寄り道SS『魔王城の魔族たち』

 人里のはるか北に存在する深い深い森の奥。

 光さえも届かない、深海の底のように重く暗い樹海のただ中を一人の男が歩いています。

 全身傷だらけ衣服もボロボロですが、足取りはしっかりと軽く、周囲には濃い魔素によって異形と化した魔物が蔓延っているというのに遠足でも楽しんでいるような様子です。


 やがてひらけた場所に出ました。

 差し込んだ光に、男は目を細めます。

 眼前には巨大なお城。堂々とそびえたつ威容は長い年月を感じさせますが、よく手入れをされていて汚れも老朽化の兆しも見当たりません。

 よくもまあこんなものをこれまで維持してきたものだと、呆れ半分関心半分で男は見上げていましたが、突然ひょいと首を片側に傾けました。

 一陣の風が顔の横を通り過ぎたかと思うと、背後にあった木々が見えない刃ですっぱりと切断されたのです。

 さらに間を置かず、男の頭上と横合いから小柄な影が二つ襲い掛かり、無防備な首筋と腹部へ銀色の閃光が奔ります。

 ですが、男は二つの攻撃を左右の手であっさり受け止めてしまいました。


「……おかえり、なのです。グエン」

「おう。……何度も言ってるが、出迎えってのはじゃねぇ」


 襲撃者に向けて、男――グエン――は口の片端を上げます。


「グエンが勝手に行くから悪いのです」


 小さな襲撃者の一人、ツァイザリスが平坦な口調で答え、もう一人のツェザリスも「なのです」と小さく頷きます。

 その様子にグエンは「おや」と内心で眉を上げます。

 ツァイザリスとツェザリスは、数年前からグエンと行動を共にしている双子の魔族です。外見は十歳程度の少女の姿で銀髪赤眼。とある事情から、常に無表情で内心を外に表すことがありません。ですが、今、この姉妹は口先をほんの少しだけ突き出して、グエンをまっすぐ見据えてきます。

