箱入り魔王は静かに暮らしたかった

「――ル、アル。起きなさいな」

「へ?」


 名前を呼ばれ、反射的に顔を上げる。その振動で、傍らの茶器がカチャンと抗議の声をあげた。

 魔王城の温室である。部屋の随所に配された艶やかな花。涼しげな緑を身に纏った若木。お茶や読書の時にいつも使っている小ぶりな円卓。

 頭がぼんやりとして前後の記憶があいまいだが、どうやら眠っていたようだ。

 ぐじぐじと顔を拭く。よだれは出てない、よね?


「ん?」


 右腕が、ある。

 あれ? 右腕?

 そもそも、魔王城から追い出されたんじゃなかったっけ?


「…………夢?」


 ほわほわと甘い湯気を立てる紅茶。牛酪バターの香りのお茶菓子。よく手入れをされた彩たち。

 見慣れたはずの光景なのに、アルの胸には落日を眺めるような郷愁が染みてくる。


――ああ。


「――夢ね」

「あら、よくわかりましたね」

「……できれば気づきたくなかった」


 対面のウルドにアルは口を尖らせる。

 夢想に閉じこもるにはこのおよそ十日間の出来事が濃すぎた。

 それが喜ばしい事なのか、悲しい事なのか、判断は難しいけれど。


「――ふふ」

「何よ?」

「いえ。昔からアルは物わかりのいい、聞きわけの悪い子だったなぁ、とふと思いまして」

「どういうこと!?」


 “物わかりがいい”と“聞きわけが悪い”は真反対の言葉じゃないかな!?


「そうでもありませんよ。アルはこちらの言うことをしっかりと理解する子でしたが、言うことを“聞く”とは限りませんでしたからね」


 ウルドが片目をつぶって人差し指をくるくると回す。


「そ、そうだっけ……?」

「アルは頑固ですもの」


 あ、これ怒られるやつだ。

 ウルドの浮かべた笑みに、これからの展開を覚る。


「私は魔喰は失敗してもいいがやりすぎると問題だ、と言ったはずですが?」

「ハイ、ソウデスネ……」

「それに、途中で止めましたよね? 私」

「ハイ、聞コエテマシタ」

「それを、何でしたっけ? やられっぱなしって大っ嫌い、でしたっけ」

「ぇぇと……」


 ウルドの笑顔が深くなる。

 これは本気で怒ってる……。


「そもそも、本来ならあの男グエンの攻撃を利用して、結界で身を守りつつ離脱する予定だったのですよ」

「へ?」

「アレも言ってたでしょう?」

「……もしかして、あの『フっ飛ばす』って言葉通りの意味だったの?」

「見た目は派手ですが、殲滅力よりも衝撃に重きを置いた良い攻撃でした」


 ウルドはグエンの技量を褒めつつ、軽くため息を吐く。

 これはつまり、あれか。グエンあいつは約束を守ったけど、アルが空気を読まずに余計なことをしたと……。

 ニッコリ、と微笑むウルド。やだ、すごく美人怖い


「私たちを手放しで見逃したのでは配下に示しがつきませんからね。ああした荒っぽい方法をとるのも無理はないかと」


 ウソでしょ。あんな脳筋で血の気の塊みたいなヤツがそんなことまで考えてたっての?

 ウルドは「王というものは、大なり小なりそういうものです」と眼鏡を少し上げる「ただの脳筋で済むのはむしろ勇者の方でしょうね」

 マジかよ。


「だ、だってあんな状況でそんなことわかるわけないじゃない!」

「それもそうですね」

「で、でしょ?」

「ちなみに、勇者様たちは気づいてましたよ?」

「ぅ……」

「敵意と害意の有無を感じ取るのは、今後の課題としましょうね」

「うぐぅ……」


 アルは円卓に突っ伏す。

 ウルドが危惧していたのは、グエンの攻撃が結界を貫通してしまわないか、ではなく、アルの魔喰が結界の魔力を喰ってしまわないか、だったらしい。

 不幸中の幸い、ムキになったアルがウルドたちの最前線まで出張ったため魔力波だけを喰い、結界は無事だった。が、問題はその後である。グエンの攻撃を喰い尽くしたアルは、よりにもよってそのまま打ち返してしまったのだ。


