魔王と少女と暴竜③

「アルは無茶しすぎです」


 膝枕をされるなり開口一番怒られた。

 眼鏡の奥に光る栗色の瞳に見つめられて、アルは反射的に謝りそうになったが声を出せずに沈黙する。

 気圧されたわけではなく、単純にその余裕がなかったからだ。

 傷口は吸収した魔力で回復させているが、それ以上に取り込んだ毒が身体を蝕んでいた。


「その辺で勘弁してやんな、エーファ。お嬢ちゃん、あそこの竜を弱体化させるために魔喰使って全身毒まみれのはずだからね」


 声も出せないアルの代わりにエレオノーラがエーファに釘を刺した。

 だがアルは毒の苦痛とは別に顔を強張らせる。

 どういうつもりで言ったのかは知らないが、もし助け舟だとしたらそれは逆効果だ。

 案の定降り注いできた無言の「本当にどうしてそんなことするかなぁ」という圧力からアルは全力で視線をそらす。


「ち……違うのよ? ラーハルトとエレオノーラがあっという間にやられちゃったから、こうするしかなかったというか……」


 私は無実だとどうにか釈明しようとしていると「おっと」とエレオノーラに頭を鷲掴みにされた。


「そうはいかないよお嬢ちゃん。たしかにあたしとラーハルトの坊主が情けなかったのは事実だけど、お前がムキになって無茶苦茶したのは妹分ロベリアが原因だろうが」


 聞こえてんだよ、と鼻先をぐりぐりとつつかれる。

 くっ、人が動けないのをいいことに……!

 エレオノーラが触手の直撃を受けた時、とんでもない音がして普通の人間なら無事じゃすまなさそうな勢いで地面に叩きつけられていたはずだが、目の前の小柄な冒険者はピンピンしている。

 コイツの頑丈さは何なんだ!

 反撃もできず「う”ぅ~……」と唸っていると、やがてエレオノーラはアルの黒髪をわしゃわしゃと乱暴に撫でて立ち上がった。


「ま、よくやった。あそこまで魔力を削ってくれたなら、今の勇者クリムでも十分対処できる。あとは任せて休んでな」


 ディルクウェットは魔力の大半を失い、周囲に満ちていた高濃度の魔素もすでにない。

 それらはまとめてアルが奪い取った。

 しかし……。


 上体を起こそうとしたアルを視線だけでエレオノーラが制止する。


「……お前がやろうとしてるの中に入るのは、あたしとクリムだけだ。動けないお前らは邪魔だから外。ラーハルトの奴はそっちの護衛につけるよ。アイツの得物は粉々になったが……まあが残ってんだったらどうにかなんだろ」


 顔をしかめるアルを尻目に、エレオノーラは周りに指示を出す。


「エーファ。精霊術で炎の壁を作って、あたしらとアイツを囲め。足りない魔力はお嬢ちゃんが賄ってくれるから心配すんな」


 エーファは突然の指示に迷ったのも一瞬で、すぐに角燈を取り出し精神の集中を始める。

 歴戦の冒険者による経験値故だろうか。エレオノーラは完全にアルの考えを見通していた。


 大気中の魔力が枯渇したとはいえ、竜種の里を囲む樹々や残った生き物に蓄積された魔力を接触によって直接奪い取ることはできる。だが、ディルクウェットの“魔力喰らい”は魔王の“魔喰”に似た性質でいて、取り込むことのできる量や速度にはかなりの開きがあった。

 グエンの小山ひとつ消し飛ばしかねない魔力砲を瞬時に取り込んだアルに比べ、、練り上げ中の魔力や小弾は喰らえても、高熱・高魔力で形作られた翼や大火力の魔力砲は吸収することなく触手の方が焼失してしまったことからもそれはわかる。

 つまり“魔力喰らい”を受け付けないだけの高魔力で練られた檻を作り、閉じ込めることでディルクウェットへの魔力供給を断つのだ。

 そうなればいくら暴竜とはいえ、ただの弱体化した魔族である。勇者クリムによる正面からの力押しが可能はなずだ。


「――待ちなさい、私も……」

「じゃ・ま・だっ」

「あうっ」


 ぴん、とおでこを指ではじかれた。

 ロベリアもくらってたけど、これけっこう痛いぞ?


