魔王と魔族討伐③

 滅ぼされた竜種の里。その最後の生き残りだと、少女は語った。

 そして討伐されたはずの元凶がまだ存在しているのなら、それを打ち取るのが自分の義務だと。


 ロベリアの昏い水色の瞳を見つめたまま、アルは言葉を詰まらせた。

 事情があるなら本人から聞いた方がいい。聞いて受け入れるべきなのだ。

 そう思っていたのに、いざその状況に立ってみれば頭の中が真っ白になって答えが浮かばない。

 少女が初めて見せる昏い陰に圧倒され、アルの思考は行き場のないままとめどなく渦を巻いていた。


 友人も家族も故郷すら失った少女になんて言えばいい?


 大変だったね? 可哀そう?

 ――共感を示せば慰めになる?

 今は仲間がいるよ? 寂しくないよ?

 ――寄りそえば前に進める?


 それは本当に彼女が求めていることなのか? 過酷な状況で生き抜いてきた少女に、ぬくぬくと育った自分が何かを言える資格があるのだろうか。

 返すべき反応けいけんも、応えるべき言葉れきしも、お前は何も持ち合わせていないのだと、少女の瞳に反射した自分が侮蔑を込めて語りかけてくる。


 ――誰も薄っぺらな同情ことばなんて求めちゃいないんだよ。下手なことを言って落胆される嫌われるのが怖いなら、黙って頷くお人形さんにでもなってなさいな。


 バチン。

 不意に火の粉が大きくはぜて、アルの身体がピクリと震えた。


「あ――」


 我に返ったアルは咄嗟に口を開くが、結局何も言えないまま、唇を引き結ぶ。

 ロベリアはそんな主の様子に、ほんの少しだけ寂しげに笑うと、


「アル様。先ほどのように……その、お膝をお借りしても?」

「あ……うん」


 アルが腕を広げると、ロベリアはその懐へ子犬のようにそろそろと腰を下ろした。


「白状しますと、アタシ、純血の竜種じゃありませんの」


 ロベリアがポツリとこぼす。


「母がヒトでした。里のみんなからあからさまに疎まれたわけではありませんけれど、まあ鼻つまみ者ではあったのでしょうね。事実、家があったのは里の外れで、アタシ自身他の竜種と交流することなんてほとんどありませんでしたもの」

「…………」

「だから里への思い入れなんて、これっぽっちもないんですのよ。わけのわからない内に助かって、それからは生きていくのに精いっぱいで。風の噂で暴竜が討伐されたらしいと聞いても、何の感慨も湧きませんでしたわ。それぐらいどうでもいいものになってたんですわね。――知ってます? 竜種って、とんでもなく強いくせに身内だけで固まって、だあれも知らないような場所に隠れ住んでる、陰気な種族なんですのよ。たまたま近くに人里ができちゃった場合はほんの少しだけ交流をとったりして、山の神様みたいな扱いを受けたりすることもあるみたいですけれど」


