魔王と魔族討伐②

 ロベリアの様子がおかしい。

 何かに思い悩むように俯いたり、あるいは怯えるように落ち着きなく視線を泳がせる、そんな姿をここ数日よく見かけるようになった。これまでは少なくともアルの前では隠していたのだが、今はそのタガが外れてしまったかのようだ。


「…………申し訳ありません。気分がすぐれないので、今日はお休みしますわぁ」


 いい加減日課として慣れつつある戦闘訓練を前に、ロベリアがか細い声で呟いた。

 予想だにしなかった発言に言葉を失うアルから少女は気まずそうに視線をそらすと、「申し訳ありませんの」と再びこうべを垂れる。

 即座に気絶させられるせいで元より乗り気ではないアルとは対照的に、ロベリアは自身の実力が上がっていく手応えから訓練自体を楽しんでいた。いくら叩きのめされようが、行軍で多少の疲れがあろうが欠かさず鍛錬に励む少女の姿を、アルは呆れと感心と尊敬の混じった少々複雑な思いで見てきたのだが――。


「…………きっとこの山の魔力にあてられただけですわぁ。少し休めば治りますのでご心配なく。野営の準備もしておきますから、お二人は訓練をしてくださいませ」


 ロベリアはぽつぽつとそれだけをこぼすと、目を伏せたまま荷袋にもたれるようにして横になってしまった。


「体調が悪いなら仕方ない。邪魔にならないよう訓練は少し離れてやろうか」


 淡白なラーハルトの言葉に、彼女を一人残していく気かと反論しかけたアルだったが、すぐに口を噤む。

 ロベリアは外見こそ五歳前後の子供だが、れっきとした魔族だ。それに「野営の準備はしておく」と言ったのは一人でも大丈夫だという意味だろうし、同時に独りにしてくれともとれる。ならば今はそっとしておいた方がいいのかもしれない。


 アルとラーハルトは、野営地から少々離れた、ひらけた場所に移動した。ここまでくれば多少騒いだところでそれほど影響はないだろう。それに、もしロベリアの方で異常が起こってもラーハルトなら気づける位置だ。


「で、何を言ったの?」


 アルは傍らの樹木に右手を添えて、問いかける。

 意図せず口調に棘が入ってしまったが、仕方ない。これまでの道行きでラーハルトがそれなりに誠実な人間であることは理解しているが、それはあくまでハスタやエレオノーラよりという程度の信頼でしかない。およそ魔族の討伐で山に入って半月の時間を過ごしても、光翼騎士という対魔族組織への警戒はどうしても拭い去ることはできなかった。

 きっとそれはお互い様なのだろうけれど。

 ラーハルトはいつもの気障ったらしい笑みをいくらか陰らせて、肩をすくめた。


「今回の討伐対象を伝えた」


 それだけで? という疑念をアルは飲み込む。

 ラーハルトの言葉は事実だろう。これまで自分たちが何を相手にするのかは、ずっとはぐらかされてきた。おそらくエレオノーラによる指示だと思われるが、その理由が現状を見越してのことだとしたら随分と意地の悪いことだ。

 今になって情報を明かしたのも、今日の野営地を早々に決めたのも、もう目的地が近いからだろう。


「他には?」

「我々がどこを目指しているか、だが――彼女は気づいていたよ」

「そ、わかった」


 あっさりと引き下がったアルに、ラーハルトは意外そうに眉を上げた。


「詳しくは聞かないのかい?」

「別にいい。全部ロベリアに聞くから。……あの子が教えてくれるならだけどね」


 あの勝気な少女がああもふさぎ込んでいる原因がこれから向かう場所と相手にあるというのなら、それは彼女自身の因縁によるものだ。ならば中途半端に第三者から聞くものではない。

 ずっと城にひきこもりっぱなしだった自分が、幼いながらにたった一人で冒険者として生きてきたロベリアへかけられる言葉なんて持ち合わせてはいないし、ありきたりで上辺だけの励ましや慰めなど、彼女の人生への侮辱でしかない。ならば、なんの先入観も、偏見も、同情も抱かずに向き合い傍にいる事が、わたしに慕ってついて来てくれている少女への、せめてもの敬意かんしゃだ。


