魔王と魔王②

 作戦はこう。

 今できるを叩きこむ。

 簡単でしょ?



   * * *



 男はあくびを噛みしめる。

 勇者の相手にも、そろそろ飽きてきた。

 魔力を打ち消される感覚は新鮮で、どうやら能力を封印されているようだが、戦闘を続けるうちに少しずつその効力も弱まっているらしく、段々強くなっている。


――しかしまあ、この程度じゃあなぁ。


 もういいか、と魔力を腕に集中させる。

 危険を察知した勇者が距離を取ろうとするが、遅い。

 魔力を帯びた拳打が少年を捕らえる寸前、背後から貫くような殺気を感じ、男は動きを止めた。


 給仕服の見知らぬ女が立っていた。

 ヒトではない、のだろう。しかし、感じる魔力は魔物程度しかない。

 女は白刃のような眼光を男へまっすぐ向ける。視線に相応の魔力がのっていたならば、男の身体は幾千もの刃に貫かれ襤褸衣ぼろぎぬになっていただろう。それほどの殺気だ。


 女の背後には、腕を抱えうずくまる魔王と全身傷だらけの術師の姿。

 あれだけの時間をかけたというのに、あの小娘まおうはいまだ傷をふさげないようだ。


――勇者といい魔王といい、ハズレばかりか。


 男は失望も露わに息を吐く。

 すると女の気配が憤怒の熱を帯びる。

 ふわり、と女が服の裾を摘まみ、優雅な礼をする。直後、その姿が掻き消えた。

 男は視線を左下方へ向ける。そこには懐へ潜り込むべく身を低くした女の姿が。


――クカカ、あの勇者よりも数段速ぇな! だが、まだ遅ぇ!


 勇者にぶつけるはずだった魔力を込めた右腕。それを女へと振り下ろす。

 女も対抗してか左腕を上げる。だが、両者の魔力には天と地ほどの開きがあり、腕一本で防げるものではない。


 だが――


 男は瞠目する。

 女が手刀を振り上げると、男の右腕が容易く斬り飛ばされたのだ。

 そのまま手首が翻り、喉元へ迫ってくる。

 反射的に残った左腕で防御を試みる。が、男はそれを強引に中止し、大きく飛び退った。


「危ねぇ危ねぇ。まともに受けてたらもなくなってたぜ」


 男の左腕から血が流れている。

 魔力の量はそのまま力や頑健さへ直結する。相手の魔力をより強い魔力で叩き潰す。多少の搦め手がないではないが、魔族の勝負はその一点である。

 西の深山に生息する巨人、東の廃都市に巣くう数千の眷属を束ねる二面四臂の女王、世界を巡り幾度の戦いを繰り広げ、山を切り裂き大地を平らげる力のぶつかり合いをすれども、ついぞ男に傷をつける者は現れなかった。


 女の魔力量はそこらの魔物程度。油断も手加減もしていたとはいえ、彼の身体に傷をつけるなど麻布で鋼を穿つに等しい。

 しかし、しかし。

 片腕を失った。

 窮鼠が猫を噛んだのとはわけが違う。蟻が城壁を崩したのだ。さも

 これが驚かずにいられようか。

 これが、狂喜せずにいられようか。

 激痛すらも心地よい。

 溢れる血液が歓喜で沸騰しそうだ。


「カ、カカ、カ、カ、カ、カカカカカカカカカカカカカカカカカッ!!」


 哄笑が嵐となり木々を揺らす。


「黙りなさいな、迷惑です」


 女の姿が霞む。

 男の眼をもってしても一瞬見失う、驚異的な瞬発だ。

 放たれた抜き手を紙一重で躱す。

 直撃すれば防御を貫通する一突き。心臓に刃を直接突き付けられるような初めての感覚に、笑いが止まらない。

 

「クカカ、そうか。お前が、魔王の従者か!!」


 魔族の間でささやかれる噂。先代魔王が崩御した頃から魔王城にたった一匹居座り始めた謎の魔族。その実力は魔王にも匹敵すると言われ、魔王城に近づくことごとくをせん滅する正体不明の伝説。