 そんなんだから今まですっかり忘れてましたわぁ。と、ロベリアはそこまでつらつらと話すと、一つ大きく息をついた。


「けど、ここに来て、アレが生きていると知らされて…………思い出してしまったんですの」


 何を、とは言わなかった。

 ロベリアはくぅっと身体を伸ばす。


「あえて怖い言い方をしてしまいましたが、ようは同族みうちの尻拭いを見られたくないだけですのよ」


 冗談めかしてアルを見上げたロベリアの瞳はしかし、翳りゆく空を映していた。

 アルは無言で首を振る。駄々っ子のようだと思ったが、これが精いっぱいの抵抗だった。

 ふい、とロベリアが離れていく。


「せっかくラーハルトあの男が見つけたんですもの。水浴びしましょうか。お手数ですけれど、ご案内いただけますか?」


 半ばロベリアに手を引かれるようにして、アルも立ち上がる。

 それ以上の会話はなかった。

 アルは自己嫌悪にそっと唇をかんだ。



   * * *



 出立は夜明けと同時だった。

 案内役を買って出たロベリアの背中を、アルは複雑な面持ちで見つめていた。

 あれからろくに会話ができていない。まともに顔もあわせられないまま今に至ってしまった。

 すべてアル自身が勝手に抱いた罪悪感と劣等感のせいだとはわかっているが、どうすればいいのか、答えの出ないモヤモヤが胸の中にわだかまっている。


「……変な形の樹が多いわね」


 沈黙に耐えられず、誰に向けたわけでもないままに言葉をこぼす。

 事実、先ほどから周囲の樹木が、太く歪に曲がりくねった奇怪なものばかりになっていた。

 どことなく、魔王城の窓から見た森の樹に似ている気がする。


「討伐対象の魔力にあてられたんだろうね。強い魔物が発する高濃度の魔力に影響されて植生が変異するのはないわけじゃないよ。かなり希だけどね」


 ラーハルトが疑問を拾ってくれたことに、アルは内心でホッと胸をなでおろした。


「魔物? 魔族じゃなくて?」


 ピンキリとはいえ基本的に魔力量は魔族のほうが優れている。それなのにわざわざ“魔物”と表現したことにアルは首を傾げる。


「魔族と魔物の違いは何だと思う?」

「えっと、変身できるかどうか」


 長い年月をかけ魔力を蓄え続けると、肉体は魔力の塊へと置き換えられ際限なく巨大化していく。やがて知恵をつけ魔力の運用を学習した魔物が、身体を変異させ縮小化した存在こそを魔族と呼ぶのだと、アルが読んだ本には書かれていた。肉体を変えるには高い魔力運用技術が必要で、もとの肉体に比べて変異後の身体が小さいほど体内の魔力がより濃く圧縮され強靭になる。故にヒトの姿に近いほど強い魔族である、とも。


「それは結構古い資料の記述だね。一般的な認識ならそれで間違いないけれど、今の騎士団と冒険者組合は違う見解をしてる」

「どんな?」

「知恵があるかどうかさ」


 ラーハルトの答えに、なるほどとアルは頷く。

 考えてみれば、身体の形を変えるかどうかはその魔族次第だ。必要を感じなければそのままの姿の魔族もいるだろう。巨人と呼ばれる類はそんな選択の結果ではないだろうか。巨大化した肉体が不便ならば、馴染んだその形のまま縮小してもいいわけだ。つまりヒト型に変異できるか否かは重要ではない。


「うん。ヒト型が取りざたされた原因は、魔王が主にそうだったこと。そして僕たちがヒト故に、自分たちに似た姿を意識しすぎてしまったからだろうね。だから今では、獣のさがそのままなのか、それともある程度の知能を持ち合わせているかで魔物と魔族を分けるようになっているのさ」

「それで、周りの植物に影響が出るほど魔力を振りまくのは、それを制御できない“魔物”のせいだってことになるわけね」

「その通り」


 そこまで話してラーハルトはアルの横に並ぶと、声を落とした。


「……彼女ロベリアとは?」


 少しだけ……と目を伏せるアルの様子に、ラーハルトは大まかな事情を察したようだ。


「これからもし彼女がなにか傷を負ったなら、すぐに連れて逃げたまえ」


 唐突な忠告に、アルはラーハルトを見つめる。

 訝しげな視線を受けて、ラーハルトは「僕の口からこんなことを言うのはあまり気が進まないのだが」と息を吐いた。


「彼女はおそらく“なりたて”だ」


 “なりたて”。それはウルドもロベリアを指して言っていた言葉だ。

 アルの表情を見て、ラーハルトは「なりたてとは、魔族に変異している途中の者。あるいは魔族に変異して間もない者のことだよ」と補足してくれた。

 ロベリアは自身が、竜種とヒトの間に産まれたと言っていた。おそらくだが、竜種の特性の中にヒトの要素が混じっているのだろう。

 本人がラーハルトに告げたとは思えないから、この旅の間に彼なりに察するものがあったのかもしれない。


「でも、そうはいっても魔族なんでしょ?」


 人間でいて驚異的な治癒力を誇る勇者クリムを脳裏に浮かべる。ヒト程度の力まで封印を施された状態でも、一晩で折れた骨がつながる程度には回復していた。いくら純粋な魔族ではないとしても、多少の傷なら問題ないのではないか。