 どうやら二人を置いていったことで、少々おかんむりの様子。


「そりゃあ悪かったな」


 ぐしぐしと雑に二人の頭を撫でて、グエンは城の正門へと歩いていきます。


「グエン嫌いです」

「です」


 双子は文句を言いつつも襲撃のために伸ばした爪をしまい、乱れた髪を押さえて、とととと、とグエンの後を追います。


「んで、なんかあったか?」

「また増えた」とツァイザリス。

「まだ増える」とツェザリス。

「「殺していい?」」と二人。


 物騒な双子の発言に「ダメだ」とグエンは苦笑します。


「挑まれたんならともかく、お前らからケンカ吹っ掛けるのは禁止だ」

「グエン嫌い」

「嫌い」


 左右からげしげしと双子がグエンの脚を蹴ります。

 さすがにこの程度なら痛くもかゆくもありません。

 蹴られるに任せたまま門扉へと近づくと、グエンの存在を察知したかのように扉が開き、外套を頭からすっぽりとかぶった男が姿を現しました。


「よう、バーゼスト」


 バーゼストと呼ばれた男は、恭しく頭を下げると「ずいぶんと遅いお戻りでしたね」と問いかけてきます。

 外套の陰に隠れて表情はわかりませんが、グエンの悲惨な姿と合わせて随分と困惑しているようです。


「クカカ、負けた負けた…………おい、ツァイ、ツェー、お前らどこ行く気だ」

「「殺しに」」

「やめとけ」

「どうしてなのです」

「です」


 詰め寄る双子にグエンはぼりぼりと頭をかきます。


「グエンは油断するからダメなのです」

「わたしたちなら負けないのです」

「それとも、はわたしたちよりも強いのですか?」

「ですか?」

「クカカ、それはぇな」


 双子は無表情のままグエンを睨みます。


「「バーゲストこいつよりは?」」

「それも無ぇ」


 双子が拳でグエンのお腹や背中を殴ります。どうして弱い相手にお前は負けて、仕返しに行く自分たちを止めるのか、と。


「何にせよ無理だ。最終的に俺が吹っ飛ばしちまった。生きてたとしてもずっと南の方だ」


 グエンの言葉にツァイザリスとツェザリスは顔を見合わせると、


「「グエン嫌い」」


 と、声を合わせて城の奥へ駆けていってしまいました。


「クカカ、最近やけに嫌われてんなぁ」

「人間で言うところの“イヤイヤ期”や”反抗期”でしょうか」

「魔族にもあんのか、そういうの?」

「さあ、小生も魔族なのでなんとも」

「そりゃそうだ」

「構ってほしいのでは?」

「ちっとはお前らも相手してやってくれ」

「……幼体とはいえ、純血の竜種二人相手は小生にはとても……」


 クカカ、とグエンは笑います。

 そういえば魔喰に喰われかけていた魔族、あれも竜種の幼体だった気がします。戦闘に夢中で放置してしまいましたが、どうなったのでしょうか。


「さすがに生きてねぇか」

「何です?」

「いんや、独り言だ」


 グエンはバーゼストを伴って奥へ進みます。

 やがて一際巨大で豪奢な扉が現れました。この先は玉座のある謁見の間です。

 バーゼストに誘われ、中へ足を踏み入れます。


「暗っ」


 思わず声が出ました。

 中は真っ暗です。


「我らが主の帰還である」


 バーゼストの厳かな声が室内に響き渡ります。

 すると、ぽつ、ぽつ、と蝋燭のような灯火が一定の間隔を置いて浮かび、玉座までの道を照らしました。

 正直、雰囲気は抜群なのですが、光量が少なすぎて足元がかろうじて見える程度です。

 見づらいので大きな火で照らしてやろうかと思いましたが、そういえば先日、同じことをやってバーゼストが涙目になったのでした。こういうのは暗闇でやるからいいとか何とか。彼の訴えの意味は分かりませんが、そこまで不自由ではないので、火をつけるのをグエンは思いとどまります。


 玉座に着くと、両側に人の頭ほどの灯火が生まれ、グエンの姿を浮かび上がらせます。

 同様の灯火が謁見の間に複数現れ、いくつかの影を照らしました。


「我ら四天王、御前に参上いたしました」


 ざ――と、影たちが跪きます。


「状況は、バーゼスト?」

「は。魔王城に集結した魔族が五十を越えました。まだ増加傾向にありますが、そろそろ頭打ちかと。ですが、始めのとしては十分でしょう」

枢闇黒すうあんこく卿」


 影の一人が声をあげます。

 ちなみに枢闇黒とはバーゼストのことです。卿と呼ばれていますが、彼は貴族でも大臣でもありません。ただ何となくです。


「何ですかな、毒酸幻だいさんげん殿」

「五十とは小勢に過ぎませんか。西方には魔族の村とやらも存在しているとか。魔王復活の宣言や宣戦布告はまだ先だとしても、そちらに声をかけておく程度はよいのでは?」

「無論、ヒトとの戦端を開くには五十という数字は少ない。しかし、現時点で必要なのは量よりも質なのです。魔王様の復活を喧伝すれば、魔族も魔物もこぞって参集するでしょう。しかしその中の半数以上がこの場にたどり着けず脱落します」


 なんと、と影たちが一斉にざわめきます。

 まさか魔族がヒトに後れを取るとでも?


「諸兄らほどの実力者であれば気づけぬのも無理はありませんが。ここがどこにあるのかお忘れですか」


 バーゼストの指摘に、皆が言葉を飲み込みました。

 そう、魔王城ここは魔物の森の最深部。常に高濃度の魔力が漂い、長年それに曝され続け異形化した魔物たちの巣窟の奥の奥です。この地に生息する彼らは言語を解せず動植物の姿であるため分類上は魔物と一括りにされていますが、ヒトはおろか魔族ですら並の実力では太刀打ちできないほどの強靭さを備えています。

 つまり、無差別無計画に招集をかけてはせっかくの手駒の大半を森の魔物のエサとして提供するだけになってしまうのです。


「たかが噂であっても馳せ参じる忠誠と、森の異形を相手取れる実力。今は兵ではなく、将を整える時期だと考えています」


 それに魔族や魔物が大挙して移動するとなると、南に配備された城塞の物見にも勘付かれてしまいます。それでは現状“暗躍”をしている意味がありません。

 ううむ、と毒酸幻が唸ります。


「なるほど、さすがは葬焔そうえんの右腕。失礼した」

「なんの、小生などまだまだ若輩。至らぬところがあれば遠慮なく指摘していただきたい」


 ふふふふ……と仲良く笑いあう二人。

 葬焔はグエンの二つ名です。名乗ったことなんてないんですが、いつの間にか勝手についていました。正式名称は『蒼き葬焔』なのだそうです。ついでに、バーゼストのことを『右腕』と言ったこともありません。もちろん、それなりに信用はしていますが。


「報告はそれで終わりか? んじゃ、俺からだ。――勇者と魔喰とやりあってきた」


 場が一気にざわつきます。


「魔喰だぁ?」と声をあげたのは刻死無双こくしむそうと呼ばれる魔族です。

 彼は“眼”に関する能力持ちではないのですが、頻繁に右眼の魔力がうずく変わり者です。「ぐぅ、俺の右眼がうずきやがる……魔力が溢れそうだぜ!」とよく独り言を言っているので、グエンが「一度眼を抉りだすか、治療のできる魔族に診せた方がいいんじゃないか」と言ったところ「俺ッチの眼は異常はねーけどマトモじゃねーんだ!……いやしかし、隻眼……独眼? ありか?」なんてぶつぶつと考え込んでいました。


「ヤハリ、生マレテイタカ」重々しく息を吐いたのは糺連砲凍きゅうれんほうとう。武人然とした巨体の魔族です。ちなみに彼は左腕がうずきます。


「風精霊のささやきのままに、光と闇がすでに盃を交わしてしまったようね」天崩てんほうが悩まし気に呟きます。彼女の言っていることはグエンにはほとんどわかりません。他の四人にはすんなり伝わっているようなのですが。


