10 新しいスタートライン
玄関ドアを開くと、後ろから母親が声をかけてきた。
「アイスクリームは、大きいやつね。四七〇mlの」
「そんなでかいの買ってきて、どうするんだ?」
「アフォガートにしようと思って。良子ちゃんも入れて四人分だと、それくらい使うから」
スニーカーを履きながら、よしのんが元気に応える。
「わかりました! アフォガートならバニラでいいですか?」
「そうね、バニラがいいわね」
「アホがとか? アホがなんとかって、なんだ?」
「アフォガート。アイスクリームにホットコーヒーをかけたデザートだよ。美味しいよ」
「ふうん」
「良子ちゃんは、よく知ってるわね」
「はい。小さい頃、レストランで食べたことがあります。苦くて甘くて、けっこう好きでした」
一番近くにあるスーパーまでは大した距離ではないが、この炎天下を歩いていくのは、正直なところ勘弁してほしかった。しかし、よしのんは、デザートの材料を買い忘れたと母親が言ったとたん、二人で買いに行ってきます、と手を上げてしまった。
門を出るとすぐに、どちらからともなく手をつないで、歩き始める。
「蓮君のお母さまって、いい人だね」
「そうか?」
「とっても優しいし、面白いし。蓮君が小さかった頃の話とか、すっごい面白かった」
「やめてくれ」
なんで、ああいう黒歴史を、本人の目の前でベラベラしゃべるかな。恥ずかしくて死にそうだ。
「留守中にご飯作りに来てたことも、小言言われるかと思ったら、ありがとうなんて言われるし。でもお鍋の片付け方でバレてたなんて思わなかった」
「きちんと片付け過ぎだって」
「あんなにきちんと台所を片付けられるのは、ちゃんと躾の行き届いたお嬢様に違いないって。やっぱりお母さまは、人を見る目があるよね」
「自分で言うな」
よしのんと母親は妙に気が合ったようで、俺そっちのけでずっと話していた。話が噛み合っているのか、いないのか、それぞれが勝手に話しているようで、話題が俺のことになると途端に「そうでしょ」「そのとおりです」と口を揃えて攻撃してくるからたまらない。
「いろいろと、ありがとうね」
「ほんと、いろいろあったな」
「蓮君がいてくれて、本当に良かった」
つないだ手を静かに振りながら、少し黙って歩いている。
「ね、お昼食べたら、次の作品のプロット作ろうよ」
「いいよ」
『わかとめいを巡る迷推理……?』は、少し間は開いてしまったものの、なんとか最終話まで投稿して完結していた。結局二月から七月までの半年がかり、十万字の長編になった。
よしのんも、ようやく次の作品を考えられるようになったというのは、いいことだよな。
「次は、思いっきり悲劇を書いてみない?」
「悲劇?」
「そう。ヒロインが継母にいじめられて、家を追い出されて、好きな男性は他の女のところばっかり行ってて」
「おい、それって」
「で、どんどん追い詰められて、一人で部屋の中にうずくまっているの」
そこまで自分に重ねて書いて、大丈夫なのか? 芽依の時も、思い入れが強すぎて大変だったのに、そんなの書いてたら精神的に参ってしまわないか。
「あ、でも今日は家に帰って夕飯作らないといけないから、プロットの相談は四時までね」
「今日は、お父さんの帰りが早いんだっけ」
「そう。明日は、朝七時に出発でピクニックに行くから、今日は早く帰ってくるって」
ようやく本当の親子だとわかって、十年分まとめて甘やかされてる感じかな。ここまで長かったからな。
DNA検査の結果を見た時、よしのんと俺は抱き合って泣いた。言葉なんて出てこなかった。ずっとずっと我慢してきた感情が爆発して、よしのんは泣き疲れて寝てしまうまで泣いていた。
夜になって、よしのんの父が帰ってきた時、俺とよしのんは顔を洗って正座して玄関で出迎えた。驚いた様子の父に、スマホの検査結果画面を見せると、父も号泣し始めた。そのまま、よしのん親子を残して俺は家を出たから、その後どんな会話がされたのかは知らない。
今日は、よしのんがお礼をしたいと言って、うちにやって来た。俺の母親も、連休中に食事を作ってくれたことにお礼をしたいと言って、見たこともない料理を山盛り作って待っていた。そして、俺の黒歴史の暴露大会になったというわけだ。
「でね、プロットの続きだけど、悲劇のヒロインが最後は自分の力で立ち上がって、幸せになるの。ずっと彼女を支えてきた素敵な彼が、背中を押してくれて」
「うん。いいんじゃないか」
よしのんは、にっこりと微笑んだ。
「でしょ?」
「また長いコラボ小説になりそうだな」
「そうね。ちゃんとついてきてよ、パートナーさん!」
「わかったよ」
スーパーの看板が通りの先に見えてきたところで、よしのんは立ち止まって俺の方を向き、ニヤっと笑った。
「よーし。お店まで走るよー」
「え、え、ちょっと待て」
「よーい、ドン!」
手をつないだまま、よしのんは走り始めた。俺は、遅れないようについていくのがやっと。
「ちょ、ちょっと待って。転ぶ!」
「何やってるの! ちゃんとついて来なさいよー」
―― 完 ――
Ending theme
東山奈央「イマココ」
https://www.youtube.com/watch?v=ZGHRRdMWSIw
(ビクターエンターテインメント公式チャンネル)
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