魔王と魔族討伐④

 どれくらい歩いたのだろうか。

 感覚を信じるなら正午を過ぎたあたりだと思うが、それを確かめる術はない。

 大気中の魔力はますます濃くなり、アルたちは異形化した植物がひしめく隙間を縫うように進んでいた。

 怪物の歪なかいなにも似た枝葉が空を隠し、その隙間から覗いた先には黒雲が鎮座して、あまりの暗さに目を凝らさなければ足元もおぼつかない。


「どうにも雲行きが怪しいね」


 いかようにでも取れる呟きをラーハルトがこぼした。

 それは山中の一部を異界化しつつある膨大な魔力とその元凶に対してか、単純に空模様についての言及だったのか。あるいは――と、アルは先頭を進む幼い背中に視線を送る。

 少し前からロベリアは、何かに急かされるように黙々と歩を進めていた。出発後しばらくは「こちらです」「足元気をつけてくださいませ」など言葉少なではあったが、最低限の会話はできていた。だが、今ではすっかり口を閉ざし、ぴりぴりとした威圧感を周囲に振りまいている。


 アルは息苦しさに胸をそっと抑える。

 これまでも数少ないなりに戦闘にあたっての空気は経験している。しかし共にいたクリムやエーファはその性格や経験故に、周囲へ精神的な緊張を伝染させるような行動をとることはなかった。そのため、ロベリアが発する殺意や敵意が自分にも刺さっていることに、アルは戸惑いを隠せないでいた。


「ロベリア嬢。もう少し気配を抑えてくれ。これではに居場所を教えているようなものだ」

「探す手間が省けていいじゃない」


 ラーハルトの指摘に、ロベリアはすげなく答える。「不意打ちが不安なら、アタシと距離をとればいいでしょぉ」つい、と足を速めた少女の背中が闇に溶け込むようにかすれていく。


「お互いに援護ができなくなるのは避けたいかな。それに、この中で誰が真っ先に狙われるか、キミならわかるだろう?」


 崩すならば弱いところから――そうほのめかしたラーハルトの言葉に、ロベリアは一瞬だけ脚を止めて「わかったわぁ」と答え、再び歩き出した。

 少しだけ緩んだ歩調と少女の気配に、アルはラーハルトへ視線だけで感謝を伝えると、騎士は気障ったらしく片目を閉じたのだった。


「ねえ――暴竜ってなんなの?」


 少しだけ生まれた余裕に息を整え、ラーハルトへ小声で問いかけた。

 ロベリアがこうも精神的に余裕がなくなっているのは、討伐対象である暴竜が原因なのはわかっている。それが彼女の故郷を滅ぼした相手である可能性が高いことも。

 だが、暴竜とはいったい何なのかをアルは知らない。どうして竜が同族の里を襲う真似をしでかしたのか。


(しかもその暴竜は里長だって言うし……)


「魔力は魔王に並び、そのさがは手負いの獣の如し。暴れ、狂い、目に付くことごとくを破壊する災害の化身。故に暴竜――らしいよ」

「…………らしい?」

「そう」

「他には?」

「ないね」


 アルの半眼に、ラーハルトは肩をすくめた。


「暴竜については全く資料がないんだ。百年に一度の魔王以上に発生例も目撃例もなくて、それこそおとぎ話の域だよ。本来竜種は知的でおとなしい種族なんだ。自分たちが危害を加えられなければ他者を襲うことはないし、消極的だが交流もできる」

