10 気になること
石沢さんは、行動計画で提出した地図のコピーを手に、小坂と並んで歩いている。スマホも一緒に持ってGPSで位置を確認しているから、道に迷うことはないだろう。
前を歩く二人には聞こえないぐらいの小さな声で、成瀬さんが話しかけてきた。
「今朝も、水晶さんのコラボ小説の投稿が上がってましたけど、あれは書き溜めてあったものですか?」
「う、うん。前に書いておいたやつ」
「ですよね。さすがに旅行中は書いてないですよね」
「実は昨日の夜、布団の中で先の方を書いてた」
「えっ? 旅行中も仕事してるんですか!」
「いや、プロ作家じゃないんだから、仕事じゃないけど」
最近、成瀬さんの小説レクチャーで放課後いっぱい使っていることが多いので、よしのんさんに事前共有するのが遅れがちになっていた。ゴールデンウィークの合宿でかなり進めてはいたが、この修学旅行中も書けるだけ書いておかないと、公開タイミングに追いつかれてしまいそうだった。
「水晶先生って、すごいですね」
普段は、メガネの奥で表情が読めない冷たい目つきのことが多い成瀬さんだったが、時々、今のようになんとも言えない柔らかい表情をすることがあった。小説のレビューをしていると、特によく見る気がする。
「私も、コンテスト用の作品を書き上げないといけないのに、修学旅行中は全然やっていません。ダメですね」
「いや、コンテスト用のは、ちゃんと家に帰ってから落ち着いて書かないと。俺みたいに、サイトで公開して終わりってやつじゃないから」
「そうですね」
ニコニコしていたが、ふと思い出したように真顔になってこちらを向いた。
「そう言えば、この間よしのんさんがツイートしていた、恵比寿のフレンチレストランでお食事って、本当に行かれたのですか?」
あ、あのフェイクの。本当は家に来たんだけど、そんなことは言わない方がいいよな。
「いや、高級フレンチなんて行ってないよ。ちょっと打ち合わせで会っただけ。あれは話を盛り過ぎだな」
「そうなんですね。よしのんさんて、どんな人なんですか?」
「ナルちゃん! 西原君! 仲良くお話し中、申し訳ないんだけど、春日大社に行くのはこっちの道だよ」
いつの間にか、先頭二人が角を曲がっているのに気づかず、追い越しそうになっていた。
「おっと、通り過ぎるところだった」
「あ、ごめんなさい」
成瀬さんは、いつもの表情に戻っていた。よしのんさんの話も、そこまでで打ち切りになった。
***
「葛切りって、こういうのかあ。初めて食べた。ツルツルしてておいしいね。湊君も一口食べてみる?」
「じゃ、俺の葛プリンも食べるか?」
「こうかーん」
石沢さんの意欲的な行動計画に沿って散々歩き回ったあと、予定通り葛スイーツの店で休憩中。女子二人は葛切りを、小坂と俺は、葛プリンをそれぞれ頼んでいた。
「ううーん! プリンもおいしい!」
横に並んで、おいしいねと言うと幸せな気分になる。でも、俺の横では、想像してたのとは違ってた。よしのんさんが言いたかったのは、何だったんだろう? 小坂と石沢さんが並んで座り、しきりに「おいしいね」と言い合っているのを正面から見ながら、ぼうっと考えていた。
いくじなしって言われたのは、やっぱり期待してたんだよな……
「あー、ナルちゃんも食べたいよね。私がプリンにして、分けてあげれば良かった。葛切りは湊くんに貰えばいいんだし」
「ううん。いいよ。美味しそうだなっていうのはわかるし」
「蓮の一口やれば? まだ全然減ってないし。そこに新しいスプーンあるから、間接キスにはならないぜ」
「いいよ。はい」
まだ一口しか手を付けていなかったプリンの皿を成瀬さんの前にずらすと、成瀬さんは、真っ赤になって首をふった。
「い、いえ、大丈夫です。そんな、分けてもらうなんて」
「せっかくだから、食べてみなよ。おいしいよ」
「いえ、だ、大丈夫です」
こんなに真っ赤になってあわてている成瀬さんは、見たことないな。俺の食べかけなんて、冗談じゃないって感じかな。
「男子の食べかけなんて、気持ち悪いよな。ごめん」
「いえ、あの、そういうわけじゃなくて、気を悪くされたらごめんなさい。いただきます」
引っ込めようとすると、成瀬さんはあわててスプーンを取り、一口すくって食べた。
「お、美味しいです」
「こいつに、そんな気を使うことないぜ。ずっとギャル達に、キモいって言われてるから慣れっこだし」
「お前と一緒にするなよ。最近、一組じゃ杏奈さんとうまくやってるんだからな」
「そうだよ。湊くんも、もうちょっと大人になったら?」
「えー! 俺の方が言われちゃうの? 結衣にまで言われるとショックだな」
「私も、西原さんが気持ち悪いだなんて全然思いませんから。と、とても、素敵だと思います」
「あー、最悪だ。お前らだけは味方だと思ってたのになー」
石沢さん、ずっと成瀬さんの顔を見てるけど、なんだろう。成瀬さんは下向いちゃってるし。
***
「で、どうだったの? 修学旅行でなんかいいことあった?」
「別に、いいことはなかったけど」
「なんだ。四日間も行ってて、毎日つまんない旅行してたわけ」
「相変わらず口が悪いな」
「電話もなくて、こっちもつまんなかったんだから」
「え? なに?」
「なんでもない。独り言」
よしのんさんに修学旅行のお土産を渡すために、最寄り駅のファーストフード店に来ていた。以前、「芽依は絶対に浮気なんかしないから」と叫んで出て行ってしまった、あの店だ。土曜日の昼とあって、ほぼ満席だった。
「これ、お土産」
袋を渡すと、すぐに取り出している。
「へえ! 西陣の織物風の手鏡と、油取り紙ね。定番だけど女子力高めのチョイスじゃない」
「気に入ってもらえるといいけど」
「うん。合格にしといてあげよう。京都のお土産っぽいのに、奈良のホテルの袋なのが謎だけど」
「そうか? 奈良でも京都でも一緒かと思ってた」
「それは両方に失礼でしょ」
そう言いながらバッグを開いて、ピンク色のプラスチックカバーが付いた手鏡を取り出した。キャラクターの絵が描いてあり、いかにも子供が喜びそうなデザイン。
「小さい頃から使っているこれは、もう交代かな。ちょっと子供っぽかったから、ちょうどいいや」
ニコニコしているから、まあ、気に入ってはもらえたみたいだな。成瀬さんの助言のおかげだ。
「ぼっちにしては、よくこんな組み合わせ思いついたね」
「ああ。どんなお土産がいいか、女子に聞いてみたから」
「前に遊園地に行った時に、やたら質問してきた人?」
「いや、あの時の石沢さんじゃなくて、成瀬さん」
「それって……小説の書き方教えろって言ってきたフォロワーの?」
「そう」
「ふうん」
なんか、目に見えて不機嫌になったぞ。ちょっと説明しておいた方がいいかな。
「泊まってたホテルのお土産屋で、たまたま一緒になったからさ。どんなのがいいかなって聞いてみただけだから」
「ふうん。たまたまね。昼間も『たまたま』同じところに行ったり、『たまたま』同じスイーツをつついて食べたりしてたんじゃない?」
「えっ、いや、それは。石沢さんと成瀬さんは仲がいいから、自由行動は一緒に動くことになっただけで……」
「はあ? 本当にずっと一緒にいたの?」
しまった、墓穴を掘った!
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