「…………なによ、意外そうな顔して?」

「失礼。存外下の者のことを考えているんだと、驚いていた」

「む」


 ぷくぅ、とアルは頬を膨らませる。

 正直者め。もうちょっと歯に衣を着せろよ。


「わたしだって、年下には気を遣えるんですぅー。……ってことで、行くわ」


 言い終えるなり、アルはさらりと手を振って踵を返す。


「待ちたまえ。その心遣いは値千金だが、訓練を抜け出そうったってそうはいかないよ」

「……う」


 くっそう、誤魔化せなかったか。


「いいじゃない別にっ。わたし相手じゃ、どうせすぐ終わっちゃうでしょ!?」


 バンバンと左脇にあるでっかい木の幹を叩いて抗議する。

 ラーハルトとまともにやりあえるロベリアが休みなのだから、やる意味なんてないだろうに。


「耐久も立派な訓練だとも」

「ぶん殴られて気絶するだけの繰り返しは耐久でも何でもないっ」


 なんなら訓練でもない。


「そうは言うが、いつまでもそれで終わるつもりもないんだろう?」

「う~……まあ、そりゃそうだけど……」


 ごにょごにょとごねるアルに、ラーハルトは無言で鞘に入れたままの切っ先を向ける。

 アルはしばらく鞘尻の金具を不満げに睨みつけていたが、やがて深々と肩を落とし、大きく息を吐いた。

 どうあっても抜けられないらしい。


「あーもうっ、仕方ないわね。やってやろうじゃないの! わたしがあっさり気絶して一瞬で訓練が終わってもつべこべ言うんじゃないわよっ!」


 強気なんだか弱気なんだかわからない文句を言い放つアル。

 対峙するラーハルトの体が軽く沈んだかに見えた次の瞬間、鞘がアルの左肩を直撃していた。


「ぐ――ぅ」


 視認も反応もできなかった。

 肩口から全身へと衝撃がはしる。

 ガクン、と大きく視界がぶれた段階で、ようやく自分が殴られたことをアルは理解した。


「こ……っのぉ……」


 全身に力を込め、手放しかけた意識を無理やり引き戻す。

 まだだ。殴られたと認識できているなら、まだ立っていられるはずだ。

 崩れかけた膝を踏ん張り、アルはまっすぐ眼前の騎士を見返した。


「――これは、驚いた」


 ラーハルトから感嘆の声が漏れる。


「……たっぷり時間をくれたからね。まあまあ頑丈になるくらいの魔力は何とか吸えたわ」


 アルは枯れ果てた木から手を離し、目を丸くしたラーハルトへ強張った笑みを向ける。

 攻撃や防御に魔力を転用する技術はないが、取り込んだ魔力が多いだけでも肉体の頑健さは上昇する。魔力を多分に含んだ樹木分。手加減された打撃に耐える程度ならば十分だったようだ。


 しかしこの騎士、今までは手刀で首筋を打つ程度だったのが、今回は容赦なくぶん殴りにきやがった。こっそり魔喰を行っていたのがバレていたのだろうけれど、だからって問答無用でこんなか弱い女の子を鞘で袈裟斬りにするか、ふつう? やっぱり光翼騎士は信用できない。

 どこからともなくエーファの「違うんですよぅ」という抗議が聞こえた気がするが、実害をくっている以上知ったことではない。


「ふ、ふふ……ぜんっぜん痛くなかったわよ。騎士ったって大したことないわねっ。これなら何発だって平気だわ」

「素晴らしい! では、これから本格的な戦闘訓練に移ろうか!」

「ごめん。今のナシ。やっぱムリ」


 瞬速で前言を撤回する元魔王。

 いくら攻撃に耐えられるからといってラーハルトの動きを目で追うことすらできないのだから、一方的に殴られるだけの耐久訓練が始まるだけだ。さすがにそれは願い下げである。


「それよりもアンタ、精霊術はできる?」

「ふむ? 一応一通りは。さすがにハスタ殿の愛弟子ほどのものを期待されると無理だがね」


 それで十分とアルは頷く。むしろエーファの火の鳥みたいなのを呼び出されたら丸焼きになってしまう。


「ちょっと試してみたいことがあるから、つきあってよ」

「なるほど? いいとも」


 突然の提案だったが、ラーハルトは二つ返事で腰の剣帯へ鞘を固定した。

 そんな騎士に「ありがと」と礼を返しつつ、アルは手折った枯れ枝を差し出す。


「じゃ、まずは火をおこしてちょうだい」



   * * *



「ただいま~」

「……おかえりなさいませ、アル様。火は焚いてありますのでこちらに――って真っ黒焦げですわぁっ?!」


 アルの姿を見るなり、ロベリアがこれまでに聞いたことのないほどの悲鳴をあげた。驚きのあまり隠していた翼や尻尾までピンと伸びている。


「大丈夫大丈夫。たんにすすけてるだけだから」

「ええぇ……」


 駆け寄りかけたロベリアを手を振って止める。

 よくよく見れば爪の先まで真っ黒だ。この分だと顔も同じかもしれない。


「ちょっとね。取り込んだ属性魔力を吐き出すんじゃなくて、身体の中に入れたまま小出しにして鎧みたいにまとったりできないかなって試してみたんだけど。失敗しちゃった」


 アルは、ペロ、とおどけて小さく舌を出す。とはいえ、たまたま無事で済んだだけで、あらかじめ魔力を補充していなければ全身大火傷を負っていたかもしれない。内心は今でも冷や汗でびっしょりだ。