 ちなみに全員本名ではなく二つ名です。

 彼らが本当の名前を言わないので、グエンですら知りません。


「今代の魔王が戦い自体を拒否しているとの噂はありましたが、まさか勇者と手を組むとは……」

「玉座の文字のこともある。こうなれば、やはり先代も勇者とつながっていたということか?」

「ムゥ」

「その真相は深き時の淵に墜ちた。闇を浄化する篝火を持ちえないボクらでは深淵を覗くことができない」


 たしかに、と天崩の言葉に皆が頷きます。

 グエンには何に納得したのかわかりませんが、とりあえず全員が黙ったので口を開きます。


「先代がどうだったか、今代が何のつもりかはこの際どうでもいい。要は、連中はケンカをするつもりがねぇってことだ」


 せっかく百年に一度のでかい祭りなのだ。開催されないのでは退屈極まりない。


「だから俺たちがここにいるんだろ?」


 皆が無言で頷き、バーゼストがグエンの言葉を引き継ぎました。


「勇者と魔喰は葬焔と戦闘、痛み分けの後、南方へ逃れました。あちらが我らと同等の戦力を整えるまでに数年を要すると推測されます。こちらもその間、十全な用意を」

「勇者にくらいはかまわねーか? 何かしねーと俺ッチの右眼の魔力が暴発しちまいそうだ」


 ちらり、とバーゼストが視線を寄こしてきたので、グエンが答えます。


「まかせる。ただし、やりすぎるな。に損害を与えたことで、祭りが延びたり焦った連中が準備不足のまま攻め込んで来るのが一番つまらん」

「了解シタ」


 糺連砲凍が答え、他の者も続きます。


「……んじゃ、これで終わりか?」


 会議の終了を察したグエンが片手を上げると、ポン、と青い炎が生まれました。


「まっ――」


 傍らに控えていたバーゼストがグエンの行動を察して声をあげましたが、時すでに遅し。炎は瞬く間に広がって、暗闇を構成していた魔力を焼き尽くしてしまいました。

 周囲の窓から一斉に陽光が降り注ぎます。


「「「「ぎぃやあああぁぁっ、目がっ、目がああぁぁぁっ!!!!」」」」


 悲鳴がこだましました。


「あ、悪い」


 夕刻に近づき陰り始めていた陽の光でしたが、ずっと暗闇の中でグエンたちを待っていた四天王には厳しかったようです。


「ぐぅああああ! 俺ッチの右眼がぁああ!」

「や、やはり我ら魔の存在にとって光は天敵……」

「天崩……無事カ」

「月女神と太陽神との逢瀬に居合わせたボクの魂は悠久の暗き時を欲している……」

「いや、お前らそんな闇的な属性持ってねーじゃん」

「葬焔、これはそういうものなのです」


 バーゼストはかつてないほどに真顔です。


「ちなみに天崩殿は徹夜したのでものすごく眠いそうです」

「子供かよ」


 勇者と魔喰の二人を「面白突撃」をする二人組だと評したグエンでしたが、こちらの配下五人も負けていない濃さのようです。


「ん? そういや、お前ら四天王って名乗ってるよな?」

「その通りです」と枢闇黒ことバーゼスト。

「五人いねぇ?」


 一瞬にして時間が凍りついたようでした。


 枢闇黒。

 毒酸幻。

 刻四無双。

 糺連砲凍。

 天崩。


…………確かに五人です。


 それからは喧々諤々の大騒ぎ。

「実力が一段劣る自分が降りれば」「いや、枢闇黒卿、腹心を除外するなどできない」「五人の呼称を考えればいいんじゃね?」「五天王カ」「語呂悪ぃ」「そもそも“天”がつくと天崩殿が中心のような……」「んむ……闇の安寧を……ボクに……」

 グエンそっちのけで五人に相応しい名称を話し合い始めてしまいました。


「仲良いな、お前ら」


 グエンは軽く呟くと、盛り上がる配下をしり目に、謁見の間を出て上階へと向かいます。

 潜伏したままの魔王の従者、玉座に刻まれた無数の文言の真意、気になることはいくつもあり、魔王軍の編成などやることは山積みです。

 まあ、いい。とグエンは思います。

 懸念事項はグエンの目的とはほぼ関係なく、軍の運営などややこしいことのほとんどはバーゼストが率先してやってくれています。

 彼はのんびりと時期が来るのを待つのみ。長い寿命を持つ魔族にとって、たった数年などたいした長さではありません。


「それに、祭りは準備が一番楽しいっていうしな」


 グエンは差し込む夕日に目を細めつつ、階段を上ります。


「ま、とりあえずは――へそ曲げてる双子ガキどものご機嫌取りかね」


 正直、魔王軍を作るのよりも厄介じゃねーのか、と最強の魔族は心底愉快そうに笑うのでした。

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