「お前はよくやった。正直、ここまでの展開は考えてなかった。……が、だからこそこれ以上は許さん。お前、自分がにされるってわかってるだろうに」


 そうだ。檻に閉じ込めたところで、ディルクウェットが最も即席で魔力を補充する方法はまだ残っている。

 それはアルを喰らうことだ。

 魔力を貯め込んだ手負いの魔王など、暴竜にとっては極上の餌でしかない。

 そんなことはアル自身がよく理解している。

 それでも、と唇を噛みしめる彼女にエレオノーラの反応は淡白だ。


「相手がたまたま仲間ロベリアの叔父だからって理由で、変な責任を感じてるんだろうが――いいか、それはただの錯覚だよ。一度死んで理性を失ったアレは、残留思念で動くただの人形だ。わざわざ見届けるようなものじゃない。お前は依頼を受けてこの土地にゆかりのある怪物を退治しにきただけで、それ以上でもそれ以下でもないよ」


 そんなのにいちいち肩入れをするもんじゃない、とエレオノーラは斬り捨てる。

 なおも納得のいかないアルを見かねてか、エーファが口を開いた。


「あの……アル? ロベリアはどこですか?」

「チビッ子は里の方で寝てるよ」


 アルの代わりにエレオノーラが答える。

 エーファは軽く胸に手を当ててホッと一息つくと、アルの髪に優しく指を這わせた。


「ならアル、私たちはここにいましょう? あの子が気がついた時に誰もいなかったら不安になってしまいますよ」


 ね? と微笑まれてアルは不承不承頷く。

 が――


「……見くびらないでほしいわね」


 幼い声が背後からあがった。

 アルの上着を羽織ったロベリアが立っている。エーファに向けた表情は小生意気に口を尖らせているが、いつもの活力は失せていた。


「チビッ子、気がついたんならちょうどいい。お嬢ちゃんとエーファが“壁”を作るのを手伝いな」

「わかったわぁ…………叔父様あのひとを、お願い」

「ああ」


 弱々しい少女の言葉にエレオノーラははっきりと頷く。

 アルが視線で問いかけると、ロベリアは「アタシにはできませんもの」と小さく呟いたのだった。



   * * *



 炎が大気を焦がす。

 赤黒く燃え盛る灼熱の壁が闘技場の如くクリムたちを囲う。


「さて、クリム」


 エレオノーラは腰の鞘に剣を戻しながら顎をしゃくる。


「あとはお前に任せるよ。弱体化したっていっても、あの魔力量だ。あたしがただ斬っただけじゃそこまで効果はないからね。――にしても、まさかこんなことになるとはねぇ」


 エレオノーラは思わず感嘆のため息をつき、佇んだままの暴竜を見やる。

 まるで凪いだ水面のようだ。きほどまでの獣の如き狂乱はすっかりなりを潜めていた。……もっとも、手を出せばたちまち苛烈な攻勢にさらされるだろうが。


「結末は変わりはしない。だが、ただ討伐するよりはずっとなものにはできるはずだ」


 エレオノーラはそう小さく呟く。

 ここまで状況を動かしたのは、あの頼りない魔王サマのおかげだろう。


 エレオノーラとしては、お嬢ちゃんアルが魔王相応の能力を発揮して暴竜を倒したなら良し。そうでなくとも弱ったアイツをこの山岳一帯を不毛の地にするのと引き換えに斬って斬って斬りまくる完全な力押しを敢行するつもりでいた。

 最高位の術師であるハスタや光翼騎士団団長が出られず、物理一辺倒の自分だけである以上それしか方法がない。まあ、面倒だが単純でいろいろと楽な分そちらの方が好むところではある。


 エレオノーラが考えていたのはそれだけで、クリムとエーファが強引に同行しようとするなどとは予想もしていなかった。当然相手の厄介さは説明していた。その上で自分たちが戦力外であると理解できないほど愚かではない。

 はずだったのだが……それでも二人は食い下がった。

 ならばと条件として出した課題を早々に片付け、ついてこれなければ容赦なく置いていくつもりの山岳移動にも遅れはしたもののしっかりと追いついてみせたのだ。


(まさか戦力外扱いしたあの子らが、いざこの状況になってみれば必要不可欠な役割を担っているとはねぇ)