「ずいぶんとお喋りですね。魔王を名乗るのならば、もう少し品を持ってはいかが?」

「カカッ、悪ぃな! 名乗っちゃいるが、俺はただ担がれてるだけでよ。お前みてぇに強いのと殴りあいてぇだけで、元から王サマなんてガラじゃねぇのさ!」

「まったく、ある意味、魔族らしいこと」


 女――ウルドが小さく吐き捨てる。

 打撃の応酬。双方とも互いの威力を理解しているからこそ、決して受けようとはせず身を躱す。


「ですが残念、この私は欠片から呼び出された影法師のようなもの。本体あちらとは比べるべくもありませんわ」

「カッ、マジか。さっさとここを片付けて、本物を捜しに行くとするかぁ?」


 きゅうぅぅ、とウルドの瞳が細く絞られる。


「やってみなさいな、下郎!」


 閃光のような手刀の一振りを男は半身を下げて回避する。しかし、それでは終わらない。連撃。ウルドの両手が翻り、驚異的な速度からなる六つの斬撃がほぼ同時に男を襲った。

 これも後方にさがって難なく躱す――


「がっ!?」


 男は咄嗟に両腕を交差させる。


「――カカ、マジか」


 避けたところへ衝撃波が飛んできた。

 殺傷力十分の斬撃に加え、躱された際の布石を打っていた抜け目なさと技量の高さに、男は舌を巻く。


――だが、魔力じゃなくただの衝撃波ってのは、温存のつもりか。それとも、挑発してんのか。


「ったく、怖え怖え。それほどを痛めつけたのが気に入らなかったかい」

「当然でしょう。……その上、この状況を作ったこと。幾百万の地獄を見せたとしても物足りないくらい!」


 魔力による威圧ではない。ただの気迫に男はヒュ、と息を飲む。


「そもそもあの眼鏡っ娘の提案では、私と彼女で足止めをして魔王と勇者おふたりを逃がすはずだったのです。自己犠牲全開の玉砕など大っ嫌いでしたので当然却下しましたとも。まあ、アルのためでしたら最悪、本当の最悪ですが、つきあうこともやむなしでしたが……それをあの子アルったら……嬉しいやら悲しいやら頼もしいやら心配やら腹立たしいやら、ああ、ああ、とても腹立たしい!!」

「よくわかんねぇが、俺に向けてるの半分は八つ当たりじゃねぇのか!?」

「そんなことはありません!」

「子離れしろよ、親バカ!」

「私は未婚です!」

「魔族が何言ってんだ!?」


 攻勢がさらに苛烈さを増し、男は回避へと注力する。

 第三者から見ればウルド優勢ととれたかもしれない。

 ほぼ均衡していた天秤が、ウルドへと傾いたのだと。


 だがそれは間違いだ。


 二人の動きが止まる。

 ウルドの手刀が男の首を捕らえていた。しかし男は何の痛痒もなく、首も繋がったままだ。


「ま、そうだよな」


 男は何事もないように呟く。落胆も優越感もない。ただ当然のことを確認しただけの平坦な口調で。

 何ら特別なことはしていない。ただ、魔力の出力を上げただけだ。


 種明かしをすれば単純な話で、ウルドは貧弱な魔力をすべて一極集中的に運用し、男の魔力防御を突破していたに過ぎない。

 例えば地を蹴る足先。例えば手刀の先端。その一点に全魔力を集中し、驚異的な瞬発力と殺傷力を実現させていたのだ。

 もちろん言うほど簡単ではない。むしろこと自体が異常である。


 魔力の部分的な集中だけなら、どの魔族にも可能だろう。しかし、瞬間的に何度も行うとなれば別だ。

 移動や回避をとっても、左右の脚が地に着く瞬間に集中する魔力の部位を切り替える必要があり、そこに刹那の時間的ずれも許されない。

 さらに攻撃。ウルドの魔力では、すべてを集約したとしても防御を貫くことはできない。それを可能にしているのは、いわば『鎧の隙間』を彼女が狙っているからなのだ。

 全身を覆う魔力は均等ではない。時に厚くなり、あるいは薄くなり、常に流動的に体の表面を流れている。その最も薄くなった部分だけをウルドは標的にしていたのである。

 

 もちろん、魔力を運用する者であれば、魔力感知は魔族どころか人間にすらできる。攻撃、防御のために部分的に魔力の強度を調整するのも戦闘・生存技術の一つである。

 しかし、ウルドと同じ精度でとなると全魔族を探したとしても他にはいないだろう。


 魔力を砂場に例えよう。砂場の中心に山を作れと言われたならば、中央近くの砂をかき集める。何故ならそれが最も早く、効率に優れるからだ。魔力の運用も同じである。拳の魔力を厚くするなら、腕から。胴体なら二の腕や腿から。近くから必要な量を持ってくるのだ。


 だがウルドは、同じ時間で砂場全体から砂をかき集めるのである。しかも山を作る場所を一瞬で自在に変更する。

 魔力感知にしても、常に流動的に変わり続ける魔力の波を把握し、高速戦闘の中、最も魔力の薄い個所を狙っている。


 男自身、莫大な魔力故に『化け物』と称されることは幾度もあった。しかし、正真正銘の化け物はコイツのことだろうと男は感嘆する。


――さすがは魔王の側近か。魔力運用以外にも隠してるタネはまだありそうだしな……。


 だが、大本の原因がわかれば対処は容易だ。

 全身の魔力を貫かれない程度に分厚くすればいいだけである。

 男にはそれをするに十二分の余裕がまだあった。


「まったく、この身体ではこれが限界ですか」


 ウルドがため息を吐く。

 動きの止まった彼女の全身は傷だらけであった。


 魔力の一極集中は絶大な威力を誇るが諸刃の剣だ。

 男による攻撃は無論すべて回避していた。だが、振り下ろされる拳が纏う魔力の余波や衝撃を完全に避けるには、その効果範囲外まで距離を取るか魔力による防御しかなく、そのどちらも選べないウルドはその身体に直接受け続けていたのである。


