幕間 ~少女と紅蓮の翼~

 夢を見た。

 いつしか蓋をしてしまった幸せな過去ゆめを。


 夢を見た。

 いくら目を背けても振り払えなかった心苛むゆめを。



   * * *



「ローベーリーアー、早く起きなさい」

「ふへぇ?」


 ばっさぁ、と勢いよく布団をはぎ取られた。朝のひんやりとした空気に、反射的に身体を丸くする。


「んうぅぅぅ……」

「もう、無理にでも寝ようとしないの。風邪ひくよ」

「……かかさまがお布団を返してくれればいいと思うの」


 ぎゅっと抱きしめた枕に顔を半分埋めて、ちらりと見上げる。

 ちょっとした抗議だったのだけど、かかさまは気にした様子もなく後ろに結んだ紅い髪を揺らして「だぁめ」と短く答えた。


「むぅ……こうすれば、ととさまなら『いいよ』って言ってくれるのに」


 口を尖らせると、かかさまはこめかみに指をあてて「あの人ギユウってば」と笑っているような呆れているような不思議な表情になった。

 その様子がおかしくて、ついクスクスと笑ってしまう。


「なぁに、ロベリア。そんなに私の顔が面白い?」


 ぱっと枕の下に隠れて「ちがうの、ちがうの」と言い訳をする。けれど、かかさまの指がお腹に触れてコショコショとくすぐりだした。


「ん~、何が違うってぇ? 言ってみ~」

「きゃは、あはは、ちが、あははははははっ」


 あまりにくすぐったくて枕を放り出してしまった。

 身体をひねってどうにか逃げようとするけれど、かかさまは離してくれない。


「あっはははは。相変わらず娘大好きなんだねぇ、ギユウくんは」


 とても明るい笑い声が流れてきて、ようやくかかさまは手を止めてくれた。

 戸の隙間から、お月様のようにきらきらと光る銀色の髪が覗いた。

 寝台から飛び降りて、部屋に入ってきた人物に勢いよく抱きつく。


「ねねさま、おはようっ」

「おはよう、ロベリア。今日も元気だね」


 ねねさまはお日様のような笑顔を浮かべた。


「あのねぇ、義姉ねえさん」

「なあに、エルシャ?」

「さっきの言い方じゃ、私がロベリアを大好きじゃないみたいでしょ」

「おっと、そこに引っかかるんだ」


 ねねさまは「ごちそうさま」と肩をすくめると、懐から見たことのない本を取り出した。


「さて、ロベリア? 外はいい天気でキミの好きな読書にもうってつけの日だよ。だから早く支度をすることをお勧めするね」


 じゃないとアタシが一人で読んじゃうよー、そう言い残してさっさと部屋の外に出て行ってしまう。

 それは一大事だ。かかさまの「顔洗って朝ごはんが先よー」という言葉を背中に受けながら、ねねさまを追いかけて戸を勢いよく開けた。



   * * *



「まおう、ってどんな人?」

「魔王? ん~……さあ、私は会ったことないからわからないなぁ」


 ねねさまは、軽く頬杖をついて「どうしてだい?」と微笑んだ。


その子ロベリアね、“まおう”が好きなのよ」


 かかさまが苦笑いしながら紅茶とお菓子を並べていく。

 すん、と牛乳とハチミツたっぷりの甘い香りが鼻をくすぐる。


「へえ?」

「強いから、だって」

「なるほど?」


 ねねさまはあまりピンときていないらしい。

 だって、と理由を説明しようとして、かかさまにちらりと睨まれた。あわてて食べかけの焼き菓子を口につめて、くっ、と紅茶を一口流し込む。


「だって、まぞくの王さまなのよ。おそとのよりも、ほかのよりも一番つよくて、すっごいの」

「ふむ、けれどそれなら勇者はどうなんだい?」

「ゆうしゃは、よくわかんない」


 たしかに、ご本では魔王は勇者にいつもやられてしまう。けれど勇者の力っていうのがいまいち想像できないし、それに『勝って当たり前』みたいな、物語があらかじめそう作られているのが気に入らない。まるで世界がえこひいきしてるみたいだ。

 そのくせ本人は、人助けをして、魔王を倒して、それだけ。


 それだけ?

