魔王の憤慨

――ゴッ、ガン!


 鈍く重い音が幾度も響く。

 蜘蛛型魔族の息つく間もない斬撃を、クリムはことごとく防いでいく。


「ム ゥ」


 蜘蛛は静かに、しかし驚愕の唸りをあげ、鎌のような前腕を打ち合わせる。

 薄い金属鎧ならば容易く切り裂く斬撃を、あろうことか鍬の、しかも木製の柄の部分で受け止められたのだ。

 これが勇者かと驚嘆しつつ、攻めきれないと判断し後方へ大きく離れる。


 逃すまいとエーファの操る精霊の放った火炎が蜘蛛に迫る。

 直撃する寸前、間に割り込んだロベリアが口腔から焔を撃ちだし相殺した。


「くっふふ、この程度でアタシを焼こうなんて百年早いんだよ!」


 翼をひとつ打ち鳴らすと、後衛のエーファへ突進をかける。

 クリムがそれを受け止め、蜘蛛が拘束すべく放出した糸をエーファが燃やす。


 一進一退の攻防である。

 力の差を見るならば魔族二体に大きく分があるが、クリムとエーファの連携により互角へと持ち込んでいた。

 だがそれも二対二であったならばだ。

 均衡が崩れるのは一瞬だった。


 魔猪の咆哮が大気を震わせる。

 ぎくり、とエーファが身体を強張らせる。

 辛うじて均衡を保っている状況に、介入されるのは不味い。この場を素通りしていっそ“村”へ向かってくれればよかったのに、と騎士団員の身内としてあるまじきことを考えつつ歯噛みする。

 あの巨体は厄介ではあるが、村には師匠もいれば精鋭の騎士もいる。魔物もどきの一体程度、脅威ではない。

 しかし、巨獣は間近で騒いでいる自分たちを見逃す気はないようだ。


 魔猪の眼前へ火炎を放つ。

 獣であれば、と怯むことを期待したが、逆効果だった。

 魔猪は怒りの声をあげ、エーファへ目掛けて突進してきたのだ。


 予想を上回る勢いに、回避行動が遅れた。

 さらに隙を逃さず、蜘蛛の糸がエーファを拘束する。


「あ――」


 為す術なく転がったエーファへと巨体がひどくゆっくり迫ってくる。あの大きな足に引っ掛けられるだけで、一瞬で肉片へと変わるだろう。

 ぎゅっと目を閉じたその時、横合いから飛び込んで来たクリムが魔猪の頭部を思い切り殴りつけた。

 魔猪は大きく体勢を崩し、足を止める。


「クリムくん!」


 エーファが警告の叫びをあげた瞬間、クリムの身体が炎に包まれた。


「ふん、力が上がってるじゃないか。仲間の危機で強くなるって? 忌々しい」


 口から焔の欠片を吐き出しつつ、ロベリアが舌打ちする。

 クリムは鍬を大きく振り回し、身にまとった炎をかき消す。衣服こそやや焦げついてはいるが、火傷を負った様子はない。

 しかし、安心していられない。

 不意を突いた攻撃だったが、魔猪は健在であり、魔族たちとの戦力差を埋めるにはまだ遠い。


 蜘蛛の糸から抜け出そうともがくが、力で切れるようなものではない。


「うぁ、あああ!!」


 糸が急激に身体を締めつける。衣服が裂け、糸の食い込んだ肌からぷつりと血が滲んでいく。


「コマ切レ ニ なりたくナけレば 大人シく しテいロ」


 蜘蛛はそう告げると、エーファを残し、クリムへと襲いかかる。

 魔族たちに囲まれ、防戦一方になった少年の身体はたちまち傷ついていく。

 エーファは鋭い痛みと締めつけの息苦しさに、飛びそうになる意識を必死に繋ぎ止める。


――いそげ、いそげ、ためらうな。


 焦る精神を押さえつけ、心身の消費でなかなか安定しない魔力を凝らしていく。

 自身を拘束する糸を焼き切るために。

 

――集中しろ、精霊をうごかせ。


 精霊術は魔力で精霊に呼びかけ、彼らの力を借りる術だ。ヒトの微小な魔力で行える魔術ではあるが、その運用には相応の精神力と集中力が必要とされた。


――。止血にちょうどいいじゃないか。


 肌に食い込む妖糸に火をつければ、当然自らも焼かれることになる。その恐怖を必死に押し殺す。

 クリムの身体が家の壁に叩きつけられる。

 魔猪が倒れ伏した少年と家屋めがけ上体を振りあげる。


 エーファの中で、ようやく魔力が練りあがる。

 しかし、突然、その魔力が消失した。


「?!」


 次いで全身を拘束していた蜘蛛の糸が消え失せる。

 何が起こったのか理解できないエーファに、誰かが声をかけた。


「ごめんね? 遅くなって」


 聞き覚えのある声。聞き覚えのある謝罪。

 だが、それはとても無機質で、ゾッとするほど冷たくて。

 恐る恐る顔を向けるが、声の主の姿はすでになかった。


 ギィュオオオオオオオ――


 悲痛な叫びに地が大きく震える。

 魔猪が前脚を失い、倒れ伏していた。

 その傍には見覚えのある少女が。


「よくも、私のトモダチを傷つけたな」


 だが、とエーファは目を疑う。


「よくも、クリムの大切な家を壊したな」


 アレは、本当にあの少女だろうか。

 世間知らずで、無力な――


「よくも、私のに無断で踏み入ったな」


 姿こそあの少女だが、あれでは、まるで――


「貴様ら、みんな、消してやる」


 おとぎ話に聞く魔王ではないか。

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