 そんなアルの楽観を「死にやすさなら僕と大して変わらないよ」とラーハルトは斬り捨てる。


「疑問に思ったことはないかい? どうして彼女がキミの魔喰から生き残ったのか」

「それは、魔喰を使ってる最中に邪魔をされたから――」


 いや、違う。

 アルは口を閉ざし、思考を働かせる。

 ロベリアも言っていたじゃないか、アルが魔喰で家屋並みの巨大魔猪を一瞬で吸収していたと。

 肉体のほとんどを魔力で構成している魔物や魔族にとって、魔喰は触れられた時点で終わりの能力なのだ。今なら多少の調整ができるようになったとはいえ、当時のアルは怒りにまかせ暴走していた。そんな状態で捕らえた獲物を――たとえ腕が斬り落とされるまでのわずかな間とはいえ――悠長に喰らっていたとは思えない。


(ロベリアが無事だったのは、喰らいきれなかったのではなく、それ以上喰らえなかったから――)


 彼女は五歳児の肉体を、魔力によって成人した姿へ変化させていた。それだけでアルは、自在に変異が可能な強い魔族なのだと思っていた。だが、もしも少女がものをように見せることしかできなかったのだとすれば。


「ロベリアの身体は、魔族よりもヒトに限りなく近い……?」


 だとすれば、魔族にとっての軽傷でもロベリアには致命傷になり得る。

 グエンとの戦いでアルは片腕を犠牲にしたが、魔力を補給することで元通りに回復している。だが、ロベリアにその方法は当てはめられない。


「長い歴史の中、竜種に限らず、ヒトと交流を持った魔族がその間に子を儲けることがなかったわけじゃない。その場合、産まれた子のほとんどが、魔族の身体的特徴をわずかに継承してはいるものの、こと魔力に関してはヒトと変わりなかったそうだ」


 ラーハルトは先を進む小さな背中に一瞬だけ視線を向ける。


「知っての通り、彼女の魔力量と運用技術は並の魔族を軽くしのいでいる。おそらく血の滲むような修練によるものだろうが、かといって肉体が魔族のものへ変容するには時間が圧倒的に足りていない。肉体に魔力の補助と竜種由来による多少の頑健さはあるだろうが、それでもヒト種の域を越えはしないだろう。それなのに彼女は魔族のような前のめりにすぎる戦い方をする。今度の相手はそれが通用するほど甘くはないんだが……僕の言葉じゃ、いざという時に彼女の耳へは届かないだろうね。だから、キミがうまく手綱を握ってあげてほしい」


「いくら意思と戦う力があるとはいえ、あんな小さな子が傷つくのを見たくはないからね」ラーハルトは最後にそう告げてアルの肩を叩く。

 しかしアルは、その言葉にうまく頷けないでいた。

 その一方で、どうしてロベリアは自分が魔族であることにこだわり、魔王アルに執着するのだろう、とふと思った。



   * * *



 落雷のように巨大な咆哮が空気を震わせた。

 窓を打つ雨音に混じって、断続的に破砕音が響いてくる。


「ごめん、ごめん、ごめんなさい、ごめんなさい……」


 薄暗い室内に、弱々しくも悲鳴のような嗚咽がこだまする。

 切実な祈りのように絶望と後悔と懺悔の入り混じったそれに応えるのはしかし、苦しげに繰り返される呼吸音ばかり。


「ごめん、ごめんね。わたしのせいで。ごめんなさい……」


 悔悟の声は止まらない。わずかでも沈黙を許せば、幽かに脈打つ吐息すらも闇に溶け消えてしまうとでも恐れているように。


 雷が室内を照らした。

 刹那の灯りに映し出されたのは、小さな影を抱きしめ、涙を流しつつける黒髪の少女。

 そして――その腕の中で、虚ろに空を見つめる、上半身だけになった幼い赤毛の少女だった。

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