 この人、他にしたいことはなかったの?

 ただ魔王を倒して、ハイ終わり?


 物語はとてもよい雰囲気で終わるけれど、本当にそれがことなのかあたしにはよくわからない。

 それに比べて、何度負けても『世界を征服する』っていう野望を持って復活を続けている魔王はずっとわかりやすくて格好いいと思う。


「ははぁ、なるほど。ロベリアは勇者の物語をそんなふうに読み取ったんだね」

「そう。あたし、まおうの方がすき。おおきくなったら、つよくなって、そっきんになるの」

「側近? 魔王の? やあ、これは大きく出たね」

「まったく、人見知りな癖に……。この具合はギユウの影響かしらね」


 かかさまは呆れたようにため息をつくと、お膝の上にだっこしてくれた。


「私としては、ヒトを傷つけるような魔王には仕えてほしくないかな」


 細くて柔らかい指が髪を優しく撫でてくれる。

 むう、そうか。かかさまはだから、まおうがあばれると困っちゃうよね。


「なら、あたしがそっきんになったら、まおうにはヒトと仲よくさせるの。イヤだっていうなら、あたしがエイッてやっつけちゃう!」

「あらあら……なら、安心かしらね?」

「まかせて。きっと、かかさまたちを守れるくらい、ととさまたちよりもずっとつよくなってみせるんだからっ」

「なら私の子たちもキミの妹分だ。しっかり面倒をみてくれるかい?」

「もっちろんっ」


 そう胸を張っていると、ねねさまが悪戯っぽい笑みを近づけてきた。


「ふっふふ~。ところでロベリア? あくにいながら正義をなすとはなかなかに面白い行為だけれど、強さを示すなら実力だけじゃなくて『そう見せること』も大切だ。ちょっと悪くみられるくらいがいいんだけれど、キミはエルシャに似て顔立ちがとても可愛らしい。だからそうだなぁ……笑い方を工夫してみるのはどうだい?」

「わらいかた?」

「そうさ。こんなふうに。……くっふっふっふ」

「くっふっふっふ……?」

「あははは! そうそう、いい感じっ」

「ちょっと義姉ねえさん? ロベリアに変なことふきこまないのっ」

「くっふっふっふっふ~」

「くっふっふっふっふ~……くふ、ふ、きゃ……あはははは、かかさま、きゃはっ、ごめんさない、やめてやめて、あははははははっ」

「ちょ、エルシャ。ロベリアをくすぐりながら、私をくすぐるとか器用なことしないで…………あはははははは、ごめんごめん!」


 透き通った青空に、仲良しな笑い声が吸い込まれていった。



   * * *



 そこには暗黒のような曇天が広がっていた。

 滝のように降りしきる雨が、強く強く地面を打ちつけている。

 遠くから悲鳴と怒号が聞こえる。

 これまで聞いたことのない騒音に、焦げたような、生臭いような、いだことのない気味の悪い臭い。そのどれもが胸をキュウッと締めつけてくる。

 茫然と立ち尽くしていると、背後から抱きあげられた。


「かかさま?」


 かかさまは何も言わず、里とは反対の方向へ駆けていく。

 落雷のように大きな音が響き、反射的に目をふさいでしまう。

 そろそろと音がした方に視線を向けると――空が燃えていた。

 黒鉄のような雲が赤々と焼けただれ、吸い込まれるように地上からいくつもの煙が立ち昇っていく。


 ねえ、かかさま。里は? ねねさまはどこ? ととさまはどうしたの?

