幕間 ~弟子と師と~

 目の前で少女がうずくまっている。

 動かなくなった小さな獣の身体を抱え、何かをこらえるように歯をくいしばり視線を床に突き刺すほどに縫いつけて。

 魔王と呼称されるには余りにか細いその姿に、エーファは言い知れぬ既視感を感じていた。


 六つやそこらの女の子。

 衣服は汚れ、手足は擦り切れて。

 ただただ現実に押しつぶされないよう必死に耐え続けるしかない、幼い存在。


 エーファはその幻影を振り払う。


 やがて黒髪の少女――アルは宙を振り仰ぐと、そのままの勢いで部屋から駆け出して行った。

 どこへ向かったかなど考えるまでもない。

 おそらくこの場にいる全員が理解している。

 魔王アル従者ウルドがどのような関係なのかはわからないが、少女の言動の端々からとても大切な存在なのだと感じることはできた。


「……ハスタ、エーファ。しばらくお別れ」


 クリムが短く告げる。

 “別れ”という言葉にドキリと胸が震えた。


「クリム、これは魔族内での争いです。静観に益がありこそすれ、介入することに意味はありません。ましてや、それが成長しきっていない魔王であるなら尚更」


 ハスタの言葉は正しい。魔族は人間からすれば天敵に等しい脅威であり、活発化しているのならば由々しき事態である。それが勝手に同士討ちをするというのだから、歓迎すべき事態だ。

 しかし、クリムは静かに首を振る。


「よろしくって、頼まれたんだ」


 あくまで少年の言葉は穏やかだ。それが死地へと向かう宣言であるはずなのに。


「それに――アルが


 ハスタは諦めたように、あるいは呆れたように「ああ、の言葉ですか。それはどうしようもありません」と肩をすくめる。


「腕はどうですか?」

「…………ん」


 クリムが包帯に巻かれた両腕を軽く持ち上げる。彼が訪れた際、片方の腕は折れ、もう一方も酷い内出血を起こしていた。

 エーファとアルが出かけていた間に、治療をしていたようだ。


「大丈夫」


 術師の行う治癒は、身体に直接魔力を流すことによって体内の回復力を促進させるものだ。あくまで補助であって、たちどころに傷や病気を癒すものではない。

 ましてや勇者の力の前には微量の魔力などかき消されてしまう。


「今回はあなたの力が弱まっていることが幸いしましたね。おかげで魔力が身体に通り、同時に本来の力の回復力と相乗効果を起こしたようです。ですが完治したわけではありません。魔王殿を確保したらそのまま騎士団の本部へ向かうことをお勧めしますが」


 クリムはかぶりを振る。


「ふむ、私を仲間にという件でしたら、残念ですが無理ですよ。私にも形だけとはいえ立場があり、軽々に動ける身でもありませんので」


 クリムは落胆した様子も見せず、頷く。

 言ったところで彼の意思を翻すことは無駄であると、ハスタも十分に理解しているのだろう。だから、すぐに「無理だと判断できたなら、すぐに退散しなさい」と語を続けた。

 その言葉にもクリムは頷くと「じゃあ」と一言だけ残して去っていった。


「エーファ」

「はい」

「あなたは、をどう見ましたか?」


 目の当たりにした“魔王”は、伝承とも想像ともかけ離れていた。

 世間知らずで、弱くて、臆病で、泣き虫な女の子。日常生活すら満足にできないそれは、ある意味でこの世界にはそぐわない存在かもしれない。

 魔族としても不完全。

 人間としても未成熟。

 だからと言って――


「わたしは――あの子アルは嫌いじゃありません」


 いなくなってもいいとは、思わない。

 ハスタが微笑む。


「ならば師として命じます。エーファ。“勇者”クリム、“魔族”アルと共に、新たに生まれた魔王を調査、可能ならこれを討伐しなさい」


 突然の下命、ではない。

 エーファ自身は騎士団に属していなくとも、組織最高の術師に教えを乞うた時点で、どんな形であれ魔物や魔族との争いに臨むことは定められていた。

 ハスタが強制したのではない。これはエーファ自身の意思であり、初めから決まっていたことだ。


 そう、村が壊滅したあの時から。

 だからエーファに躊躇いはない。

 それに、勇者の――クリムの隣で戦えるのだ。状況としてはこれ以上望むべくもない。


 急ぎ支度を整えるべく、師の前を辞す。

 部屋から足を踏み出した時、ハスタに呼び止められた。

 振り返ると、小さな袋を投げ渡された。

 中には金貨。


「今回の仕入れの代金です。クリムが忘れていきましたので、あなたが持って行ってください」


 少しの沈黙。


「あと、側近殿――ウルドがそこらの魔族に後れを取ることはまずないでしょう。それでも無事とは限らないので、あの子アルを納得させることはできませんが」


 やはりハスタとウルドは面識があるようだ。

 アルが今代の魔王であるならば、先代――ハスタ達勇者一行の代の魔王は、すでにいなくなっているはず。

 そんな彼らと魔王の側近にどんな繋がりがあるのだろうか。

 しかしハスタは語らない。

 聞き出すだけの時間も今はない。


「北門の詰め所で、馬を借りていきなさい。私の名を出せばそれなりの馬を出してくれるはずです。できるなら、森に入るまでに彼女を説得してください。魔王を名乗る何者かはもちろんですが、複数の魔族が相手では、助かる見込みはありません。それどころか、今のクリムでは森の中層域を突破することも不可能でしょう」


 踵を返し、部屋を、そしてを後にする。

 ハスタに弟子入りして、十年以上過ごした館。長期間留守にすることも多かったため、この場所で育ったとは言い切れないけれど、それでもエーファの人生の大半を埋めている場所だ。


「あなたはもっと自由に過ごしていいと思うのですがねぇ」


 最後の最後に師匠がぼそりと呟いた言葉。

 エーファに聞かすつもりはなかったのだろう。

 しかし、それは去り際の背中にトスンと届いた。


――師匠は時々よくわからないことを言う。


 エーファはずっと自分の意思で行動してきた。

 ハスタに助けられた時も、自分で弟子入りを志願した。

 そこからの修練も、従者のような下働きも、これから挑む魔族との戦いだって。

 師からの指示や命令として行動してはいる。その点で強制のようではあるが、結局はエーファ自身が進んだ道なのだ。

 自分の意思で選んだこれまでは“自由”ではなかったのだろうか?

 むしろ、魔王として生まれたことを心底疎んでいるアルや、勇者の特質のせいで自己の意思が薄く他人からは奇異の瞳を向けられるクリムの方がよほど不自由だと思う。


 エーファにはわからない。


 だけど、ただ一つだけ、少なくとも伝わったことがある。

 最後の最後まで師匠から別れの言葉はなかった。

 それがエーファには少し嬉しい。

 まるで薄情な態度のようだけれど、不器用なあの人から初めて受け取った「いってらっしゃい」であり、いつでも帰って来いという意思表示だったから。


 エーファは駆け出す。

 先に行った二人に追いつくべく。


 ずいぶん遅れてしまった。

 詰め所で馬を借りて、急がないと。


 頭の中で手早くこれからの予定を立てつつ、北門にたどり着く。


 そこには――


 疲労困憊で今にも死にそうな呼吸をしているアルと、

 彼女を抱え、騎士に囲まれて途方に暮れているクリムの姿があった。


――あ、なんか既視感。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る