9 立ち向かう勇気

 杏奈さんから重い宿題を投げかけられた翌日の金曜日。小坂と石沢さんの様子をうかがっていたが、状況はまったく改善していないようだった。


「結衣、お昼食べようぜ」

「ありがとう。でも、お腹空いてないから。湊君が食べてるの横で見てる」

「なんか食べなきゃダメだろう。ちょっと待ってろ」

 小坂は財布をつかむと、教室を出て行った。何か買ってくるつもりなのだろう。

 小坂がいなくなるのと同時に、美郷が石沢さんの横を通りかかった。傍目には、偶然教室の後ろから歩いてきただけに見えるだろうが、昨日の杏奈さんの話を聞いていた俺には、狙って近づいて来たようにしか見えなかった。


「今日は元気がないみたいだな。食欲がないなら、これでも飲んだら」

 女性用のビタミンドリンクを机の上に置く。一見親切そうに見えるが、わざわざ用意してきているのが不自然過ぎる。

「いらない」

「いらなきゃ捨てておいて。僕も飲まないし」

 美郷はそのまま教室の前に歩いて行ったが、石沢さんは、置かれたビンには手も触れないまま、じっと座っていた。


 やがて小坂が売店のパンを持って戻って来た。

「これ一緒に食べよう。な」

 石沢さんの正面に座ると、小坂は、机の上にドリンクがあることに気が付き、手に取った。

「なんだ。こんなの持ってきてたんだ」

「ち、違うの。これは持ってきたとかじゃなくて」

 焦って小坂の手からビンを取り返し、机の中にしまう石沢さん。

「それでも栄養になりそうだから、飲めばいいのに」

「ダメなの」

 また石沢さんは、ぽろぽろと泣き始めた。

「どうしたんだよ」

 事情のわからない小坂が、イライラしているのが手にとるようにわかる。

 美郷の方を見ると、素知らぬ顔で黒板の横に立ち、数人の女子に囲まれながら話をしていた。これからどこで昼を食べようという相談のようだった。

 隣の杏奈さんの様子をうかがうと、いつもの女子グループで話をしていたが、俺の方を向いて口をへの字にした。何も言わないが、相当怒っている。


 もう我慢の限界だ。俺は立ち上がり、黒板に向かって歩き始めた。

 

「ち、ちょっと、いいかな」

「なんだ?」

 美郷は不思議そうな顔でこちらを振り向いた。

「い、石沢さんのことだけど……」

「石沢さん?」

 美郷の目つきが急に鋭くなった。背中に寒気が走り、足が震えてくる。なんだよ、めちゃくちゃ怖いぞ。

「石沢さんがどうかしたか?」

 周りにいた女子達が、異常に気がついて遠巻きに囲み始めた。さらに席を立って人が集まってくる。

「い、石沢さんをからかうのは、や、やめにしないか……」

「はあ? なんで僕が、石沢さんをからかったりするかな。言いがかりはやめてくれよ」


 言葉使いは丁寧なままだが、目付きは獲物に襲いかかる猛獣のようだった。前に、女の子を泣かせて何が楽しい、と迫ってあしらわれた時の顔とは全然違う。

「い、言いがかりだって言うのなら、か、彼女に二度と変なことは、い、言わないな?」

「人に強要されて、何かさせられるのは大嫌いでね。いい加減にしろよ」

 とうとう美郷は、凄みのある声で威圧しながら寄って来た。俺は両手を後ろに組んだまま、絶対に引くまいと立っている。でも、足がブルブル震えてきて、今にも押し戻されそうだった。


 ふと気が付くと、周りを囲んでいる女子達の反応が、はっきりと二つに分かれていた。どうしたんだろうと心配そうに見ているほとんどの子たちと、真剣な目で美郷を睨んでいる数人の子たちと。杏奈さんもいつの間にか俺の隣にきて、腕を組んで睨んでいる。