「その四肢を刻んでやれないのは無念ですが……これで良しとしましょう」

「……なんか策があるみたいなことを言ってたな。だが、アイツらじゃ傷一つつけられんぜ? 魔喰にしたって燃料まりょくが全然足りねえ。俺を喰おうってんなら話は別だが、そりゃ無理ってもんだ。そもそも自分の能力ちからすらロクに使えてねえときた」


 半ば諦観を込めて男がぼやく。

 対照的にウルドはかすかに口元を緩ませた。


「存外貴方に免じて忠告を。

「クカカ、そっちの口調の方が素か? 始めからそれなら惚れてたかもな」


 男は拳に魔力ちからを込める。

 ウルドは立ち尽くしたまま動かない。


 ふとこの魔族ウルドだけは見逃してやってもいいかと考え、すぐに頭を振る。

 ウルドは自身を影法師と称した。おそらく分身や使い魔とは異なる、本体と魔力の繋がりのない独立した個なのだろう。活動のための魔力が尽きれば消滅する泡沫の存在。

 それでなくとも、主を差し置いて一人だけ生き延びるのをよしとする女ではないだろう。


 ならばこの場の全員を見逃すか?

 否。

 見どころのないヤツを生かしておくほど虚しいことはない。


――ああ、やっぱり、詰まんねぇ。


「さぁせぇるかぁぁぁああああああっ!」


 威勢のいい喊声に男は動きを止める。


「なんだぁ、ありゃ」


 思わず声が出た。

 視線の先には、勇者に背負われた魔王が……いや、魔王を背負った勇者……とにかく勇者と魔王がまとめて突貫を仕掛けていた。


「クカカッ、笑かそうってんなら大成功だぜ!」


 正直、頭おかしいとしか言えない行動なのだが。

 追い詰められすぎて自暴自棄になったか? それとも、狙いがあるのか。


「何にせよ、馬鹿正直に突っ込んでくるのは――」


 男の視界が突如燃え上がり、勇者たちの姿を覆い隠す。


「精霊術か!」


 男は全身を包む焔を魔力を込めた腕の一振りでかき消す。

 しかし、紅蓮の壁が十重二十重に男を取り囲んでいた。


――目眩ましか? ご丁寧に魔力感知阻害までしてやがる。だが……!


 バチン、と腕に集約させた魔力の量が膨れ上がる。


「せっかくだ、最後くらいは派手にしてやんよ!」


 炎の先から微かに感じる気配へ向けて、魔力波を放つ。

 多少狙いが外れたところで関係ない。大河の激流のごとく膨大な魔力が視界を薙ぎ払う。

 確かな手ごたえ。直撃により生じた爆風と衝撃波が精霊術の焔をことごとく吹き飛ばしていく。

 巻き起こる土埃。

 刹那訪れた静寂。


――ん?


 違和感に眉を顰める男の耳朶を『ジジ……』と異音がかすめた。

 仰ぎ見た直上に、彼女がいた。


「散々好き勝手やってくれたわね」


 漆黒の長髪が翼のようにはためく。


「人のことを何度も魔喰って変な名前で呼んで――」


 本来黒色である少女の瞳は魔力の高まりに呼応して、鍛造される鋼のように赤く紅く輝いていく。

 周りの空気が歪むほどの魔力濃度。その中心である右腕に、男の視線は釘付けになった。

 切り落とした先が異形と化していた。腕の形こそしているが倍以上に巨大化し、節くれだった指には鎌のように湾曲した爪が突出している。


――再生したか……いや、いや、いや、ちげぇな。


 男の口の端がニヤリと上がる。

 多少形が変わったが、さすがにを見間違えるはずもない。


「面白れぇことすんじゃねぇか、ええ? お嬢様よ!」

「お望み通り


 少女は魔喰まおうのくせに魔力を意図的に取り込む術を知らない。

 確かに二匹、喰らいはしたものの、アレは暴走のようなものだろう。おそらく何らかの理由で制御が聞かなくなり、偶然“魔喰”を行えたのだ。

 ほぼ全員の戦力の底が露わになった現状で、男を打破しうる可能性があるのは魔力を吸収することで際限なく強くなれる少女まおうだけだ。にもかかわらず再生や強化のためにすら魔力を取り込もうとせず、せっかく“喰った”魔力を即座に吐き出していることからも、魔力の運用ができないことは明らかだった。

 魔力を使えない。使い方を知らない。

 だから、せっかく目の前に切り飛ばされた男の腕極上のエサが転がってきても、“喰う”ことができない――はずだった。


――だから


「なるほどな。従者あの女が怒ってたのは、コレのことか」


 直前に喰った魔族の魔力で本来なら回復しているにもかかわらず、腕を抑えていた少女。そして、切断された男の腕。


(コイツ、俺の腕を移植するために、自分の腕を斬らせやがった!)


 少女の右腕を中心に、魔力が漆黒の渦を巻き雷を放つ。臨界に達した力の奔流が一条の閃光となり、地上へ降りかかっていった。

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