少女と朽ち果てし里の暴竜
魔王と冒険の始まり
コツン、コツン――
硝子のかすかに震える音で目が覚めた。
空は白み始めているが、起きる時間にはまだまだ早い。
ぼんやりと残っている眠気を振り切って、窓を開け来客を招き入れる。
「おはよう」
挨拶に応えるように、一羽の鳩がひょいと桟を跳び越えて縁へ乗った。
灰色の身体に括りつけられた筒のフタを開けると、一枚の紙が出てきた。
「あら、むこうから手紙をくれるなんて」
クスリと微笑む。
いつも自分の目的優先で、それ以外には徹底して面倒くさがりの彼にしては珍しことだ。
「ふうん……勇者と魔王が見つかったのね。あら、北の方はずいぶんと賑やかに…………ラティーナが行方不明?……うぅん、彼女のことだから大丈夫でしょうけど」
心配だわ、と呟いてみたものの、我ながらその響きの白々しさと違和感につい笑ってしまった。
懐かしい親友の姿を思い浮かべる。ラティーナほど“心配”や“敗北”という言葉が似合わない者もいない。彼女が負けるとすれば
例外があるとするならば――
「わたしと戦ったら――かしら?」
あの
たおやかな曲線を描いた金髪が愉快気に揺れる。
「ハスタのお弟子に会うのは初めてね。それに、あの子たちとも」
ああ――本当に楽しみ。
そう愛おしげに呟き、ムーナ・ヴリム・ルーネシアは手紙を抱きしめた。
* * *
「……しにそう」
弱々しく吐き出して、アルは膝をついた。
「だ、大丈夫ですか、アル?」
「……もうむり」
エーファが駆け寄るが、アルはべたりと身体の前面を地につけたまま動かない。
「ほ、ほら、そんなところで寝てると、砂がついちゃいますよ」
「……もうおそい」
エーファの言う通り、汗で濡れた肌や衣服に砂が貼りついて気持ちが悪い。
考えなしに倒れ込んだのを後悔したけれど、後の祭りだ。
「――て、――のよ」
「え、な、何ですか?」
「どーして砂漠なのよ! もっと他に場所はあったでしょ!」
地に寝そべったままアルは叫んだ。が、その声も弱々しい。
グエンの攻撃により吹き飛ばされた一行は、南西方面にある砂漠地帯にいた。
周囲を山脈に囲われたこの地は一年を通して雨がほとんど降らず乾燥している。山と砂漠を横断する道程がなくはないが、その過酷さから砂漠を囲う山を東西どちらかに迂回するのがこの地を往来する行商人や旅人にとっての基本となっていた。
「砂漠だっただけ運がいい」
こんな状況だっていうのにクリムは相変わらず無表情だ。
「どこがよ」と突っ込みたいがそんな体力も残っていない。しかたなく「ゔぅぅぅぅ……」と唸ると、エーファに躊躇いがちに頭をなでられた。
「ア、アル。クリムくんの言う通りなんです……」
アルたちがとった離脱方法は、グエンの攻撃をクリムの“勇者の力”によって威力を減衰させ、ウルドの張った結界で身を守りつつ衝撃のままに遠方へと吹き飛ばされるという無謀極まるものだ。
ウルドがアルとクリムを魔王城から放り出した方法と原理は同じだが、狙って投げたのと力任せに吹き飛ばされたのとではその精度には大きく差がある。補助として風の精霊術で飛距離と方角を多少調整してはいたが、気持ち程度の効果しかなかった。
だから運が悪ければ山脈の岸壁に衝突して崖下へ落ちる可能性も十分にあり得たし、砂漠地帯を東西いずれかに避けられたとして満身創痍の一行が無傷で着地できたとは限らない。障害物がなく下が柔らかな砂地だったからこそ、大事なく済んだのだ。
「ま、まあ、砂漠越えの準備なんてしてなかったから、このままだと行き倒れ確定なんですけれど……」とエーファが視線をそらす。
旅の装備はエーファが持参していた分だけだ。アルとクリムの分は持ち出す時間も余裕もなかった。
つまり、一人分の食料と水で、真夏と真冬の寒暖差が同居する気候に対応した装備なしで砂漠を踏破しなければならないのである。
地図もあり方角もわかるが、無造作に放り込まれたせいで現在地の見当がつかない。
「せ、せめて、現地に詳しい人がいればよかったんですけれど……」
さすがにそんな偶然が都合よく起こるわけがない。
冒険初手から詰んでいる状況に、アルは深々とため息をついて砂に顔を
「――うん?」
そんな体勢だったからこそ、真っ先に異変に気づいたのはアルだった。
「…………なんか、揺れてない?」
かすかに身体の下の砂が震えている。やがて振動は大きくなっていき、アルの身体がずぷりと砂に沈んだ。
「クリムくん!!」
エーファが叫び、傍らに置いていた荷物をひっ掴んで走り出す。
クリムは砂に飲まれかけたアルを引き上げると、その場を大きく飛び退った。
直後、アルのいた周囲が円形にへこみ、大量の砂が吹きあがる。
まるで巨大な柱が地から突き出たようだった。しかし、柱はぐにゃりと折れ曲がり先端をアルたちの方へ向ける。そこには穴のように大きく開かれた口があった。
「はぁあああああぁぁぁぁっ!?」
驚きのあまりアルが酸欠寸前の悲鳴をあげる。
そんなアルを抱えたままクリムは先に駆け出したエーファに続く。
「何アレ!?」
「砂虫です!」
