魔王と精霊術師⑦

 ズン、とお腹に響くような轟音。

 襲ってきた衝撃波に転がされそうになるのを、アルは身をさらに低くして耐える。

 魔力による爆発が収まり、顔をあげる。

 壁がなくなっていた。

 中庭に面していた煉瓦組みの壁が一面まるごと。


「あら、無傷」


 外との境でルーウルドが宙を見上げ感心した声をあげる。

 視線の先にはロベリアが浮かんでいた。

 頭部から突き出た湾曲した角、背中と腰には空を叩く大小の翼。この姿こそが彼女の正体なのだろう。

 外套こそ失っているが、ウルドの言う通り傷を負った様子はない。


「うぇ……あれ受けて平気なの?」


 アルが呻く。

 自分なら跡形もないだろう。


「なるほど、あの封印はあくまで“発動”を抑えるためのものでしたか」

「? どういうこと?」

「魔力を身体の外に出させないだけのですよ。あの様子だと、外套を身体の延長に見立てて魔力を通し、盾代わりにでもしたのでしょう」


 手を抜いた結界なんて張って、とウルドが鼻を鳴らす。


(いやいや、サラッと言ってるけど、それってすごい事じゃない?)


 全身を薄い膜で覆われていると想像してほしい。その膜が壁となって、体外へ放出する魔力の一切を遮断してしまう。接触すればその部分の効力は薄まるとはいえ、結界の膜越しに触れていることに変わりはないため、衣服や道具に魔力を伝達させるには相応の集中と技能が必要だ。


「……く……くっふっふふ、ちょっとびっくりしたけど、全然大したことなかったわね!」


 若干肩で息をしつつも、態勢を整え直したロベリアが胸を張る。


「まあ、のお嬢さんにしては、まずまずでしょうね」

「な!?」

「発動抑制の結界は弱体化ではないので、放出ができないだけで魔力による身体強化は有効ですよ。わざわざ道具に魔力を通すなんて回りくどいことをしなくても、全力で防御すれば少なくとも怪我はしませんし、攻撃にしても殴った方が早いわけで」

「………………」


 暗に「封印された時点でうろたえずに殴りかかってれば良かったのに」と言われ絶句するロベリア。


「もちろん、とっさの行動と判断としては悪くありません。未知の攻撃への警戒は大事です。まあ、単純な魔力攻撃の威力くらい見て察しろという話ですが。しかし、ええ、その歳であれほどの魔力運用ができる技術力は大したものですよ。もっとも、魔族としてはほぼ無駄技術ですけれど」

「やめろぉ、優しくするな! っていうか優しくするか、ダメだしするかのどっちかにしなさいな!」

「ぶふっ」


 あ、ごめん、つい吹き出しちゃった。


「……くっふふふ…………この、小娘……ひ弱な人質の分際でアタシを笑うとかいい度胸ねぇ!」


 こめかみをヒクつかせるロベリア。

 アルはとっさにルーウルドを抱きかかえて牽制する。


「ふ、ふん、人間なんかにいいように踊らされてた魔族に言われたって、痛くもかゆくもないですよーだ!」

「くぅううぅぅぅ……」

「あらまあ、こんなか弱い小動物を盾にしておいて、強気だこと」


 結界が張られた部屋の壁をぶち抜くようなヤツはか弱くないし、お前の正体は小動物ではない。


「くふ、ふ、ふ……さっきのは油断しただけなんだから! その証拠に怪我もしてないし! だからまだ負けてなんかもいないんだからっ! この……えーとえーと……ば、ばーかバーカぶぁーか!」