「何やってんだ私ぃ……」

「まあ、アルを待機させておかなかった私にも非があるのですが」


 とはいえ、ウルドとしては、アルの腕を早期に癒す意味でも最低限魔力を吸収させておきたかったのだろう。ただ彼女の予想をアルが斜め上に飛び越えただけだ。

 虚を突かれたグエンだったが流石――と言うのは癪だけれど――に反撃を防ぎ切り、改めて一行を吹き飛ばしたのだという。


「……よく怒り狂って逆襲されなかったわね」

「むしろ楽しそうでしたよ」

「ホンッと、よくわかんないヤツ」


 戦闘狂の考えは理解できない。


「じゃ、今のはどういう状況なの?」


 アルが盛大にやらかしてしまったものの、どうやらみんな無事らしい。

 その点については全力で安心した。これでさらなる絶体絶命を迎えていたら、顔向けできなくてこのまま夢の世界にひきこもっていたところだ。

 それはともかくとして、どうしてこの場所にウルドがいるのか。


「…………私は、もうじき消えます」


 穏やかな、もう陽が暮れると呟くようにさりげのない口調だったが、アルの心臓は氷でも差し込まれたように縮んだ。


「他の方にはご挨拶を済ませましたが、アルは眠ったままっでしたので。こうして夢にお邪魔した次第です」


 黙りこくったままのアルの心情を察し、ウルドは「あくまでウルドが消えるだけで、本体の方は健在ですよ」と補足したが、それで締め付けられるような胸の苦しさが和らぐわけもない。

 今目の前にいる彼女は使い魔ルーの魔力を呼び水にして召喚された。本体ウルドから独立した個体で相互のつながりは一切なく、召喚時の魔力が尽きれば消え去る泡沫の存在だとは、ウルド自身が語ったことだ。どうしてそんなことが起こりえたのかまでは、ウルドもエーファも教えてくれなかったが。


「夢が覚めるだけですよ」とウルドは事もなげに語る。

 だとしても、簡単に納得するなんてアルにはできなかった。例え白日の蜃気楼だとしても、目の前で触れられるこの暖かさは、確かに家族ウルドなのだから。


「…………アルのそういう素直な所、大好きですよ」


 ウルドがそっとアルの髪に触れる。


わたしとしては、本体ウルドができないアルの危機に直接駆けつける、なんてことができたので満足なのですよ。魔力感知でこちらの様子をうかがっている彼女は、きっと悔しがっているでしょう」


 おどけて片目をつぶるウルドに、アルはようやく口元をほころばせる。


「ウルドの方こそ、いつもより素直なんじゃない?」

「あら、そうですか?」

「そうだよ。大好きなんて、めったに言わないもん」


 ふむ、とウルドが上向きに唇を尖らせる。


「私の元は使い魔ルーですから、幾分欲求に正直で単純なのでしょうね。本体あちらも単純には違いありませんが、そのくせ抱えているものがありすぎです」

「そうなの?」

「ええ。ですから魔王城を奪還した暁には、労う、というか逆に甘やかしてあげれば喜ぶんじゃありませんか」


 魔王城の奪還。

 アルは表情を引き締める。

 そうだ。影のウルドがあっけらかんとしているものだから勘違いしていたが、本体のウルドの安否は不明のままだった。

 彼女の言葉通りなら、無事なようだが。


「誰にも見つからない隠れ部屋で潜伏しています。食糧の貯えも充分。ま、なくなったとしてもやりようはありますので。焦る必要はありませんからね?」

「……大丈夫なのよね?」

「ええ、異変を察するなりいち早く隠れましたから怪我一つありませんとも。もっとも、わたしの記憶はルーが動かなくなった時点までですが。少なくとも、勇者様との戦闘で失った魔力が完全に回復するまでは大人しくしているでしょう」