 まって、かかさま。せめてもつれて行かないと。

 ねねさまに頼まれたの。よろしくねって。

 だから――。


 耳を覆うほどの轟音。

 上空から里へ向けて、雨の隙間を縫うように雷が駆けまわる。

 やがて里の中心部から巨大な影が立ち上がり――



   * * *



 あつい。

 日光をさけて岩のかげに頭を引っこめる。

 かかさまは、昨日の夜から目を覚まさない。


 ――私が起きなかったら、先に一人で行きなさい。


 もうお日様は頭の上にあるけれど、もうちょっと待ってみよう。

 かかさまは疲れてるんだ。だから休ませてあげなくちゃ。


 それにしても、ここはどこだろう。

 まわりは砂だらけで、かかさまは街があると言っていたけれど、ぜんぜん見当たらない。


 心細くなって、かかさまにくっついて寝ころぶ。

 こんなにあついのに、かかさまのからだはすごく冷たい。

 どうしてかわからないけれど、涙があふれてきた。

 ぬぐってもぬぐっても、流れるしずくは止まってくれない。

 声を出しちゃダメだ。かかさまが起きてしまう。


「……っく…………ふぐ……っ……」


 じゃ、と砂をふむ音がして、あわてて口をふさぐ。


「何だい子供かい。まったく、久方ぶりに子守から離れたと思ったら……。アイツを拾ってから、子供に縁でもできたのかねぇ」


 声は女の人。こちらを驚かせないようにしてるのか、近づいてくる足音はすごくゆっくりだ。


「ふむ…………ほら、起きなチビッ子。とりあえず母ちゃんと一緒に街まで連れてってやるからさ」



   * * *



 …………夢を見ていた。


 いや、今も夢の中なのかもしれない。


 ふわふわとして、なにもわからない。


『ごめんなさい』

『ごめんなさい』

『ごめんなさい』


 誰かの声がする。


 ――どなたかわからないけれど、そんなにあやまらないでください。


 ――きっと、ぜんぶアタシがわるいんですから。


 ぼやけていた視界が、少しだけ像を結ぶ。

 黒髪の女の人がこちらを覗きこんでいる。


 ――きれいなひと。


 ほう、と感嘆の息がこぼれる。

 誰だっただろう。知っている気がする。


 ああ、そうだ。あの人だ。

 憧れていた人、好きになりたかった人。

 好きになってほしかった人。



 始めはただ、その存在と、強さに憧れていた。

 けれど、あなたは思っていたよりもぜんぜん弱くて情けなくて、でもやっぱり強くって――魔族のくせに勇者とヒトと仲よくしてる不思議な人だった。


 だからちょっとついて行ってみようって、思った。


 酷いことをしたのに、妹のように接してもらって嬉しかった。


 少しねねさまに似てる所があって、寂しかったし、懐かしかった。


 ふだんが頼りないところだらけで、自分が守らなければと心に決めた。


 でも――、


 けっきょく最後は…………うまく、いかなかったな…………。



 どうしてだろう。

 かかさまも、ねねさまも、ととさまも、みんなみんないなくなってしまった。

 アタシがわるい子だから?

 アタシが半端モノで弱いから?


 でもね、もう、どうしたらいいのかわからないの。


 どうか、どうか、だれか、そばにいてください。

 強くなろうとしてみたけれど、ずっと一人はつらいんです。

 強がってみたけれど、ずっと一人はさびしいんです。

 だから、だれか、せめて、手を――


『わたし、アンタが大好きよ』


 ――え?


『アンタが来てから、妹ができたみたいですっごく嬉しかった』


 ――本当に?


 くしゃり、と顔が歪んだ。

 かかさま、ねねさま――。

 もう聞くことはできないと思っていた懐かしく温かな言葉が胸ににじむ。


『だから、死んでほしくない』


 ぽろぽろとこぼれるしずくもやを流していく。


 ――ああ、アル様。


 ――そんなにかなしそうな顔をしないでください。


 ――そんなに苦しそうな顔をしないでください。


 ――アタシだけは、あなたの味方です。


『だから』


 ――ですから、


『アンタを、喰うわね』


 ――この身を、捧げます。



   * * *



 ――ア。


 ――起き  い、ロ  リア。


 ――ロベリア!