 あの数人は、きっと美郷にひどい目にあわされた子たちだ。

 囲んでいる人の輪の後ろには、石沢さんと小坂の心配そうな顔が見えた。校舎裏で、しゃがんで泣いていた彼女の姿がありありと思い浮かぶ。


 大きく息を吸い込み、美郷の目を見返した。

「石沢さんをからかうのはやめろ! 変なちょっかいを出すな!」

 ふいに大声を出した俺に、美郷はびっくりしたようだった。

「二度と彼女に、変なことは言わないと誓え!」

 美郷は何か言いかけたが、まわりを囲んでいる同級生を見渡してから、落ち着いた声で返事をした。

「わかったよ。もともと何でもなかったし、これからも何もしないよ」

「本当だな」

「しつこい」

 俺は、美郷の前から離れた。教壇を降りて、周りを取り囲んでいる同級生の輪から出て行こうとすると、一斉に正面を開けて通してくれた。映画でよく見るシーンみたいだな。


「蓮、お前、一体何がどうした?」

「西原君……」

 輪の後ろにいた石沢さんと小坂が、俺について廊下に出てきた。


 自動販売機の横までは、なんとか歩いて行ったが、そこで腰が抜けて、がくがくと廊下に座り込んでしまった。


「おい、蓮。大丈夫か?」

「西原君?」

「ああー、怖かったー。殺されるかと思ったー」

「蓮?」


「あいつの目、すげえ怖いな。間近で見るもんじゃない」

「実はビビってたのか? 全然そんな風には見えなかったけど」

「小便ちびりそうだった」

「マジか?」

「マジだ」

 小坂が吹き出した。


「おい、美郷が結衣のことをからかうって、何のことだ?」

「あのね、湊君……」

 石沢さんが何か言いかけたが、俺はさえぎって続けた。


「なんかな、石沢さんが絶対に嫌だって言ってるのに、もう一度付き合えって、うるさかったらしいんだよ」

「えっ、なんだそれ!」

「顔も見たくないって拒否ってるのに、しつこいから迷惑してるみたいって聞いてさ」

「誰から?」

「杏奈さんから」

「ええっ? そうだったのか? 結衣?」

「あ、あのね、聞いて……」

「杏奈さんから、美郷の奴うざいから、お前なんとかしろよって言われてさ」

「お前、いつの間にギャルと仲良くなってんだ? さん付けで呼ぶとか、信じられん」

「俺も、ちょっと信じられないけど」


「西原君……」

 石沢さんは、涙をこぼし始めた。

「小坂と石沢さんの前で、かっこ悪いとこ見せられないからさ。必死に小便我慢してたんだよ」

「ばか」

 石沢さんも涙をこぼしながら笑い始めた。


「しかし、空手をやってる美郷に、よく素手で向かって行ったな。すげえな、お前」

「あれだけ周りに人がいれば、さすがに手は出さないだろうって計算はしてたけどな」

「そうか? 今にも殴りかかってきそうな感じだったぜ」

「有段者なら、下手なケンカで空手は使えないって。先に手を出したりすれば、厳しい道場なら破門だし。それに、女子がいっぱいいる所では、やらないだろうと思ったからさ」

「そんな計算までしてたのか」

「ああ。でもマジ怖かったー」


「西原」

 声のした方を見上げると、杏奈さんがやってきた。こっちは床に座り込んでいるから、短いスカートの下から真っ直ぐに伸びた足が、目の前に近づいてきて眩しい。そ、それ以上近づくと、中も見えちゃいそうなんですけど……


「よくやったな。いまのお前、ぜんぜんキモくないぞ」

「そ、そうか?」

 杏奈さんは、右手の握り拳を俺の顔の方に近づけてきた。

「?」

「お前も手を出せよ」

 よくわからないが、俺も手を握りしめて差し出すと、拳同志をコツっとぶつけられた。


「杏奈さん、どうもありがとう」

「石沢ちゃん、大丈夫?」

「うん。杏奈さんが西原君に言ってくれたの?」

「美郷の奴がうざいって言っただけだよ」

「……ありがとう」

 石沢さんの方を向いて立っている杏奈さんの、ふくらはぎから太ももが、いやでも目に入る。ピンと引き締まっていて、本当にかっこいい脚だな。

 いやいやいや、そんな目で見てちゃいけない。


「おい、西原」

「はいっ」

 見上げると、杏奈さんが冷たい目でこちらを見下ろしていた。

「なにジロジロ見てんだよ。このむっつりスケベ」

「い、いや、見てたわけじゃなくて……」

「お前、やっぱりキモオタだな」

「え、ええー」

「まあ、今日だけは勘弁してやる。おっと、購買のメロンパンが売り切れちゃうから、もう行くわ」

 杏奈さんは、頭の上で手をひらひらさせながら、階段を降りて行ってしまった。


「やっぱりキモオタだってさ」

「そんなこと、ないよねー」

 久しぶりに笑っている小坂と石沢さんの様子を見ていて、ふと思いついた。昔振られた相手に、また言い寄られて心が揺らぐ、か。このストーリーなら使えるな。芽依が一途だという前提は崩さないで、二人の危機になるし。

 またこの二人から、いいヒントがもらえた。


 これで、前に送ったやつ書き直して、よしのんさんに送ってみよう。



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