「…………ロベリアは里長が暴竜になったようなことを言ってたけれど」

「それは……どういうことだろうね。竜種の長と言えば、その里で最も実力と知性に優れた者が代々継ぐはずなんだけれど」


 ラーハルトが形の良いあごに手を当てて考え込む。

 彼の言う通りなら魔王並みの魔力という事柄には当てはまるが、そんな種族の――しかも里長が自らの里を襲うなんて理解できない。

 当事者であるロベリアが、間違いや勘違いをしているとは思えないのだが。


「ところで、そんなの相手にどうするつもり? 本当にたった三人でやっつけられるとは思ってないわよね?」

「おや。ここに来る前にずいぶんな強敵を撃退したと聞いたよ」

「グエンのこと言ってんなら大間違いよ。アイツがこっちを赤ん坊扱いしてたから、出し抜けただけだからね」


 十分にすごいことさ、とラーハルトは肩をすくめる。


「初めての戦闘。初めての連携。それで格上の相手に生き残ったのなら誇っていい。たとえその結果が勝利ではなかったとしても、ね」


 アルは素直に頷く。あの状況下で逃げおおせたのは最上級の成果だ。生き残っているからこそ、次につなげることもできる。


「……このまんまだと、その努力も無駄になりそうなんだけどねぇ」


 これ見よがしにぼやいたアルに、ラーハルトはからからと笑う。


「そう悲観することもないさ。すぐに戦闘をする気はないから安心したまえ」


 まずは暴竜の巣を捜索。その後に一度離れ、エレオノーラとの合流を待つらしい。


「騎士団は動かないのね?」

「不期遭遇戦だったとはいえ、魔物討伐に実績のある騎士十人中九人が重軽傷を負わされなすすべなく撤退している。残念ながら、一般の団員が何人いたところで被害を増やすだけだからね」

「だけどエレオノーラなら何とかなるっての?」


 散々に手玉に取られたから、とんでもない実力者なのはわかるが……。

 アルはそれでも懐疑的だった。何故なら、彼女もたった一人だけ“竜”を知っているからだ。小山のような巨体に圧倒的な威圧感。あの存在をヒトがどうこうできるとは思えない。


「さて、そこまではわからないが……そういえば、お師匠は昔、暴竜と会ったと言っていたっけね」

「え?」

「“襲われたから、ぶちのめした”だそうだよ」

「なんっだそれ!?」

「まあ、その時はさすがに一人だけじゃなかったようだけど」


 冒険者組合総出での討伐依頼でも出たのだろうか? いやいや、それにしても魔王並みと言われる魔族を倒したとか、いよいよ人外じみてきたぞ、あの女。


「ん? それなら、もっと暴竜についての情報が残っててもいいんじゃない? 組合に報告書とか残ってないの」

「それが、お師匠が戦ったのは冒険者になるずっと前らしくてね。年寄りがそんな昔のこと覚えてるわけないだろう、てさ」


 ラーハルトが苦笑する。

 そういえばエレオノーラの年齢は百を軽く越えていたんだった。ということは、


「……ちなみに昔っていつぐらい?」

「百年前」

「でしょうねぇぇぇぇ……」


 それでは記憶も情報も色褪せる。本当にあの女はいったい何者なんだ。


「あー、ならそれはもういいわ。じゃあ、もし合流する前に戦いになったら?」

「どうにか撤退を。できなければ耐久戦だね」


 いつ来るかもわからない援軍を待って戦い続ける……なんて、ぞっととしない話だ。


「もしそうなったら、キミたちは逃げたまえ」


 当然のようにさらりと告げる騎士に、アルはできるだけ軽くため息をつく。


「言ったでしょ。ロベリアが逃げないんなら、私もそのつもりはないわ」


 前を行く少女の背中に視線を送る。

 グエンとの戦闘で、ウルドが消滅した。それは彼女の影法師で本人でこそなかったけれど、笑ってお別れもできたけれど、胸が痛まなかったわけでは決してない。あんな気持ち、何度も感じたくはない。

 ぽん、と不意に頭に手が置かれた。思いのほか大きな手の平がわしわしと髪を撫でる。


「ちょっと。いつもは淑女扱いしてるくせに何なのよ、この手は」

「おっと失礼。つい妹を思い出してね」


 ラーハルトは悪びれずに笑う。


「何か想いがあるなら、それは伝えるべきだよ」


 見透かすような言い方に、アルは言葉を詰まらせた。

 アルにとって好意は無条件に向けられるものだった。生まれた時から一緒にいるウルドはもちろん、クリムもエーファも、それ以外の出会った人たちも、始めの一度こそ敵対したり剣呑な雰囲気だったけれど最終的には仲良くなっていた。どうしてそうなったのか、アルにはわからない。だから、ただただそういうものなんだろうと思っていた。そして仲良くなったのなら、それが裏返ることはないと。