「えぇ……」


 ロベリアは幼稚な捨て台詞を吐くと、バッサバッサと飛び去ってしまった。

 何なの……。


「やあ、風通しがよくなりましたな」


 のんきな感想を口にするハスタを床に降りたウルドが睨む。


「安い結界など使っているからですよ、

「あっはっは、これは手厳しい」

「貴方、アルを焼こうとしましたね?」

「まさかまさか、ただの脅しでしたとも。まあ、魔王の側近ともあろう方があまりににいるので確認したかったというのはありますがね」


 あくまでにこやかなハスタ。

 ウルドは不満げに目を細めると「ふん」とそっぽを向いてしまう。

 当事者のはずのアルは、話について行けずぽっかりと口を開けているしかなかった。


「アホの子みたいですよ、アル」

「うっさいな! そもそもウルド、何でそんな格好になってんのよ!?」


 アルの指摘に、若干ばつの悪そうな表情になる。


「これはただの分身です――」


 魔物の森にある小屋でクリムからアルの現状を聞いた後、自身は城に戻り、分身ルーを近くにいたゼグへの依頼に向かわせたらしい。


「まさか、その帰りにフクロオオカミに追われたあげく、アルと鉢合わせるとは思いませんでしたが……」


 同行する気などさらさらなかったのだが、アルとクリムの予想以上の危なっかしさにしばらく様子を見た方がいいと判断した、というのがウルドの説明だった。


「まさか勇者一行が、冒険を始めて最初の村にたどり着く前に全滅しかけるなんて……」


 ふぅ、とあからさまにため息をつくウルド。小動物の姿でされると相当な威力がある。

 とは言うものの、出発地点が魔王城で、そこから一番近い“村”は魔族の監視と防御を担う人類最大規模の要塞なのだから、まっとうな物語の順序からすれば完全な逆走である。しかも勇者は弱体化。

 駆け出し冒険者未満ひきこもりのアルには鬼畜な難易度でしかない。


「あら。それじゃあ、ここから先は人間の生息圏です。多少の魔物や魔族の住処はありますが、あとは楽になるだけじゃありませんか」


 う、とアルは言葉を詰まらせる。

 確かウルドの台本では、人間の町を回り、人助けや魔物の討伐をこなしつつ勇者一行として“人間たちの王”に会う段取りになっていたっけ。


(つまり人間の本拠地に向かうわけで……結局それって魔王わたしの立場だと危険なことに変わりはないのでは……?)


 ここに留まれば魔族を人質ごと燃やそうとする鬼畜な術師がいるし、進んだところで獣や魔物はアルが魔王でも関係なく襲ってくるし、辿り着いた先は敵のど真ん中。

 安らげる場所がどこにもない!!!!

 私の状況、完全に詰んでないかな。かな!?


「ねえ、いっそのことクリムの家でずっとお留守番してちゃ……ダメですよね、わかってまぁす……」


 アルの全身を白い視線が襲う。

 特にエーファの目が怖い。いくらか仲良くなれたとアル個人は思っているのだが、たまに――特にクリムのことになると――妙な圧力を感じることがある。

 人間の領土に入れば魔族ってことがバレたら危険だし、魔王城の方はなんだか新しい魔王が魔族を招集してるとかなんとかロベリアが言ってて帰れないし…………。


――魔王が……? 魔族を、魔王城に、招集……?


 魔王はアルわたしで……ううん、魔族に招集なんてかけてないしその方法も知らない。

 ゼグの時のようにウルドの仕込みかとも考えたが、先のロベリアとのやりとりを思い返すにその可能性はなさそうだ。

 だとすれば“魔王”を名乗る何かが、城にいる? それとも魔族を呼び寄せつつ城に向かってる――?

 考え至った厭な可能性にアルは声をあげる。


「ウルド、アンタ今どこにいるの!?」


 ウルドからの返答がない。

 どころか虚空を茫然と見つめている。


「ウルド……?」


 ザワザワとしたものが胸の奥から震える声を押し出す。

 何の反応もしなくなった小さな身体に手を伸ばし、触れようとした瞬間――ウルドの全身が一瞬ピクリと震え、その場にくたりと倒れた。

 まるで糸の切れた人形のような有様に一同が硬直する中、アルが家族ウルドの名前を叫び抱え上げる。

 力なく垂れ下がる首、腕の中の温度が急速に冷えていく。


「ウルド……ウルドぉ……? ねえ、ねえ、何で……どうしたの……?」


 アルの声が小さく、滲んでいく。


「おそらく、城の方で何あったのかもしれません」


 いつの間にかハスタが傍らに立っていた。

 低く淡々とした口調が、アルの胸を茨のように締めつける。

 ちくしょう、さっきまでの腹の立つ口調はどうしたんだよ……。

 毒づきたくも唇はきつく閉ざされて声も出せない。きっと口を開けば泣き出してしまうから。


「……安心しろ、とは言えませんが、まだ彼女は無事ですよ」

「…………え?」

「あくまでそれは魔力を分けた分身です。本体が死ねば分身も消滅しますが、まだ残っています。分身を動かす余裕がなくなった、と考えるのが妥当でしょう。それが、どの程度逼迫した状況なのかはわかりませんが……」


 ウルドは、まだ、大丈夫。

 そう、なんたってあのウルドなのだ。

 きっと、へいちゃらに決まってる。

 でも……勇者クリムとの戦いで随分と力を削られちゃってて…………。

 あの時消滅した分身はどれくらいの力を割いて作ったって言ってた? 五割、六割? それだけの消費はたった数日で回復するものなの?


――気持ち悪い。


 不安で胸がぐるぐるする。

 思考もグチャグチャとまとまらない。


 私はどうすればいい?


 私は


 わたし、は――

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