魔王と新しい出会い①

「あー……」


 パチパチと音をたてて爆ぜる焚き火を前に、アルは力なく唸った。


「どうしたんですのぉ? アル様」

「どぉーして、こんなことになってるのかなぁって」

「あぁ……」


 隣で串に刺した肉の様子を見ていたロベリアだったが、アルのぼやき混じりの返答に言葉を濁し「これ、焼けましたわぁ」と肉を差し出す。

 礼を言って受け取る。

 悔しいが、こんな時でもお腹はすく。


「はっはっは、申し訳ない。僕もこんな状況になるとは思ってもいなかった」


 焚き火の向こうから、若々しくよく通る男の声がする。

 困っているのはお互い様なのだろうが、アルとしては素直に頷けるものではない。


「……なら少しくらい抵抗してほしかったわね」

「いやぁ、それは無理だ! 師の命令だし、何よりあの気性の人だ。意見するだけ時間の無駄と言うものさ。しかし、安心したまえ。騎士ラーハルト、この剣が届くならば君たちを守ると誓おう!」

「守る範囲狭くない?」


 しかも微妙に消極的だ。

 騎士なんだから、せめて「ぜったい君たちを傷つけさせない」とか言ってくれないだろうか。


「すまないね、麗しいお嬢さんがた。僕は正直なんだ! できることしか言わないよ!」


 そんなこと高らかに宣言しないでほしい。


「それに、君たちを一方的に守るというのも、失礼だろう?」


 心底うんざりする発言をしてラーハルトは立ち上がる。


「さあ――」


 見上げた先には、女性を虜にしそうな清々すがすがしく朗らかな笑顔。

 精悍でありながら人懐っこい顔立ち。炎に揺られる銀色の髪とあお色の瞳が、朝焼けの海原を連想させた。

 鍛え上げられた端正な肉体が、踊りを誘うようにうやうやしく手を差し出す。

 きっと女性たちはとろけるように頬を染めて、彼に手を重ねるのだろう。


「いいわ」


 答えて

 どれだけ魅力的な笑顔であろうが、今のアルにとっては――


「八つ当たりだってのはわかってるけどね――いくわよ、ロベリア」

「はぁい、アル様!」

「今日こそ一泡吹かせてやる!」


 絶賛、ぶん殴りたい顔である。


 …………現在、アルとロベリアの二人は光翼騎士団の騎士ラーハルトと共に、ハリムの街から南方にある山中で野営をしていた。

 魔族と対魔族を謳う騎士団。本来宿敵であるはずの両者が、何故こんな場所にいるのか。

 それは十日前にさかのぼる。



   * * *



「わ、すっごい人」


 大通りの人だかりに、アルが声をあげる。


「み、南側からの砂漠の入り口ですからね。いろんな物資がここに集中するんですよ」


 エーファが簡単に説明する。

 一行は旅装を整えるために大通りを巡っていた。

 前にクリムとエーファ。その後ろにアルとロベリア。アルは道の左右にびっしりと連なった露店が珍しいのか、キョロキョロと興味深げに眺めている。

 背中越しに好奇心にあふれた相槌を聞きつつ歩いていたエーファだったが、突然短い息遣いと同時に外套の裾を引っ張られた。

 不意の衝撃でずれたメガネの位置を直しつつ振り返ると、そこには日除けの外套を目深にかぶりコソコソと身を低くして周囲を警戒している不審な友人の姿が。


「あ、アル? どうしたんですか急に――」


 言いかけてエーファは思い出す。

 “村”でアルと昼食を買いに出た時、彼女が騎士とぶつかってとても怯えていたことを。

 きっと本人もその事を思い出したのだろう。直前に門でクリムとアルが誘拐犯と被害者の令嬢に勘違いされ、警戒した騎士たちに散り囲まれた件もあったとはいえ、随分と尾を引いているらしい。

 いざという時には驚くほど行動的だったり物怖じせず妙な圧力を発したりする癖に、普段は世間知らずで小心な女の子なのだから不思議だ。


「だ、大丈夫ですよ、アル。ここにも騎士団は常駐してますけど、気をつけてればぶつかることなんてそうありませんって。もしぶつかっても、それで怒る短気な人は騎士にいませんよ」

「わ、わっかんないわよ?! いくら温厚でも、正体を知った途端『魔族は消毒だ』って叫んで火あぶりにしてくる奴もいるかもしれないじゃない!」


 そういえば前にそんな幻覚もうそう見てたんだっけ。

 この娘は光翼騎士団をいったい何だと思っているのやら。

 しかし対魔族の組織なんて、魔王様からすれば自分を害する存在としか認識できないのは無理もない。

 エーファも騎士たちが敵対的な魔族はともかく、友好的な魔族に対してどのような対処をするのかはわからないのだし。


(そもそも友好的な魔族そんなのに会ったことないしなぁ)


 眼前の自称“元”魔王の少女のように、友人になれるような魔族が他にもいるのだろうか?