 そう、とアルは胸をなでおろす。

 事態が好転したわけではないが、少なくともウルドが安全だとわかって心が幾分軽くなる。

 本人のお墨付きなら、しばらくは安心だろう。


「それにしても、私の部屋以外に隠し部屋なんてあったんだ?」


 あれだけ古くて広い城だ。アルが踏み入れていない部屋もかなりある。だから隠し部屋が複数存在しても不思議ではない。


「いいえ? 隠し部屋は一つだけですよ」

「え゛」


 アルの表情が凍りつく。

 それは、つまり――


本体わたしが隠れているのはアルの部屋です」

「ななななななななな、何で!?」

「あそこが一番安全ですので」

「クリムにだってすぐにバレてたじゃない!」

「あれは特別です。本来なら許可した者以外には発見されないような仕掛けが施されていますから」

「そそそそそっかぁあああ、それなら安心だぁああああぁぁぁぁぁ……」


 でもなぁ、でもなぁ……。


「アルの蔵書もありますし、退屈もしないでしょう」

「あんまり勝手に本棚あさっちゃだめだからね!? あと寝台の下とか絶対掃除しないで!!」

「……それをに言われましても」

「そうだったぁぁぁぁぁ!」


 ぐあああっ、とアルは頭を抱えて立ち上がる。

 ウルドが無事なのはいいことだ。アルの部屋が城内で最も安全な場所だと言うなら、そこに隠れるのも致し方ない。

 が、何だかんだ年頃の乙女の部屋である。人に見られたくないものの一つや二つはあるもので……。


「くっそ、こうなったら。すぐに魔王城を取り返してやるわ。今までのどの勇者よりも最速で攻略してやるから! 待ってなさい、すぐ助けてあげる!」


 高らかと宣言されたウルドはきょとんと目を大きく開いていたが、すぐに苦笑を浮かべる。


「そうですね。お待ちしています。あまり、こちらはお姫様という感じではありませんが」

「しかも助けに行くのは“元”魔王よ」


 しばし無言で見つめ合っていたが、やがてくすくすと笑いあう二人。

 温室はいつの間にか消え失せ、真っ白な空間に立っている。


「ああ、もう目が覚めますね」


 冬の吐息のように、ウルドも彼女の言葉も、少しずつ溶けていく。

 もう、お別れらしい。


「もうちょっとしんみりするかと思ったんだけど……」

「それでいいのですよ。私はやりたいことを全力で遂行し、消えるのです。それを悲しむ必要はありません」


 そう言ったウルドは、自らの望むことを、やるべきことをやり遂げた者の、満ち足りた表情をしていた。

 ならば、主人としてかける言葉は決まっている。


「そうね。ありがとう、ウルド。最高にカッコよかったわよ」


 ウルドは満面の笑みを浮かべる。それは、普段彼女が見せたことのない、いたずらに成功した少年のような、とびきり素敵で、魅力的な笑顔だった。



   * * *



「――ル、アル。起きてください」

「ん」


 目を開けると、栗色の瞳が覗きこんでいた。


「おはよう、エーファ」


 ほう、とエーファは胸を抑えて息を吐く。


「よ、よかった。目を覚まさないから心配してたんですよ」

「おはよう、アル」

「おはよ、クリム」


 あれだけギリギリの戦闘の後だというのに、のんきな挨拶を交わす。

 まるでエーファの館での出来事からがずっと夢だったと錯覚しそうだが、二人に巻かれた包帯がすべて現実だったのだと訴えている。


「一応、みんな無事、ってことでいいのかな」

「ええ、と」


 アルの問いかけに、エーファが言葉を濁す。

 のことで気遣ってくれているのだと察し、アルは優しく首を振った。


「エーファ、ありがとう。私は大丈夫だから」


 そうだ、こんなところでのんびりしていられない。

 一声気合を入れてアルは立ち上がる。


「さ、行きましょ」

「ど、どこに、です?」

「決まってるじゃない。魔王討伐の旅に、よ」


 アルの発言にクリムもエーファを目を大きく見開いた。


「……何よ?」

「い、いえ」

「アルがそんなこと言い出すとは思わなかった」


 まあ、そうだよね。とアルは頷く。


「私だってできるんなら、旅なんかしたくないわよ。でも魔王城じっかは占領されてるし、クリムの家べっそうからも遠く離されちゃって、これから新しいを探すのも大変だしさー。まあ、それよりも、やられっぱなしって言うのが気にくわないのよね」


 それに、ウルドにも約束したのだ。助けに行くって。


「そ、そうですよねっ」


 アルに触発され、エーファが声をあげる。


「や、やりましょう。やられっぱなしはよくないですっ!」


 うんうん、やっぱりこの娘、薄々思ってたけど血の気多い。


「ク、クリム君の家も壊れちゃったし」

「ぅん?」


 今、なんて?


「え、壊れたの? クリムの家? なんで?」


 突然挙動不審になったアルに、戸惑いつつエーファが答える。


「…………最後のアルとあの男グエンの魔力の打ち合いの余波で……」


 少しずつ形容のできない表情に変わっていくアルを前に、エーファの声が尻すぼみに消えていく。

 が、クリムがサラッとその後を継いだ。


「跡形もなくふっとんだ」

「はああああっ!? せっかく造ったお風呂とかトイレも?!」

「全部」


 どうしてそんなに冷静なんだよクリム! 自分の家のことだろお?!

 いや、そこを突っ込んでいる場合じゃない。一番大事なのは――


「本棚は?! 本は?!」

「た、多分、残ってないんじゃないかと……」

「――――っ!!!!!!!」


 アルのまん丸に開いた口から声にならない悲鳴があがる。

 黙って座っていれば深窓の令嬢のごとき美貌である。そんな彼女が全身で絶望と苦悶と悲哀を表す様はあまりの迫力で、さすがのクリムたちも無言で後ずさってしまう。


 え? なくなった? 全部? まだ読んでいない本。読みかけだった本。帰ったら読もうと楽しみにしていた『拳の勇者と姫魔王』。あの個人じじい製作による希少本が、跡形もなく消え去った…………?

 おのれぇぇぇ、許すまじ……!


「…………クリム、エーファ。私決めた。アイツら、絶対ボッコボコにする」

「は、はぁ」

「見てなさいよ! 私の住処と本を台無しにした報いを受けさせてやるから!」


 天に向かって高らかに吠える。

 クリムの家もそこの蔵書もアルのものではないし、さらに原因の半分は彼女にあるのだが。

 クリムもエーファも「アルがやる気になっているのだから」とその点についてはそっとしておくことにした。


 かくして、魔王城を出ること延べ八日。いくつかの停滞と紆余曲折を経て、ようやくひきこもりの自称“元”魔王は旅に出ることを決意したのだった。

 これは、時に勇者と敵対し、時に聖女とうたわれ、やがて世界そのものを相手取ることになる、魔王を拒否した少女の物語である。

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