたひし形のうろこが、胸で小さく、きらりと光った。水色と銀。わたしのドレスに、不思議と似合っていた。

 海神さまとひとつになる。指輪の交換やキスの代わりに、これで誓う。


 わたしの役目はもう終わり。祝福の声を浴びながら歩き出す。ステージから港に留められた木船までの、赤い敷物で作られた道を。いっそ、お姫様気分のほうがいいのかな。勘違いだとわかっていても、そのほうが、最後まで幸せで。

 一歩進むごとに潮のにおいが濃くなってく。風も強くなって、ドレスのすそがふわり広がる。生まれたからずっと一緒にいたこの海で、わたしは死ぬんだな。


 ――いやだよ!!


 口には出せない。船着き場に着いて、追ってきた人たちのほうを振り向いて。司祭さまのお弟子さんが、1杯のグラスを持ってきた。中には、海みたいに透き通った水色の果実水。でもそれは、溶けた眠り薬の色。


「これより、わたしレナータは『花嫁』として海神さまに嫁いで参ります。海神さまのご加護のもと、コルニ村が今後とも末永く栄えますように」


 グラスを受け取る。よく冷えてて、手のひらが気持ちいい。太陽の光でゆらゆら揺れて、きらきら光るそれを、傾けて。わたしは、海を飲みこんだ。


 すぐには眠くならない。グラスを返して、船へ乗り込むくらいは大丈夫。

 いくらきれいに飾られていても、小さな舟だから。身体の小さなわたしでも、寝転ぶだけで精いっぱい。

 あおむけになる。目を閉じる。両手のひらを重ねて、足首のほうもくっつけて、ぴんと伸ばす。花嫁は、このポーズで海に捧げられるんだって。魚に見立てているみたい。


 ――わたしは、人間でいたいのにな。


 水夫さんが乗り込んできたのが、舟の揺れと足音でわかった。わたしの上にかぶさるみたいに、膝をついてまたいでくる。険しい顔。水夫さんの役目は、この舟をこぐことだけじゃない。


 じゃらん。金属の音がする。

 水夫さんは慎重に『それ』を広げて、わたしの手首にはめ込んできた。手枷だ。かちゃりと音がして、腕が動かなくなる。終わりが近いって、いやでも思わされる。足首にも、同じように枷をはめられて。見えないけど、足枷には重しがついてるはず。わたしを沈めるためだけに。


 一番いやなのは、少しだけ見えた枷の見た目。ごつごつしてるわけじゃない。花嫁衣装に合わせた、白っぽい肌色の、しゅっとした輪っか。それが受け入れられなかった。

 ドレスの一部みたいな顔しないでって思ってしまう。『理想のお嫁さん』みたいなのに、そうじゃなくて、汚されてるみたいで。


 もやもやしてる間に、舟が動き出した。相変わらず、歓声が聞こえる。聞きたくない声が。


「これでお荷物を追っ払えるぜ! いくら性格がよかろうと、ここじゃ役目ができなきゃお荷物よ」

「そうとも、そうとも!」


 水夫さんは乗り込んできてからずっと無言だ。

 どう思われてるか知らないけど――自分の手で海に沈めること、少しだけでも気にしててほしいな……わがままなのは、わかっ、て……


 眠く、なってきたかなあ。ぐすっ。いまさら、涙が出てきた。

 聴かれたのかな。舟が止まって、わたしの胸になにかが――


 ふわふわな水色。これは、ぬいぐるみ――もしかして。

 大好きでいつもいっしょだった、クジラの、ソフィー?


 よかった。最後に、隣にいてくれて。持ってこればよかったって、おもってた――


 うん、もうだめみたい。さみしい。かなしいけど。終わるまえに、ちょっとだけしあわせ。

 ソフィーと水夫さん、ありが、と……



 ☆



「今年の娘はちいとガキくさいな。女子おなごは熟れた気品と包容力がなければ……おっと」


 ……ん?


「お目覚めですか、レナータ様」


 声がする。目の前がぼやぼやする。なんだか、暗い?


「レナータ様!」


 大声。それで、頭がすっきりして――びっくりした。


 目の前に、大きな魚が浮かんでいる。今の声、まさかこの魚が?

わたしはなんだか、引っ張られてる感じがする。暗くて、青い。ここは……海の中? 

下を向いたら、重しが底に着いて、そこから鎖がぴんと張ってるのが見えた。


 ――じゃなくて。いや、それもそうだけど!


「なんで生きてるの!?」


 そう言ったわたしの口から、ぶわーっと泡が噴き出した。本当に海――じゃあ、なんで息が。声が。いろいろわからないよ。

 魚――マンボウかな――は言った。


「まあまあ、落ち着いてください。わたくしの名はカスト。我らが海神の眷属、その筆頭を務めております」

「カスト、さん」

「ええ。早速参りましょう。婿殿――いえ、我らがあるじはお待ちです」


 なにもかも謎だけど。魚だから表情なんて見えないけど。カストさんが少しだけ、楽しそうに笑った気がした。

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