魔王と少女と暴竜④

 魔力が地を抉り、焦がし、力の衝突が大気を震わせる。


 エレオノーラは両者の戦力比を五分と五分だと判断した。


 小柄なクリムの方が小回りと速度はわずかに上。また“勇者の力”などという、自身の身体能力を大幅に強化しすべての魔力を打ち消す冗談のような能力により、対魔族においてその一撃一撃は絶大な威力を発揮する。

 だが一方で膂力は体格差のあるディルクウェットが大きく上回っており、強靭な尾の一撃に伸縮自在な触手、火炎の吐息など、遠近すべてに対応できる多彩な攻撃手段を擁していた。


 ディルクウェットの口腔から火炎が放たれる。

 クリムが跳躍で回避しそのまま頭上をとるが、間髪入れず伸びてきた無数の触手に阻まれてしまう。

 どうにかすべてを捌くも、続けて長大な尾が少年を襲う。

 盾にした鍬の柄が軋み、小柄な体躯が弾かれる。

 猫のように身をひるがえし危なげなく着地するも、詰めた距離は再び大きく開いてしまった。


 クリムはどうにか懐へ入り込もうと試みているが、一つを躱したところでまた次の妨害にあい一向に近づくことができない。

 ディルクウェットにしても有効打を与えるには至らず、互いに決め手に欠ける膠着した状況が続いていた。


 エレオノーラは眉をひそめる。

 攻防が単調に過ぎる。

 近接に持ち込みたいクリムに対してディルクウェットが中距離を中心に迎え撃つ形になっている以上やむをえないとも思えるが、どうにも気に入らない。


 ディルクウェットが魔力を“溜め”る。

 再び火炎の吐息がくると判断したクリムは回避行動をとるべく腰をかがめた。

 しかし――突如、上空から豪雨のように雷撃が降り注いだ。


(!)


 距離を置いて戦況を俯瞰していたエレオノーラは素早く身を躱し、あるいは剣を避雷針として雷を逸らしていく。

 だが予測を外されたクリムはなすすべなく雷を浴びてしまう。


(やっぱり雷雲もアイツのだったかい。魔族のくせに精霊術みたいなもんを使うね)


 無差別の落雷はディルクウェット自身にも容赦なく降りかかっていた。しかし傷を負うどころか、活力をみなぎらせているようだ。

 さらにディルクウェットの全身を紫電が駆け巡り、目も眩むような火花が弾ける。


(自分に落ちてきた分は周囲のも含めてちゃっかり吸収、ね。魔力の回復と、雷をそのまま自身の鎧として纏うとは……随分と用意のいい事だよ)


 天秤が傾いたのをエレオノーラは感じた。

 これでクリムの障害が一つ増えた。彼はこれからすべての攻撃に対して回避を強いられるようになる。うかつに受け止めようものなら、触れた部分から電撃を流し込まれるだろう。その威力は落雷の直撃を受けたクリムがいまだに動けないでいる以上、決して無視できるものではない。


(お嬢ちゃんが魔力の大半を削っていなけりゃ、全力のと真正面からやり合うことになってたわけだ。やれやれ、ゾッとしないね)


 ディルクウェットが攻勢に転じた。うずくまったままのクリムへ一息で距離を詰めていく。振りかざされた右腕の先には長剣のように鋭く伸びた爪が鈍い光を放っている。

 まだクリムは動けない。


(やっぱり、ダメかい)


 エレオノーラは舌打ちし、援護の体勢をとった。



   * * *



「……が、はっ……」


 クリムは肺の奥から空気を吐き出した。

 どうやら一瞬だが意識を失っていたらしい。

 無防備に雷の直撃を受けた四肢は自分の意思とは関係なく小刻みに震え、顔を起こすことすらままならない。両手をつっかえ棒のようにして上体を支え、地に倒れ伏さないでいるのがやっとだ。