「じゃ、じゃあ、手をつなぎましょうか。そっちの方が動きやすいですし」


 手を差し出すと、小さな影がアルとの間に割って入ってきた。


「アル様ぁ、お手をどうぞぉ。アタシ、この街はちょっと詳しいんですの。ご案内いたしますわぁ」

「へえ、そうなんだ。ロベリアは物知りだねぇ」

「くっふふぅ~」


 アルに手を握られた少女は、エーファへニヤリと小さな唇の片端を上げる。


(こいつ……)


 ロベリアは事あるごとにエーファに対抗してくる。

 どうやらアルの世話をするのが、そして彼女から頼られるのがとても嬉しいようで、それ故に同性でアルから友人と呼ばれているエーファに思うところがあるのだろう。

 今の六歳ぐらいの外見が本来の姿らしいから、この年頃の子供らしい承認欲求や独占欲と考えれば頷ける部分もなくはないが……。


「ところで、おかみさん。すっごい親切だったね」


 エーファとロベリアの水面下のつばぜり合いに気づいてか気づかないでか。アルがのんきな話題を放ってくる。

 おかみさんとはエーファたちが泊まっている宿の女主人のことだ。

 どうやらロベリアと知り合いだったようで、四人分の弁当まで用意してくれた。


「お昼、どこで食べる?」


 アルが待ちきれないとばかりに弾んだ声をあげる。

 朝食にとった食堂の料理がとてもおいしかったので、エーファも密かに期待している。


「そ、そうですね。装備を買っちゃうとかさばるから、お店の目星だけつけて先にどこか広い場所で食べちゃいましょうか」

「うん。ロベリア、いいところある?」

「この通りの先に湖を囲った広場がありますわぁ。生活用水用の湖だから人はそれなりにいるでしょうけど、広い木陰もあるから休憩にはもってこいですの」

「それ大丈夫? 身体とか服洗ったりする人いたりしない?」

「ご心配なく、アル様。川ならいざ知らず、湖でそれをしては貴重な水が汚れてしまうので、しっかり管理されてますわぁ。みんな水を汲みに来るだけですのよ」

「ふぅん」


 エーファはロベリアの提案に頷き、クリムにそれでいいかと視線を送る。

 クリムがいつもの無表情だが了承とばかりに首を振る。

 お弁当は彼に全員分預かってもらっている。初めは各自で持っておくつもりだったのだが、慣れない人込みでアルが弁当をひっくり返し涙目になっている姿が容易に想像できたからだ。


「じゃあ、そこでお昼にしましょうか」


 ポンと手を合わせて今後の方針を決める。


「でも、それまでけっこうお店を巡るから、はぐれないように――」


「注意しましょう」と振り返ると、後ろにいたはずのアルとロベリアの姿はすでになかった。

 慌てて周囲を見渡すが影も形もない。


「言ってるそばからもうはぐれてる!?」



   * * *



「う……」


 目が覚める。


「あれ? 私、どうして――」


 アルはぼんやりした頭で体を起こすと、パラパラと服から砂がこぼれた。

 宿の床や寝台ではない、整備された石畳でもない。

 地につけた手が砂に沈む。

 傍に湖がある。

 ロベリアが言っていた広場だろうか?

 いや、その向こうにハリムの街の外壁が見える。

 つまりここは街の外だ。


「さっきまでエーファたちと大通りを歩いてたはずじゃ……?」


 お昼をどこで食べるか話していたのは覚えている。しかし、そこからの記憶がさっぱりだ。

 妙な音がして顔を向けると、大きな布袋が置かれていた。


(……ええと、これ、ちょっと動いてるような?)


 恐る恐る手を伸ばすと、「うがーっ!」と布を破って中から小さな影が飛び出した。


「このアタシを魔力縄まりょくじょうで拘束するとか、いい度胸ね! 誰だか知らないけど、身の程を教えてやるわぁ!」

「ロベリア!」

「……アル様?」


 羽を生やしたロベリアがふよふよと目の前に降りてくる。


「ええとぉ、ご無事ですの?」


 戸惑ったような気遣い。この様子ではロベリアも状況を分かっていないようだ。


「面目ありません。一瞬で意識を刈り取られて――気づいたら縛られて袋詰めですわぁ」


 ため息をつく彼女は羽だけでなく尻尾や角も生やして元の魔族の姿になっている。

 アルは背筋に厭な汗が流れるのを感じた。

 自分はともかく、ロベリアは結構強い魔族で、人間の姿をして魔力を抑えていても肉体の頑健さそのものが弱まるわけではない。その彼女を一瞬で気絶させた上に、わずかとはいえ身動きを封じていたのだ。尋常な力量でできるものではない。