砂虫――砂漠に生息し、地中から獲物を急襲する狩人。地面の中で生息しているため視力は皆無だが、顔の周辺に生えた髭のような感覚器官が地上の空気振動までをも鋭敏に察知して、エサとなる生物の位置を把握する。口内には細かく鋭利な歯が無数に生えており、奥に行くほど鋭さを失い平らになっていく。これは捕らえた獲物を飲み込みつつ細かく刻み、最終的にすり潰すためである。口腔は常に大きく開かれており、移動中しながら砂と共に動植物を無差別に喰らう砂漠の暴食者だ。
「虫っていうにはデカすぎない!?」
胴の直径はアルが両手を左右に突っ張ったくらいはある。体長にしても地上に出ている部分だけで勇者の家を余裕で見下ろせるほどに高い。
「す、砂虫は食事とは別に、魔力も積極的に摂取するんです!」
砂虫は何でも口に入れる雑食の魔物だが、その腹を十二分に満たせるほどの獲物は砂漠という環境下にはいない。だから不足分を魔力によって補う。そのため他の魔物に比べて魔力を吸収しやすい体質になっており、それ故に巨大な個体が育ちやすいのだとか。
「本には振動に敏感って書いてたわよ! 止まって大人しくしてたら見失うんじゃない!?」
クリムに小脇に抱えられたまま、アルは隣を走るエーファに声をあげた。
砂虫は目が見えない。下手に足音をたてて逃げるよりもじっとしていた方が安全ではないのだろうか。
「ダメです! 地中からの奇襲で捕らえられなかったら、次に感覚器官と一緒に生えている捕獲用の触手で周りを手当たり次第に索敵するんですよ!」
言ってたそばからアルとエーファの間をとんでもない速度で触手がかすめた。
ひっ、と思わずアルが悲鳴をあげる。
「こんなとこまで届くの……」
予想だにしていなかった触手の長さと速度に蒼白になるアルだったが、第二撃が襲ってくることはなかった。さすがに捕獲範囲から逃れられたのだろうか――と安心したのも束の間、やおら砂虫は地中へ潜ると地表を隆起させつつとんでもない速度でアルたちへ迫ってきた。
「きゃあああ! 来た来た来た! ねえ、アタシたちは立ち止まって、エーファの荷物を遠くに投げたりしたらそっちに行ったりしないかな!?」
「それも無理です! たぶん、狙われてるのはアルなので!」
(――は?)
一瞬、頭の中が真っ白になる。
え? 私だけ狙い撃ち? なんで?
待て。落ち着け。冷静に考えよう。私と二人の違いはなんだ?
私が一番弱い。
いやいやいやいや、いくら魔物だって言っても相手は虫だよ? そんな判断力ないって。だからもっと単純な――
クリム ⇒ 勇者・人間
エーファ ⇒ 精霊使い・人間
アル ⇒ (元)魔王・魔族
砂虫:肉食であり、不足分を魔力で補う。
つまり獲物は同じ大きさなら魔力の大きい方が当然いいわけで……。
「エーファ、もしかしてアイツ、魔力感知できるの!?」
「はい!」
そ く と う。
あー、それは本に書いてなかったなぁ。本だけの知識じゃわかんないこともあるってことかぁ。
クリムは勇者としての特性上、魔力がない。
エーファは精霊術を使うが、これはヒトが少ない魔力を呼び水に精霊と交信し協力を促す術であるため、保有魔力が多い必要はない。というかヒト種はそもそも魔力の持ち合わせ自体がほとんどない。
対してアルは、グエンとの戦いで吸収した魔力の大半を失った腕の再生に費やしたとはいえ、その体内にはいまだに下級の魔物程度の魔力が蓄積されていた。
厭な事実に、ひゅっと血の気が引いて体温が一気に下がる。逆に汗が滝のように全身から噴き出ていく。
「アル……汗で滑って持ちにくい」
「な、ななななななななな!?」
抱きかかえた乙女に向かってなに言ってんだお前は!?
むしろこの状況でお漏らししてないだけありがたく思え!!
色々と文句はあるが、アルはクリムが抱えやすいようにぎゅっと身体を縮め、彼に密着させる。両手は首に回しがっちりと。
ぜったい、はなさない。
(くっそぉぉぉ、何なのよこのところの私!?)
勇者がいきなり
(あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”! せっかく手がきれいに治ったって安心したのに、これだよ! 私呪われてない!?)
平穏が、平穏が欲しい……っ!
そんなアルの悲痛な願いも虚しく、砂虫が急加速し彼女らの足元へと到達する。
がくん、とクリムの足元が沈む。
「横に跳びな!」
突然の指示に、クリムとエーファは迷いなく反応した。
跳び
「くふふ、ムシ風情が。魔王様を喰らおうなんて身の程を知りなさい!」
巨木のような砂虫が一瞬で切り刻まれ、ばらばらと崩れていく。
「くーふっふっふっふっふ、お困りのようねぇ!」
呆気にとられている一行に、どこかで聞いたことがあるような高笑いが降ってきた。
「あーあー、勇者のくせに
アルは残った体力を振り絞って顔を上げる。
山の端にかかった太陽を背に人影が浮いていた。
「ヒトに手を貸す義理なんてないんだけど、魔王様のためになら手を貸してもいいわよぉ?」
自身の体躯よりも大きな翼、燃えるようにたなびく赤毛、水色の瞳――
「くっふっふ! 魔王様イチの腹心、ロベリアちゃん、参・上!」
それは、自信満々に空中で仁王立ちをしている――幼女だった。
え、誰?
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