第2話 その2
「樹里……樹里、早く起きないとまた、遅れるわよ」
母に揺り起こされ、わたしははっとした。朝食を食べ終えてほっとしたと思っていたのに、あれは夢だったのか。
「えーっ、嘘。せっかく間に合うと思ったのにそれはないよ」
わたしはしぶしぶ身体を起こすと、着替えを始めた。リビングに降りてゆくと、弟が「またやったか」という目でわたしを見た。
たまたま早起きの遺伝子を貰ったからって調子に乗んなよ。わたしは弟を睨み付けると、冷蔵庫へ向かった。
ジャムの瓶を出そうと冷蔵庫の扉を開けたわたしは次の瞬間、思わず目を瞠っていた。
「嘘……」
冷蔵庫の中にあったのは、裏返しになったジャムの蓋と中身を見せている瓶だった。
――だってあれ、夢でしょ?
わたしは戸惑いながらジャムの瓶と蓋を取り出すと、開けたり閉めたりを繰り返した。
※
「ほら、そこの記号、間違ってるだろ。注意が足りないぞ」
「あっ本当だ。……すみません」
わたしは練習問題に取り組みながら、窓から差し込んで来る西日に目を瞬いた。
数学で目を覆うような点を取ったわたしは、担任の前崎先生に特別補講を受けることになったのだ。
「まったくお前は、どうして一教科だけ赤点なんだろうな。運動神経はあんなに素晴らしいものを持っているのに」
「先生から見て、わたしって駄目生徒ですか?早起きと数学だけはどんなに努力してもできないんです」
わたしは半分、泣き言の混じった口調で先生に尋ねた。教師の中では一番、好感が持てる前崎先生に否定されたらますます学校と数学が苦手になってしまう。
「いや、そんなことはないよ。運動ができるってことは素晴らしい長所だし、まあ寝坊や赤点はいいイメージとは言えないけど、僕には夘月が駄目生徒とは思えないな」
先生の言葉はごく普通の評価だったが、それでもわたしは妙にくすぐったいものを感じた。特別補講だって、考えようによっては「特別」だ。わたしは例によって自分に都合のよい考えに浸ると、再び練習問題に取り組み始めた。
※
「姉ちゃん、また寝てんのか。さっき支度するって自分で言ったくせに、頭腐ってんじゃないの」
弟がドア越しに吐く暴言は、わたしの朦朧とした頭を容赦なく殴りつけた。どうやら家族で出かける直前に、また眠ってしまったらしい。
――本当にどうしたんだろう、わたし。病院に行った方がいいのかな。
慌てて身支度をして玄関に行くと、弟が半分開いたドアから不機嫌そうな顔を覗かせていた。
「――来た。やっと眠れる森の馬鹿が来たよ」
弟が外で待っている車の方を向いてそう言った瞬間、わたしの中で何かが切れた。
「起きてるって言ってんでしょ」
わたしは気がつくと、下足箱の上にあった花瓶を弟に投げつけていた。
「……痛っ!」
硬い音がして弟がその場に崩れた瞬間、わたしははっとした。今、わたしは何をした?
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