「ようやく目が覚めたか。ちょっと撫でただけなのになかなか起きないから、心配しちゃったぞ」


 誰もいないと思い込んべいたアルたちは、ぎょっとして声の方を振り向く。

 二人組の人間だった。

 一人は体格からして男だと思うが、外套を目深にかぶって顔まではわからない。

 もう一人は二十代前半くらいの小柄な女だ。赤みがかった茶髪に、緑色の瞳。丈の短い剣を腰の後ろに差している。たぶん声をかけてきたのはこちらだろう。


「げ、エレオノーラ」


 ロベリアが小さく呻いた。


「知り合い?」


 いいえ、とロベリアは首を振る。


「一度、遠くから見かけたことがあるだけですの。魔物狩りと遺跡探索を専門にしている凄腕の冒険者……たぶん、金等級ですわぁ」


 ロベリアはアルたちと合流する以前は、旅のついでに冒険者として生活費を稼いでいたらしい。ムートゥの情報を持っていたのもこのためだ。本人は「魔族に敵対する人間の力量や情報収集と資金集めに都合がよかったからですわぁ」と小さな胸をそらせて悪びれていたが、今は置いておこう。

 金等級の冒険者は最低でも単独で大型の魔物討伐が可能な実力を求められる。ムートゥのようにその上位層ともなれば、魔族とも一対一ならある程度渡り合うこともできるのだとか。


「組合から単独の遺跡探索を許可されている時点で、かなりの実力があると見た方がいいですわね」


 たった一人で魔物の群れや魔族に遭遇したとしても生き延びることができる。それだけの実力がある、と冒険者組合から判断されているわけだ。


「へえ、組合史上最速で銀等級になった期待の新人にそこまで評価されると嬉しいもんだね」


 エレオノーラのおどけた調子に、ロベリアの目がスッと細くなる。


「――こちらこそ、金等級冒険者に覚えてもらってるなんて光栄ですわぁ」

「これでも古参だからね。見所のある奴なら、そりゃあ覚えてるさ


 ロベリアが低く唸り、腰をかがめ即応の体勢をとる。もはや警戒を隠そうともしない。

 冒険者としての登録も活動も、ロベリアは大人の姿でおこなっていた。いくら面影があるとはいえ、眼前の幼女が同じ人物だと結びつくはずがない。

 あらかじめ知ってでもいなければ。


「安心しろよ、別にバラしちゃいないさ。だから、これからも冒険者として活動はできるぞ?」

「それ、ここであなたに殺されなければって、注釈がつかない?」

「あー、それはそっち次第かねぇ」


 ますますロベリアの気配が凶悪なものになる。立ち昇る魔力が陽炎のように視認できるほどだ。


「……一応聞くけど、どうして私たちを攫ったのかな?」

「街中に魔族が堂々と歩いてんだ。冒険者としてはすんのが当たり前だろ」

「そう…………連れてきたのは私たちだけ?」

はお前らがいなくなってるのは気づいただろうが、ただはぐれたとしか思ってないんじゃないか?」


 つまり、クリムやエーファに気づかれず、しかもあの往来で騒ぎすら起こさずにアルとロベリアをここまで攫ってきたわけだ。

 四人組のうち二人が魔族だと理解して、狙いを定めている。

 どこからか情報を得たのか、それとも見破ったのか。


(この分だと、私が魔王だってバレてそうなんだよねぇ)


 何にせよ、相手の目的もわからない。得体もしれない。


「そろそろ質問は終わりか? じゃあ――」


 エレオノーラが腰の剣を抜く。男が動く様子はない。

 数の上では二対二。しかし、相手がヒトでは魔喰以外に戦闘能力のないアルは足手まといにしかならない。

 だけど――


「師よ」

「ありゃ、予想以上に早かったな」


 男が初めて口を開いた。

 同時にエレオノーラの前に、見覚えのある鍬が突き立つ。


「アルっ、大丈夫ですか?!」

「エーファ!」


 エーファがアルに駆け寄る。

 さらに三人をかばうように、もう一人。


「相変わらずいい時に来るわね」


 さすが勇者ってことなのだろうか。

 これで数の上では圧倒的に優勢になった。

 だが――


「……エレオノーラさん?」


 エーファが茫然と呟いた。

 え、知り合い?


「ばあちゃん?」


 続いてクリムが。

 は?


「――よう、久しぶり、クリム。元気だったか?」


 そう言って、どう見ても二十代にしか見えないエレオノーラは二カっと笑ったのだった。


「はぁあああああああああっ?!?!?!?!?!?!」

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