 エーファはアルとロベリアの補助で触手による魔力喰らいを受けつけない業火の壁を作り、供給方法を絶たれ回復の術を無くし弱体化した暴竜を対魔族の切り札である勇者クリムで仕留める。


 そもそも犠牲を出さないで済む相手ではなかった。人か、土地か、その両方か、いずれにせよ本来なら何かを失っていただろう。

 だが、一人一人はまだまだ未熟な子供たちが、最上の結果を手繰り寄せようとしている。


 つくづく自分の見込みの甘さに呆れるしかない。

 ずいぶんと無謀で大雑把な道筋の作り方だが、お嬢ちゃんは果たしてここまで想定していたのだろうか。それともただの運か。どちらにしても大したものだと素直に感心する。


(しっかし……まさかクリムとエーファがここまで魔王に入れ込むとはねぇ。勇者と光翼騎士団幹部の弟子だよ?)


 どうにも二人とも――とくにエーファは――あの少女に対してやたらと庇護欲というか保護欲というか、そんなものを刺激されているようだ。まさか淫魔夢魔のような魅了にてられてたのかとも考えたが、単純な交流の結果ここまでの関係になったというのだから「これも人徳なのかねぇ?」とエレオノーラは首を傾げる。


随分とおかしな流れだったかが、今回も大概だよラティーナ」


 誰に向けたわけでもない呟きが風に溶けて消えていく。


「ばあちゃん」

「――なんだい?」


 なじみ深い呼び方に返事をする。

 そういえば、感心した、というか一番驚いたのはクリムに関してだ。

 ここまで物事に執着を見せたことももちろんだが、それ以前、街で数年ぶりに出会ったとき一瞬誰かわからなかった。

 外見の変化はそこまでではない。しかし雰囲気が驚くほどに変わっていたのだ。

 最も長く少年の身近にいて、かつ長期間離れていたからこそ、その衝撃は誰よりも大きかった。


「なんだか、アルとロベリアに、その……」


 黒髪の少年は口を閉じて眉根を少しだけ寄せる。ちょうどいい言葉を探しているようだ。


「甘いかい?」


 エレオノーラの言葉にクリムがこくりと頷く。

 自分で言っといてなんだが……はて、そうだろうか?

 ……そうかもしれない。普段なら誰も彼も炎の壁に閉じ込めて戦闘に参加させていただろう。動けないお嬢ちゃんは敵の動きを一本化させるにはうってつけの囮だ。

 チビッ子ロベリアにしても叔父への攻撃はできずとも、主君を守るだけならば全力を尽くせるだろう。

 クリムだけに戦わせるよりも、エレオノーラとラーハルトが加わった方が当然効率的に決まっている。


「ま、ずいぶんと無茶させたからね」


 休ませてやらないと可哀想だろう? とおどけてみせるが、クリムに納得した様子はない。むしろ「俺には一番大変なことをやらせようとしてるくせに、そんな優しいこと考えるわけないだろう」という考えが表情から見て取れる。

 普通なら腹が立つところだろうが、無性に口の端が上がるのを抑えられず、ついの黒髪をぐしゃぐしゃとかき回してしまった。

 育ての親の突然の行動にクリムは目を白黒させる。

 そんなどうってことない仕草すら愉快で「だからさ」とエレオノーラは言う。


「ちょっとした礼のようなもんさ」


 よくわからないと唇を尖らせるクリムを軽く小突いて「おら。いい加減やるよ」と促す。


「お嬢ちゃんがかなり削ってくれたおかげで今はお前の方が有利な条件になってる。が、実力ではあっちが格上だ。気を抜けば死ぬよ」


 表情を引き締め直したクリムに頷きつつ「それと、できるだけ急所は狙うな」とさらに注文を付け足す。

「わかった」無茶な要求を素直に受け入れてしまった少年に、エレオノーラは苦笑し「できるだけでいい。いざという時は援護に入ってやるさ」と背中を押した。


「待たせてすまなかったね、ディルクウェット。さあ、やろうか」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る