2 レビュー会
自分の席に横向きに座って、杏奈さんが広げている本をチラ見すると、化学の問題のような図が見えた。ギャル達が進学の話をしているのは聞いたことがなかったが、みな私立文系志望で二組か三組だと思っていた。なので、杏奈さんがこちらのクラスにいるのは意外だ。
「あの……」
「ん? なんか用か?」
「いや、杏奈さんも理系だったんだ」
「ああ、親父が歯医者なんだよ。歯学部に行って跡を継ぐって約束すれば、髪染めても何しても文句言わないってことになっててさ」
「そうなんだ」
家が歯医者か。どうりでピアスとかアクセサリーとか、高そうな物をたくさん学校に持ってきてるわけだ。
「おかげで二年間好きにさせてもらってたけど、さすがに今年は真面目に勉強しないとな」
あらためてよく見ると、手にしているのは私立大学歯学部の過去問題集だった。
横向きに座っているから、杏奈さんの隣の女子の様子も目に入る。この子は、何やら英語の雑誌を熱心に読みふけっていた。理系クラスって、やっぱりちょっと凄そうなのが多いかも。
「おお、こっちはこんな感じか」
小坂の大声が教室の後ろのドアから響いた。成瀬さんもついてきている。
「こんな感じも何も、大して変わらないだろう」
「いや、二組はギャルどもがいて、朝からキャーキャーうるさいんだよ」
大声で俺に話しかけながら隣までやって来たので、注意してやる。
「おまえ、目の前に杏奈さんがいるぞ」
「おおっ。そういえばうちの教室にはいなかったな。まあ、杏奈さんは別格のラスボスだから」
「何だそれ? オタク用語で言われても意味わかんないぞ」
細い眉をひそめているが、キモオタなどと言って騒ぐことはなかった。三年生になったから勉強すると言っていたが、ちょっと大人になったのかな?
「ナルちゃん! クラスが離ればなれで寂しいよー」
石沢さんが、成瀬さんに抱きついていった。いきなり抱きつかれて、ちょっと戸惑っている様子だが、表情が変わらないのが成瀬さんらしい。
「うんうん。私も寂しいよ」
「おい俺は? 俺もいなくて寂しくないのか?」
「もちろん湊君がいないと寂しいけど、ナルちゃんは特別」
「チェッ」
成瀬さんは、抱きついている石沢さんの両手を外して小坂に渡し、俺の方へ向いた。
「西原さん。いつから再開しますか?」
「明日からにしようか」
例の取引に従って、成瀬さんとは週に二回、文芸部の部室で小説のレビューをすることになっていた。三月中は、定評のあるシナリオの書き方解説本を参考にしながら、彼女の書き起こしたプロットとキャラクターの分析をしてきた。
「春休み前に作ったプロットに従って、最初の二万字ほどを書いてきました。これを読んでコメントをお願いします」
「いいよ」
「ありがとうございます」
さっきまでの無表情とは打って変わって、にっこりしている。早く進めたくて仕方ないんだろうな。
***
文芸部の部室は、教室の半分くらいの広さで、中央に大きなテーブルが一つ置かれていた。壁際にはいくつも本棚が並び、背表紙が茶色くなった雑誌や単行本が雑然と置かれていて、いつ来ても埃っぽい独特な匂いがする。
「今年から部長なのか?」
「はい。三年生は他にいないので」
「後輩は?」
「二年生が二人です。明日から新入部員の募集を始めるのですが、それなりに集めないと存続が危ういですよね」
「なかなか大変そうだね」
いつものように、成瀬さんが持ってきた原稿とパソコンをテーブルに広げて並んで座る。レビューをする日は、文芸部の活動日以外を選んでいるので、他には誰もいない。
「これが書いてきたものです」
応募要領に合わせた文字数で、縦書きに印刷してクリップで止めた紙を渡された。スマホの画面で見ているのと違って、いかにも文学作品、という風格がある。Webに掲載したままで応募はできるが、内容を確認する時は紙に印刷した方がいい、とテキストに書いてあったのを忠実に守っている。
「じゃ、ちょっと読んでみる」
「お願いします。その間にお茶をいれますね」
成瀬さんは、テーブルの上の電気ポットでお湯を沸かして、ティーバッグを入れたマグカップに注いだ。部屋の中に紅茶のいい香りが広がる。文芸部の伝統なのか、成瀬さんの個人的な趣味の良さなのか、他の部活と違ってなんとも優雅な空気だった。
「うん。すごく良いんじゃない。キャラクター設定で話していた、明るくて元気だけど、時々影がさす彼女、がうまく表現されてると思う」
「ありがとうございます」
「プロットも、議論してきた構成がきちんと入ってて、読んでて無理がないし」
「西原さんのおかげです」
すごい才能だ。正直、俺なんかよりずっとうまい。
「では、続きの二章からのプロットを、少し細かく書いてきたので、こちらも見ていただけますか」
「いいよ」
「西原さんに教えていただいた全体の構成の中でいうと、第一ターニングポイントですね。古い世界から正反対の世界に進む瞬間で、何かとても大きなことが起こる、という」
「そ、そうだね」
「主人公の華が、かつての恩師から受けた助言を思い出すシーンを、少し丁寧に書こうと思っています。最初に聞いた時は反発していたのですが、彼との関係に悩みながら考えているうちに、その本当の意味に気付くという」
「なるほど」
ターニングポイントでは、主人公が自分で考えて結論を出す、と書いてあったテキストを踏まえていた。本に書いてあったことは、全部暗記しているようだった。
「あの、少しギャグやコメディを入れないと、展開が硬すぎるでしょうか?」
およそギャグとは無縁の、真剣な表情でこちらを見ている。ギャグをかましている成瀬さん? いや絶対に無理だ。
「入れなくてもいいんじゃないかな。全オン文コンテストの受賞作を、第1回からずっと読んでみたけど、いわゆるラブコメっぽい軽いのは無かったからね。青春小説とかライト文芸と呼ばれそうな物ばかりだったから」
「安心しました」
成瀬さんの書いているものは、俺が書いているような萌えきゅんばっかりのストーリーとは格が違っていた。こんな作品はとても書けない。
なんで俺が、成瀬さんに教えてるんだろう?
不意にスマホが振動して、メッセージの着信を知らせてきた。
よしのん> ねえ、わかとめいの続き、できた?
うわっ、催促が来た。やばい。
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付記
3章から、メッセージの表現方法を変更しました。
これまでは、
よしのんさんのメッセージ「……」
と書いていましたが、3章からは、
よしのん> ……
という書式で表現します。
1章、2章も遡って修正します。
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