11 受け入れられない事実
修学旅行のお土産を渡すところまでは良かったが、成瀬さんとグループで行動していたことがわかったとたん、よしのんさんは不機嫌になった。
「なんか、学校でもベタベタしてるし、修学旅行でもずっと一緒にいるとか、なにその女。いっそのこと付き合っちゃえば?」
「いや、勝手に妄想ふくらませないで。学校でベタベタとかしてないし。成瀬さんは、俺のことを付き合うとかそういう対象として見てないから。単に下読みの手伝いってだけで」
「ふうん。どうだか」
話題を変えた方がいいな。そうだコラボ原稿のこと。
「そ、それよりさ、旅行中に送ったコラボの続き、どうだった?」
「うん。まあまあね」
「読んでて、くどくないかなと思って」
若が推理した結果を芽依に話した後の心象を、モノローグ形式で書いてみたが、なんとなく文体が固くなってしまって、落ち着きが悪かった。
「そんなに悪くはないんじゃない? なんか、昔の推理小説っぽい感じは、しなくもないけど」
お土産に渡した手鏡をのぞきこみながら、前髪を直している。成瀬さんの言ってた通りだ。
「じゃあ、あの調子で次も書いていくよ」
「ね、蓮君。最近、書くペースが前より落ちてきたよね」
「えっ」
相変わらず手鏡をのぞいていて、こちらの目を見ないまま続けた。
「ゴールデンウィークに合宿して結構進んだけど、その後、この原稿が上がるまでに三週間かかってるでしょ。『あおとあおい』の時は、四日で仕上げてきてたのにね」
鋭いな。確かに成瀬さんのレクチャーをやるようになってから、あんまり放課後の時間が取れてないから、前よりだいぶペースが落ちている。
「そうだな。修学旅行とかで、いろいろ時間取られてたからな」
「そう。じゃ仕方ないけどね」
ようやく鏡から目を離して、俺の方を向いた。
「よろしくね。パートナーさん」
「う、うん」
「じゃ、帰ろうか」
テーブルの上を片付け始めたところに、メッセージが来た。
成瀬> 公募用原稿が、最終章まで書き上がりました。それに合わせて第一章も少し直しました。明日、学校に持っていきますので、見ていただけますか。
修学旅行から帰ってきて、すぐに書いてたんだな。最終章の締め方と冒頭のエピソードの見せ方でずっと悩んでたけど、解決したのかな。
西原> いいよ。月曜日の放課後にまた文芸部の部室で。
成瀬> はい。よろしくお願いします。
また、よしのんさんのコラボがきつくなるな。今日のうちに頑張って書いておかないと。
トレイを持って立ち上がった途端、ガシャンと軽い音がテーブルの下で響いた。テーブルの端に置いてあったピンク色の手鏡に、よしのんさんが持ったトレイがぶつかって、下に落ちてしまったようだった。
「大丈夫か?」
「割れちゃった」
子供の頃から使っていたという手鏡は、ヒビが入っていた。
「蓮君にもらった新しいのがあるから、平気だよ」
そう言いながらも、よしのんさんの表情は、ちょっと寂しそうだった。
***
翌週の水曜日。よしのんが学校から帰って来ると、玄関に意外なものがあった。普段は深夜にならなければ帰ってこないはずの父親の通勤靴。
「あれ、パパの靴がある」
「パパ? どこ? また自分の部屋かな」
父親の部屋のドアをノックする。
「パパ。帰ってるの? 久しぶりに一緒に夕飯食べる?」
「いらない」
「食べて来たの?」
「……」
「簡単に作るから、ちょっとでも食べたら」
キッチンに行き、冷凍庫を開けて中をのぞきこんだ。
「冷凍しておいたハンバーグなら、すぐチンして食べられるかな」
制服も着替えないまま、食事の支度を済ませたよしのんは、父親の部屋のドアをノックしながら呼びかけた。
「パパ。ご飯できたよ。珍しく早く帰ってきたんなら、一緒に食べようよ」
「……」