 だが、今はわからない。慕ってくれていたはずのロベリアから苛立ちを感じる。仇敵を目前にした緊張からなのか、それとももしかしたら気づかないうちに彼女を傷つけるようなことをしてしまったのか――。理由のわからない不安。理由をはっきりさせることへの恐怖。生まれて初めて抱く感情に、アルは戸惑っていた。


「僕は妹と二人暮らしでね。騎士団に入ったのは生活のためだったんだよ」


 突然の話題にアルは面食らったが、そのまま耳を傾ける。


「お金はあるに越したことはないからね。いいお給料をもらうために鍛えて出世を目指したのさ。平凡な庶民の出だったけれど、幸い才能だけはあったらしくてね、騎士団も実力主義だったから順調に上に行くことができた。妹も階級が上がる度に喜んでくれたよ。けどね……大規模な隊をまとめる立場になった時、妹が急に泣き出したんだ」

「なんで、今までは出世して喜んでたんでしょ?」

「そうだね。僕の実力が認められることを僕以上に心から喜んでいてくれた。だけどね、同時に怖がっていたんだよ」


 アルは首を傾げる。兄の実力は正当に認められている。出世をすれば生活は裕福になる。そこにどんな不安があるのだろう。

 その様子にラーハルトは「わからないよね。僕もだった。もっとも、そう正直に妹に言ったらものすごく怒られたけれど」と苦笑した。


「十人二十人を率いる程度なら、どこか小さな町の守衛長や王宮の守備隊にでもなって比較的安全に暮らせたかもしれない。でも、さらに上に行くなら話は別だ。騎士団はお飾りじゃない。実力があるなら、それなりの任務を割り当てられる。僕は剣技で昇格したから特にね。盾よりも矛としての役割を望まれていたのさ」


 それはつまり、より困難な任務へ赴くということだ。獣を追い払うのではない、犯罪者を取り締まるのではない、魔物や魔族を相手取るような。彼の妹はそこに気づいたのだ。だから、いずれ兄の帰らない日を想像して、恐れた。


「ずっと妹が不自由なく暮らせればいいとしか考えてなかったからね。まったく、考えてもいなかったよ。その日は初めて公務を休んで、妹と一日中話をした」

「お互い納得できたの?」

「納得してもらった、が正しいかもね。何があっても、何をしても、必ず家に帰る。それを誓わされたよ」


 だから僕はどんな手を使っても生き残らなきゃならないのさ、とラーハルトは肩をすくめ「まあ、つまり何が言いたいかというとね」とまっすぐアルの瞳を見据えた。


兄妹きょうだいですら何を考えて、どんな想いを抱えているかなんてわからないんだ。それが他人ならなおさらさ。相手が大切ならきちんと伝えて、話し合って、理解し合うべきだと、僕は思うな。僕たちのような立場だと、いつそれができなくなるかわからないしね」


