7 最後のプレゼント

 文芸部の部室に入ると、成瀬さんが一人でテーブルの横に立って待っていた。久しぶりに見る、明るい表情。


「おめでとう。やったね」

「ありがとうございます。全部、ぜんぶ、西原さんのおかげです」

「そんなことない。成瀬さんの力だよ」

「私一人では……」

 とても気が引けるが、話をさえぎった。

「あのさ。本当に悪いんだけど、実はすぐ行かなきゃいけないところがあってさ」

 すっと表情が暗くなった。


「よしのんさんのところですね。ごめんなさい。もう邪魔はしないなんて言いながら、また呼び出してしまって。関わらないで下さいなんて、失礼なことまで言ってたのに」

 悪いこと言っちゃったな。

「いや、呼び出してくれるのはいいんだ。いつでも声をかけてよ。でも、今日だけは急いでて」

「わかりました。お引き止めしないように、手短にしますね」

 成瀬さんはピンと背筋を伸ばして俺の目を見た。


「二ヶ月間、指導していただいて本当にありがとうございました。一人では、とてもできませんでした」

 膝の前に両手を添えて、深々と頭を下げる。

「いや、指導なんてしなくても、成瀬さんは俺よりずっと才能があったよ」


 顔を上げた成瀬さんは、ぽろぽろと涙をこぼし始めた。

 あー、どうしよう。受賞して感激しているのかもしれないけれど、目の前で泣かせたなんて知られたら、石沢さんに殺される。


「あの。これを受け取って下さい」

「いや、そんな、お礼なんかもらったら悪いよ」

 差し出してきたものを見て、固まった。透明なケースに入った白いハンカチ。


「白いハンカチって、『最後に渡したプレゼント』の中で、別れの象徴に使っていた物だよね」

「はい。西原さん、ごめんなさい」

 涙をこぼしながら、俺の目をまっすぐに見つめてくる。唇もぎゅっと結ばれているが、震えているのがわかる。

「ずっと一緒にいるうちに、西原さんのことが好きになってしまって」

「えっ?」


 俺のことを好きになった? いやいや、ありえないだろ。

 確かに、水晶つばさの小説はフォローしていたかもしれないけど、リアルの西原蓮とは全然違うし。レクチャーしていたのも、秘密をバラされたくなければ取引しろと、半ば脅されてやっていたわけだし。


「西原さんには、付き合っている人がいるということは、最初に石沢さんから聞いていました。だから、こんなことになるなんて思ってもいませんでした。でも、ずっと指導していただいて、水晶つばさとしての小説にかける情熱や、勉強を惜しまない姿勢に、だんだん惹かれてきてしまって。元々フォローしていた憧れの作家さんでしたし」

「……」


「そういう水晶つばささんの面だけではなくて、リアルの西原さんも、石沢さんを助けるために立ち向かっていったり、すごく友達思いで。私にはまぶしすぎました」

「買いかぶりすぎだよ。俺は、そんなかっこいい人間じゃない。あの時も、あとで腰抜かしてたんだから」

 杏奈さんにも、キモくないぞって言われてすぐに、むっつりすけべって言われちゃったし。


「好きになっちゃいけない人だということは、わかっていました。よしのんさんに言われるまでもなく、邪魔してはいけないことは、理解していました。だから、全オン文コンテストで実績を残して、きちんと区切りがついたところで、踏ん切りを付けて前に進もうと思うんです」

「踏ん切り?」

「迷惑かもしれませんけれど、このハンカチを、受け取っていただけませんか?」

 白いハンカチの入ったケースを両手で持って、俺の方に差し出す。

「私一人の勝手な妄想で、小説のようにお別れしたことにしたいんです。これは桜から最後に渡したプレゼントだった、と」

 ぐずぐずと涙をこぼしながら、必死に嗚咽をこらえているのが見えた。


「……わかった。受け取るよ」

 しっとりとした光沢のある生地で、ずいぶん高級そうに見える。


「ありがとうございます。さあ、もう行って下さい。こんなに引き止めてしまってごめんなさい」

「成瀬さん……」

「よしのんさんは、このところずっと連載を更新していませんし、きっと何か悩んでいるんですよね?」

 何も話さなくても、そこまでわかっているのか。


「でも……」

 目を真っ赤にして、ぼろぼろ泣いている成瀬さんを放ったまま、ここを立ち去るのが、どうしてもためらわれた。

 そんな俺を見て、成瀬さんは大きく息を吸い込んで両手を握りしめると、びっくりするような大声で叫んだ。


「早く、あっち行け! このキモオタ!」


「えっ」

「ああ、すっきりした。あの子たちの気分が、ちょっとわかったような気がします」

 涙を流しながらも、にっこりと微笑んだ。

「よしのんさんを助けられるのは、水晶つばささんしかいないんですよね? 私は大丈夫です。早く行ってあげて下さい」


「わかった。行ってくる」

 部室を出てドアを閉めると、廊下をダッシュで走り始めた。

 よしのんのメッセージが来てから、二十分はたっていた。待ちきれずに一人で報告書を見て、自暴自棄になったりしたら大変だ。待っててくれよ。


 階段を二階降りた踊り場に美郷がいた。

「おい、西原。ちょっと待て」

「え、俺? いま急いでるんだ。今度でもいいかな」

「待てよ、コラ」

 腕をつかまれた。


「な、何するんだよ」

 そのまま、壁に肩を押し付けられる。すごい力で、身動きができない。

「お前、最近ずいぶん調子に乗ってんじゃねえか」

 なんでこんな奴に、壁ドンされなきゃいけないんだ?


「ど、どうせ壁ドンされるなら、素敵な女子にされたかったな。例えば杏奈さんとか……」

「ふざけんな!」

 獰猛な目付きで睨まれた。やっぱ怖いよ、こいつ。

 二年の教室で向かって行った時は、周りに女子がたくさんいたから、手を出してくることはないだろうと踏んでいたけど、今は誰もいない。ちょっとヤバいかもしれない。


「な、何が気に食わないんだ?」

「てめえ、俺の悪口を言いふらしてるだろう」

「へっ? 知らない。悪口なんか言ってないし」

「俺が、女子を口説いては泣かせてるって言いふらしてるの、お前だろ」

「し、知らないよ。そんなこと言いふらすわけないだろ」

 最近、美郷が女子に声をかけても断られていたのって、それが原因だったのか? でも誰だろう、そんなこと言ってるの。小坂かな?


「急いで行かないといけないところがあるんだ。離してくれないかな」

「しらばっくれて逃げようたって、そうは行かないぞ」

「知らないっての」


「それ、私だよ」

 階段の下から、石沢さんが現れた。

「石沢さん?!」

「なんだと?」

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