まどろみ
五速 梁
第1話 その1
パリン、という音に驚いてはっとしたわたしは、「大丈夫ですか」と言ってカウンターから出てきた店員に目をやりながら、何が起きたのだろうとぼんやり思った。
――わたし今、もしかして寝てた?
「ちょっと樹里、スマホいじりながら寝ないでよ。……大丈夫?」
向かいの席で真琴が眉をひそめているのを見て、わたしは「寝て……たのかな」と言葉を濁した。わたしの目を覚まさせた音は、コップが床に落ちる音だったらしい。
「近頃、授業中でもよく寝てるよね。眠れないの?」
「そういうわけじゃないけど……なぜか寝ちゃうんだよね。疲れてるのかな」
わたしはスマホから目線を外すと、われたコップの破片を掃除している店員を見つめた。
「変だよね。あのコップ、誰もいない場所に落ちるなんて。返却コーナーの奴が落ちたにしても、中から押さない限り落ちないと思わない?」
「店員さんが落としちゃったのかもね」
そこまで言った時だった。わたしの脳裏をふと、目覚める直前の映像がよぎった。
「あ……」
夢の断片らしきその映像はわたしの背中を一瞬、ぞくりとさせた。映像の中でわたしは、誰かの心ない言葉に思わず――
「どうかした?」
わたしはぶるりと頭を振ると「なんでもない。まだ寝ぼけてんのかな」と無理やり笑みをこしらえた。
――そう、夢の中のわたしは誰かにでコップを投げつけていたのだ。
※
わたしは
勉強の成績はぱっとしないが、走ることが好きで陸上部ではまあまあ期待されている。
クラスメートには内緒にしているが、ボーイフレンドもいる。隣のクラスの倉沢君だ。
幸いに、というかわたしも彼も目立つ方ではないので今の所、交際は平穏かつ順調に進んでいる。
これといった悩みもないのにふいに眠くなるというのは、やはり気の緩みだろうか。わたしは先月の数学テストが赤点すれすれだったことを思いだし、ため息をついた。
「そういえばこの前、スポーツ大会の実行委員会で前崎先生が「うちのクラスで、入賞できそうなのは夘月くらいだなあ」って言ってたよ。多分リレーのことだろうね」
「本当?……この前、テストの点で怒られたばっかなのに、褒められるって複雑だなあ」
わたしは大げさにぼやいてみせた。リレーの選手に選ばれるのは光栄だ。でもできるならもっと色々なことで評価されたいし、褒められたい。
「わたしって贅沢なのかな」
「たぶんね。私なんて足も遅いし顔も地味だし、取り柄なんて一つもないよ」
わたしは「そうかなあ」と曖昧に返したが、取り柄がないから不幸とは限らない。どこにでもいそうな目だたない子、でもそつがなくて親しみやすい。それって結構、恵まれてるんじゃないの?
※
「あ、もうこんな時間。急いで食べないと遅れちゃう」
「あんたギリギリまで寝てるからでしょ。あと三十分、早く起きればいいのに」
「それができれば苦労しないよ。なぜかできないから困ってるんじゃない」
わたしは母に身勝手な理屈をぶつけながら、朝食を頬張った。
「あ、このジャムの蓋、固いなあ。……うーん」
「貸しなよ姉ちゃん」
「いい。自分で開ける」
近頃、背がぐんと伸びた弟の助けを、わたしは断った。変に意地を張るのがわたしの悪い癖だった。
「……開いたっ」
わたしは小気味よい音と共に開いた蓋を家族に見せびらかすと、「意外と簡単」と鼻を鳴らした。できない時は言い訳、できると自慢。……わたしってどうしてこうなんだろう。
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