 前方からとんでもない速度で気配が迫ってくる。それが何であるかは確認するまでもない。

 このままではいけない――だが身体は未だ思うようにならない。


(これはダメだな)


 身動きの取れないこの状態では、攻撃を躱すすべはない。

 あの竜人の爪は容易くこの身を貫くだろう。

 恐怖も諦念もなく、そうクリムは判断する。


 もとより感情の薄いクリムには怪我や死に対する忌避感や恐怖といった一切の負の感情がない。生まれた頃から“勇者の力”などという強力無比な能力によってあらゆる傷病や外敵から守られてきた以上、無理からぬことではある。


 また、その点についてはアルが、彼と数日間の共同生活の末、そもそも“勇者”という存在が魔族に対する兵器であるために自我そのものが希釈されて生み出されているのではないかとの考えを示してもいた。


 自我の薄い少年はあらゆることへの関心を持たず、他者の機微を理解せず、それ故に何もかもを無条件に受け入れる。

 育ての親であるエレオノーラやその友人のハスタ、幼馴染のエーファなど周囲の尽力によって変化の兆しは見えていたものの、その本質が根底から覆るには至らなかった。


 だからこそクリムはあと一歩を『粘る』ことができない。

 その発想がないと言ってもいい。


 物心ついた時にはすでに並の魔族を寄せ付けないほど破格の身体能力を持ち合わせていたクリムだが、定期的に行われていたエレオノーラとの戦闘訓練において一度たりとも勝利はおろか一矢を報いたことすらない。

 これはかつての勇者の仲間として生き抜いた彼女の膨大な経験と技量に起因することはもちろんだが、なによりもクリムが『負け』を覚った瞬間にそれを受け入れてしまうためだった。


『どうして避けなかったんだい?』

 親であり師である女性の問いに、自らの首筋にわずかに食い込んだ刃を気にする様子もなく少年は答える。

『よけられなかったから』

 武器として使っていた鍬は遠くに転がり、片膝をついているこの体勢では回避のしようがない。

『どうだろうね? あたしには他に方法があったんじゃないかって思うけどね』

 少年は『むりだった』と断言する。

 もちろん、彼なりに様々な方法を模索し思考した。だが、腕を犠牲にしても、土を投げつけて目潰しをようとも、どんな抵抗をしたところで結局は同じ状況になる結末しか見えなかった。

 ならば一手二手の引き延ばしに何の意味があるというのか。


 今この時、かつての訓練と酷似した状況において、やはりクリムは眼前に迫る結末をすんなりと受け入れようとしていた。

 だが――。

 チリリ……と指に小さな痛みが走った。

 見れば右の人差し指にはめた指輪が小さな火花を発している。

 パチパチとささやかながらも抗議するような痛みに少年は拳を握る。


(そうだった)


 彼女に、アルをよろしく、と頼まれていたのだった。

 そしてあの少女本人からも「手伝って」と。

 だったらここで終わらせるわけにはいかない。


『たかだか一手二手なんてバカにしたもんでもないさ。自分でも無駄だと思ってたものが予想もしなかった効果を生むこともある』


 の言葉が脳裏をよぎる。

 鍬の柄を握る。

 痺れはまだ抜けきっていない。身体の動きも鈍い。


『お前は静かすぎる。声を出せ、声を。指一本動かせないって状況でも、思い切り声を張り上げればちょっとくらいどうにかなるもんだ』


 声を出す。

 腹の底から。

 すると指が吸い付くように鍬の柄を掴む。

 もっとだ。

 もっと、大きく、長く――



   * * *



「うあぁあああああっ!」


 渾身の雄叫びが響いた。

 がむしゃらに振り抜かれた鍬は淡く金色の光を帯び、無防備なディルクウェットの右側面に迫る。

 向けられたのは刃ではなく背部だったが、防御にかざされたディルクウェットの長爪と腕をもろともに吹き飛ばし、その頭部を打ちすえたのだった。

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