 最後の言葉に、アルはぐっと息を詰まらせる。


「…………わかった、後でちゃんと話してみる」

「うん」

「けどね、それならアンタだってちゃんと生き残るのよ」


 アルに指を差されてラーハルトは一瞬きょとんとした表情を見せたが、すぐにからからと快活に笑い始めた。


「もちろんだとも。こう見えて僕は逃げるのは得意なんだ。なんせ脚の速さは騎士団イチだからね」

「……私たちを置いて真っ先に逃げないでよ」

「ふっふっふ、それは請け負うとも。お互い元気に下山しようじゃないか。なぁに、意外と簡単に済む相手かもしれないしね」


 不敵に笑う騎士につられ、アルは口を綻ばせる。

 ああ、少しだけすっきりした。

 この後、ご飯の時にでもロベリアと話をしよう――そう心に決めた少女の耳に「なんですのぉ、これ」と戸惑いに満ちた呟きが聞こた。


 声のもとへ視線を送ると、ロベリアが足を止めている。

 アルとラーハルトは慎重に彼女の隣へと並んだ。


「なに、これ」


 ロベリアと同じ言葉が口からこぼれる。

 森が途切れていた。線で引いたようにぷっつりと。その先には一面の荒野が広がっている。

 いや、荒野と表現していいものか。

 どす黒く変色した土。グズグズに溶け崩れた草木の痕跡。風に流れてきた悪臭に鼻を抑える。

 悪意で風景を煮詰めたような有様に一行は言葉を失った。


「……急激に濃い魔力にさらされた結果に見えるね。けど」


 ラーハルトが手近な樹木の残骸を掴みあげる。


「枯れるならまだしも、溶けて腐るなんて聞いたことがないわぁ」

「そうだね。この辺りだけ異様な魔力濃度だ。だけどこれなら植物は、水を与えられすぎた時のように時間をかけて枯れていくはずだ」


 ゆっくりとロベリアとラーハルトが荒地へ足を踏み入れていく。


「その原因はわからないけど、にしてるのは縄張りのつもりかもしれないわねぇ」

「というと?」


 ラーハルトの疑問にロベリアがあごを軽くしゃくる。その先には建物の先端らしい影が、薄闇の中に幽かに浮かんでいた。

 おそらく竜種の里だろう。そうと意識して見ると、ロベリアの指摘の通り荒地は集落を中心として広がっているようだ。


「とすれば、この濃い魔力は侵入者への警戒網や結界に近いのかもしれないね」


 襲撃に対する注意をラーハルトが促す。

 アルは先行する二人に追随するべく、森から荒地へとそろりと足を踏み出し――


「あ……?」


 視界が歪んだ。

 踏みとどまれず、膝が地に着く。


「アル様っ?!」

「ぐ、ぅ……近寄ら、ないで……っ!」


 駆け寄りかけた二人をアルは咄嗟に制止した。

 急速に魔力が流れ込んでくる。魔喰は使っていない。にもかかわらず勝手に全身から流入する高濃度の魔力に、アルは吐き気をこらえる。突然の負荷に耐えかねた身体が悲鳴をあげ、周囲に黒色の火花が奔った。

 このままじゃ、暴発する。激流のように体内に渦巻く魔力を抑えようとアルは自身を抱きしめるが、時間の問題だ。


「あ、アル様……どうしたら……」

「構えたまえ! これだけ魔力の変動が起こっていたら、一目散に襲ってくるぞ!!」


 主の異変にうろたえる少女を、ラーハルトが叱咤する。


「二人とも……もっとわたしから……離れなさいっ!」


 アルは声を振り絞る。


 ――すぐにでも襲ってくる? なら当然、狙いは目立ってて弱いところからよね。それなら都合がいい。


 地が陰った。

 空から巨大な影が高速で飛来してくる。


「頼みも、しないのに……ご馳走してくれちゃって…………返すわよ……っ」


 限界までため込まれた魔力を一気に放出する。

 漆黒の魔力光が飛来する影に向けて一直線に奔る。

 しかし影は不意の一撃を高速で身をひるがえして回避すると、そのまま地響きをたてて着地した。


「な……」


 アルは絶句する。

 大地に降り立った威容は、まさに竜だった。天を覆うほどの巨大な翼。鋭利な爪はその一本一本がラーハルトの背丈と同等の大きさである。

 だがアルが言葉を失ったのは、攻撃をかわされたからでも、その巨大さに圧倒されたからでもない。


 本来、彼女に他者の力量を推し量ることはできない。それができるほどの経験と修練を全く積んでいないからだ。

 しかし、今回に関しては事情が違った。

 ずっと“竜”と共に過ごしてきた彼女だからこそ、相手の力を理解したのだ。


(こいつ……竜化したウルドよりずっと強い……)


 勇者クリムは相対したウルドの分身を「小さな町なら数瞬の内に消滅。最も堅牢な“王都”の城壁も紙同然」と評した。その時の能力は本来の力のおおよそ六割程度。

 ならば目の前の竜はそれと比しての評価なのか?

 否。

 “全力を出した竜”としてのウルドよりも上だとアルは直感した。


 それはつまり――事実として魔王にも届き得るということだ。

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