 しかしその危険性を敏感に察したロベリアは、いよいよはち切れんばかりに翼を広げた。


「ア、アル様のやろうとしたことは、それなりの年月を生きた魔族が自分の魔力ぞくせいを使っても苦労するものですのよ!? 魔力の運用を覚えたばかりのアル様がお一人で、しかも思いつきを試そうとするなんて危険極まりませんの! せめてアタシが一緒なら――」


 バンバンと尻尾で地面を叩きつつ勢いよくまくし立てていたロベリアだったが、突然言葉を詰まらせると俯いてしまった。


「も……申し訳ありません…………アタシ……」


 再びしおらしくなってしまった少女に気づかれないよう、アルは小さく息を吐いて苦笑する。

 そう簡単にはいかないよね。


「よっ」

「…………ひゃああ?!」


 アルはロベリアの背後に回り、小さな身体を抱え上げた。普段ならとてもこんな芸当はできないが、魔力の補助で腕力も多少はついている。

 やっぱり魔力万能すぎないかな?


「ちょ、ちょっと、アル様ぁ……?」


 遠慮がちに身じろぎするロベリアを抱きしめたまま、焚き火のそばに座り込む。パチパチと音をたてる焔によく似た髪に顔を埋めて、アルはスゥっと息を吸い込んだ。


「あのぅ……」

「お日様の匂いがする」

「…………」

「あと煙臭くて、土臭くて、草臭くて、汗臭くて、垢臭い」

「………………むぅ~」


 小さく小さく呻いた少女の頭を軽く撫でて、アルは微笑む。


「ちょっと離れてるけど、ラーハルトが沢を見つけてくれたの。暗くなる前に身体洗いに行こっか」


 しかし少女は髪を触れられるに任せたまま、じっと火を見つめて動かない。

 アルも静かに子犬のような赤毛に手を這わせる。

 先に口を開いたのはロベリアだった。


「……………………ラーハルトから聞いたんですの?」

「んーん、なぁんにも」


 風がさわさわと音をたてて流れていく。

 斜めに伸び始めた木陰。

 しかし、今日はまだいつもより陽が高い。

 ああ、これが遠足だったらよかったのになぁ、とアルは静かに嘆息する。

 だが現実はアルが思っているよりも遥かにマズい状況なのだろう。


「……………………お逃げくださいませ。アル様」


 千切れ落ちた葉が草地を叩くような幽かな呟きに、アルは手を止める。

 それは奇しくもラーハルトが告げたものと同じ言の葉だった。


「これから先――きっと明日には と対峙することになるでしょう。アタシの予想通りなら、待っているのは絶望だけです。…………エレオノーラあの女が勇者を来させなかったのも納得ですわ。今のままの実力では、むざむざ将来の切り札を失うだけですもの」


 勇者クリムが敵わない。その言葉に震えそうになった呼吸を、アルは少女に伝わらないよう静かに抑える。


「…………ロベリアは?」


 逃げないの? とは続けられなかった。どうせ答えは決まっている。

 ラーハルトとの会話が脳裏によみがえる。

『わたしだけ逃げろって?』

『できるならお嬢さん方二人で、と言いたいところだが……あの少女は動かないだろうからね』

『仮に、わたしたち二人が抜けて、アンタ一人でどうにかできるってわけ?』

 肩をすくめた騎士の瞳にあったのは、ほんの少しの諦めと、それ以上の矜持。

 目前の少女は、それとよく似た表情をしていた。


「アタシ、は――」


 だが、彼女をここに縛りつけているのは、かの騎士とは似て非なる別のモノだ。

 ロベリアは焚き火を背に立ち上がると、意を決したように口を開いた。


「…………今回の討伐対象は暴竜。名をディルクウェット。六年前、何者かによって討ち果たされたはずの、“竜の隠れ里”の長にして最強の雷竜。自ら治める里を――アタシの故郷を滅ぼした災厄。あの化け物がいまだに存在しているのなら、アレを滅ぼすのが、たった一人生き残ったアタシのですわ」


 淡々と語る少女の透き通った水色の瞳には、背後の炎を闇に溶かしたような昏い影が揺れていた。

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