「あと、学校に提出しないといけない書類もあるんだけど。ちょっと出てきて、見てもらえる?」
ドアを開けて出てきた父親は、よしのんとは目を合わせないまま、ダイニングに歩いて行った。
「ハンバーグだよ」
「いらない」
「せっかく温めたのに」
「学校に出す書類というのは?」
「これ。進路希望調査票。卒業したらどういう進路に行きたいかを書いて、親のハンコをもらってくるようにって」
「勝手に書いてハンコ押しておけ」
「そんな。勝手にってわけにはいかないでしょ」
よしのんは、進路希望調査票を父親の前に置いた。
「保護者の人と、将来についてよく話し合って書きましょう、って。勝手にしろなんて言わないでよ」
「どうするつもりだ」
「もし、うちに余裕があれば、大学に進学したいかなと思うんだけど。どうかな?」
「大学か」
父親は静かにつぶやいた。
「もしそんな余裕は無いってことなら、奨学金も探してみる」
「大学に行くというなら勝手に行けばいい。学費と、ある程度の生活費は渡してやる。その代わり、高校を卒業したらこの家は出て行け。足りない分はアルバイトでもしてなんとかしろ」
「えっ? 家を出るって何で? 都内の大学ならうちから通えるし、アパート借りたら余計なお金がかかるよ」
「この家は処分する」
「どういうこと?」
父親は視線を合わせないまま続けた。
「お前が高校生の間は、養育義務があるからここに住まわせてやるが、十八歳を過ぎて大学生になれば一人で暮らせるだろう。最低限の金はやるから勝手にしろ」
「……なんで、そんなこと言うの?」
「ずっと我慢してきたが、あの女の気配のするこの家は大嫌いなんだよ」
「そ、そうなんだ。じゃあ、どこかに一緒に引っ越そうよ」
「俺は一人で住むから、お前はお前で独り立ちしろ」
「なんでそんな勝手なこと言うの? たまに家にいてもずっと部屋に引きこもっているし。ご飯を作っておいても、いつも一人で食べてるし。親子なんだから、もっと話ししようよ。たまには親子で、お出かけしようよ」
父親は、目をそらしたまま、少し黙っていた。
「その言い方、母親そっくりだな」
「そんなの関係ないでしょ。今は私とパパの話をしてるんだから」
「お前も高校生になったから、そろそろ、きちんと話してやらないといけないな」
「何を?」
「大人になるまでに、ちゃんと話しておかなければいけないと思っていたことだ。将来のことを話し合うなら、ちょうどいいかもしれない」
「だから、何のこと?」
「お前は、俺の本当の子供じゃない」
よしのんは、目を見開いたまま、しばらく息を呑んで固まっていた。
「……パパ、なんてこと言うの」
「学歴もない俺みたいな男に、お前のような美人で、大学に行こうなんて頭のいい子供ができるのが、そもそもおかしかったんだ。あの女が浮気していた誰かの子供だろう」
「パパ! そんな根拠のないこと言わないで」
「お前の血液型は何だ? AB型だろう。俺はO型だ。俺の子供にAB型なんて生まれないんだよ」
「えっ」
「お前の血液型がわかった時に、本で調べていて気づいたが、ずっと黙っていた。あの女が出ていく時までな」
「……」
「出ていく時に問い詰めたが、否定も肯定もしなかった。つまりそういうことだ」
「うそ!」
「今は、家事や料理までさせているが、他人の俺に義理立てすることはない。大学生になったら、自分のやりたいことを、やりたいようにやればいい」
父親は進路希望調査票の紙を、よしのんの方に押し戻す。
「うそ! うそでしょ!」
「疲れているから、もう寝る」
初めて、父親はよしのんの顔を見た。疲れきっているような、悲しんでいるような、寂しげな目をしていた。
「うそだと言ってよ!」
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