「!?…………あ、あれ?」


 はっと目を開く。

 焼けていく里も、一面に広がる砂漠も煙のように消えてしまった。


『ああ、よかったぁ』

「アル様?」


 主が「ほっ」と大きく息を吐く気配を感じた。しかし、周囲を見渡してもその姿はない。

 それどころか――火の壁に取り囲まれていた。


「をおおおおぉぉぉぉおおおお?! あっつい! めっちゃくちゃ熱い! 何これ?! いったい、どうなってるんですのぉ!?」

『お、落ち着いて、ロベリア』


 相変わらず主の声はすれど、姿は見えない。


「うぅぅ? アル様ぁ、どちらにおられますのぉ……?」


 さっきまで見ていた夢の名残だろうか。ついつい情けない声がこぼれる。


『大丈夫だから。大丈夫だからね? だから落ち着いて』


 すぅ――、はぁ――。

 深呼吸をする。


『ええっと、私がどこにいるかって言うと……うーん……ロベリアの……中?』

「……え?」

『うん、中、だね。それ以外説明できない』


 なか……中?

 わけがわからないまま自分の身体に視線を下ろす。

 あれ? そういえば、胴体を斬られたはずじゃあ?

 しかし、しっかり足がついている。

 というか…………なんだか、身体が……大きくなってるような……?


「??????」


 混乱のあまり目眩めまいがして、頭がくらくらする。それを案じたように主の声が響いた。


『あ、あのね、ロベリア。私もあんまり整理できてなくって、時間もないから、ざっくりとした説明になるんだけどね』

「は、はいぃ」

『ロベリアは、今、私の身体を使ってます』

「はい……え?」

『というか合体しました』

「ん……ぅうん?」

『以上!』

「ほんっとどういうことですの?!」


 全く説明になっていない説明に、ジタバタと手足を振り回して抗議する。

 なんだか翼を動かすたびにやたらと火の粉が舞うなと思っていたら、翼も燃えていた。本当に訳わからない。


『しょうがないでしょ。私がやっちゃったのが原因だとは思うけど、こんな風になるとは思ってもなかったんだもん!』

「えぇ……」

『ほ、ほら、そんなことより。まだラーハルトが暴竜と戦ってるの! お願い、ロベリア!』


 主の懇願に思考を切り替える。

 事の経緯はまったくわからないが、致命傷を受けたはずの自分は健在、主も無事……無事?…………まあ、とにかく大丈夫らしい。

 そして“敵”がいまだ残っているのならば、やるべきことは一つだ。

 改めて身体を確認する。主観になってしまうが、手足の形や服装は確かに主のものだ。どうやら本当に、そして信じられないことに、おそれおおくも身体をお借りしてしまっているらしい。

 とんでもなく複雑な気分だが、同時に不思議な高揚感と、それに呼応するように恐ろしいまでの魔力が漲っていくのを感じる。


「これが、魔王ですの……」


 ただそこに在るだけだというのに、その魔力の大きさはかの暴竜どころか、先ごろ垣間見たグエンにすら匹敵している。

 その気になれば魔力は無尽蔵に上昇していくのではないか。そう思える程に底の見えない力に、ぞくりと背筋が震えた。


「これなら――やれますわぁ」


 ぐっと拳を握る。

 ほんの少し前までものすごくしんみりしてたはずなのだけれど、いつの間にかどうでもよくなってしまった。


 驚きすぎて、それどころじゃなくなった?

 そうかもしれない。けれど、それだけでもない。


 ぽっかりと冷たかった胸の奥に、ほんのりとぬくもりを感じる。

 それはいつかの冬、かかさまとつないだ手の感覚によく似ていた。


『よぉし、いくわよ』


 妙に気合の入った主の声に、口元が緩んだ。

 いけない、いけない。

 今は魔王様の身体なのだ。だから、それにふさわしく笑おう。

 堂々として、無敵で、きっと素敵な笑みを。


「くふ、ふふ……くっふっふ……」

『さあ――やっちゃいなさい、ロベリア!』

「おっっっまかせですわぁ!!」


 主の号令に力強く答え、紅蓮に輝く翼を打ち鳴らした。

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