魔王と魔王①
「え?」
腕が落ちていた。
ぽとりと。
地面に落ちたソレは、まるで人形の一部のようで、自分のものだとは思えなかった。
だけど、肘から先にはあるはずの腕はなかった。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!」
遅れて襲ってきた激痛に、アルは絶叫する。
立っていられず膝をつきうずくまる。
いたい いたい いたい いたい いたい いたい
いたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたい
なにこれ、どうしてこんなことになってるの?
とんでもなく大きな猪の魔物が現れて、いてもたってもいられなくて
それで、エーファとクリムが倒れてて、目の前が真っ赤になって――気がついたら、手がなくなっていた。
状況がつかめず、アルはただ焼けるような痛みにガタガタと震えていた。
生まれて初めての暴力的な感覚に、とめどなく涙が流れ落ちていく。
「
粗野な言葉と共に現れたのは、白髪の男だった。年のころは二十半ばに見える。無造作に逆立った短髪。猛禽類のような金色の瞳に、口元には肉食獣じみた笑みを浮かべている。額から生えた角が、彼がヒトではないことを物語っていた。
男の出現と同時に、空気が重さを持ったように全身へ圧し掛かかり、アルは意識を失いそうになる。
そこにいるだけで周囲へ影響を与える、恐ろしいまでに膨大な魔力だった。
「せっかく城に殴りこんだってのに誰も居やがらねぇから、こっちに足を運んでみたが。一応、アタリでいいんだよなぁ?」
「ぁう、ぐぅぅぅぅ……」
「うるせえよ」
「ひぐぅっ!」
言葉をかけられただけでアルの身体が弾かれ、ごろごろと転がる。
「ぅぅうううう……っ」
「へぇ、情けねえお嬢様かと思ったが、睨み返す程度のホネはあんのか」
「……っ、誰よ……あんた……っ」
「オレか?…………っと」
不意を突いたクリムの攻撃を男は平然と掌で受け止めた。
「あん?」
かすかな驚きに片眉をあげつつも、男は反撃として掌底を繰り出し、クリムは辛うじて鍬の柄で防ぐ。が、その掌から魔力による衝撃波が打ち出され、少年の小柄な体は大きく吹き飛ばされてしまった。
「クカカ、鍬でぶん殴られて攻撃防がれたなんて初めてだぜ。何だそりゃ? いや、スゲーのは鍬じゃねえな。少しだが、魔力が打ち消された感じがあった――そうか、お前が勇者か」
くそっ、殴り飛ばされればよかったのに。
アルは痛みに歯をくいしばる。
普段のアルならば、とっくに心が折れ、何もかも投げ出して泣きじゃくっていたかもしれない。
しかし肝心の
「で、何だっけ? ああ、オレか。オレは――魔王だ」
周りが勝手に言ってるだけだがな、と男は自嘲気味に口の片端をあげる。
「…………“魔王様”自身がわざわざ勇者を倒しに出張って来たってわけ?」
「あ? 魔王は手前だろ」
「…………ナンノコトダカ」
「ふん。どーでもいいがよ
まぐらい? 二匹? くった?
聞き覚えのない単語、身に覚えのない事柄にアルは戸惑う。
その心境を知ってか知らずか、男は軽く指先を上げ、「でねぇと、潰れちまうぞ」すっと、静かに下げた。
「ぎ……っ???!?!?!?!?!?!!!!!」
魔力の密度が急激に上がり、身体にとんでもない圧力が襲い掛かる。まるで巨大な手に押さえつけられているようだ。
骨が筋肉が軋む。肺が潰れる。全身の悲鳴が耳元で聞こえる。
声も出せずピクピクと小さく震えるアルを見据え、男はつまらなそうに嘆息する。
「……今代の魔王は腑抜けだって噂はマジだったらしいな。…………あぁ、つまらねぇ」
霞む視界の中、男が腕を上げる。
おそらく、次の瞬間、アルの身体は完全に潰されるだろう。
――私たちは、ここで全滅する。
どこで間違ってしまったのだろう。
足手まといのアルが
魔王城へ戻ろうなんて言い出したこと?
魔物の森へ一人で入り込んで
ウルドに流されるまま魔王城から追い出されたこと?
勇者を懐柔しようとしたこと?
それとも、魔王になんてなりたくないって、言ったこと?
