幕間 ~ロベリア~
とある邸宅の門前で、女が佇んでいた。
旅人の装いではあるが、肢体の線が浮き出るほど薄い服に外套を羽織っただけという軽装である。
腰まである燃えるような赤毛を風になびかせ、値踏みでもするように眼前の館へ視線を向けている。
「ふん、騎士団の筆頭術師だと言うからどれだけ大きな屋敷を構えてるかと思えば……」
小バカにするように鼻を鳴らす。
庶民のそれと比べれば決して小さくはないが、肩書の割には質素に過ぎる。これよりも金をかけたと思われる装飾や規模の建物など他にいくらでも確認できた。
安易に特定されないための偽装かと考えたが、場所を訪ねればその辺の子供ですら指を差す始末。
とどのつまり、家の規模は主人の好みであるのだろう。
「あ~あ、バッカらしい。せっかくお金があるんだから豪勢に使えばいいのに」
よほど堅実なのか、貧乏性なのか――
「どっちにしろ、ツマンナイ」
言葉とは裏腹に、女は口の端をあげる。
ぺろりと長い舌が唇を濡らすと、口紅を引いたように妖しくきらめいた。
釣り目で、宝石のように光を放つ水色の瞳。スラリと通った鼻筋。見た者を瞬時に魅了する、魔性のごとき笑みがそこにあった。
(まあ、そんなツマンナイ奴をどうにかするのも面白いんだけれど、ね)
扉が開くと、中から眼鏡をかけた栗毛の少女が顔を出した。
おそらく術師の従者か弟子だろう。
そつなく来訪の挨拶をする女からギラギラとした魔性は消え去り、やや蠱惑的ではあるが社交的な微笑みに切り替わっていた。
女は“ロベリア”と名乗った。
光翼騎士団の者だと伝え、証として徽章の刻印された
すんなりと中へ通され、ロベリアはほくそ笑む。
――ああ、なんて簡単。なんて単純。
この
道寄った街の酒場で出会った男の所持品である。
男はロベリアに声をかけ自らの卓へ座らせると、聞いたこと聞いてもいないことをべらべらと語った。
もちろん、男が光翼騎士団の人間であると目星をつけたうえで近づいたのだが、収穫は予想をはるかに上回っていた。
軽薄な口から流れてくるほとんどが、ロベリアへの甘ったるい賛美や仕事の愚痴だったが、酒を重ねるうちに彼は決定的な一打をたたき出してしまう。
男は“特務”だと名乗った。その役目は内と外、人間から魔族の動向まであらゆる情報を収集・調査・精査する諜報機関だと。
それが真実なら、騎士団を支える柱であり顔でもある“六翼”とは逆の、裏側における生命線とでもいえる存在だった。
さらには懐から銀色の
これは騎士団員である証だが、裏にある交差した短剣、この図はほかの
やがて酔いつぶれた男から、ロベリアは金銭と
酒代は情報料として払ってやった。
応接室かと思いきや、通されたのは書斎のようだ。
床から天井まで伸びた壁一面の書棚。書物に配慮してか窓に厚い布がかけられ、昼間だと言うのに角燈に灯した火だけが光源の陰気な部屋だ。戸を開けた先の突き当りに面した机がなければ書庫だと勘違いしたかもしれない。
間取りから予想するに、おそらく窓の向こうは中庭だ。壁に敷き詰められた書棚で声は外に漏れづらく、万一盗み聞きを警戒するとしたら中庭の窓しかない。
このような場所に案内されたということは、短剣の印から“特務”がらみの案件だと判断したのだろう。
ただし、室内には他にも人間がいた。
部屋の中間の辺り、彼女からすれば右方向に少年と少女が立っている。
両者とも黒髪黒眼というのは珍しいが、格好からすれば庶民どころか農民のような粗末な衣装で場違いも甚だしい。少年の方は無表情で何を考えているかわからないが、少女は居心地が悪そうに視線だけで周囲を見渡して、騎士団の関係者とも思えない。
それよりも目を引いたのは少女の抱えている黒いケモノである。感じられる魔力だけなら、なりたての魔族と同等だ。
ロベリアにとっては相手にもならない程度だが、ただの人間には脅威でしかない生物をどうして連れているのだろう。
やはりただ者ではないのか、あるいは術師を含めどいつもこいつも見る目がないのか。
(それとも、油断させて襲おうって魂胆の魔族かしら。それにしては魔力の隠蔽もろくにできてないみたいだけど。まあ、こちらとしては邪魔さえしなければ何でもいいわ)
ロベリアに、栗毛の少女が部屋の奥にある席を示す。
言われるがままに腰を掛ける。
しかし、しかし、しかし、なんとも肩透かしじゃないか。誰もアタシを疑わないなんて!
わずかの間を置いて従者の娘が扉が開くと、主と思われる老人が入って来た。
ロベリアが心の中で酷薄な笑みを深くする。
先代勇者の仲間の生き残りだと聞いていたから、どんな奴かと思えば――。
「お初お目にかかります、ハスタ様。突然の訪問にも関わらず、お目通りを頂いたこと、感謝いたします。わたくしは光翼騎士団『特務』のロベリア。先日、魔物の森付近で強力な魔力の反応があったと報告を受けました。ハスタ様ならば何かご存じではないかと、参上した次第でございますわ」
あらかじめ用意していた口上を述べる。
件の魔力はここからさらに離れていたロベリアにすら感じ取れた。その情報収集ついでに、騎士団の幹部とやらの顔を見てやろうという腹積もりだったが。
――これなら手土産に首を狩ってやってもいいかもしれない。
ロベリアの思惑を知る由もなく、老人は柔和な笑みを浮かべて口を開く。
「初めまして、私がこの館の主、ハスタです。さて――魔族がこんな老人に何の用ですかな、お嬢さん?」
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