第3話 その3



「ちょっと樹里、早く来て!亮が!」


 わたしはとりみだした母の声で、ベッドから跳ね起きた。……まさか、今のは夢?


 わたしは階段を駆け降りると、思わずその場に立ちすくんだ。目の前にいたのはぐったりしている弟と、抱きかかえておろおろしている母の姿だった。


「……どうしたの?」


「それがわかんないのよ。変な音が聞こえたと思ったら、急に亮が倒れて……」


 わたしは弟の近くに転がっている物体を見て、ぎょっとした。それは一部が欠けた花瓶だった。まさか弟に、あれがぶつかった?


 わたしはたった今見たリアルな夢のことを思いだし、背筋に冷たいものを覚えた。


                ※


「ふうん、そうなると確かに怖いね。病気なのかな。……でも夢で見たことが現実に影響を及ぼすなんてこと、あるのかな」


 わたしの話を聞き終えた真琴は、声を低めて言った。


「どうしよう。友達とかとも遊ばない方がいいのかな。……だってもし、夢で喧嘩でもしちゃったら」


「馬鹿なこと考えないでよ。……そうだ、確かうちの学校のスクールカウンセラーが睡眠障害を研究してるって聞いたよ。相談してみたら?」


「スクールカウンセラー?」


「うん。女性で江川先生とかいう名前だったと思う。隣のクラスの子が不眠症で相談しに行ったって言ってた」


「ふうん……行ってみようかな。教えてくれてありがとう」


「ただの居眠りだったらいいね。その方があんたらしいし」


 わたしは「そうだね」と怒りもせず頷いた。真琴はわたしの不安を少しでも薄めようと、わざと茶化しているのだ。


                ※


 カウンセリングルームの江川由利先生は、三十歳くらいの知的な美女だった。


「不思議なお話ね。だけどとても興味深いわ」


 由利先生は眼鏡の奥の瞳をまっすぐわたしに向けながら言った。


「やっぱり病気なんでしょうか、これって」


 わたしがこわごわ尋ねると、先生は「まだ何とも言えないわね」と頭を振った。


「急に寝てしまうというのはナルコレプシーって病気が考えられるけど、私は夢の中で起こったことが現実と繋がっているってことの方が気になるわ」


「そんなことって起こり得るんでしょうか」


「ふつうは起こりえないわね。でも医学を飛びだしてもっと大きな枠組みでとらえれば、そういう現象があってもおかしくないわ」


「どういうことでしょうか」


「私の知り合いに、そういうことを研究している人がいるの。その人によると人間には使われていない未知の力があって、眠っている時にその力を使ってしまう事もあるそうよ」


「未知の力……?」


 わたしは話の方向が奇妙な方へ向き始めたことに気づき、心の中で首を傾げた。


「ええ。その人はそう言った力を持った人を便宜的に『サイドリーマー』という名前で読んでいるの。夢の中で無意識に念動力を使う人、という意味ね」


「念動力ですって?」


 わたしはぎょっとした。話が医学からいきなりオカルトになったからだ。


「あなたがもしそういう能力も持ち主だったらしばらくの間、他人とのトラブルを避けて刺激的な夢を見ないよう、心掛ける必要があるわね」


「心掛けるって……そんなの無理です。夢を自分で操作するなんてできません」


「あなたの『眠動力』がどのくらいのものかはわからないけど、どんどん大きくなるようなら日常を揺るがしかねないわ。できたら定期的に経過を見極めさせて」


「……もう、いいです。ありがとうございました」


 わたしは先生に礼を述べると、カウンセリングルームを出た。病気ならまだしも、超能力ですって?そんなこと、あるわけないわ。


 わたしは目を閉じると、ジャムの瓶や弟の怪我を頭の中から必死で振り払った。


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