12 偽者の私
月曜日から、毎日放課後は成瀬さんの最終稿の推敲をしてきて、とうとう水曜日になった。三日も続けていると、だんだん自分の作品のような気がしてくる。
「すごく良くなったね。文章の流れもスムーズだし」
「最後に、ここがどうしても自分で読んでいてひっかるんです。朗読してみると、なんかつかえてしまって」
朗読してみて、つかえた所に問題があるという方法も、俺が教えた校正のテクニックだ。
「どれ」
『彼は、振り返ると大きく息を吸い込んで何かを言おうとしたが、彼女がうつむきながらおずおずと差し出している白いハンカチに気がついて、動きを止めた』
「文を二つに分けてみたら? 彼は動きを止めた、を前の文にして、ハンカチの差し出し方は後ろの文で描写するようにすれば、すっきりすると思うけど」
「ああ、そうですね。確かにそうすると落ち着きますね。やっぱり西原さんに見ていただくと、すごく良くなります」
「白いハンカチを渡すのが、別れの象徴なんだね」
「はい。物を使って感情を表現するというテクニックも、教えていただいたように使ってみました」
「で、タイトルは結局どうするの?」
複数の案があって、迷っていると言っていた。
「いろいろ悩んだのですが、やっぱりこの白いハンカチがすごく象徴的なので『最後に渡したプレゼント』にすることにしました」
「そうか。いいんじゃないかな」
成瀬さんは、たくさんの付箋紙を貼った印刷原稿を束ねて、机の上でトントンとそろえた。
「これで、お聞きしようとしていたポイントは全部解決しました。今日中に修正すれば、明日の提出期限には間に合います」
「ふあー、頑張ったなぁ」
大きく背伸びする。すごい達成感。
「あ、もうこんな時間ですね。そろそろ帰らないと」
「もう七時か。外が明るいから気が付かなかった」
七時になると校門が閉まってしまうので、それまでに戸締りして校庭を出ないといけない。あわてて部室を片付けて廊下に出た。
「よしのんさんとのコラボ原稿の方、大丈夫ですか? 三日も連続してお願いしてしまいましたが、差し障りありませんでしたか?」
「まあ、大丈夫だよ」
本当は大丈夫じゃないけど。今週は学校の宿題も結構出てたから、全然進んでいない。今夜はちょっと頑張らないとな。
成瀬さんが部室のドアに鍵をかけているのを横で見ていると、メッセージが着信した。
よしのん> いまどこにいる? 会いたい。いますぐ会いたい。
何ごとだ? いますぐ会いたいって? 今までこんなメッセージ送って来たことないぞ。
西原> まだ学校にいるけど、どうした?
よしのん> そうかと思って近くの駅まで来てる。待ってて。
「どうかしたんですか?」
「いや、なんでもない」
駅から学校まで、十五分はかかる。そこを歩かせるのも悪いから、駅で待っててもらうようにしよう。
西原> 駅にいるんなら、そこで待ってて。これから歩いて行くから。
返信はなかった。
部室の鍵を返すために、いつものように職員室に向かって一緒に歩いていたが、成瀬さんは、ずっとスマホを見ている俺の様子が気になるようだった。
「何か、急用の連絡ですか? 鍵は私一人で返しておくので、気にせず先に行ってて下さい」
「いや、大丈夫」
職員室で鍵を返し、階段を降りて下足口から校庭に出ると、外は薄暗くなりはじめていた。
「あ、もう正門は閉まってるぞ」
「まだ、横の通用口は開いてるから大丈夫ですよ。運動部の人たちも出ていってますし」
「そうか」
正門のすぐ横の通用口を開けて外に出ると、街灯の下に、見慣れない制服の女子が立っていた。よしのんさんだ。
「ゆ、
あの時の仮名って、これで合ってたよな。
「……」
「ど、どうした? こんなところで待ってるなんて」
「何やってたの?」
よしのんさんは、いつになく厳しい目つきで問い詰めてきた。
「あ、彼女さんですか? 待ち合わせしてたんですね。ごめんなさい。西原さんには、部活手伝ってもらってただけですから」
「この女が、小説教えている、さくらん坊?」
え、何で言っちゃうんだ?
「私とのコラボ小説ほっぽっといて、この子を優先してるの、おかしいでしょう?」
「ちょ、ちょっと」
「ヤキモチ焼いてるんじゃないの。私が真剣に書いているのに、真剣に返してくれないのが許せないの」
「やっぱり、彼女さんが、よしのんさんだったんですね」
「そうよ。私がよしのんよ」
暗がりだが、唇を噛み締めているのが見えた。成瀬さんは、静かな表情で話を続ける。
「よしのんさんの作品、大好きでした。ずっとフォローしていましたし、あなたのような作品が書きたくて、小説を勉強しています」
「そう。ありがとう。でもね、邪魔されると困るの」
「もう大丈夫です。水晶つばささんのお時間を取ることはもうしません。特別授業は今日で終わりです」
「成瀬さん……」
「西原さん。どうもありがとうございました。先に帰ります」
成瀬さんは、静かに立ち去って行った。
「どうした? 急に会いたいとか、こんな時間に学校まで来るとか。何かあったのか?」
よしのんさんは、唇を噛み締めながら涙をこぼしはじめた。
「私には、もう誰もいないの。誰も私のことなんか気にしてないの」
「どういうこと? よくわからないけど」
「家に帰っても誰もいなかったし、学校なんてバカばっかりだし、ネットでちやほやしてくるのも、私の演技に騙されてるだけだし。私のことをわかってくれる人なんて、誰もいなかったの」
ぼろぼろとこぼれる涙をふきもせず、両手を握りしめて話し続けた。
「でも、蓮君だけは特別。蓮君は、私の正体がわかっても、それまでと全く変わらないまま。一緒にコラボして、お互いに言いたいこと言って、他の人を騙して、楽しいこともつらいことも全部共有できて」
真っ直ぐ顔を上げて、俺の目をみた。
「蓮君の前でだけは、ぜんぶ素顔のままの、本当の私でいられたの」
そんなに思い詰めていたなんて。
「でもね、もうダメなの。今日、お父さんから、お前は本当の娘じゃないって言われた」
「えっ?!」
「血液型が合わないって。ネットで調べたら、本当にそうだった。私は母親が浮気してできた偽物の娘だって。本当の私なんて、どこにもいなかった。全部ぜんぶ嘘ばっかりだった」
「な、なんだそれ」
よしのんさんは、涙でぐしゃぐしゃのまま、俺に抱きついてきた。
「蓮君。私がいないと寂しいって言ってくれたよね。一緒にやろうって言ってくれたよね。私が必要だって言ってくれたよね」
「うん」
「蓮君がいないと、蓮君がいないと、もうどうかなっちゃう。私には蓮君しかいないの!」
よしのんさんは、俺にしがみついたまま、わーわー泣き始めた。
俺は、どうしていいのかわからないまま、そっとよしのんさんの肩に両手をかけた。力を入れたら壊れてしまいそうな、細くて華奢な体。そのままそっと抱きしめた。
よしのんさんは、俺の胸に顔を押し付けて、ずっと泣き続けていた。
―― 第3章 完 ――
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます