魔王と少女と暴竜①

「あら、もう終わりかしらぁ?」


 ロベリアが拍子抜けしたように首を傾げる。

 森と荒地の境目に落下した暴竜は、地に身体の三分の一をめり込ませたまま沈黙している。全身を覆う業火に今も焼かれているにもかかわらず微動だにしない。


『…………すごいね、ロベリア』


 目の前の結果にアルは舌を巻く。

 ロベリアは「魔王アル様の身体がすごいんですのよ」と褒めそやしてくれるが、いくら不意を突いたからといってあれほど巨大な竜をあっという間に倒してしまうなど、自分には想像すらできない。

 体格差や質の異なる魔力にもかかわらず、ロベリアはアルの身体を使いこなしていた。そこに“なりたて”と呼ばれた幼い少女がこれまで必死に積み上げただろう研鑽とそうせざるを得なかった過酷さを想像し、アルは胸を突かれる思いがした。


 燃え盛る山、岩陰から覗く砂海――ロベリアを取り込んだとき断片的に見えたアレは、きっと少女の記憶だったのだろう。自身の人生経験では推し量ることのできない壮絶な過去に、知らぬ間に唇を噛みしめてしまう。


 いけない――再び首をもたげた陰気な思考を振り払う。ここで彼女に対して抱くのは引け目でも、まして同情などではないのだから。


『本当にすごいよ、ロベリア。これが終わったら、目いっぱいギュッてして褒めてあげるからね』

「あ、アル様ったら。ちょっとアタシを子供扱いし過ぎじゃありませんのぉ?」


 そうは言いつつまんざらでもない様子に、アルは口元を綻ばせる。

 よし、やりすぎて嫌われない範囲で思いっきりやろう。


「ところで、、元に戻るんですの?」


 これとは言わずもがな、アルとロベリアが“合体”してしまっている現状である。

 なんとも言えず沈黙する。

 一か八かの思いつきが奇跡的に成功したが、この状況はアルにとっても想定外なのだ。


(まさかロベリアが私の身体の主導権を握るなんて、思ってなかったもんなぁ)


 致命傷を負ったロベリアを死なせないために試みたのは、彼女を魔喰ですることだった。

 発想の起点は「吸収した属性魔力の変換が上手くできていないのでは」という指摘からだ。

 以前から偶発と故意のどちらでも、他者の属性魔力を魔喰によって一時的に取り込み、変質させず放出することには成功していた。ならばそれを発展させて、喰った魔力や魔法を体内にし『攻撃や防御に使用』『自身の属性に変換し魔力補充』など必要に応じて切り替えつつ利用できないかと考えていたのだ。


 それが昨日、ラーハルトの協力を頼んで行った火精霊による実験だった。

 アルの魔力制御が拙なく、その上、自分の魔力を火勢を増してみようなどという余計なことまで試したせいで全身を焦がす結果になってしまったのだが……。

 しかしあの時、確かにアルの魔力によって火は大きくなった。だからこそ自身とロベリアの危機に際し、さらに荒唐無稽で無謀な賭けに出ることにしたのだ。


 すなわち“魔力の塊である魔族”を自らの体内でし、魔力を共有することによってできないだろうか、と。


 最大の懸念であり障害は、ロベリアが生身であることだったのだが――。



<おもしろいこと考えるのね。でも、それじゃあダメよ? しょうがないから少し手伝ってあげる>



 は本当に自分だけで成し得たことだったのだろうか?

 得体のしれない違和感につい沈黙していると、ロベリアが怪訝そうな声をあげた。


「アル様?」

『あ、ううん、なんでもない。元に戻れるかだよね』


 今、アルは小さな箱を抱えて部屋のような空間にいた。

 おそらくロベリアに身体を明け渡して、自分は奥に引っ込んでいる状態なのだろう。意識をすれば、ロベリアと感覚を共有して外界の様子も確認できる。

 こんなところでも部屋でひきこもるなんて――なんだか業のようなものを感じて、少し笑ってしまう。

 アルは胸元の小箱に視線を下ろす。ロベリアの意識はアルの肉体に満ちているが、同時にこの“箱”の中に納められているものこそ彼女の本体なのだという確信があった。


『うーん、と……感覚としてはこの間、ロベリアの火属性魔力を魔喰で呑み込んだのに似てるんだよね』


 程度の差こそあれ、状況は似通っている。あの時の火の魔力を強引に体内で維持させていたのとは違い、今は“箱”に納めるという形でロベリアを無理なく保護することができている。要は箱を開き、へ解放すればいいのだ。


『――だからロベリアをてすれば分離できるんじゃないかなって』

「アル様ぁ? さすがにその表現はよしてくださいませ!」

『え? あ、そっか、ごめん!』

「アル様はもうちょっと淑女としての自覚を持った方がいいと思いますわぁ」

『ロベリア、なんかウルドに似てきてない?』

「……それはきっとでなくても、褒めてませんわねぇ」


 まったくもう、とロベリアが脱力する。


「こらぁ、ガキども! 気を抜いてんじゃない!」


 弛緩した二人の空気をたしなめるように、怒声が響いた。


『エレオノーラ?』


 ロベリアの視界が赤毛の冒険者の姿を捕らえる。

 いつの間に来ていたのだろうか? そしてその警告はどういう意味だ?

 前者の疑問はともかく、後者については即座に判明した。

 ぐるんと視界が回転し、目と鼻の先を巨大な何かが通過していく。それは肉の触手だった。

 沈黙したはずの竜の身体から一本、大木のような肉の蔦が伸びている。


「こんなものっ」


 紙一重で不意の一撃を回避したロベリアが気を吐く。両手に形成された魔力刃が幾重にも閃き、細切れになった触手が地に墜ちていった。切断面が燃えているのは、彼女の属性によるものだろうか。

 痛覚があるのか触手は大きく痙攣し、本体へと戻っていく。


『今ので終わり?』


 アルはホッと胸をなでおろすが「まだですわぁ」ロベリアは警戒を解かない。


 ボ――ッ。


 一瞬、竜の身体が弾け飛んだのではないかと錯覚した。それほどにおびただしい数の触手が突如として鎌首をもたげ、全方位へと散ったのだ。

 半数は森へ、残り半数はロベリアへ。


「いいぃっ、何ですのぉ?!」


 予想外の事態に叫びつつも、ロベリアが腕をひと振りする。大量の火球が現れ、個々が意思を持つかのようにあやまたず触手の群れへと向かっていく。

 しかし直撃する瞬間、肉塊の先端がばくりと上下に裂け火弾を呑み込んでしまった。


『食べた?!』


 禍々しい大蛇のように変形したおびただしい数の触手が、ロベリアに襲いかかる。

 巧みに身をかわし新たな火球を生み出すが、たちまち四方八方から迫りくるあぎとに喰い尽くされてしまう。

 ロベリアは歯噛みする。

 小技程度では役に立たない。斬り払うには数が多すぎる。


ロベリアちびっこ 、こっちに来な!」


 エレオノーラが叫び、水色と緑、ふたつの瞳が両者の姿を刹那に映す。それ以上の言葉はなく、しかして互いの意図を量るには十分だった。

 無数の肉の蔦が織りなす囲いの隙間を抜け二人のもとへ翼を羽ばたかせる。

 触手が追随するが、脇目もふらずエレオノーラとラーハルトの間を通過し、その後方へ着地した。


数える間だけでいいわぁ。ヘマしないでよぉ?」

「はっ、誰に言ってんだい」

「任せたまえ」


 エレオノーラとラーハルトが不敵に笑い、白刃が空間を切り裂いた。

 ロベリアを追って突っ込んできた触手がことごとく細切れになっていく。

 練達の剣士二人による無数の斬撃は最凶の盾となり迫りくる外敵を阻む。

 しかし傷を負った触手は一時後退するものの即座に修復し、再び襲撃を繰り返す。波のように打ち寄せる数と勢いは回を重ねるごとに増していく。


 第二波。

 第三波。

 第四波。


 そして――


「さがりなさいなぁ!」


 前衛の二人が同時に後方へ跳ぶ。

 突き出されたロベリアの両手から業火が迸る。練り上げられた魔力は火竜の息吹が如き焔となり、触手の群れを呑み込んだ。

 暴力的な熱が過ぎ去った跡には、ただ灰が残るのみであった。


「お見事」


 ラーハルトの称賛に「これくらいどうってことないわぁ」とロベリアが胸を張る。


「だから油断するなってんだよ、チビッ子」


 エレオノーラがペシンとロベリアの額を叩いた。「あいたぁ!」無造作な平手打ちだったがそれなりの威力があったらしく、ロベリアは悲鳴をあげて真っ赤になったおでこを抑える。


「なによぅ! アル様の身体に気安く触らないでくれるかしらぁ! それに今はアタシの方が背が高いんだから、その呼び方はよしてちょうだい」


 小ぶりな炎を展開して威嚇する少女だったが、不意に何かに気づいたように「うー……?」と立ち尽くしてしまった。その隙をついてエレオノーラの人差し指が、赤みの残っている額を弾く。


「いったぁ!」

「人様の身体を借りといて何ほざいてんだい。そういうのは自分の貧相な寸胴がきっちり成長してから言うんだね、

「ずん……どう……」


 屈辱にプルプル震えるロベリアを横目にラーハルトが口を挿む。


「師匠、がロベリア嬢というのはどういう――?」

「やれやれ、お前もかい」


 この娘アルらに関わると緊張感がなくなるのかねぇ、とエレオノーラはため息をつく。

 それをどんな状況でも自然体を貫く師匠あなたが言うのか――ラーハルトは内心でつっこむが口には出さなかった。事実、彼が師の隙を、針の先程度の穴ですら見つけられたことなど一度もないのだから。


「理屈は知らんが、見ての通りだよ。お嬢ちゃんの身体はチビッ子が使ってる。気配を見る限りじゃ、持ち主の方は奥に引っ込んでるみたいだね。ハスタの奴かあたりなら説明できるのかもしれんが、あたしにゃさっぱりだよ」


 細められた視線が、文字通り見透かすようにアルを捕らえた。


「だが、魔力は随分安定してるね。この胸糞悪い空気まりょくも自然に吸収してるようだし」


 そういえば、あの内臓が焼け落ちるような痛みがすっかり消えている。


(もしかして、ロベリアが上手くやってくれてる――?)


 魔力の属性もロベリアの“火”に変化しているようだし、彼女が上手く毒素も分解・変換しているのかもしれない。


「ふん。できないんならできるやつに任せる、かい。怠け者のお姫様らしいなかなか面白い発想だ、お嬢ちゃん」


 エレオノーラが愉快そうな笑みを浮かべる。しかし鋭すぎる眼光と唇の片方だけを上げたその表情は極上の獲物を見つけた肉食獣のそれでしかなく、アルは『ど、どうも……』とそっと目をそらした。ついでに『そ、そんなつもりはなかったんだけどね? たまたま、そう、たまたま結果的にそうなっちゃっただけで、本当は自分でもっと頑張るつもりだったのよ?』などと、聞こえてもいないし、聞かれてもいない言い訳を口ずさんでしまう。


「だが、毒は毒だ。分解しきれなかったもの、あるいは分解に間に合わなかったもの、なんにせよ少量ずつは確実に溜まっていくはずだ。取り込み過ぎには注意するんだね」

『…………は、はぁい』

「……わかったわぁ。けど、エレオノーラ? もうちょっと柔らかい表情はできないかしら。あなた顔が怖いのよぉ。アル様が怯えていますわぁ」

『そそそそそそそんなことないもん!?』


 肩をすくめたロベリアに慌てて否定するが、まあ、今さらである。


「そんなんじゃ、街を歩くたびに子供に泣かれるのではなくてぇ?」

「はん、むしろ好かれてるくらいさ。なんたってどいつもこいつも一目で泣き止むんだからね」

「…………それは恐怖でひきつけおこしてるのよぉ、きっと」


 ロベリアの指摘に対し「見解の相違だね」と流すと、エレオノーラは表情を引き締めた。


「さあて、休憩は終わりだよ。もいい加減復帰するだろうからね」


 彼女の視線の先には、大地に横たわり沈黙したままの暴竜の姿。

 まさかあれほどの火砲を浴びて無事だとでも言うのだろうか? もしエレオノーラの言う通りまだ息があるとしても、さっきも圧倒できていたのだから脅威にもならないのでは……。

 それは奇しくもアルとロベリアの両者が抱いた感想だった。

 だが歴戦の冒険者は、二人に釘を刺す。


「あんなのは、たかだか伸ばした指先をようなもんさね。その程度で“竜”が終わるんなら随分と舐めた話だよ。――いいかい、ロベリア、お嬢ちゃん。お前らが抱えてる全能感それは、この世で最も甘美で危険な毒酒だ。未知への畏れを薄れさせ、既知に対する恐れを麻痺させる。呑まれちまったら、逝きつく先は醒めない夢の底の底さ。そうなりたくなかったら、決して油断するんじゃない」


 淡々とした口調。だがそれ故に抗えぬ迫力を秘めた言葉に、少女たちは静かに頷いた。

 いつの間にか周囲には霧がかっていた。まさかエレオノーラの言った通り、慢心と油断によるものだろうか。ここまでの環境の変化に気づけていなかった事実に、アルは戦慄した。


「この霧……ですわねぇ。しかも魔力感知の阻害とおまけに目眩ましまで……」


 いつの間に、とロベリアが悔しげに呟く。

 霧自体にその存在をすぐには悟らせない術式が組み込まれているらしい。だがこれはあくまで認識をさせづらくするだけで、注意を怠りさえしなければ容易く見破れる程度の効果しかないという。

 その証拠にエレオノーラとラーハルトの二人はあらかじめ気づいていたのか、平然としている。


 霧の彼方で巨大な影が拍動するように蠢いた。

 目を凝らし薄靄を透かし見れば、暴竜の身体から無数の管が森へと伸びている。それはロベリアたちに向けられなかった残りの触手だった。無数の大蛇が木々に巻きつき、あるいは牙を突き立ててまるで血を吸う蛭のように蠕動ぜんどうしている。


「冗談でしょう……?」


 ロベリアの声が震える。

 ありえない光景だった。触手に巻きつかれた樹木が生気を吸われたように枯れていく。

 そういえば先ほど火球が文字通りとき、わずかながらも触手はその勢いと力を増さなかっただろうか?

 冷たい汗が頬を伝う。

 不意に風を感じた。否、風ではない。魔力が流れているのだ。どろりとした液体を肌に塗りたぐられるような不快な感触に、思わず顔をごしごしと拭ってしまう。

 周囲を満たしていた濃密な魔力が濃霧を巻き込み渦となり、竜の躯体を繭のように覆っていく。


「――どういうこと? エレオノーラ」

「おや、お嬢ちゃん出てきたのかい」


 エレオノーラは驚いた風もなくアルに応える。

 一時的にロベリアと身体の使用権を代わってもらったのだ。ぶっつけだったものの簡単にロベリアと意識の入れ替えができた。が、『ここはどこですのぉ!?』と少女のうろたえた声が胸の奥で響いている。断りはしたが突然だったために驚かせてしまったらしい。「大丈夫だよ」と先ほどまで自分がひきこもっていたへ向けて声をかける。ロベリアの落ち着いたらしい気配を感じ、あらためてアルはエレオノーラへ視線を戻した。


「もう一度聞くわね。あれはいったい何?」

「おいおい、こっちは敵の首を切り飛ばすのが能の前衛職だよ。あたしに難しいことを訊いたって答えられるわけないだろうが。ほどじゃないけど頭を使うのは苦手なのさ」


 こいつ……アルは眉をしかめた。

 ここでエレオノーラの言う“勇者”がクリムを指していないことくらいわかる。


「…………やっぱり先代勇者の仲間だったのね」

「別に隠しちゃいなかったけどね」


 異常な戦闘技能に百年以上も生きていてウルドやハスタとも知り合いで――なんて、あちらからすれば臭わせのつもりですらなかったのだろう。ただアルが外の常識に疎すぎて気づけなかっただけだ。

 だとすれば英雄級と呼ばれる冒険者の最上位である“白金”こそ彼女をおいて他にいない。冒険者組合や光翼騎士団はおろか王宮内にだって繋がりがあるのも頷ける。

 金等級ひとなみだと思って『エレオノーラに勝てば王宮に話を通してやる』なんて甘い賭けに乗ったけれど、まさか実は白金等級じんがいだったとか……ひどい詐欺にあった気分だ。


 だが、そのあたりの文句はすべて後回しだ。

 目下の問題は現象について。ずっと昔とはいえエレオノーラは一度暴竜と戦っているのだから、少なくとも知っていることはあるはずだ。


「アイツ、ここら一帯に漂ってる魔力どころか、樹からも吸い取ってるわよ! まるで魔喰じゃない!?」

「お前の魔喰ヤツよりはデタラメじゃないさ。触れられた瞬間に干乾びたり消滅するなんてことはないから安心しな」

「答えになってない!」


 耳元で怒鳴られ、エレオノーラが顔をしかめる。


「少なくとも竜種の特質じゃあない。どういうわけか暴竜だけが魔喰に似た何かを使いやがる。………………ハスタの奴は、もしかしたら魔王の一種なのかもしれないとか言ってたがね」


 暴竜が魔王の……? それではウルドの「魔王は称号ではなく唯一無二の存在」だという言葉と矛盾する。そう追求しようにもエレオノーラは「言ったろ、ムツカシイことはあたしにゃわからんって」と取り合おうとしない。はぐらかしているわけではなく、本当にわからないのだろう。


「……………………クリムやエーファとの相性が悪いって言うのは、ことだったのね」

「いくら傷を負わせてもすぐに回復する。ただの魔族相手なら魔力が尽きるまで刻み続けてやればいいが、アレは魔力をいくらでも補給できるときた。中途半端な攻撃じゃ大した効果にならないし、下手に長引けば周囲の魔力を吸い尽くされたあげく山を下りて人里に被害が出かねん。少なくとも力を封じられたままの勇者クリムじゃ無理なのさ」


 エーファの精霊術も下手をすればロベリアの火球のように餌にされるだけの可能性がある。効果があるのは物理攻撃だが、決定打には決してなりえない。


「始めから私を巻き込む気だったのね」


 魔王アルならばいくらでも高火力を叩きだせるし、最悪になっても魔喰の性能差で競り勝てると踏んだのだろう。


「ま、お前がいなけりゃハスタの奴を引っぱり出すか、騎士団長サマにご出陣願ったさ」

「できればそっちを選んでほしかったわ」

「いろいろと制約が厳しいんだよ」


 ずいぶんと実感のこもったため息をひとつ吐くと、エレオノーラは声を落とした。


「いまさらだが、奴を喰うのは止めときな。ここら辺の魔力はアイツが縄張りと罠と燃料を兼ねた“余力”だ。お前が予想以上だったんで取り込み直してるが、結果出来あがるのは圧縮され高濃度の毒性を持った肉体だよ。いくらチビッ子が魔力運用に長けてたって、分解しきれるものじゃないさ。死にはしないだろうが、当分身体は使い物にならなくなるだろうね」

「……………………わたしに死んでほしいのか生き残ってほしいのかどっちなのよ」


 話を聞く限り、扱いは完全に使い捨ての駒だ。ヒト側からすれば、魔族同士で潰し合うのならそれに越したことはないと考えるのは何も不思議ではない。しかしその一方で助かってほしいと願っているようにも思える。


「ヒトかつ依頼を受けた冒険者の意見としちゃ、使えるもんは有効活用するってだけの話だよ。ま、いちとなるとまた別だがね」


 むざむざ生贄にするつもりはないさ。赤毛の冒険者の呟きは荒狂う魔力の流れにかき消されて、アルの耳には届かなかった。

 不意にすべての音が消失した。時が止まったかと錯覚するほどの静寂。濁流のような魔力が周囲から失せている。

 十二分な捕食を終えた繭がひときわ大きく拍動すると、熱湯を浴びた雪玉のように急速に溶け始めた。

 繭すら喰い尽くし、まさに本体が出現しようとしているのだとアルは直感する。同時にロベリアが『今すぐに交替してくださいませ!』と警告を発した。


 ごぅ――。


 土砂をはね上げて、濁流のような魔力の塊が迫ってくる。

 アルと肉体の主導権を交替したロベリアは瞬間的に半円状の障壁を三人の前方へと個別に展開する。

 破城槌でも受け止めた気分だった。破られこそしなかったものの突き抜けた衝撃に揺さぶられ、ロベリアは小さく悲鳴を上げる。


 霧は晴れない。

 白濁した戸張の向こう、人影が立ち上がった。

 その姿を認めて、少女が呻く。


「ディルクウェット…………おじさま…………」


 それは諦観のような、あるいは絶望のような、今にも泣きそうな幼子の声だった。

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