幕間 ~ロベリアの憤懣~
村の北側上空に一つの飛行体があった。
それは女性の姿で二対の翼を打ち鳴らし、上空を漂っている。
「ああぁぁぁぁっ、もうっ!」
魔族――ロベリアは力いっぱい怒声を張り上げる。
力んだあまり、翼の加減を誤り大きく体勢が崩れたが、立て直さずそのままでたらめな軌道を描いて飛行を続ける。
さすがに不細工で無様な飛行だとロベリア自身、思う。他者の目があれば
ああ、イライラする。
人間にいいようにコケにされて。
あんな小さな魔物にあしらわれて。
なにより――そう、なによりも「なりたて魔族」と言われたことが彼女の胸中を激しくかき乱していた。
魔物のくせに見透かしたように、と悪態をついたところで一向にその波は収まらない。
これでは魔王様にあわせる顔がない。
何の成果もないまま謁見するなんてありえない。
魔族なんて奔放で協調性のない連中がほとんどだ。手ぶらでやって来るヤツのほうが多いだろう。
だからこそ、ここで手柄を立てておけば一歩抜きんでておくことができるのだ。
――なりたて魔族。
くそ、くそ、くそ。
舐められるわけにはいかない。
「何とかしないと」
歯噛みしつつ中空を漂っていると、一軒家を見つけた。
意表を突かれて、湯だった頭が急速に冷える。
魔物の巣窟の目と鼻の先に人家を構えるなど正気の沙汰ではない。小規模だが畑や、家畜小屋まである。森に近いほど魔力濃度が高くなるため作物も家畜もよく育つことは間違いないだろうが、同時に獣や魔物の襲撃を常に警戒しなければならない。ここの住人は道楽者の魔族か何かなのだろうか。
そこまで考えて、例の魔力放出がこの辺りからだったことに思い当たる。
――少し調べてみるか。
地に降りたって周囲を見渡す。
妙に静かだ。
家の周囲にも中にも人の気配は感じられない。小屋からも物音ひとつ、家畜の声すらしない。
放棄されたのだろうか?
それにしては建物に廃れた様子はなく、むしろ新たに増築されたような個所もある。
ふと、精霊術師の館にいた少女と少年の姿が脳裏に浮かんだ。あの二人は実に浮いていた。館の術師と比べてだけではなく、
もしかしたら、ここは彼女たちの家なのかもしれない。
農家の子たちが畜産物を卸しに来ていたと考えれば、あんな場所に場違いな二人がいたのも少しは納得がいく。
(でもそうなると、あの娘にはちょっと悪いことをしたかしら)
まったく関係のない少女を人質にして脅した可能性に思い当たり、ロベリアは顔をしかめた。
何も知らない農家の女の子が魔族に襲われ、あげくに同族からも
(いやいや、そもそもアタシは魔族なんだから)
精霊術師を襲おうとした自分が気にすることではない。
そもそも、ここが本当にあの娘たちの家であれば、獣や魔物の脅威が日常の生活をしているはずだ。今さら魔族に襲われるのが何だと言うのか。
そう自らを納得させ、改めて周囲の様子を探る。
住人は留守だとして、家畜小屋が静かなのはどういうことだろう。
冬に備えて食肉用の豚はもちろん、養いきれない家畜を売ったり保存食として処理してしまうことはある。それでもすべてを手放すわけではないし、今はとっくに暖かい季節に移っている。
――獣や魔物の被害に遭った? それにしては荒らされたようには見えないし。
「何ダ……オ前……」
首をひねっていると、声をかけられた。
ヒトのものではない。錆びた金属がこすれあうような、甲高い音の混ざったザラザラと耳障りなそれにロベリアは眉をしかめる。
ソイツは家畜小屋から現れた。
直立した蜘蛛のような魔族だ。
「フん……半端者カ」
蜘蛛型魔族はロベリアを一瞥すると、短く吐き捨てる。どうやら口元の
ロベリアは鼻を鳴らし、不快さを隠すことなく問いかける。
「アンタがここをヤったのかい?」
「始めカラ……コウだッタ」
キシキシと蜘蛛が答える。
やはり家畜を手放したのは住人によるもののようだ。ここを引き払うつもりだったのか。
「こコ、オ前ノ……カ?」
ロベリアは答えずに肩をすくめる。
その仕草をどう受け取ったのか、蜘蛛はわずかに考えるそぶりをすると、
ギィィィイイイイッ!
甲高い音を発し始めた。
「何だってんだい!?」
あまりの音量と不快さに耳を抑え怒鳴るロベリア。
「ギ、ィイ、ギィ……オ前ノ、でハ、ないんダろウ。ナら、ヤるコトは、一つダ」
森が騒がしい。
草木をかき分ける音。地鳴りのような、大量の生き物が大挙して駆けてくる気配。
ロベリアが視線を森へ向けると同時に木々の合間を縫って様々な獣や魔族もどきが飛び出してきた。
まるで家畜の集団暴走だ。
彼奴らの眼は冷静さを失って一様に血走り、ただひたすら遁走のために突き進んできているように、ロベリアの目には映った。
よくよく観察すると、何匹もの小型犬ほどの大きさの蜘蛛型魔族がケモノたちの足元を跳ね回り、群れを追い立てている。
――眷属を使って暴走させてるのか。
このままでは、この家は大挙したケモノたちによって蹂躙されてしまうだろう。
舌打ちをしてロベリアは蜘蛛へ怒鳴る。
「ここを潰すつもり!?」
「ニンげンの、モノなド……どうデモいい、ダろウ…………このまマ、“カベ”まデ、ムかウ」
ああ、とロベリアは納得する。
この魔族の目的は、獣たちを利用してこの先の“村”へ襲撃をかけることだ。
その出発地点にたまたま家があっただけで、破壊の有無や理由はどうでもいい。せいぜい邪魔だから、といった程度でしかないだろう。
なんとも魔族らしい考え方である。
「なら、別に、ここを避けていっても……」
ついロベリアの唇から、魔族らしからぬ言葉がこぼれる。
必要がないなら、余計な――は出さなくてもいいんじゃないか。
目蓋の奥に顔が浮かぶ。
顔を蒼白にして、今にも泣き出しそうな、人質にした少女の顔が。
そして――何物も消失した地で一人泣きじゃくる誰かの姿が。
「フん」
蜘蛛は
ロベリアは否定できない。魔族であるならば、当然のことだから。
群れは川を踏破し、土煙をあげて迫ってくる。
「くっ」
群れに巻き込まれることを避け、ロベリアは唇を噛みしめ宙へ浮かぶ。
足元を生きた砂嵐が地響きをたてて通過していく。
先頭が家屋へといよいよ迫り――
ドン!
突如、上空から何かが降って来た。
それは着地と共に爆発のような轟音を立て、巨大な砂の壁を形作る。発生した衝撃が波のように暴走した群れにぶつかり、その勢いを相殺した。しかし、速度ののっていた先頭集団は残った慣性に引きずられ、砂塵の幕へと突っ込んでいく。
煙の奥からいくつもの悲鳴と断末魔が響く。
完全に群れの動きが止まり、同時に巻き上がっていた砂煙が晴れていく。
そこには倒れ伏した複数のケモノたち。
そして、
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