5 押しかけ女房

「じゃあ、戸締まりと火の始末だけは気をつけるのよ」

「はいはい」

「1週間くらいなら、栄養失調にはならないだろうけど、お菓子ばっかり食べてちゃダメよ」

「わかってるよ。そっちこそパスポートとか忘れてないか?」

「あら、もうこんな時間。お父さん、行きますよ」

「じゃ、行ってくる」

 ゴールデンウィークの初日。親たちは、朝からバタバタとプーケット旅行に出発して行った。これから1週間は、説教されることもなく、自由に過ごすことができる。


よしのん> おはよう! ご両親は出かけた?

西原> ちょうど今、出て行った。

よしのん> あら。お留守の間、大事な息子さんをお預かりします、ってご挨拶できなかったわ(笑)。

西原> やめてくれ。

よしのん> あと30分で駅に着くから、お迎えよろしくね。


 早いな。こんな午前中から来るとか、どんだけ合宿したいんだ?


***


「おはよー」

「おはよう。すごい大荷物だな」

 改札に現れたよしのんさんは、大きなリュックを背負い、手にもクーラーボックスを持っていた。ポロシャツにデニムのミニスカートだから、遠足にでも行くみたいだ。

「蓮君の家に何があるかわからなかったから、うちの冷蔵庫にあった食材、持てるだけ持って来た」

「持てるだけって、何をそんなに持って来たんだ?」

「いいから、クーラーボックス持ってよ。重いんだから」

「わ、わかった」

 何が入っているのか、確かにクーラーボックスはずっしり重かった。


 家に着くと、よしのんさんはまっすぐキッチンに行き、荷物を開けて冷蔵庫にしまい始める。

「本当に冷蔵庫空っぽにしていったんだね。調味料と味噌と梅干ししか入ってない」

「そう言ってたな」

「でもちょうどよかった。持ってきたもの全部入るし。ところで蓮君、朝ごはん食べたの?」

「いや。今朝はバタバタと親が出ていったから、何も食べてない」

「じゃあ。早めに支度してブランチにしようか。並べるだけですぐ食べられるよ」

「ブランチ?」

 よしのんさんは、腰に手を当ててこちらを向き、ちょっと小馬鹿にしたような表情になった。

「ブレックファーストとランチをくっつけてブランチ。朝昼兼用てことよ」


 スモークサーモンとクリームチーズ。ローストビーフとスライスオニオン。オリーブの実によく知らない葉っぱ。薄くスライスした硬い黒パンの上に、さまざまな具を乗せて広げ、さらにポテトサラダを出してきて、テーブルに並べた。電気ポットのお湯で、紅茶もいれている。

「すごいな、これ全部お前が用意してきたのか?」

「そうだよ。いただきまーす」

「いただきます」

 こんな高級そうなオープンサンドなんて、生まれて初めて食べる。チーズとサーモンとか、なんと表現していいのかわからないけど、とにかくうまい。


「どう? おいしいでしょ。おいしいって言いなさい」

「いや、強制されなくても、すごくうまい。見た目もおしゃれだし」

「でへへへ」

「ポテトサラダも、ずいぶん買って来たな」

「ちょっと! 失礼なこと言わないでよ。ちゃんとジャガイモを蒸してつぶすところから作ったわよ」

「え、ポテトサラダって、ジャガイモ蒸して作るものなのか?」

「人気料理研究家、はるちゃんのレシピだよ」

「し、知らないけど。でもこれめちゃくちゃおいしいな。コンビニで売ってるのとは全然違う」

「でしょー」

 上機嫌のよしのんさんと食べていると、あっという間に全部、食べ終わってしまった。


「『わかとめい』の打ち合わせは、どこでやる?」

「俺の部屋だと狭いから、ここでやるのがいいかな」

「じゃ、片付けて始めようか。食器は食洗機に入れとくだけで、後でまとめて洗うのでいいよね」

「よくわからないけど、いいんじゃないかな」

 テーブルの上を片付けると、それぞれスマホを出して向き合った。


 俺が担当している章で、芽依が隠していた生まれの秘密を、若がどう話すのかがポイント。謎解きのヒントは、これまでに伏線として散りばめてあるから、推理の組み立てはできるようになっている。ただ、正解にたどり着いた若が、それを芽依に突きつけるのか、それとなくほのめかして自分から言わせるのか、二人の関係に大きく影響するので、相談してから書くことにしていた。


「『わかとめい』って、推理小説じゃないよね。だったら、何も言わずにそっとしておくってエンディングもありじゃない?」

「ラブストーリーだとしたら、そういう含みのある終わり方もあるかな。でも読者には正解を示しておかないと納得しないだろ」

「そうかな……」

 よしのんさんも、悩ましそうな表情をしている。


「やっぱり二人の会話で、芽依に語らせた方がいいんじゃないか?」

「でも……そんな簡単に、家族の問題とか相手には話せないよ」

「付き合っている相手でも?」

「相手が好きなら、なおのこと、嫌われるんじゃないかって心配で話せなくなるから。自分から言うなんて無理だと思う」

 ちょっと涙ぐんでいる? この間みたいに、キレられても困るな。どうもよしのんさんは、芽依に思い入れが強いというか、同一化しているところがあるし。


「わかった、わかった。それじゃオーソドックスに若が推理を語る方向にしよう」

「うん。なんか芽依の心情を考えると、難しいかなって」

「大丈夫。ここは若が語るのでも無理はないから」

 テーブルの上のティッシュをとって渡してやると、そっと押さえるように目頭を拭いた。


「じゃ、ちょっとその方向で書いてみるよ。書き上がるまで、よしのんさんは何してる?」

「ちょっと早いけど、夕飯の仕込み始めてる」

「え、もう夕飯の支度? 食べ終わったばかりだぞ」

「ビーフシチューだから、煮込んでずっと寝かせておくと、食べる時にグッと美味しくなるんだよ」

「そうなのか」

 キッチンに立つと、あちこちの戸棚を開けて、中に入っている物を確認し始めた。


「蓮君のうちって、圧力鍋ある?」

「圧力鍋? 確かあった気がするけど。なんか、すごい本格的なことしようとしてる?」

「圧力鍋使うと、簡単に肉が柔らかくなるから。あ、あったあった」

 戸棚の中から、大きな鍋を引っ張り出している。なんか、本当に楽しそうだな。料理作るの、よっぽど好きなのかな。


「明日の朝は、おいしいパンとベーコンも持ってきたから、これも期待してて」

「ふうん。それも楽しみだな、って、明日の朝? 今日泊まるつもり?」

「ん? 合宿でしょ」

「いや、泊まりとは聞いてないぞ」

「そう?」

 そういう時だけ、無邪気な表情するなよ。

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