どれも間違いだった気もするし、そうでない気もする。
今となってはわからない。
もう、まぶたが、重い。
アルが死んだら、次はクリムとエーファだろう。
枷をつけたままのクリムでは、男の脅威にはなりえない。アレにとって私たちは等しく蟻でしかない。
――ああ、悔しいなぁ。
散々な十日間でした。
勇者に命を狙われて、
一息つく間もなく、次から次へといろんなことが起こって。でも
でもね、ちょっとは、うん、ほんの少しだけ、楽しいこともあったんだよ。
自分で何かを造ろうとしたり、クリムやエーファとちょっと打ち解けたり。
そんな新鮮だった出来事も、何もかも、こんなにあっさりと終わってしまう。
それは……それはとても悲しいし、すごく……悔しいな……。
「あああああああああああああああああっ!!」
誰かの切実な雄叫びが耳に飛び込んで来た瞬間、全身を襲う重圧が消失した。
「っかは……」
空気が肺に入り込んでくる。
明滅しつつも鮮明さを取り戻す世界の中、クリムが男へと躍りかかっていた。
「クカカカ、
男は呵々と笑いながらクリムの連撃を、いなし、躱し、弾く。
少年の小柄な体躯は幾度も小石のように撥ね飛ばされるが、怯むことなく益々の気迫を伴って挑みかかる。
男とクリムの力が近づいたわけではない。差は依然と隔絶しており、アルへの圧力を解いたのは、男のクリムに対する敬意だった。
「…………
耳元で声をかけられ、アルの上体がゆっくりと抱き起された。
「魔物や魔族は空気中に漂う魔力素を取り込むことで力をつけていきます。もちろん捕食によって魔力を吸収することができますが、それは非常に効率が悪く、捕食した魔物が大樽ほどの魔力量を持っていたとして、糧にできるのは両手の一すくいにも満たないんです。長じて魔力をうまく運用できるようになれば、むしろ大気中の魔力を吸収する方が効率が良くなるのだとか」
エーファは背後からアルを抱くようにして座ると、切り落とされた腕を傷口に当て、布の切れ端で固定していく。
「けれど魔王だけは、触れるだけでその対象の魔力を十全に取り込めるのだと、それどころか、その気になれば周囲の魔力すらも吸い尽くすことができると、お師匠から聞いたことがあります」
それが魔喰。魔王が魔王たる絶対の能力。
きゅ、と布が結び合わされ、ところどころ血の滲んだほっそりとした両手がアルの様子をうかがうようにしばし動きを止める。
その意図するところを察し、アルは申し訳なさに目を伏せる。
――ごめんね、やり方がわからないの。
声は出なかった。
ふ、と頬に軽い吐息を感じた。
「魔猪の魔力は、蜘蛛を倒すのに使いました。でも、あのロベリアとかいう魔族から吸収した分はまだ残っているはずですから、このまま固定していればいずれ腕は繋がる、と思います」
エーファの指がアルの腕をやさしく撫ぜる。
「クリムくんが気を引いてるうちに逃げてください」
「……エーファは?」
「アルが逃げられたのを確認したら、どうにかクリムくんを逃がします。今の私たちじゃ、絶対アレには勝てません。わたしの火は通じないだろうけど、きっと目くらましくらいにはなるはずだから」
「私も――」
反射的に口を開きかけたアルだが、エーファに「邪魔です」と斬り捨てられた。
「それにあなたが逃げないと、クリムくんはきっとここを離れません」
「それは――」
エーファが残っても同じでしょ? とアルは訴える。
無言のまま、背中に触れていた温もりが離れていく。
ようやく向き合ったエーファの姿は痛々しいほどにボロボロで、光の反射で眼鏡の奥の表情を読み取ることができない。ただ、唇だけがほんのわずかに弧を描いていた。
「最後には、エーファも逃げられるのよね?」
「…………まだ、死にたくないですから」
「ならその方法を教えなさい」
「はい?」
虚を突かれ、エーファが硬直する。
「エーファの案が上手くいきそうなら、こっちも安心して逃げられるでしょ。せっかくできたトモダチを見捨てるなんてしたくないのっ」
しばしあんぐりと口を開けて絶句するエーファ。やがて心底おかしそうにクスクスと笑い始めた。
「ええ、ええ、そうですね。…………あの人の言った通りでした」
「あの人?」
首を傾げるアルに、エーファは無言で自らの背後へ軽く視線を投げかける。
「だから言ったでしょう。貴女の考えなどアルは早々に察して、必ず止めると。無策で自己犠牲の特攻など、よしなさいな。誰も望まず、誰も救われず。相手が悪すぎて無理・無駄・無謀の三拍子、自己満足以外に得られるものはありません」
酷い言いようですね、とエーファは苦笑する。
「当然でしょう。自己犠牲、ああ自己犠牲、反吐がでそう。そんなくだらない行動で、アルに傷をつけるつもりなら、まっさきに私が息の根を止めて差し上げますとも」
予想していなかった人物の姿に、アルは呼吸を忘れ見入ってしまう。
「まったく、せっかく
耳慣れた嘆息。見慣れた姿。
見間違いじゃない。
「――ウルド?!」
「あらあら、そんなに動くと腕がとれますよ。まだくっついてないでしょう」
艶やかな黒髪を結い上げ、給仕服に身を包んだ美女――自称、魔王の世話係は形の良い指先で、つい、と眼鏡をあげる。
「はい、ウルドです。今回は同じ眼鏡者の召喚ということで例外的に応じました」
……………………何だよ眼鏡者って。
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